言わずと知れた、太宰治の代表的作品。 孤独だと感じながらも、人を愛そう、理解しようと揺れ動く葉蔵の心。葉蔵の壮絶な人生と人間の心の深奥に迫る緻密な描写が、まさに「ヤバい」作品です。 この記事ではそんな「ヤバい」物語のあらすじとともに、各章の重要な部分を解説!『人間失格』の魅力をお伝えします。
「恥の多い生涯を送ってきました。」という一文があまりにも有名な本作。1948年に発表されてから現在まで、70年以上にわたり多くの人に読み継がれてきました。太宰はこの作品を書き上げた1ヶ月後に愛人・山崎富栄と入水自殺をしたことから、太宰の最後の傑作としても有名です。
本作ははしがき・あとがきを除き、全て葉蔵の独白形式でつづられます。自分がどのような人生を送ってきたのか、そしてどのように孤独を感じ、その孤独のために誰と付き合ってきたのか。他人の気持ちがわからず、そして自分の心情もまた他人から理解してもらえないという幼少期からの葛藤と、その苦しみから逃れようともがいてきた人生を振り返ります。
- 著者
- 太宰 治
- 出版日
- 2007-06-23
書き出しは葉蔵ではなく、彼を知らない第三者である「私」の視点から始まります。語られるのは、幼年時代、学生時代、そして年齢が不明な葉蔵の写真について。
1枚目は10歳頃の葉蔵。かわいらしさのなかに薄気味悪いものを感じさせられる不思議な表情をしています。2枚目は恐ろしく美しい学生時代の写真。しかし、生きている感じがせず、1枚目と同様に気味が悪い。そして最後の1枚は白髪で何歳なのかさっぱりわかりません。さらに、表情もなく不吉なにおいのする写真です。
こうして、彼の3つの時代の容貌の印象が第三者から語られた後、本人による「第1の手記」に入ります。
では、人間失格というタイトルはどういう意味なのでしょうか?
彼は他人の気持ちがわからず悩み苦しみ、結果、酒や薬や女に溺れます。最終的には自分の予想に反して、脳病院に収容されることに。そして「自分は狂人の烙印を押されてしまった、もはやこの病院を出ても廃人とされるだろう」と絶望し、自分のことを「人間、失格」と評価するのです。
つまりタイトル『人間失格』とは、主人公が自分自身を省みて「こんな私は、他人からみたら人間失格だ」と、自分の人生を他人から見た評価なのではないでしょうか。
葉蔵は小さい頃から、他人が何をどう感じているのかが理解できませんでした。他人の幸福は自分が感じる幸福というものとはまるで違うと感じていました。みんな何を考えて生きているのだろう?自分とはまったく違うのだろうか。そういったことを考えては不安と恐怖に襲われていました。
そこで、そうした不安をごまかすために「道化」を演じ、自分を偽ることにしました。肉親たちに口答えもせず、常に笑って他人の目を気にしました。ひょうきんにふるまい続けた結果、皆にお茶目な子だと認めさせることに成功します。
一方で、葉蔵は下男や女中に性的な暴力を受けますが、それを人に言うことはありませんでした。 人を理解することができない彼は「人に訴える」ということを諦めていました。どうせ世渡りのうまい人に言いまくられるのだと思っていたのです。
「なぜみんな、実は欺きあっているのに表面上は傷ついてないよう、明るく朗らかに振舞っているのだろうか?他人が理解できず、自分が感じていることは異端なのではないか。」
彼はますます自分の孤独を深めながら、やがて中学校へ上がります。
「第一の手記」では、他人のことが理解できない彼の恐怖が描かれています。誰しも多感な時期には「他人の考えてることがわからない」「人と自分が感じてることが違うのでは?」と恐怖したことがあるのではないでしょうか。そういった感情は決して彼だけが感じるものではないはずです。
彼は大人や周りの人間に近づくため、そして自分が恐怖していることを悟られないために、道化となります。他人の目を気にすること、誰かの期待したとおりの自分を演じることは、共感できる人も多いのではないでしょうか。
「恥の多い人生を送ってきました」という一文から始まる彼の人生語りですが、幼少期のそれらは、もしかするとみんな多かれ少なかれ感じてきた感情なのではないかとも感じられますね。
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中学校に上がっても、小学校と同じようにひょうきん者を演じていた葉蔵は、ある日、竹一というクラスメイトにわざと道化を演じていることを見抜かれてしまいます。葉蔵は初めて見抜かれたことに不安と恐怖を覚え、竹一と親友になろうと試みます。
そして、なんとか竹一と仲良くなると「女に惚れられる」「偉い画家になる」という予言をされました。
その後、葉蔵は高等学校に進学してさらに画塾に通うことに。そこで堀木という年上の遊び人と出会い、酒と煙草、それから左翼思想に染まっていきます。世間一般にとって非合法であるものや社会にとっての日陰者。そういったものに触れていると、なぜか彼の人間への恐怖はいくらかまぎれていくようでした。
