現代小説では「平成の泣かせ屋」の異名を持つ、浅田次郎。時代小説、歴史小説など数多くの作品を手がけました。今回は浅田次郎作品の中でも特におすすめのものをご紹介いたします。
浅田次郎は、1951年に東京都中野区で生まれました。小説家としてデビューするのは40年後の1991年ですが、その間の40年間は波乱に満ちたものでした。
幼少期は父が闇市でどさくさに紛れて大儲けをしたため、大変裕福な家庭で育ちます。絶好のスタートを切ったかと思いきや、浅田が9歳のときに、父が破産。続いて両親が離婚して母は失踪し、幼い浅田は親類に引き取られます。有名中学に進むも、読書の時間が取れないことから退学したり、小説を書いては新人賞に応募したりと勉学に励むことはありませんでした。
大学受験に失敗した浅田は、自衛隊へ入隊します。任期を終え、自衛隊としてのキャリアを積むことも考えましたが、長年の夢であった小説家になるために、小説を書く時間の取れる職業へと進みます。アパレル、雑誌ライター、書評、ルポ、競馬予想など様々な仕事をこなして小説の応募を続けますが、なかなか陽の目を見ることはありませんでした。そんな浅田が1990年から連載した『とられてたまるか!』が各出版社の目に止まり、小説家としてデビューすることになりました。
以降、様々な経歴を持ち、アウトローな世界へも関わりがあったことから、悪漢小説を書くことが多くなりますが、その後は様々な世界を描き出す作品を発表し続けています。
様々なジャンルの小説を書くことから、自らを「小説の大衆食堂」と称し、世間的には「平成の泣かせ屋」の異名を持つ浅田次郎。多彩な作品に共通するのは、浅田独自のユーモアや人情味あふれる登場人物たちです。世間を渡り歩いてきた浅田だからこそ描ける世界なのでしょう。
椿山課長はデパート婦人服売り場の課長。いや課長「でした」。もともと運藤不足でしたが、プレッシャーのかかったバーゲンセールの準備の無理がたたり、脳溢血で亡くなってしまいました。
そんな椿山課長が連れてこられた先は現世とあの世の中間地点である「冥土」です。亡くなった人はここで審査を受けて天国か地獄に行き先が割り振られます。椿山課長の審査結果はなんと邪淫の罪の講習受講。つまり条件付きの天国行きです。思い当たるところのない椿山課長は現世への思いもあり再審査を申し出ます。もう一度現世に戻り、自分の目で確認できるのです。
亡くなったその日から七日後には冥土に戻らなくてはなりません。しかもそれは椿山課長として復活するのではなく、まったく別の人格「和山椿」という女性39歳独身として現世で復活するのです。
椿は、気になっていた妻と息子のこと、父のこと、バーゲンの売り上げのこと、そして邪淫の罪について調べに行きます。そして……。
- 著者
- 浅田 次郎
- 出版日
- 2015-02-20
本人が亡くなってしまったために、本人には決して明らかにはならないからこそ明かされる事実があるのです。その中にはいろんな意味で本人にとっては衝撃であることもあります。そんな風に思ってたのか?本当はそういうことだったのか?など。わかったところで人生やりなおせるわけではないのですが、本質的に人々が気にしていることを浅田次郎が明らかにしてくれます。
『椿山課長の七日間』では、あの世に行く前に「真実」を知ることができた人もいます。あるいは本当は禁止されていますが、思い残したことをやり遂げられた人もいたのです。そうして、亡くなった人達は本当にあの世に行くことができました。思いを遂げた人たちは、行き先が天国であっても地獄であってもすんなり受け入れるのです。
コメディタッチではありますが、読んだ後はしんみりとしてしまいます。そしていつあの世に行ってもおかしくない、だから充実した人生にしよう、そんな前向きに気持ちになれる作品です。
地下鉄の中には、銀座線や丸ノ内線のような「時代」を感じさせる造りの路線があるのです。小柄な地下鉄車内はどことなく異次元性を感じます。
そんな地下鉄を、過去へのタイムトリップの入り口として描いた作品が浅田次郎による『地下鉄に乗って』です。
小沼真次は、ワンマンな父が戦後のどさくさから成り上がって築き上げた小沼産業社長、小沼佐吉の次男です。あまりにもワンマンなふるまいと兄に対する仕打ちに憤り、高校を卒業すると父とは縁を切っていました。
40歳を過ぎた真次が永田町の地下鉄駅から出口を出ると、なんとそこには30年前の新中野の街並みが広がっていたのです。新中野は高校生の頃住んでいた最寄り駅で、その日は30年前兄の昭一が地下鉄に飛び込んだ日でした。
