『羊と鋼の森』で知られる人気作家・宮下奈都のデビュー作。クリスマスの日に出会った、似ているような正反対のような2人の物語です。のんびりと順調に進むかのように見えた彼らの恋は、ある交通事故で一転するのでした。2020年新春に実写映画の公開を予定しています。読む人を優しい気持ちにさせる、本作の見所を紹介。ネタバレも含まれますので、ご注意ください。
『静かな雨』は、本屋大賞を受賞した『羊と鋼の森』で知られる人気作家・宮下奈都(みやしたなつ)のデビュー作です。仕事を失ったクリスマスの日、行助(ゆきすけ)はパチンコ屋の駐輪場でそれはおいしいたいやきを焼く、こよみと出会います。
少しずつ距離を縮めていくふたりですが、こよみが交通事故に遭い意識不明に。3か月あまりの後、目覚めたこよみは、記憶を短期間しかとどめておけない後遺症を負います。
メイプル超合金のカズレーザーは自身の冠番組の企画で、本作のストーリーに共感して、大絶賛。心地よい結末に満点評価を与えました。
- 著者
- 宮下 奈都
- 出版日
- 2019-06-06
そして、仲野太賀と元乃木坂46の衛藤美彩によるダブル主演の実写映画が2020年新春に公開されます。監督は『四月の永い夢』『わたしは光をにぎっている』を手がけた中川龍太郎です。(映画公式サイトはこちら)
公開に先立って、10月の上旬には韓国の釜山国際映画祭に正式に招待されました。日本だけでなく、世界からも注目を集めています。
映画のビジュアルポスターをみると、本作の柔らかな優しい雰囲気が表現されており、本編にも期待できるでしょう。
作者の宮下奈都は1967年福井県出身。2004年に、本作で文學界新人賞の佳作入選を果たしデビューしました。
日常的な風景から、登場人物たちの会話、胸の内まで、シンプルな筆致で丁寧に描き出していきます。みずみずしく優しい語り口が魅力的です。
- 著者
- 宮下 奈都
- 出版日
- 2018-02-09
2015年刊行の『羊と鋼の森』が2016年本屋大賞、王様のブランチブックアワード2015大賞などを受賞し大ブレイク。代表作としては他に、初の単行本『スコーレNo.4』もロングセラーを続けています。
文庫版に収められているデビュー『コイノカオリ』に収録されている「日をつなぐ」も、夫や子育てに翻弄される女性の、どこか歌うような語りが魅力の一作です。
その冬初めて雪が降ったクリスマスの日に、行助とこよみは出会います。
行助にとっては、勤めていた会社がなくなると聞かされた帰り道のことでした。パチンコ店の裏の小さなプレハブ小屋でたいやきを買ったのですが、そのたいやきがあまりにおいしくて、それを告げに引き返してしまったほど。そのたいやきを焼いていたのが、こよみでした。
行助の性格もあって、ゆっくりとですがふたりは少しずつ親しくなります。ところがある4月の朝、こよみは交通事故に遭います。行助には病院で眠り続ける彼女を見舞い続けることしかできません。そして、3か月と3日後、やっと意識を取り戻します。
しかし、彼女は事故の影響で記憶を一日しかとどめておけなくなっていました。眠るとその日の記憶がするりと消えてしまうのです。行助は強い気持ちで、こよみとともに暮らすことを決心します。
記憶を軸にして、生きるうえで大切なこと、人と人が心を通わすことについて考えさせられる小説です。
こよみのたいやき屋は、治安がいいとは決していえない場所にありますが、客足はとだえることなく繁盛しています。彼女の焼くたいやきだけでなく、彼女自身のファンも多いようです。
店には、こよみに話を聞いてもらいたい、将来に悩む高校生や同業者のおじさんも通ってきます。彼女は、ひとりひとりに世界があり、それぞれの世界は違うと考えています。生きている間にどう生きるべきか、こよみは自分の経験をもとにストレートに相手に意見を伝えます。そのまっすぐさが、彼女にファンが多い理由でしょう。
行助の目に映るこよみは「思わず笑っちゃうようなおいしいたいやきを焼く」「食べた人がおいしさに驚く顔を見るのを楽しみにしている」人です。あれこれ詮索する性格でないためでしょう、親しくなってもこよみについて知らないことばかりで、実は年齢も知らないほど。なにかとてつもない経験をしてきた人のようにも感じます。
人懐っこい笑顔の持ち主とは書かれているものの、本書ではほとんどこよみの外見については触れられていません。それでも読み進めるうちに、彼女の素敵な姿を思い描き、「会ってみたい」「たいやきを食べてみたい」と思うのではないでしょうか。
行助のまわりでは時間がゆっくりと流れているようです。勤め先がなくなってしまったことよりもたいやきの美味しさに素直に驚き、大学研究室の助手の仕事が見つかったことよりも、時間が自由になる仕事であることのほうを喜んでいるようです。
クリスマスに2人は出会ったものの、初めて話をしたのは春間近になってからでした。
彼の穏やかさが、作品全体の落ち着きにもつながっているようです。 そのため、行助が高嶺の花と考えているこよみと親しくなることも、彼女が事故に遭い2人で暮らし始めることも、彼のあたたかさを知ると、案外自然に感じられるのではないでしょうか。
行助は生まれつき足に麻痺があります。松葉杖が手離せません。頑固な父、明るい母、厳しい姉がいますが、みなあたたかく、それぞれがこよみの魅力を認め、ふたりの関係を後押ししてくれます。読者もつい応援したくなると思います。
それだけに、小説の後半、ささいなことで行助がこよみにつらくあたってしまうことに胸を痛める人は多いはず。ネットでも「辛いけどリアル」という声が多く聞かれるようです。
こよみと暮らすとはどういうことなのか、覚悟を決めていたはずなのに。日々の暮らしが積み重なっていかないことが行助にはたまりません。つらくあたってしまったのは、こよみのことを理解できない自分への怒りの表れだったのかもしれません。ふたりにとって大切なものは何か、行助は自分の答えを探します。
物語の終盤、タイトル通りに雨が降る印象的なシーンがあります。満月の夜、行助はこのままこうしてこよみと生きていきたいと月に願います。月明りがまだ残る明け方、壁の向こうで静かに雨が降り続いていました。そして、こよみが泣いていることに気づきます。
こよみにとっては眠れば消えてしまう月の光。月や雨は何をあらわしているのでしょう。事故に遭って、記憶を失うことになっても、感情的になることのなかったこよみです。優しい彼らの気持ちの触れ合いが感じられる、美しいシーンです。
- 著者
- 宮下 奈都
- 出版日
- 2019-06-06
ネットなどでも、「静かな夜の美しさに心が震える」「音もなく雨が降り続ける世界観が好き」という感想が聞かれます。
人間は何でできているのか。何が大切なのか。そんなことを考えさせてくれる小説です。
事故後も、こよみのたいやきは美味しくなっていきます。記憶をとどめられるのは脳だけなのか、記憶からこぼれたものから育つものもあるのではないか。そんなことも考えながら、ふたりのこれからに思いを馳せ、優しい気持ちになれる小説だと思います。
今回は、宮下奈都さんの『静かな雨』を紹介しました。雨の降る日に、雨が欲しい日に、そして優しい気持ちになりたい日におすすめの一冊です。