平安時代末期に成立した日本最大の説話集『今昔物語』。この記事では、概要や構成、内容、特に面白い話、そして文豪・芥川龍之介の『鼻』や『羅生門』との関係についてわかりやすく解説します。もっと理解を深められる関連本も紹介するので、ぜひチェックしてみてください。
『日本霊異記』『三宝絵』『本朝法華験記』などをもとにして、日本、インド、中国の説話が全31巻にまとめられた説話集です。ただし8巻、18巻、21巻は欠落していて、現代まで伝わっていません。
『今昔物語』が書かれたのは今から約900年ほど前の平安時代末期、白河法皇や鳥羽法皇が世を治め、武士という身分が誕生した激動の時代だと推測されています。正確な執筆時期や、作者が誰なのかはわかっていません。
また実は、正式な書名もわかっていません。説話がすべて「今は昔」という書き出しのため、便宜的に『今昔物語』と呼ばれているのです。
謎の多い作品ですが、芥川龍之介が「美しい生々しさ」を持ち「野蛮に輝いている」と評したその文体は、後世の説話文学にも大きな影響を与えています。
『今昔物語』には、標題のみ、あるいは標題と本文の一部のみのものも含めて、1059もの説話が収められています。「天竺部」「震旦部」「本朝仏法部・世俗部」の三部構成です。
インドの説話を集めた「天竺部」では釈迦の誕生と生涯、釈迦が説いた説法、衆生教化と入滅、釈迦入滅後の弟子たちの活動、釈迦の前世の話などが収められています。
「震旦部」は中国の説話が集められたもの。中国への仏教渡来、流布の歴史、大般若経、法華経の功徳、霊験譚に加えて、孝子の説話や中国の史書や小説に見られる物語なども含まれています。
日本は「仏法部」と「世俗部」に分かれていて、「仏法部」では日本への仏教渡来、流布の歴史、法会の縁起や功徳、法華経の功徳、霊験譚、僧侶の往生譚、観世音菩薩、地蔵菩薩の霊験譚、世俗の人の出家往生、天狗や冥界との往還に関する説話などを収録。
「世俗部」では藤原氏の列伝や芸能譚、武士の活躍、妖怪変化の類、歌物語や恋物語にいたるまで多岐にわたる説話が収められてます。
仏教にまつわる話が中心ですが、そこにとどまらずさまざまなジャンルの物語を収録しているのが特徴だといえるでしょう。
では『今昔物語』に収録されているなかから有名な話をひとつご紹介しましょう。第30巻の「平定文、本院の侍従に懸想せし語」です。
あるところに、平定文、通称平中と呼ばれる男がいました。平中は藤原時平の屋敷に仕える「侍従の君」という女性に恋をします。彼女は若くて美しく、才能豊かな人でした。
手紙を送るなど猛烈にアプローチしますが、侍従の君は振り向いてくれません。豪雨の時にでも尋ねれば哀れに思って会ってくれるのではないかと訪れますが、けんもほろろ……ならばいっそ、侍従の君を嫌いになって恋を忘れてしまおうと考えます。しかし嫌いになろうとも、彼女の欠点が見つかりません。
そこで平中は思いつきました。どんなに美しくて素晴らしい女性でも、人間。便器にするものは同じはずで、それを見ればさすがに百年の恋も冷めるだろうと。
そして平中は、侍従の君の便器を侍女から奪い取り、小屋にこもって中身を確認します。中には黄色い液体と黒い塊が数個。しかしなぜかとてもいい香りがします。まさか侍従の君は排泄物までこんなにいい香りがするのかと驚き、棒で刺したり、ちょっと舐めたりして確かめたところ、実のところそれらは排泄物ではなく、丁子の煮汁と数種類の香を練り合わせたものでした。
便器を覗く男がいるかもしれないと考えこのような工夫を凝らす侍従の君は、人智の域を超えている、天女か何かなのだろうと、ますます彼女に夢中になってしまった平中。思い焦がれながら、やがて病気になって死んでしまうのです。
このエピソードは創作かもしれませんが、平中は実在する人物です。かの在原業平と並び称されるほどの歌人で色男だったそうです。
本作は、「雀の恩返し」や「わらしべ長者」など馴染みの深い物語が収録されている鎌倉時代に成立した説話集『宇治拾遺物語』を含め、後世の説話文学に大きな影響を与えました。
明治・大正時代に活躍した小説家の芥川龍之介も、そのひとりです。彼は『今昔物語』から多くのヒントを得たことで知られています。なかでも有名なのが、『鼻』と『羅生門』です。
『鼻』は『今昔物語』の第20巻「池尾禅珍内供鼻語」を元にした作品で、芥川龍之介初期の名作。
京都の僧だった内供は鼻が長く、周囲の人から笑われているのを気にしていました。ある時鼻を短くする方法を知り、成功します。これで笑われなくなると嬉しくなりましたが、今度は鼻が短くなった彼の姿を見て周りの人々が笑うのです。長かった頃よりも馬鹿にされて傷つく内供は、ある朝目が覚めると鼻が元に戻っていて、これでもう笑われなくなると安心するという物語です。
芥川龍之介はこの作品で、「人の幸福をねたみ、不幸を笑う」人間心理を描き出しました。
また『羅生門』は、『今昔物語』の第29巻「羅城門」と第31巻「売魚」を元にしています。
仕事を失った下人は、死んだ女の髪の毛を抜いてかつらを作り商売をしている老婆と出会いました。生きるためには仕方ないと自己正当化する老婆。それを見た下人は、ならば自分がこうするのも仕方ないと、老婆の着ている服を奪って逃げるのです。この行動にいたるまでの下人の心境の変化を描き出しています。
野蛮で生々しい人間の心理が描かれた『今昔物語』は、芥川龍之介だけでなく、武者小路実篤や菊池寛、新田次郎など多くの文学者の想像力を刺激し、数多くの名作を生み出し続ける源となっています。
- 著者
- 出版日
- 2002-03-01
『今昔物語』に収録されているのは、当時の日本人が思い描いていた「世界」から集められた説話の数々です。 登場人物は貴族や武士、庶民などさまざま。当時の世相や人々の暮らしも垣間見ることができ、興味深いでしょう。
本書では、そんな『今昔物語』に収録された1059の説話のなかから選りすぐりの30話を収録しています。
国語の教科書に載っているものや芥川龍之介の小説の題材になったものなど、馴染みのある話を通じて『今昔物語』の世界に触れられる初心者におすすめの一冊です。
- 著者
- 水木 しげる
- 出版日
- 1999-11-01
『ゲゲゲの鬼太郎』で有名な漫画家、水木しげるが描いた『今昔物語』です。文字だけでも十分面白い内容ですが、特徴のあるイラストがつくとより鮮やかにイメージが広がるでしょう。怪奇や妖怪への尊敬の念と、ちょっぴりエッチな物語が、水木しげるの作風とばっちり合っています。
文章を読むことに抵抗がある人も、漫画であれば大丈夫。古典に触れるよいきっかけになるでしょう。
- 著者
- 由良 弥生
- 出版日
- 2014-04-25
日本の説話を集めた「世俗部」に収録されている恋物語を中心に、36話を選抜した作品です。
雨宿りをきっかけに一夜をともにした純愛物語や、蕪を食べて身ごもってしまう女性の話、色仕掛けにはめられた僧侶の話などにドキドキしてしまうでしょう。いつの世も、男と女は愛憎にまみれているのです。
古の人々もこの物語を読んで胸をときめかせていたのだろうと、想像を巡らせることもまた一興。タイトルにあるとおり、眠れなくなること間違いなしの一冊です。