「日本三大説話集」のひとつ、『古今著聞集(ここんちょもんじゅう)』。鎌倉時代に編纂され、およそ700もの説話が収録されています。この記事では、編纂者や内容、有名な歌やエピソードをわかりやすく解説していきます。あわせておすすめの関連本も紹介するので、ぜひチェックしてみてください。
鎌倉時代前期の1254年頃、下級役人を務めていた橘成季(たちばなのなりすえ)が編纂した『古今著聞集』。民話や伝説など人々の間で伝承されてきた物語を集めた説話集です。
20巻30篇726話からなる大作で、『今昔物語集』『宇治拾遺物語』とともに「日本三大説話集」に数えられています。
収録されている説話は、「篇」と呼ばれるジャンルごとに分類されています。神や仏について語られている「神祇」「釈教」、公的なものに関する「政道忠臣」「公事」、文化に関する「文学」「和歌」「管絃歌舞」、笑い話や不思議な話を含めた「興言利口」「怪異」「変化」、自然に関する「草木」「魚虫禽獣」など多岐にわたっているのが特徴です。
各篇の冒頭には、説話の起源や要約が書かれ、まとめられている説話も年代順に配列されているなど、百科事典のような側面もあります。このことから、鎌倉時代や平安時代以前の日本の世俗を伝える資料としても重宝されているのです。
編纂者である橘成季は、鎌倉幕府4代将軍・藤原頼経(よりつね)の父である九条道家に仕えていた人物です。官職を引退した後に、『古今著聞集』の編纂に取り組みました。
収録されているさまざまな説話は、平安時代に公卿を務めていた藤原頼長の『台記』、藤原宗忠の『中右記』などの日記、平安時代の説話集『江談抄(ごうだんしょう)』などの記録を調べたうえで、各地を訪ね歩き、人々から聞き取ったものだとされています。
鎌倉時代のものよりも王朝時代のエピソードが多く、これは橘成季が古い時代の文物や制度を尊ぶ「尚古的」思想の強い人物だったからだそうです。貴族の名家である橘氏に生まれ、琵琶や絵画にも精通していた成季。武士の世である鎌倉時代を「末代」「世の末」と批判的に見ていたことが表れていると考えられるでしょう。
『古今著聞集』はもともと、優雅な物語を収集して絵にまとめようとしていたものでした。ただ取材をするうちに興味が広がり、民間の伝承や猥雑な話も含めた説話集になっていったとされています。
では、『古今著聞集』に収録されている説話のなかでも有名な「刑部卿敦兼と北の方」に登場する歌について解説していきます。
本文
「ませのうちなる白菊も 移ろふ見るこそあはれなれ われらが通ひて見し人も かくしつつこそかれにしか」
現代語訳
「垣根の内にある白菊も、色褪せていくのを見るのはしみじみと心打たれる。私が通って結婚した人も、同じく枯れるように私の心から離れていってしまった」
ではこの歌はどのような状況で詠まれたのでしょうか。流れを見ていきましょう。
物語の主人公である敦兼(あつかね)という人物は、とても醜い容姿をしていました。彼の夫人は綺麗な人で、ある日、自分の主人が醜いことを不愉快に思うようになり、家では口をきかず、目も合わせなくなってしまいます。さらには同じ空間にいることさえも嫌がるようになり、2人は家庭内別居状態になってしまいました。
ある日敦兼が仕事から帰って来ると、夫人だけでなく家に仕える女房たちも姿を見せません。敦兼が服を脱いでも、畳んでくれる人もいません。これは、夫人が女房たちに敦兼の世話は何もしなくていいと目配せをしていたからなのです。
どうしようもなくなった敦兼が、部屋の戸を開けてひとりで物思いに耽っていると、夜が更けて、あたりは静まり返り、月の光や風の音などのひとつひとつが身に染み入ってきました。心を静め、篳篥(ひちりき)という管楽器を演奏しながら、歌を詠みます。
