5分でわかる歎異抄!構成や内容をわかりやすく解説、おすすめ本も紹介!

更新:2021.11.15

夏目漱石や司馬遼太郎など多くの著名人に影響を与え、700年以上もの間愛されている仏教界の名作、歎異抄。この記事では、作者や構成、内容などをわかりやすく解説するとともに、もっと理解を深めることができるおすすめの本もご紹介していきます。

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歎異抄とは。作者や構成など

 

鎌倉時代後期、浄土真宗の宗祖・親鸞(しんらん)の弟子である唯円(ゆいえん)によって書かれたとされる仏教書です。作者については、唯円の他にも如信(にょしん)や覚如(かくにょ)ではないかという説があります。

原本は残っておらず、現存しているもっとも古い写本は室町時代に蓮如(れんにょ)によって書かれたものです。

「歎異」とは「異を歎く」という意味で、親鸞の死後に浄土真宗内で出現した異義・異端を歎いたことから名付けられました。

歎異抄が執筆されるきっかけは、1256年に起こった「善鸞(ぜんらん)事件」です。当時、東国には浄土真宗の教えが広まっていたものの、異端を説く者が多く現れる事態になっていました。東国の門徒が動揺していたため、親鸞はこれを収めようと実子である善鸞を送り込みます。

しかし善鸞は、異端の説得に失敗。それだけではなく、あろうことか自らも異端を唱えはじめるようになってしまいました。これに激怒した親鸞が、善鸞を破門したのが事件のあらましです。

歎異抄の構成は、本作を書く目的が記された「真名序」、親鸞が唯円に直接語ったとされる言葉が書かれた「第1条~第10条」、異端を説く人について記された「別序」、異端を取り上げて批判する唯円の言が記された「第11条~第18条」、親鸞の師匠である法然(ほうねん)の時代にも異端があったことを歎く「後序」で成り立っています。

作者であるとされる唯円は、親鸞の教えを無視して異端の説を唱える者が絶えないことを歎き、異義を批判しつつ正しい教えを残そうとしたのです。

歎異抄の内容を要約して解説!有名な原文も

 

「善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」

これは第3条に書かれていて、おそらく歎異抄のなかでももっとも有名な言葉ではないでしょうか。

現代語訳をすると、「善人でさえ救われるのだから、ましてや悪人はなおさら救われる」という意味です。一見矛盾するようにも聞こえますが、この考え方は浄土真宗の教義のなかでも重要な部分で、「悪人正機(あくにんしょうき)」と呼ばれています。

ここでいう「悪人」とは、法や道徳に背く人を指しているわけではありません。浄土真宗の教義における「善人」や「悪人」は、仏からの視点で考えられています。

人間が定めた法などを基準に考えれば善人や悪人が存在しますが、仏からすれば、人間はすべて根源的に「悪」であるとしているのです。

つまり浄土真宗でいう「善人」とは、自分が根源的には悪人であるということを自覚できていないだけ、ということになります。

阿弥陀仏はすべての人を救済すると誓っているので、自分が悪だと自覚できている「悪人」だけでなく、自覚できていない「善人」でさえも救済してくれるという考え方なのです。

ただこの教えが誤解を生みやすいのは確かで、仏法への理解が浅い人には見せてはいけないとされてきました。東国で広がっていた異端も、この教えを曲解したものである場合が多かったようです。

歎異抄から読み解く、唯円から見た親鸞とは

 

歎異抄を執筆したとされる唯円。さぞかし立派な人物だと思いきや、出家する前はかなり乱暴者だったようです。

俗名は平次郎といい、現在の茨城県にあたる常陸国の河和田というところに住んでいました。大酒飲みで、仕事をろくにせずに博打や喧嘩をし、女好きのどうしようもない男だったそう。

そんな彼の妻であるおすわは、親鸞の教えを熱心に聞いていました。しかし平次郎は大の仏法嫌いで、仏法に傾倒する妻を罵り、暴行をくり返していたため、彼女の体には生傷が絶えません。それでもおすわは、夫の目を盗んで親鸞の元に通い、行けない時は親鸞から貰った御名号に向かって熱心に念仏を唱えたそうです。

ある日、おすわが念仏を唱えているところを平次郎が目撃してしまいます。そして彼女が持っていた御名号を、他の男からの恋文と勘違い。嫉妬に狂っておすわを斬ってしまうのです。