しかし、そのうちに実家からの資金援助が減り、さらには学校へ行ってないことがばれてしまいます。以前のようには遊べなくなった葉蔵は、カフェの女給・ツネ子とともに鎌倉の海で入水自殺を試みます。しかし、結局彼女だけが亡くなり、彼は一命を取り留めることとなったのです。自殺ほう助罪に問われるも起訴猶予となり、父の知人・ヒラメに引き取られていくのでした。
高等学校へ進み、堀木に誘われ怠惰な生活を送り始めた葉蔵をどう思ったでしょうか。
女性や酒、煙草に溺れますが、原因は人間が怖いから、その1点でした。それらを通してであれば他の人間が自分と同じであったり、少しでも考えてることが理解できるような気がしたのではないでしょうか。
しかし、小遣いが減り、そのような怠惰な生活がばれてしまってからは、再び拠り所をなくします。そのため自分と同じような想いをしているツネ子に心を寄せ、共に入水自殺を図ったのです。
彼にとっては、それがこの世界を脱出する術であったのですが、あえなく失敗。そして自分自身への絶望と世間に対する恐怖が、ますます膨らんでいきます。
高等学校を退学になり、ヒラメの家に居候をしていた葉蔵。生活をどうしていくのか詰問された彼は、逃げ出してしまいます。
ここでも女性に頼り、シヅ子の家に転がり込みます。彼女と彼女の娘とともに3人と共に暮らすことに。雑誌記者である彼女のつてで漫画家として働きますが、再び酒や煙草に溺れます。
母娘の幸せを邪魔してはいけないと感じた彼は、アパートを出てスタンドバーを営むマダムのところへ転がり込みます。そこで出会った人々は優しく、これまで出会った者たちのように彼を脅かすこともありません。彼は、世間は自分が思っていたようなものではないと感じるようになりました。
1年が過ぎ、バーの向かいにある煙草屋の娘・ヨシ子と親しくなり、結婚を決めます。内縁の妻として彼女と一緒に暮らし始めた彼でしたが、ある日彼女に大きな悲しみが訪れます。
人を疑うことを知らなかった彼女は、家に訪ねてきた商人の男に犯されてしまうのです。それ以来、彼女の信頼の天才と呼ばれていたほどの純真無垢な心は失われ、彼の行動に逐一怯えてしまうのでした。そのショックから、彼はまたも酒に溺れていきます。
ある日、彼女が購入した大量の睡眠薬を見つけた彼は、その場で薬を飲み干し自殺を試みます。しかし、三昼夜眠った後、死に切れず目を覚ましました。その後、今度は麻薬に溺れた彼は、堀木とヒラメによって病院へ連れて行かれます。
サナトリウム(療養所)に連れて行かれるとばかり思っていた彼は、行先が脳病院(精神に異常をきたした人が入る施設)であることに愕然とします。他人からそうして見られてしまうということは、自分は人間として失格なのだ、と悟るのでした。
幼い頃から他人の顔を伺い、欺き合う大人を信頼できなかった葉蔵と、それとは対照的に何者をも疑わないヨシ子。
人を信じられず、疑って生きてきた葉蔵にとって、ヨシ子の他人への信頼、人を疑う心の無さは眩しいほどのものでした。2人は正反対の気質をもちながらも、惹かれあい内縁の夫婦となります。
それまでは自分と同じような人間を見つけては安心していた彼でしたが、ここでまったく反対の彼女と出会い、心を通じ合わせたことで少しずつ変わっていきます。
「無垢な信頼心をもつ妻」という一筋の光を信じてこれからの人生を生きてゆこうと思った矢先、その妻が、無垢な信頼心を持つがゆえに犯されます。そして、絶望した彼は自殺を図ります。ショックはそれほど大きなものでした。
またもや生き延びてしまった彼は、脳病院に入れられる事実を理解したときに「やはり自分は人間としておかしかったのだ。自分のようなものは人間として失格と他人から烙印を押されるのだ」と感じたのでしょう。
あとがきにおいて、バーのマダムが葉蔵について語ります。葉蔵は道化を演じ、酒や左翼運動、麻薬にのめりこんだ自分の人生を「恥の多い人生」と語り、自分自身に「人間失格」の烙印を押します。しかし、マダムが彼を語るとき、けっしてそのようなことは言いません。
自分の思う評価が、そのまま他人からの評価であると信じて疑わなかった彼ですが、マダムの彼への評価とはどうも違うようです。
彼が抱えていた悩みや苦しみは、私たち誰しもが秘めているそれとそう変わらないものだったのではないでしょうか。道化を演じたり女や博打にはまったりすることも、実は特別ではないのです。
自分で人間失格と言っても、他人からはそうでないように見えることもある。
自分と他人の視点の違い、信じることの大切さと脆さ。彼は本当に人間として失格だったのか?それを考えさせられる物語です。
『人間失格』は漫画版も発売されています。
いくつかご紹介しますので、ぜひ読んでみてください!
