名言で読むサリンジャー!野崎孝の翻訳がおすすめ!

更新:2016.12.18 作成:2016.12.18

アメリカの小説家J.D.サリンジャー。代表作『ライ麦畑でつかまえて』を日本語に訳した野崎孝をご存知でしょうか。その翻訳の魅力は、タイトルだけじゃないんです。若者小説の名手・サリンジャー×言葉の魔術師・野崎孝の魅力溢れる作品をご紹介します!

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J.D.サリンジャーとは

本名ジェローム・デイヴィッド・サリンジャーは、1919年1月1日にニューヨーク・マンハッタンで生まれました。東欧ユダヤ系の実業家ソロモンを父、スコットランド・アイルランド系のマリーを母に持ち、比較的裕福な家庭で育ちます。

有名私立学校を退学になり陸軍学校に入り大学は3つに学ぶ、と学業ではストレートな道を選ばなかった彼ですが、21歳で短編小説を発表してからは、徐々に作家として名声を勝ち得ていきました。第二次世界大戦で出征しノルマンディー上陸作戦に従軍した経験があり、それらは後の彼の作品にも影響を与えています。

若者の代名詞、ホールデン少年がさ迷うNY『ライ麦畑でつかまえて』

高校を放校になった主人公ホールデン・コールフィールドが、学校を飛び出しニューヨークの街で過ごす3日間を描いた物語です。ルームメイトや先生たち、バーで演奏するピアニストからデートの相手とその友だちまで、自分を取り巻くありとあらゆる人・ものへのもどかしさや鬱屈した感情をふき出しながら苦闘する様を、ホールデン少年の語り口調で描いています。

「そんなことはしゃべりたくないんだな。」「たいしたしろものさ。」「ここがまた…癪にさわる点なんだな。」など、現代の若者が10人いたら10人全員使わないような口調で(失礼)、ホールデン少年は話を進めていきます。確かに、野崎孝が翻訳したのは1964年、今より半世紀以上も前なので「そんな言葉使ったことないよ」と読み手が思うようなレトロな言葉が多いです。それなのに、なぜかこの口調がすっと馴染んでくるのです。

もう大人であるように背伸びをしてみせたり、いきがってスラングを使ったりするものの、大人の社会やルールを「インチキ」と言い、子どもらしい純潔さに共感する自分と社会とのギャップにもがくホールデン少年。学校はすでに何校も放校になっており、今度も両親を怒らせがっかりさせるだろう自分にうんざりし、好意を持っていた女の子がルームメイトとデートに行ったと知り激怒し、そんな彼は自分自身にも自分が馴染みきれない社会にも「いやでいやでたまんない」と街に飛び出すのです。

有名大学に行きお高くとまった(ようにホールデンには見える)エリートへの反骨心をむき出しにし、映画についてあれこれ語る人達を蔑み悪態をつきまくる。自分に劣等感を感じながらも、大人に注意されるとはぐらかしたり反発をしたりする。妹のフィービーなど、子どもの持つ取り繕う事のない素直さ・純粋さには幸福感を感じたりする。そんな繊細で潔癖な少年がもどかしそうに、やけにいきがってみせる野崎孝訳はホールデン少年そのものなのです。
 

著者
J.D.サリンジャー
出版日
1984-05-20


そんなホールデン少年に向けた名言がこちら。

「もしもあんたが魚だったらだな、《母なる自然》があんたの面倒をみてくれるはずのもんじゃねえか?そうだろ?あんただって、冬になったら魚は死んじまうなんて、そうは思わねえだろ?」(ホーウィッツ)

1つめはタクシー運転手のホーウィッツが降り際にホールデンに言った言葉です。言い終わると「地獄の蝙蝠」のように車を飛ばして去っていく短気なホーウィッツの性格が面白い程伝わってきます。

「未成熟な人間の特徴は、理想のために高貴な氏を選ぼうとする点にある。これに反して成熟した人間の特徴は、理想のために卑小な生を選ぼうとする点にある。」(アントリーニ先生)

2つめはホールデン少年が以前通っていた学校の先生から諭された言葉です。内容もさることながら、その重みのある格言のような言葉選びはやはり野崎孝訳がぴったりでしょう。

1950年代アメリカのティーンエイジャーの口調を的確に捕えた原文は翻訳が難しかった、と語っていた野崎孝ですが、訳しながらキャラクター1人1人の個性を浮かび上がらせる技が光ります。

バーでお酒を頼み煙草を吸い、女性に目くばせしてみるけど失敗するという10代の少年あるあるを体現するホールデン少年。憎まれ口をたたく姿が時折微笑ましいティーンエイジャーの代名詞ホールデン少年。そんな愛すべきホールデン少年のパーソナリティーをすくい取った野崎孝訳、必読です!

この世で本当に美しいものはなにか?『フラニーとゾーイー』

これは、グラース一家の愛の物語です。と、次兄のバディも作中で言っていますが、「温かく心がほんわりする」といった類のものではなく、ひと癖ふた癖ある人達が鋭くウィットに富んだ会話(ほとんど論争)をやり合うのですが、その不器用なまでに率直で無骨なやり取りの中に愛が溢れかえっている、という他では見たことのない、サリンジャー以外にはついぞ描けないであろう複雑な家族愛が描かれています。

「フラニー」と「ゾーイー」という2つの短編からなる物語ですが、登場人物は「フラニー」がグラース一家のフラニーと恋人のレーン、「ゾーイー」がグラース一家からバディ、ベシー、ゾーイー、そしてフラニーです。グラース一家というのは後年サリンジャーが重ねて書いていた登場人物で、父レスと母ベシー、長男シーモア、次兄バディ、長女ブーブー、双子の三男・四男ウォルトとウェーカー、五男ゾーイー、次女フラニーという7人兄弟の家族です。

