怪我が原因で、バレエを辞めなくてはいけなくなった少年・弓矢。しかし彼は幼馴染に誘われて行った文楽の舞台に心動かされ、太夫を目指すことを決めました。一度地に落ちてしまった人間の再起と強さ、そして趣深い文楽の世界が描かれた本作『火色の文楽』。 スマホアプリから無料で読める本作について、その見所や魅力を紹介していきましょう。
14年続けてきたバレエを、怪我で辞めざるをえなかった主人公の少年・弓矢。
生きがいをなくし、虚無に陥っていた彼でしたが、幼馴染の少女・湊に文楽の舞台に連れていたことをきっかけに、物語を語る太夫になることを決意するのです。
- 著者
- 北駒生
- 出版日
- 2017-11-20
バレエに捧げた情熱を文楽というまったく違うものにぶつけながら、弓矢は今まで見落としてきた、もしくは見捨ててきた「友」「情景」「人々」と深く関わっていくことになります。
彼は人としての心、人との繋がりを知っていくのです。
本作には老若男女、幅広い年代のキャラクターが登場しますが、それぞれが非常に素直な性格をしていて、思ったことを隠さずきちんと言葉にします。
特に主人公の弓矢は、自分がどういう状況なのか、どういうことを感じているのかを客観的に受け入れ、それを誤魔化さずにきちんと言葉で伝えるのです。
文楽は、物語を語る「太夫」、音を奏でる「三味線」、人形を操る「人形遣い」が三位一体となりおこなうもの。太夫を目指す弓矢が、新しく入った人形遣いの柑太と話す場面は、弓矢の素直さがよく表れているのではないでしょうか。
弓矢、柑太、弓矢の高校の後輩で三味線弾きの弦治の3人がお好み焼き屋から帰る途中、網に引っかかった鳥を助けたいという幼い兄妹に出会います。弓矢の過去をあまり知らない柑太は、弓矢なら飛んで取れるのではないかと提案。弦治が戸惑いの表情を浮かべるなか、弓矢はまっすぐ柑太を見つめます。
…俺は足壊したから飛ばれへんねん
バレエ辞めた後に文楽の飛ぶ人形見て
俺の分も飛んでくれーって願ってた
(『火色の文楽』2巻より引用)
飛べない自分の代わりに舞台で動いてほしいと素直に願えるのは、彼のすごいところではないでしょうか。
「バレエの星」と呼ばれ、バレエ界の頂点まで届きそうだった少年が、自分の現状を嘆くのではなく、受け入れたうえで願いを託す……。そういった切り替えをできるのは、まさに弓矢の長所ですよね。
本作最大の魅力でもありますが、読んでいるだけで「文楽とは何か」がわかるのが、本作の魅力です。タイトルにもあるとおり、この作品は文楽の世界を中心に、そこに初めて足を踏み入れる人、その世界でずっと生きてきた人の話を描いています。
文楽というのは、人形浄瑠璃のひとつです。人形浄瑠璃は、簡単にいえば人形劇のこと。文楽はそのなかでも大阪で生まれ受け継がれているもので、その代表格ともいわれています。しかし、人形劇といえど能や歌舞伎に近く、言葉遣いも現代的ではないのが特徴的。
「文楽」といわれて「人形浄瑠璃」とわかる人も、「人形浄瑠璃」といわれてどういったものかすぐにわかる人も、あまり多くはないでしょう。知ってはいても、伝統芸能というものは格式が高いように思え、本当に興味がなければ深く知ろうとはあまり思わないですよね。
そういった、文楽をあまり知らない人にとって、本作はいい足がかりになるはず。
人形遣いはどうやって人形を動かしているのか、何人で動かしているのか、太夫はただ物語を読むのではないのか、三味線はいったいどんな音を表しているのか……など、文楽の世界について基本的なことがすべて描かれているのです。
また、人形浄瑠璃の代表的なお話なども載っていて、古語のため聞いているだけではわからない話を現代の言葉で説明し、なおかつキャラクターの心情と合わせることで、そこにどんな物語や想いがあるのかをきちんと表現しているのも、本作の魅力的な部分でしょう。
「バレエの星」と呼ばれ、バレエ界のトップへの道をひたすら進んでいた弓矢。しかし、高校2年のとき足を悪くし、2度とバレエができないようになってしまいました。
自分がもう飛べないことを客観的に受けいれていた彼ですが、幼馴染に誘われて行った文楽で軽やかに飛ぶ人形を見て、自分が心に閉じ込めていた想いに気づきます。
