有名作家・宮沢賢治による作品。いじめられていたよだかが死んで星になる、悲しいお話です。しかし、ただ悲しいだけではありません。短い話の中に「食べることと生きること」「生きることと殺すこと」など、宮沢賢治の「生死観」が詰まっています。 よだかが星になれた本当の理由、『銀河鉄道の夜』との共通点、最後の1文の意味など、深掘り考察していきます。
よだか(夜鷹)は醜い鳥でした。そのため他の鳥たちから馬鹿にされ、鷹からも「鷹の名を使うな」「明日までに改名しなければつかみ殺すぞ」と言われてしまいます。失意の彼は、「遠くの遠くの空の向うに行ってしまおう」と心に決め、兄弟の川せみやはちすずめに別れを告げ、空へと旅立つのです。
- 著者
- 宮沢 賢治
- 出版日
- 1986-03-01
よだかは太陽に「灼け死んでもかまわないからあなたのところへ連れて行ってほしい」と願いますが、太陽からは「お前は夜の鳥だから星に頼んでごらん」と言われてしまいます。そこでよだかはオリオンやおおいぬ座の星に「どうか私をあなたの所へ連れてってください」と頼みますが、相手にされません。
行き場を失った彼は悲しみのままどこまでもどこまでも飛び続け、やがて青い美しい光を放つ「よだかの星」になりました。その星は今でも夜空で燃え続けています。
現在では『よだかの星』は教科書などの教材として使われるほど、有名な名作となっています。
物語の中で、よだかが羽虫やカブトムシを食べて、こんなことを思う場面があります。
「ああ、かぶとむしや、たくさんの羽虫が、毎晩僕に殺される。
そしてそのただ一つの僕がこんどは鷹に殺される。
それがこんなにつらいのだ
。ああ、つらい、つらい。
僕はもう虫をたべないで餓えて死のう。」
(『よだかの星』より引用)
実は、これと似たようなエピソードが賢治の別の作品『銀河鉄道の夜』にも登場します。
昔、野原に1匹のサソリがいました。サソリは小さな虫を殺して食べていましたが、ある時イタチに食べられそうになります。逃げ回った彼は井戸に落ちて溺れてしまいます。
その時彼は、今まで自分は多くの命を奪って生きてきたのに、イタチに食べられることもなく、虚しく命を捨ててしまうことを心から後悔しました。そして、神さまにこう祈りました。
「この次にはまことのみんなの幸いのために
私のからだをおつかい下さい」
(『銀河鉄道の夜』より引用)
すると自分の体が真っ赤な美しい星になって、夜の闇を照らしているのに気づくのです。
よだかは「明日殺されてしまう自分が、羽虫やカブトムシを食べたのは、無駄に命を奪ってしまったということだ」と嘆き、サソリは「自分は今まで命を奪って生きてきたのに、自分が命を奪われそうになると逃げ出して、結局誰のためにもならずに死んでしまった」と後悔します。
また、もっと顕著に賢治のこの「生死観」が現れている作品もあります。それが『ビジテリアン大祭』、その名のとおりベジタリアンたちの物語です。この中で主人公は「必要最小限の肉を食べる代わりに、自分が動物に食べられそうになっても逃げない」という主張をしています。
これらのエピソードから、賢治は「命」は自分1人のものではなく世界全体のもので、誰かに命を捧げることで完結する、と考えていたのではないでしょうか。
よだかに話を戻すと、「鷹に殺されること」自体がつらいのではなく、「意味もなく殺されてしまうこと」「誰の役にも立たずに死んでしまうこと」がつらい、という彼の心情が読み取れます。
物語のラストで、よだかは悲しみのままに飛び続け、最後には「燐の火のような青い美しい光になって」よだかの星になります。これは、単に鷹に殺されることを悲観して自殺したわけではなく、自分が生きるために他の虫を犠牲にしなければいけない「食物連鎖」の宿命から逃れようとした、とも解釈できます。
