教科書にも載っていることで有名な本作。馬頭琴という楽器の由来になった物語です。この話には原作があり、派生した話も存在することはご存知でしょうか。 今回の記事では、そんな本作のあらすじはもちろん、モンゴルと日本での解釈の違いなどもご紹介します。
本作は、馬頭琴という楽器の起源を描いた物語です。馬頭琴とは、2本の弦で音を奏でる楽器で、二胡ともいわれます。楽器の1番上の部分が馬の形になっているのが、名前の由来です。モンゴルでは国民的な楽器で、広く親しまれています。
本作がモチーフになった『白い馬』という映画があり、この作中で『スーホの白い馬』が語られています。
本作は大塚勇三が1967年に中国語のテキストで発見し、出版。ほぼ同時期に小学校2年生の教科書に載っています。絵は赤羽末吉が担当し、福音館書店から出版されました。光村図書から出版されている版では、李立祥が挿絵を手がけています。
「スーホ」という名前は、モンゴルの地域によっては「スーフの白い馬」ともいわれ、絵本作家のいもとようこは『スーフと白い馬』という題名で本作を出版しています。泣ける民話として有名で、さまざまな魅力を持った作品です。
そんな本作は、どのような内容なのでしょうか。
スーホの白い馬 (日本傑作絵本シリーズ)
1967年10月01日
モンゴルに暮らす、スーホという羊飼いの少年。彼はおばあさんと2人で暮らしていて、生活は貧しいものでした。
ある日、夕方になってもスーホが仕事から帰ってきません。周囲の人が心配していると、彼は白い馬を抱えて帰ってきました。馬は道端に倒れており、周りには仲間も親もいなかったというのです。スーホは、その馬を育てることにします。
彼と馬は仲良くなり、毎日草原を駆けめぐりました。そんなとき、その一帯を治める殿様が競馬大会を開くと言い出しました。スーホの仲間は、彼に大会に出るように勧めるのです。
スーホは競馬大会に出場し、見事優勝。殿様は、彼が貧しい羊飼いであることを知ると、銀貨をやるから馬だけ置いて帰れといいます。スーホが拒否すると暴行をし、馬は奪われてしまいました。そしてスーホは、泣く泣く家に帰ったのです。
殿様が馬に乗ると、馬は彼を振り落として逃げ去りました。追手を振り切り、馬はどこへ向かうのでしょうか。
モンゴルの草原で、羊飼いをしている少年。歌がうまく、彼の歌声はどこまでも響き渡ります。白い馬を拾ってくるとすぐに仲良くなり、草原を駆け巡って楽しんでいました。白い馬が死んだあとは馬頭琴を作り、どこに行くにも持って歩きました。
草原で怪我をしていたところを、スーホに拾われました。美しく足の速い馬です。
競馬大会を主催した人物。大会の優勝者を娘の婿にすると言っていましたが、スーホが貧しい羊飼いだと知ると、銀貨を渡して追い払いました。
- 著者
- アルフ・プリョイセン
- 出版日
- 1966-04-01
本作の作者である大塚勇三は、北欧やドイツ文学の翻訳に携わった、児童文学者です。
『スプーンおばさん』『小さなバイキング』などの作品が有名で、自身で民話の再話執筆もしました。児童文学界で多大な功績を遺しましたが、2018年の8月に逝去。
本作の他に有名な翻訳作品では、『トム・ソーヤーの冒険』などがあります。
本作の原作である『馬頭琴』は、1956年代に中国で出版された民話集に収録されています。これはただの民話ではなく、当時の中国の事情と関わりのある物語なのです。当時の中国はゲリラの殲滅がおこなわれ、「反右派闘争」という運動がありました。これによって、毛沢東への個人崇拝を強めていたのです。
そんななかで『馬頭琴』は、階級闘争を強調した物語として語られていました。支配層を悪者にした物語を作ることで、革命の気運を高めることが目的だったのです。
原作では狼が登場し、殿様ももっと残酷な人物として描かれています。これは、支配層に対して読者に憎しみを抱かせるため。しかし大塚勇三は子ども向けではないと判断し、狼を削除して、残酷な描写もなくしたのです。
日本では有名な本作ですが、モンゴルでの知名度は高くはありません。作品の内容に関しても、モンゴル人からすると違和感のある部分が少なくないのです。
それはどんな点なのでしょうか。
「スーホの白い馬」の真実 モンゴル・中国・日本それぞれの姿
2016年11月10日
本作は中国の学者が編纂した民話を、大塚勇三が再話したものであり、建国直後の中国共産党体制下の「階級闘争」に関するメッセージが込められています。
つまり実際には、本作はモンゴルの民話というよりは、中国人による創作民話に近いのです。そのためモンゴル人からすると、違和感のある内容があります。
まずモンゴル人は、どんな悪人が乗っていても、馬に矢を射ることはありません。矢で傷ついた馬を手当する際も、まずは傷口が化膿しないように手当するのがあたりまえです。その他にも、騎馬民族であるモンゴル人からすると、おかしな点がいくつかあります。
本作でスーホは貧しい羊飼いとして描かれていますが、遊牧民は場所に縛られない生活をしており、階級闘争などはなかったのです。そこに中国共産党が階級闘争論を押しつけ、飢餓と支配をもたらしました。
このように中国で創作されたことによる相違点がいくつか存在し、モンゴル人の感覚とは違う点があるのです。絵に関しても、実際の景色とは違います。本作の絵では、モンゴルの草原は赤く描かれていますが、それには次のような背景があります。
この絵を書いた赤羽末吉は、1943年に内モンゴルでの壁画制作のために、現地を訪れていたのです。その年は干ばつがあり、草原は緑ではなく赤っぽく見えました。そのため、本作の挿絵でも草原は赤くなっているのではないかということです。
本作はさまざまな解釈ができる作品ですが、どのようなテーマがあるのでしょうか。
スーホの白い馬 (日本傑作絵本シリーズ)
1967年10月01日
スーホは、殿様が主催した競馬大会で優勝しました。殿様は銀貨をやって、馬を奪おうとします。それをスーホが拒否すると、彼を暴行し、馬を奪ってしまうのです。泣く泣く帰ってくるスーホですが、悲しみと怒りがおさまりません。
殿様が馬にまたがろうとすると、馬は大きく飛び上がり、彼を振り落として逃げてしまいました。追手が射る矢で傷つきながらも、馬はスーホのもとに戻ったのです。しかし手当も虚しく、馬は衰弱していきます。そのときスーホの心に、なんと馬の声が聞こえました。
その声とは……ぜひご自身の目でお確かめください。
本作を読み終えると、成長したスーホに出会うことができます。この物語をとおして、悲しみを乗り越えることの大切さを学ことができるでしょう。