「フラニー」では、久しぶりのデートに来たものの精神的に不安定でフラニーと当時のエリート大学生の象徴のようなレーンの相容れないやり取りが、「ゾーイー」はその後日談で神経が衰弱しきってしまい実家で床に伏せっているフラニーを心配するベシーやゾーイーを描いています。

世の中の俗物的なものに辟易しながらもそこへの愛着や居心地の良さも捨てきれない自分に葛藤するフラニーの若者らしい苦悩と、フラニーを立ち直らせるために彼女を咎め言葉を尽くして説得するけれども頭も言葉も切れすぎて余計に彼女を傷つけてしまう不器用なゾーイーという兄妹のやりとりから眼が話せません。
 

著者
サリンジャー
出版日
1976-05-04


さて、サリンジャーの仕掛けた物語の奥深さ・面白さもさることながら、ここでも野崎孝訳が相乗効果を発揮します。キャラクターの個性に語気・語尾、言葉選びがぴたりと一致しているのです。バディは回りくどくて饒舌で慇懃で暑苦しい、ベシーは姦しく家族の世話を焼くお母さんで年齢も少しいっている、ゾーイーはズバズバと辛らつでシャープな物言い、フラニーは上品な当時のお嬢さん、という風にそれぞれのキャラクターが浮き彫りになるような口調で物語を進めていきます。

また、彼らは「これは神童」という天才少年少女が出演するラジオ番組に7人兄妹全員が出演していたという設定で、全員知性が人より飛びぬけて高いのです。中でもシーモア・バディの頭の良さは単純に知能指数が高いに留まらず、その知恵は人智を超えたところにまで及んでいるため、それらについてのエピソードもふんだんに盛り込まれています。そういった語彙についても、野崎孝はわかりやすくしようとするのではなく、容赦なくぴったりの語彙を充ててきます。一見難解に思えますが、読み進めて(読み解いて?)いくうちに病みつきになるパズルのような面白さがあるのです。

この作品はあるときは知的な、あるときは諧謔的な台詞やエピソードがふんだんに盛り込まれており、名言や見どころが沢山ありますが、ここでは優しい兄ゾーイーのとっておきの一言をご紹介します。

「俳優の心掛けるべきはただ一つ、ある完璧なものを――他人がそう見るのではなく、自分が完璧だと思うものを――狙うことなんだ。」(ゾーイー)

さすが俳優ゾーイー、この前後の台詞もなかなか聴かせる言葉が続きます。ユーモアと愛情たっぷりのインテリ兄妹喧嘩をお楽しみください。

繊細知的でナンセンス!珠玉の短編集『ナイン・ストーリーズ』

9つの短編が収録されている短編集です。今回は、各タイトルに注目したいと思います。『ライ麦畑でつかまえて』もそうですが、野崎孝は原文通り端的に訳すのですが、どこか余韻を残す言葉選びに特徴があります。

サリンジャーは作品にいかなる解説を付けることも許可しなかったことで有名ですが、タイトルについても同様で、他言語に翻訳する場合も必ず文字通り訳すように、という指示を出していました。そんな制約があったにも関わらず、作品のもつニュアンスや世界観を盛り込んだタイトルに野崎孝は仕上げています。
 

著者
サリンジャー
出版日
1974-12-24


ここで問題、どれが野崎孝訳でしょうか?

原題: A Perfect Day for Bananafish

1. バナナフィッシュに最適の日
2. バナナフィッシュにうってつけの日
3. バナナ魚日和

原題: Down at the Dinghy

1. ディンギーで
2. 下のヨットのところで
3. 小舟のほとりで

原題: For Esme – with Love and Squalor

1. エズミに捧ぐ――愛と汚辱のうちに
2. エズメのために――愛と汚れ
3. エズメに――愛と悲惨をこめて

原題: Pretty Mouth and Green My Eyes

1. 美しき口に、緑なりわが目は
2. 愛らしき口もと目は緑
3. 可憐なる口もと 緑なる君が瞳

いかがでしょうか。正解は2、3、1、2です。どの訳も翻訳者の個性が光るところですが、野崎孝訳は過不足無い言葉の中にも情緒を含む美しい翻訳だと思います。音のセンスも良く、リズミカルで耳に残るのも特徴です。各タイトルの通り、繊細で知的でナンセンス、サリンジャー独特の世界観を持つ珠玉の短編集です。その一つ一つが持つニュアンスを野崎孝訳は美しく表現しています。 

中でも素晴らしいのは、「バナナフィッシュにうってつけの日」でしょう。グラース一家の心の支えだった長兄シーモアの最期を描いたストーリーです。そんな結末にも関わらず、なぜこのような開放感やポジティブささえ感じさせる言葉を敢えて充てたのか。読後、野崎孝の言葉のセンスに脱帽します。次兄バディの眼から見たシーモアを描いた「大工よ、屋根の梁を高く上げよ」も野崎孝訳で出ていますので、ぜひ合わせてどうぞ。

いかがでしたか。近年ですと『ライ麦畑でつかまえて』や『フラニーとゾーイー』は村上春樹が、『ナイン・ストーリーズ』は柴田元幸が訳していますが、彼らの場合英語の音を活かしたカタカナ訳も多くみられる印象です。横文字に慣れた最近の世代は、その方が耳に馴染みがいいという事もあるのかもしれませんね。

ぜひ読み比べて、より自分の分身に近いホールデン少年やグラース一家を探してみて下さい!