過去にトリップしたその日から、真次は地下鉄駅の出口や地下鉄ホーム、地下鉄車内で次々と過去へタイムトリップします。しかもそのシーンは父佐吉の人生を逆に辿っていく旅でした。時代がさかのぼるにつれ、若返っていく父佐吉に出会い続けます。ワンマンな父が、実は様々な苦労を重ねながら、一代で会社を築き上げていく過程をまざまざと見せつけられ、真次は父が本当はどんな人生を歩んできたのかを知るのです。
- 著者
- 浅田 次郎
- 出版日
- 1999-12-01
地下鉄駅への入り口は、過去と未来への入り口にふさわしいです。その過去と未来への出入り口を、憎んでいた父の人生を辿る旅に結びつけたところに本作品の妙味があります。そして父や家族に対する想いも変わっていくのです。思いが変化したとき息子はその後の人生をどのように生きていくのでしょうか。
読者の皆さんも、タイムトリップとまではいかずともこれまでとは異なる面から父親を見てみると、新たな別の父親像を発見できるかもしれません。
太平洋戦争の終戦は1945年8月15日の玉音放送で国民に通知されました。しかし、8月15日以降も攻撃を受けて兵士が戦った話をご存知でしょうか。しかもそれは北海道千島列島の最北の地で起こった悲劇です。
1945年の夏、大本営では秘密裏に降伏に向けた準備がとられるのです。降伏を受け入れた際には各軍隊で降伏の手続きが必要になり、相手国と交渉のために通訳を派遣する必要がありました。
その通訳として選ばれた一人が片岡直哉です。片岡は外国文学の翻訳・出版を手掛ける出版社の翻訳編集長でした。戦時中は敵性語である英語の活用する場はほとんどありません。44歳と11か月で徴兵年限ぎりぎりであった片岡も「特業」と呼ばれる英語技能保有者として徴兵されたのです。
片岡の他にも、最後の徴兵動員に携わる人々とその家族、地方へ疎開する子供たちと離れ離れになる親。応召する側、される側、その家族たち、任地へ赴くまでに関わる人々。それぞれに物語があります。
そして占守島(しゅむしゅとう)です。千島列島の最北の地、カムチャッカ半島に最も近い島となります。根室から更に1,000km離れているんですね。アメリカからアリューシャン列島沿いに攻め込まれることを想定し、満州から関東軍の精鋭が配転されました。しかし、南方に戦線は移り、更に転戦するにも運ぶ船がないという状態で精鋭達は半ば放置されてしまうのです。
- 著者
- 浅田 次郎
- 出版日
- 2013-06-26
終戦後の8月17日、突如ソ連軍から攻め込まれます。精鋭部隊であった駐留部隊は敵を圧倒しながら、本部からの指示で停戦したそうです。その戦いは攻め込むソ連軍の兵士も納得感はなかったようです。そのソ連兵に片岡は射殺されてしまいます。終戦後に戦死とはなんという悲劇でしょう。占守島ではこのように激しい戦闘で亡くなった方や、降伏後シベリアへ連行された方など悲劇が重なります。
南方や中国、沖縄における激戦は、それは酷かったと思います。しかし、最北の地、しかも終戦後の戦闘で犠牲になるのもそれはとても悲しい事態です。
終戦を経て、助かって戻った人や再び家族と会えた人がいる一方で、戦いで命を落とした人や家族を失った人がいます。8月15日は点でしかなく、その点を超えてどのように生きていくか、あるいは生きていくことができなかったか。様々な背景や思いを抱えた人々が8月15日に向かって収れんしていき、そこで再び発散していくストーリー展開が見事です。そして悲しさが倍増します。
最北にも悲劇の歴史があったことに思いを馳せ、改めて戦争の悲惨さを認識し、今を生きていけることに感謝したくなる物語です。
『日輪の遺産』など、戦時下の秘密資金をめぐる作品を書いた浅田次郎が、同じく戦時下に沈没した船を扱ったのが、ここで紹介する『シェエラザード』です。 物語はある日、従業員8名という小さな金融会社に「沈没した弥勒丸を引き上げるため百億円貸してほしい」という話が持ち込まれるところから始まります。持ち込んだ相手は宋英明という老人で、中華民国(台湾)政府の顧問だという。 金融会社社長の軽部順一は、話の裏を取るために、新聞社に勤める元恋人、久光律子に調査を依頼します。すると、弥勒丸の沈没までの経緯には多くの謎が隠されていることがわかってきます。 突如乗り込んでくる軍人、船長にも明かされない積荷、そして予定されていた進路の変更。そして弥勒丸自身にも、軍艦並みの装甲防御と儀装が施されて建造されていました。 この弥勒丸の事件が、数少ない生存者の証言によって、それぞれの人生とともに、徐々に明るみになっていきます。
