「過まれるを改むる善の、これより大きなる無し」という名言で知られる『愚管抄』。この記事では、作品の構成と内容、作者の慈円について、「末法思想」「道理」「武者の世」などをわかりやすく解説していきます。あわせてもっと理解の深まるおすすめの関連本も紹介するので、ぜひチェックしてみてください。
鎌倉時代初期の1220年頃に編纂された史論書を『愚管抄』といいます。日本の初代天皇である神武天皇から第84代の順徳天皇までを、貴族の時代から武士の時代への転換と捉え、その歴史を記しました。
作者は、天台宗総本山の僧侶、慈円です。藤原忠通の息子で、浄土真宗の宗祖である親鸞を庇護したことでも知られる人物です。
『愚管抄』は、優雅で正しい言葉といわれる「雅語」だけでなく、口語や卑俗な言葉である「俗語」も自由に用いて、仮名混じり文で書かれています。読みやすいよう工夫がされていて、文体や用語なども含めて歴史学者や国語学者に注目されているのです。
南北朝時代に北畠親房(きたばたけちかふさ)が書いた『神皇正統記』と並び、中世日本の歴史思想を代表する古典と位置づけられていますが、江戸時代後期までは九条家にまつわる人々のみに読まれ、広く人々の目に触れることはありませんでした。
全7巻で構成される『愚管抄』。巻1から巻2は歴代天皇の年代記、巻3から巻6は「道理」の推移を中心とする歴史、最後の巻7では「道理」についての総括が記されています。
ではここで『愚管抄』を読むうえで重要になってくる「末法思想」と「道理」という考え方を紹介しましょう。
まず「末法思想」とは、仏教の歴史観にもとづく考え方のこと。釈迦が説いた正しい教えがおこなわれて修行によって悟りを開く人がいる時代(正法)が過ぎると、その次には教えがおこなわれても悟りを開く人がいない時代(像法)が訪れ、やがては人も世も最悪な時代(末法)がやってくるとされていました。
日本では、ちょうど藤原氏による摂関政治が衰え、院政へと向かう時期だった1052年が末法元年とされています。治安が悪化して武士が台頭し、時代が移り変わる予感に人々が不安を増大させていた時でした。
『愚管抄』の作者である慈円は、日本史上初めて天皇家や臣下が分裂して争った、1156年の「保元の乱」を歴史上の転換点ととらえます。
彼が生まれたのは1155年なので直接関わってはいませんが、「保元の乱」以降の戦乱が相次ぐなか成長。しかし慈円は、末法の時代だから何をやっても無駄だ、と悲観することはなく、混乱する世の中い希望を見出していくのです。
彼は、歴史上で起こったさまざまな出来事は、人間では計り知れない運命、すなわち「道理」によってもたらされていると考えていました。そして神武天皇以来の時代を紐解き、「道理」とは時代によって変化するもので、それぞれの時代に相応しい「道理」が存在するという結論を導きだしたのです。
たとえ「末法」の世であったとしても、貴族政治が崩れて武士の世へと移り変わろうとしても、そこには「道理」があると考えました。
『愚管抄』が書かれたのは、1221年に後鳥羽上皇が鎌倉幕府に対して挙兵した「承久の乱」の直前にあたります。
慈円は藤原氏に連なる朝廷側の人物ですが、朝廷と幕府の協調を主張し、後鳥羽上皇の挙兵には反対していました。『愚管抄』は、慈円が後鳥羽上皇を諫めるために書かれたものだといわれています。
彼は武士が台頭する「武者の世」である鎌倉幕府を悪いことだとは考えておらず、これも歴史の「道理」に従ったものだと説きました。源頼朝は倒すべき相手ではなく、私心なく朝廷のため、皇室のために働く「朝家の宝」だとしています。
慈円は、院政については厳しく批判していましたが、鎌倉幕府が政治を担うこと自体は、天皇と摂関家による統治体制を補完するものであるとして評価していたのです。
- 著者
- 慈円
- 出版日
- 2012-05-11
『愚管抄』に興味がある方に入門書として最初に手にとっていただきたい一冊です。
和漢混交文で書かれているため、古典のなかではわかりやすいとされている『愚管抄』。それでも現代に生きる私たちにとって原文で読むのは難しいものですが、本書では全文が現代語訳されているので、非常に読みやすいでしょう。
数百年以上にわたり続いてきた「貴族の世」が乱れ、「武士の世」へと移り変わろうとする時代に生きた慈円。摂関家に生を受けて宗教界の頂点に立った彼だからこそ見えた情景があります。
時代を憂いながらも未来への希望も込められた『愚管抄』を、ぜひ読んでみてください。
- 著者
- 大隅 和雄
- 出版日
- 1999-06-10
北畠親房の『神皇正統記』と並び、中世日本を代表する古典『愚管抄』。本書は、その作者である慈円を掘り下げていく作品です。
生い立ちや彼自身の歴史観、文体の特徴などを紐解くことで、より深く『愚管抄』を読むことができます。
慈円が何を思い、何を記そうとしたのか、本書から感じてみてください。
- 著者
- 長崎 浩
- 出版日
- 2016-06-15
長年『愚管抄』は、中世日本の歴史思想を代表する書物だといわれてきましたが、本書の作者はあえて「それは違う」と否定します。歴史書ではなく、政治論だというのです。
確かに慈円は摂関家の出身であり、天台座主という地位にありながらも自分が公家社会の一員であるという事実から脱していません。
本書では、慈円が「武者の世」を認めたことは、目の前で進行している事態を諦めの気持ちとともに追認したに過ぎず、彼の思想は「敗北の政治思想」だとしているのです。
歴史を紐解くうえで、さまざまな意見を知ることはとても重要なこと。本書もまた、『愚管抄』を理解するのに欠かせない一冊でしょう。