ませのうちなる白菊も 移ろふ見るこそあはれなれ われらが通ひて見し人も かくしつつこそかれにしか」
するとこの歌を聞いた夫人は、出会った当時の頃を思い出したのか心が元に戻り、夫婦仲も良くなったそうです。
『古今著聞集』に収められている説話のなかには、ユーモラスなものも多くあります。なかでも有名なのが、「ある所に強盗入りたりけるに~」という書き出しで始まる第12巻の「弓取の法師が臆病の事」。では内容を紹介していきましょう。
あるところに、強盗たちが押し入りました。仲間である法師に門前で見張りをさせます。法師は門のそばで弓に矢をつがえて周囲を警戒していましたが、季節は秋で、門の傍らには柿の木があり、熟した柿が法師の頭の上に落ちてつぶれ、飛び散りました。
法師が慌てて頭を触ると、ぬるぬるしていたのですっかり気おくれしてしまい、矢で射られたと思い込んでしまいました。
そして法師は近くにいた仲間に、「やられた。この深手では逃げ切れないからいっそのこと首を切り落としてくれ」と頼みます。驚いた仲間が「どこをやられた」と聞くと、「頭だ」と答えます。
仲間が法師の頭を触って確認すると、たしかにぬるぬるして、手に赤いものも付きました。確かに血だと思いつつ、「そんな様子ではたいした怪我ではないだろう。なんとか連れて行ってやるから」と肩を貸そうとしますが、法師は聞き入れずに「いやもう助からない。早く首を切ってくれ」と言い張るのです。仲間は仕方なくその言葉に従い、首を切り落としました。
仲間が首を包んで山和の国にある法師の家を訪ね、事情を説明して首を渡すと、妻子は泣き悲しみながら布をほどき、首を確認します。しかし、どこにも矢の傷がありません。妻が「うちの人は、胴に傷を負ったのですか」と尋ねると、仲間は「そうではない。しきりにこの頭のことを言っていた」と答えます。
妻子は、乾いた柿がこびりついた首を見ながら悲しみますが、もはやどうしようもありませんでした。
法師といえば、平安時代末期の後白河法皇が「自分の思うようにできないもの」として、「鴨川の水害」「双六の賽の目」「比叡山の山法師」と並べるほど荒くれものとされていました。しかしこの説話に登場する法師は、臆病だったばかりにつぶれた柿の汁を血だと思い込み、命を縮めてしまうのです。
確かに感触は似ているかもしれませんが、よく見れば色も違うでしょうし、そもそも矢が刺さった痛みがないことに気づいていればこんなことにはならなかったはず。「臆病は命取り」というのが、この説話の教訓になっています。
- 著者
- 阿刀田 高
- 出版日
- 2010-01-15
古典文学に初めて触れる子どもが理解できるよう、工夫が凝らされた「21世紀版・少年少女古典文学館」のうちの一冊です。『古今著聞集』が20話、『十訓抄』が15話、『沙石集』が13話収録されています。
わかりやすい現代語に直されていて、すべての漢字にフリガナがふってあるだけでなく、当時の衣装や寺社仏閣、重要な登場人物などについては別欄で解説。図版や資料も豊富で、物語の理解を助けてくれるでしょう。
子どもはもちろんですが、これまで古典文学に触れてこなかった大人の方でも十分に楽しめる内容です。
- 著者
- ["西尾 光一", "小林 保治"]
- 出版日
- 1983-06-01
『古今著聞集』に収められている説話は、公卿たちの日記を元にしているものも多く、実在する人物が多数登場するのが特徴です。
本書を読んでみると、雅な印象の強い平安時代にも人間臭いエピソードがあるなど、当時のことを身近に感じることができます。
現代語に完訳されてはおらず原文に近い文章が載っていますが、注釈も豊富なのでじっくりと読めば理解できるでしょう。