- 著者
- 浅田 次郎
- 出版日
- 2002-12-13
弥勒丸の沈没は架空の事件ですが、この事件にはモデルとなった歴史上の事件があります。「阿波丸の沈没」事件です。
阿波丸はもともと商船でしたが、第二次世界大戦中に徴用され、主に民間人や捕虜への救援物資の輸送にあたっていました。国際法上では攻撃されない船種だったにもかかわらず、1945年4月にアメリカの潜水艦の雷撃を受けて沈没しました。
商船が徴用される例は当時たくさんあり、横浜港に永久係留されている氷川丸も、そのような船の中の数少ない生き残りの一つです。
『シェエラザード』は、そのような歴史的背景をたたき台にして、ロマンスの要素を取り入れつつ、過去と現在、そして現在も続く過去をフィクションとして書き上げた、優れた長編小説となっています。
主人公は新選組三番隊長斎藤一。2015年にはじめて鮮明な本人写真が公開されたことでも話題になった人物ですね。斎藤は明治以降、藤田五郎と名を変えて警視庁で働き、老後は高等学校の守衛として暮らしていました。
ある日、斎藤の噂を聞きつけた若き近衛師団将校の梶原中尉が斎藤宅を訪問してきます。それから毎晩、斎藤が梶原の持参したお酒に酔いながら新撰組や自分の歴史を語っていく、というスタイルで物語は進んでいきます。
- 著者
- 浅田 次郎
- 出版日
- 2013-09-03
梶原は全国武道大会で準優勝するほどの剣の達人。ですが、もちろん実戦で人を斬ったことなどありません。「尋常の勝負などはそうはあるものではない。勝負は汚いほうが勝ちゆえ、むしろ気合を悟らせぬことが肝心なのだ。」「剣の奥義は一に先手、二に手数、三に逃げ足の早さ」と言った斎藤の昔語りと真剣勝負の迫力にどんどん引き込まれていく梶原中尉。
作中に新選組の近藤勇、沖田総司、土方歳三や坂本龍馬ら有名人が続々と登場してきます。これら有名人に対する斎藤のコメントもこの小説の魅力の1つ。例えば「近藤は劣等感のかたまり、土方は見栄坊。沖田は凶暴きわまりない野犬のごとき男であった。」「わしはいまだに坂本龍馬という人物がよくわからぬ。天真爛漫と申すか来る者こばまずというか。」など、斎藤の愛憎入り混じった人物評には不思議なリアリティを感じてしまいます。
そして話は斎藤の人生最後の戦場、西南戦争へ。殺戮マシーンのように躊躇なく人斬りをしてきた斎藤ですが、その生涯で唯一弟子として愛した市村鉄之助との再会劇と衝撃の結末が待っています。斎藤が初めて語る真実に誰もが心を打たれずにはいられないでしょう。初心者の方は聞き手、梶原中尉の立場で物語を楽しめますし、新選組がもともと好きな方には異色の幹部斎藤一の目線で新たな新選組の魅力に気づかせてくれる作品になっています。
1年間の移り変わりとともに、あるホテルでの出来事を描く『プリズンホテル』シリーズ。「夏」に始まり「春」に終わることで全4巻となっていますが、最後まで読むとなぜ始まりが夏だったのか、終わりが春だったのかがわかります。
プリズンホテルとは、いったいどのようなホテルなのでしょうか。そこは、なんとヤクザと呼ばれる人たちがこの世で唯一、心の底から安らぐことのできるホテルなのです。ヤクザたちによって経営され、どんな身分の人、どんな過去を背負った人でも泊めてしまうという、究極の「来るもの拒まず」の姿勢をポリシーとして持っています。接客はどこか不器用ですが、義理と人情をなによりも大切にする従業員の言動には、なんだか微笑ましくなります。
- 著者
- 浅田 次郎
- 出版日
4作を通して多くの登場人物が出てきますが、主人公としては「木戸孝之介」という人物に主眼を置いています。孝之介は極道の世界を描く小説家ですが、幼い頃に両親が離婚したことがトラウマとなって、精神年齢が当時のまま止まっているのです。そのため、周りの人物が手を焼かすことがたくさんありますが、様々な人とのやり取りの中で、孝之介は少しずつ成長していきます。この孝之介の変化がシリーズを通して描かれる大きなテーマといえるでしょう。
本作はデビュー後数年のうちに完結しており、作家の北上次郎は次のようにコメントしています。「浅田次郎はこれから大きく化けていく可能性を持った作家である。この『プリズンホテル』シリーズは、おそらく初期の傑作として長く記憶にとどめられるだろう」。北上のいうように、この後、浅田次郎は大きく化けていくことになりました。そんな逸話もある、ファンにとっても記憶に残る作品です。
