Webコミックサイト「くらげバンチ」で連載されていた、ペス山ポピーの作品。23歳、恋愛経験なしの作者が、被虐暴力に快感を覚える性癖と向き合って、ドMな体験をしていく実録エッセイとなっています。多少抑えられてはいるものの、その性質から過激な内容になっているので、苦手な方はご注意。
主人公は作者自身。23歳の女性、ペス山ポピーです。
彼女は生まれてからずっと、異性同性含めて恋愛経験がなく、自分の性癖に鬱屈としていました。その性癖とは、マゾヒズム。強い暴力と容赦ない迫害に、性的興奮を覚えるのです。
- 著者
- ペス山ポピー
- 出版日
- 2018-04-09
彼女はその感覚が人と違うということをわきまえており、特に親しい友人以外にはひた隠しにしてきました。そして同時に、自分自身に嫌悪感すら抱いていたのです。
しかし周囲との差異に苦しんで苦しんで苦しみ抜いた結果……吹っ切ってマゾヒズムの道に突き進み始めたのでした。
痛みと、恐怖と、嫌悪感。快楽と、恋愛観と、セクシャリティ。それら全てをない交ぜにした、性的体験談が赤裸々に語られていきます。
まず驚くべきは本作がフィクションではなく、実録のエッセイだという点です。
作中では作者ペス山ポピーの抱くありとあらゆる性癖、妄想、行為に至る経緯などが赤裸々に語られます。それはどんなに親しい人間にも明かさない、というより親しい人にこそ明かせないような、心の暗部なのです。
およそ信じられない告白の数々が、全て実話を基にしているというのですから驚きでしょう。しかもそれらは、ことによると表現の限界や自主規制によって、実情よりもマイルドにセーブされているというのです。
そして本作は、単なるマゾヒストの告白に終始しません。詳しくは後述していきますが、世の中のありとあらゆるマイノリティ層に対する、意図しないエールにもなっています。
作者と編集部は、作品に対して多くの批判を覚悟していたそうですが、実際には理解や賛同の声が多く届いたそう。実録エッセイ漫画という剥き出しの告白が、他人に言えない悩みを持った人の心に届いたのでしょう。
マゾヒズム(被虐性向)。平たくいえば肉体的、あるいは精神的苦痛によって性的興奮を呼び起こしたり、もしくは直接的に快感に転化する性的嗜好のことです。これがいわゆる、SMのMに相当します。
しかし普通(「普通ではない」とされるマイノリティの「普通」というのもおかしな話ですが)は、その被虐にも限度があります。SMとはサドとマゾの間に、ある程度の信頼関係があって、人によって差こそあれ手加減や手心が加わるもの。「痛み」で済んでいるから興奮するし、気持ち良くもなるのです。
『泣くまでボコられてはじめて恋に落ちました。』は、この点が明確に違います。作者は確かに被虐体質ではありますが、「痛み」では「感じません」。痛覚がないことを意味しているわけではなく、痛みと快楽が完全に別物だという意味です。
これは彼女にとっても意外なことだったらしいのですが、実際に暴力プレイをやってみて、初めて自覚した感覚だったそう。苦痛に快感はない。しかし、手加減された行為では物足りない。彼女は、激しい暴力で痛めつけられた激痛と絶望の果て、死ぬほど追い詰められたところにこそ、本当に自分の求める快楽があると知るのです。
ペス山ポピーのマゾヒズムは、普通のそれとは違います。彼女にとって、そのマゾヒズムは自傷行為なのです。相手に完膚なきまでに追い詰められたい、自身の肉体を破壊したいという願望が、被虐性向となって発露しているのでしょう。
行為中の描写は表現としてはだいぶ抑えられていますが、第3者視点で冷静に語られるからため、かえって苛烈な痛みを想像させられます。こんな体験は、他ではお目にかかれないでしょう。
作者ペス山ポピーが、倒錯した性的嗜好者であることは述べました。しかし、彼女がただのマゾヒストかというと、ことはそこまで単純ではありません。
ここまで書き連ねた内容で、多くの人は彼女を異常者だと感じてしまうかもしれないでしょう。しかし、それは逆です。彼女はきわめて真っ当な対人感覚と論理観を持った人物なのです。そして、それゆえに20数年間苦しんできました。
彼女はマゾヒストであり、同時に精神的ゲイでした。肉体的には女性なのですが、性自認は男性だったのです。
「ゲイのマゾヒストの男性が女の肉体を持ってこの世に生まれてきた」
(『泣くまでボコられてはじめて恋に落ちました。』1巻より引用)
つまり、肉体と精神の不一致によるセクシャルマイノリティでもあったわけです。そういった方に対して、日本でも近年ようやく理解の向きが出来てきましたが、まだまだ受け入れられたとはいえません。彼女は社会に受け入れられない倒錯した自分に嫌悪感を抱き、鬱屈とした人生を送ってきました。
そうして、容認出来ない自身を破壊する一環として、極度のマゾヒズムにおよんだのです。
悩み抜いたペス山は、一念発起して自己肯定に転じました。その一環として、インターネットを利用して「ボコボコにされたい」願望を満たしてくれる相手を探し始めます。
- 著者
- ペス山ポピー
- 出版日
- 2018-04-09
掲示板で相手を募り、吟味して、ついに行為当日が訪れます。事前にグローブまで用意して準備万端。「女性を殴りたい」願望のあるドS男性にすら、プレイ前のやり取りでどん引きされつつ、ついに行為が始まりました。
相手が格闘技経験者ということもあって、まさに人間サンドバッグ状態。読んでいる側はつらくなってきますが、ここで初めてかすかな違和感が生じます。初めてのプレイであり、同時に大きな転機のきっかけとなった場面です。
本巻では、なぜ彼女が精神的ゲイであると気づいたのか、そのエピソードも収録されています。プレイを通して、本来の自分というものに気づいていく彼女のさまからは、読んでいて不思議と勇気をもらえるでしょう。
初プレイで得た違和感が、ペス山の新たな悩みの種となっていました。
SMプレイはマイノリティですが、そのマイノリティにすら理解を得られない、自己破壊願望ともいうべき自傷行為。そのやり場のない欲求のはけ口として、精神的ゲイとしてのアプローチも試みましたが、うまくいきませんでした。
- 著者
- ペス山 ポピー
- 出版日
- 2018-08-09
そんななか、運命の出会いが訪れるのです。彼女は寸断ない暴力、容赦ない恐怖、生の崖っぷちに追い込むような相手と知り合います。
それはまさに、彼女の理想的人物。彼女が思い描いていた「男らしい」男性ではなく、女性から見ても「可愛らしい」青年でした。こんな可愛い顔して、本当に自分のことを殴れるのだろうか……。しかし、そんな不安はまったく必要なかったのです。
そして彼女は、彼との出会いで本当の恋を知ります。そしてそれゆえに、マゾヒズムだけではない、さらなる自分のマイノリティな性癖に気付きながら、彼に明かすことができないのです。
しかし彼に惹かれていくことを止めることはできず、初恋ゆえに隠し事をして我慢をして彼と付き合うことになるのです。そしてそれが2人の関係を壊すことになり……。
目を引くタイトルからは信じられないくらいに、どんどんピュアな恋物語になっていく本作。そして2つ目の性癖によって壊れていった恋の様子には、ついつい涙してしまう人も多いはず。
マイノリティな性癖をテーマにしながらも、普遍的な「初恋」というテーマを描き切った良作です。