- 著者
- 伊藤 潤二
- 出版日
- 2017-10-30
ホラー漫画家である伊藤潤二の漫画版『人間失格』は、かなりおどろおどろしいタッチで描かれています。原作にホラー要素を加えたものです。
漫画として仕上げながらも、要所要所で原文を差込み、うまく作者の表現と原作が融合している本作。人間への絶望や悲しみ、恐ろしさが表現されています。葉蔵の心情や心の闇が可視化され、より恐ろしく感じるかもしれません。
原作にはない竹一の自殺や下宿先の姉妹の殺害など、追加のエピソードも多く掲載。伊藤先生の独自の物語は、葉蔵の人間不信をいっそう深く見せます。
『ライチ☆光クラブ』や『帝一の國』で有名な古屋兎丸によって、現代版にアレンジされた『人間失格』が楽しめます。
- 著者
- ["古屋 兎丸", "太宰 治"]
- 出版日
- 2009-06-09
ストーリーは、ある男が葉蔵の日記をネットの掲示板で見つけるところから始まります。原作は昭和という時代背景もあり読みにくいところもあるかもしれませんが、こちらの作品は現代に合わせて描かれているので、とても入り込みやすいです。
台詞やキャラ設定も現代風なのですが、葉蔵の語りはどことなく原作を思わせる文章。客観的な描写が続きながらも、要所要所で葉蔵の独白や原作の本文が入っていきます。
原作を少し読みづらいと感じたら、こちらを読んでみるとわかりやすいかもしれません。
- 著者
- 太宰 治
- 出版日
- 2007-06-23
それでは最後に、人間失格の名言をご紹介していきます。
恥の多い生涯を送ってきました。(『人間失格』より引用)
葉蔵が自分自身を振りかえってこう言います。酒、麻薬、女に溺れ、2度の自殺未遂までしてしまった自分自身を「恥」と感じ、他人からの評価もきっとそうであると信じて疑わなかったのでしょう。自分が生きていること自体を恥だと感じていたようです。
(道化は)自分の、人間に対する最後の求愛でした。(『人間失格』より引用)
彼はひょうきんな振る舞いをすることで、他人から愛されようとしました。そうしなければ、どうしたら誰かに好かれるか思いつかなかったのでしょう。本当は道化にならなくても、好いてくれる人もいたのではないでしょうか。
世間とは個人じゃないか(『人間失格』より引用)
世間などという大多数の、何か見えない大きな塊みたいなものはなく、個人でしかないということを彼は悟ります。こう思うことで、少し気持ちが楽になったと書かれています。
神に問う。信頼は罪なりや。(『人間失格』より引用)
ヨシ子が襲われたあと、彼は深く苦悩します。信頼は素晴らしいものと思い始めた矢先、その信頼のために襲われたヨシ子。彼女の苦しみを見ていると、信頼とは罪なのではないかと考えてしまったようです。
いかがだったでしょうか?太宰の代表作ともいえる『人間失格』は誰もが他人に対して持つ恐怖心を、葉蔵の悩みとして表現しています。映画、漫画などもあわせて味わってみてくださいね。