死体を裏山に埋め家に戻ると、なんとそこには、死んだはずのおすわが。別人を殺してしまったのかと慌てて死体を掘り返してみると、そこには血染めの御名号がありました。御名号がおすわの身代わりとなったと悟った平次郎は、唯円となり、心を入れ替えて熱心に仏法に仕えるようになったそうです。

歎異抄のなかでは、そんな唯円と親鸞の会話が記されています。親鸞が80代、唯円が30代の頃のことです。

「無量寿経」という経典には、念仏を唱えていると、念仏者はそのうち躍り上がるような喜びに満ち溢れると書かれています。しかし唯円はどれほど念仏を唱えても喜びの気持ちが湧いてこず、それを親鸞に相談するのです。僧侶には向いていないと悩んだのでしょう。

すると親鸞は、実は自分もそうなんだ、と答えるのです。そしてこう続けます。本来喜びがあるはずなのに喜べないのは、煩悩があるから。煩悩がある人を阿弥陀仏は救うのだから、我々は救われるのだ、と。

若い唯円からの質問に対しても自分をさらけ出し、正面から教えを説く親鸞。歎異抄を通じて、彼の器の大きさを知ることができるでしょう。

歎異抄と司馬遼太郎

 

歎異抄に影響を受けた人物は数多くいますが、司馬遼太郎もそのひとりです。いわずと知れた日本を代表する小説家で、『竜馬が行く』や『坂の上の雲』など数多くの名作を世に送り出しました。

そんな司馬遼太郎は、エッセイのなかで鎌倉時代について語り、「一人の親鸞を生んだだけでも偉大だった」と記しているのです。

さらに「鎌倉仏教はその後の日本人の思想や文化に重大な影響を与えるが、その代表格は、なんといっても親鸞の浄土真宗と禅宗に違いない」とも記しています。親鸞を宗祖とする浄土真宗を高く評価していたことが伝わってくるでしょう。

司馬遼太郎は、戦争に出征した際も歎異抄を肌身離さず持ち歩き、読み込んだと語っています。

「読んでみると真実の匂いがするのですね。人の話でも本を読んでも、空気が漏れているような感じがして、何かうそだなと思う事があります。『歎異抄』にはそれがありませんでした」と後述。もし無人島に1冊の本を持っていくならばという問いにも、歎異抄と答えています。

原文と現代語訳を掲載、親鸞の教えをわかりやすく解説

著者
高森 顕徹
出版日
2008-03-03

 

作者の高森顕徹は、浄土真宗親鸞会の会長を務めている人物。現在、浄土真宗の主流となっている本願寺派は、本来の親鸞の教えから逸脱していると唱えています。

本書には、原文とわかりやすい現代語訳を掲載。そしてあまり有名ではない部分の解釈や、誤解されて広まっている部分について、親鸞が残した言葉から解説しています。これまでの解説本では解き明かしきれていなかった真の教えを紐解き、歎異抄の内容を知っている人でも新たな気付きを得られる内容になっています。

文字のつくりが大きいのも嬉しいところ。自分の生き方を見直したい時にぜひ手に取ってもらいたい一冊です。

漫画で読む歎異抄

著者
Team バンミカス
出版日
2018-04-11

 

本作の主人公は唯円。荒れてしまった世で、師である親鸞の言葉を伝えようと奔走する姿が漫画で描かれています。

貧しさゆえに悪行をくり返す男性や、家族を助けるために体を売る女性、仏の真の教えを学ぼうと苦悩する坊主見習いなど、さまざまな人間関係が交錯。漫画ならではのキャラクターデザインで、それぞれのシチュエーションに親鸞の教えがどのように関わっていくのか、理解しやすくなっています。

古典はどうしてもとっつきにくいイメージを抱かれがちですが、本書であればその世界観を鮮明に知ることができます。歎異抄の入門書にうってつけの一冊です。

日常生活のなかで念仏などを聞く機会はなかなかありませんが、戦乱や災害で多くの人が苦しんでいた時代に誕生した浄土真宗の教えには、今の世にも十分に通じるものがあるのではないでしょうか。歎異抄や親鸞、唯円に少しでも興味が出たら、ぜひご紹介した本を読んでみてください。

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