生きている限り、命を奪うことからは逃れられません。しかし、彼はそれを拒否しました。「美しい鳥になりたい」ではなく「ほかの命を奪わないものになりたい」という、純粋すぎる自己犠牲の精神が、彼が星になれた理由の1つではないでしょうか。
また彼は最初、太陽や星に「あなたのところに連れて行ってほしい」と頼みますが、かなえてもらうことはできませんでした。そこで自分の羽で空をのぼってのぼって、ようやく願いをかなえることができます。これは「願いは自分の力で叶えなければいけない」という賢治の思いだと考察することもできます。
死んで星になることが願いというのは切なすぎるようにも思いますが、星になる直前、よだかが「こころもちはやすらかに」「少しわらって」いた理由は、最後の願いを自分の力で叶えられたからなのではないでしょうか。
ちなみに星座に「よだか座」はなく、よだかの「星」が具体的にどの星なのかは、はっきり書かれていません。しかし「すぐ隣はカシオぺア座」「天の川がすぐうしろ」という特徴から、1572年に初めて観測された超新星、「チコの星(ティコの星)」のことでは、と考えられています。
チコの星は発見されたときは金星にも匹敵する明るさでしたが、すぐに肉眼では観測できないほどの光になってしまいます。天文学にも詳しかった賢治は、この星のことを意識していたのかもしれません。
『よだかの星』はたくさんの画家の手によって絵本にもなっています。絵本では文章も読みやすいように、現代語に編集されたものもあります。独特の幻想的な世界が味わえるのでは、子どもはもちろん、名作をもう1度読み返したい大人にもぴったりです。
子どもに読み聞かせながら、大人も再発見できることがあるかもしれません。
- 著者
- 宮沢 賢治
- 出版日
宮沢賢治の名作を、絵本で味わうことができる本作。本書の絵は、なんと全て木絵で描かれています。作者は組み木絵アーティストの中村道雄。色や木目の異なる木材で作る作品の数々は、まさに神の手で仕上げられたと言っても過言ではありません。
温かみのある木材で表現された本作は、悲しくも美しい『よだかの星』の世界観を忠実に再現しています。
小説を読むのは難しいけれど興味があるという方に、おすすめの一冊。ぜひお手に取ってみてください。
最後に、『よだかの星』の世界観を感じられる名言をいくつかご紹介します。
「お前もね、どうしてもとらなければならない時のほかは
いたずらにお魚を取ったりしないようにして呉れ。
ね、さよなら。」
(『よだかの星』より引用)
弟の川せみに別れを告げる、よだかのセリフです。「魚を殺さないで欲しい」「でも川せみに飢えてほしくない」という、苦しい心情が詰まった言葉です。
「お日さん、お日さん。どうぞ私をあなたの所へ連れてって下さい。
灼けて死んでもかまいません。
私のようなみにくいからだでも灼けるときには小さなひかりを出すでしょう。
どうか私を連れてって下さい。」
(『よだかの星』より引用)
生きることを諦めたよだかは、最初、太陽のもとに行こうとしました。ある意味、太陽に甘えていたともいえます。ここで断られ、さらなる絶望を経験したからこそ、彼は自分の羽で飛び続けることができ、最後に星になれたのではないでしょうか。
そしてよだかの星は燃えつづけました。
いつまでもいつまでも燃えつづけました。
今でもまだ燃えています。
(『よだかの星』より引用)
『よだかの星』最後の1文です。賢治が「燃え続けている」と3回も繰り返した理由は何だったのでしょうか。醜いといわれた「体」から自由になり、夜空を明るく照らす星になった、よだか。地上では幸せになれなかった彼の願いが、最後に空で叶ったことを意味しているようにも感じられます。
名作を名高い宮沢賢治の『よだかの星』。子どもの頃読んだことがある方も、これを機にもう1度読み直してみてはいかがでしょうか。きっと昔読んだ時とは、違う感想を持つはずです。