- 著者
- 北駒生
- 出版日
- 2017-11-20
本作は文楽の話であると同時に、主人公・弓矢が精神的に成長し、人の心というものを取り戻していくための物語でもあります。彼は今までバレエ以外のものをすべて捨て、自分の心さえ固く閉ざしていました。
そんな彼は、神様と呼ばれる人形遣い、光臣師匠が動かす人形を見ながら、周りの人が自分に情をかけてくれていたことや、彼らの気持ちを思い出します。そしてそのことに気づかなかった自分を省みるのです。
心を生み出す人形遣いに重なりたいと願う彼の姿は、その人間的な成長を垣間見られる部分であり、見所でもあります。自分の心だけでなく周りの心も理解しようとするのは、とても大事なことですし、彼にとってはきちんと向き合わなくてはいけないもののひとつでもあります。
また、「心を入れる」行為を目の当たりにした弓矢が、ただ上手に師匠を真似るだけが上達ではないと気づくその後のシーンも、ぜひ注目したいところですね。
高校の後輩で三味線弾きの弦治とともに、公園で練習をしていた弓矢。そこで偶然会った光臣師匠に、新しく入った弟子の柑太を紹介されました。
年代の近い3人で交流するといいと言われ、ともに行動するなか、弓矢は自分とは違う文楽への関わり方をする柑太に、またひとつ「人の情」を垣間見たのです。
- 著者
- 北駒生
- 出版日
- 2018-03-20
柑太が加わったことで、弓矢の周りは一気に騒がしくなりました。今まで周りが深く干渉してこなかった、弓矢と幼馴染・湊の恋にも、徐々に進展が見え始めてきます。
しかし、いまだに「感情」というものを理解しきれない弓矢は、湊や周りに言われるまで、少々見当違いな行動をすることも。
舞台で語ることになった話について、湊への感情や想いを利用しようとした彼ですが、その湊本人に、弓矢が会いたいと願う相手は、本当は自分ではないのではないかと言われてしまいました。彼はそう言われてあらためて、自分が本当に会いたいと願う相手、憎いと思う相手が自分を置いていった父だったと気づくのでした。
浄瑠璃の話にのっとって彼が自分の感情や想いに気づいていくシーンは、見応えがあるもの。普段感情が表に出ない弓矢だからこそ、それが溢れ出す場面は、読者の心をも大きく動かします。
高校を卒業して数年、舞台にも出るようになった弓矢。弦治も柑太もそれぞれに道を極めながら、文楽の舞台で生きていくことが人生だといわんばかりに練習を重ねていました。
しかし弓矢は、好きという気持ちをなかなか言えない湊との関係が少々こじれていること、出戻ってきた優秀な太夫・千鳥の登場もあって、気持ちが少しだけ行き詰まっていました。
- 著者
- 北駒生
- 出版日
- 2018-10-20
本巻の見所は、やはり弓矢、柑太、弦治の3人が同じ舞台に立ったシーンではないでしょうか。
入院中の光臣師匠を想いながら、その姿を、今まで教わってきたことを胸に置きながら、人形を動かす柑太。ただ文字を読むのではなく、物語を、人物を自らの心に招き入れ、人へと伝える弓矢。そんな弓矢の声を三味線に乗せ、弓を放つ弦のように、呼吸を合わせ重ねていく弦治がそれぞれ印象的です。
目指すべき頂は別にあっても、同じ舞台に立つ者として、どれも欠けてはいけないものとして、みんなで舞台を作っていく姿は、やはり胸打つものがありますよね。1人ではできないものというは数多くありますが、他人の間や呼吸がこれほど大事なものも少ないでしょう。
心を表現する人形も、心を伝える声も、心を映す音も浄瑠璃には欠かせないもので、それぞれがそれぞれの形で「心」を発信するからこそ、観ているほうにも感動が生まれたり、惹かれたりするものがあるのではないでしょうか。
生身の人間がやるからこそ胸打つものもある、そう思わせてくれる3人のシーンは、ぜひ注目したいですね。
彼らの結末は、ぜひご自身の目でお確かめください。
1度は夢を諦めなければいけなかった少年の再起と、彼を支える人々の姿を描いた『火色の文楽』。文楽について詳しく書いてあるのはもちろん、「人の情」というものを丁寧に描いた本作は、ただ「嬉しい」「悲しい」だけではない、複雑な人間の感情が「劇」という形でうまく表現された作品です。