歩く日本近代史とされる松蔵という老人がキーマンとなる『天切り松 闇がたり』シリーズ。タイトルは時代小説っぽさが感じられますが、単なる時代小説ではありません。昔の話もするし、今の話もするという、ちょっと不思議な構成です。
1996年に第1巻が出て、2005年に第4巻、2014年に第5巻が出ました。ずいぶんと月日が開いていますが、それだけファンが根強くついているという証でもあります。
- 著者
- 浅田 次郎
- 出版日
物語は警察の雑居房で始まります。年老いた松蔵が、警官や訳アリ囚人たちの前に姿を現すと、みんなが松蔵の周りに集まってきます。なぜなら松蔵は、明治、大正、昭和、平成と、日本の激動とともに生きてきた人物だからです。そんな歩く近代史となった老人の話が、面白くないわけがありません。
しかも松蔵の語り方は、「闇がたり」と呼ばれる特徴的な話し方。これは、近くで聞いていないと聞こえないように話す話し方ですが、それだけに松蔵の話は面白くなるのです。
松蔵は、次々に昔話を展開させていきます。見た事もないけれども、なんとなく古き良き日本の情景がありありと浮かんでくるような松蔵の語りに、聴衆は夢中になってしまいます。とはいえ、あからさまにノスタルジーなわけではありません。松蔵は裏社会に生きてきた、いわゆるヤクザ者なのです。松蔵の話は、法の下での勧善懲悪ではなく、本当の正義や人間の善などを感じさせるのでした。
物語の構成がまたおもしろく、現代で松蔵が語る場面と、松蔵が語る昔の場面とで行き交うことになります。松蔵や昔話に登場する人物の江戸弁が、心地よく読者の耳に響く点が魅力的です。
日本の近代を扱った小説は数多くありますが、それを裏社会と呼ばれる立場から描く作品は、なかなかないだろうと思います。
第3回「本屋が選ぶ時代小説大賞」にも選ばれた『一路』。テレビドラマ化もされ、再放送までするという人気ぶりですが、作者は「ドラマ化を意識して執筆したことはないが、この作品がドラマ化するとは思っていなかった」と語っています。それだけ、予想以上に面白い作品なのです。
物語の舞台は、現在の岐阜県あたりに領地を持っていた旗本の家。幕末に迫り、長く続いた武家社会がまさに終わろうとしていた時です。そうした中でも、大名の参勤交代は制度として続いていました。
この旗本の家・蒔坂家も大名ではないながらも、格式高い家柄だったため、参勤交代が義務付けられていました。一口に参勤交代といっても、それは過酷な行事でした。交通などが発達していなかった当時を思ってみると、大勢による長距離移動は、現在とは比較にならないほど大変だったことが想像できます。
- 著者
- 浅田 次郎
- 出版日
- 2015-04-23
そんな参勤交代を手厚くサポートして執り仕切るのが、「供頭」と呼ばれる職種の人たちでした。物語の主人公は、その供頭を代々受け持つ小野寺家のせがれであった一路です。彼は父の急死によって、突然この役目を引き受けることになります。堅苦しいしきたりや、身分制度があったこの時代、参勤交代の幹事である供頭の役目は重大です。はたしてなにも知らない一路は、無事参勤交代を成功させることができるのでしょうか。
参勤交代の道中には様々な事件、出来事が舞い込んできます。道中の人間模様がドタバタ寸尺コメディのように軽快なユーモアタッチで描かれており、思わず笑みがこぼれてしまいます。
ただ、面白おかしく書かれてはいるものの、幕末における時代小説らしさもにじみ出ているのがポイントです。武士とは?領民とは?そしてこの国の行く末やいかに……といったテーマもしっかりと押さえられており、読み応えのある作品となっています。
『蒼穹の昴』シリーズは、清代の中国を舞台にした歴史小説です。直木賞の候補作にもなり、10年以上の時を経て日中共同でテレビドラマ化されました。実在した人物と架空の人物をうまく混ぜ合わせ、清朝の盛衰を描き出しました。
物語の主人公は、李春雲。乞食同然の仕事で、非常に貧しい暮らしを懸命に支える少年です。ある日、不思議な占い師から「都で権力の頂上にいる西太后の財物を全て手に入れる」と予言された春雲は、家族を救いたい一心で宦官として太后に仕えることを決意します。
- 著者
- 浅田 次郎
- 出版日
- 2004-10-15
ちょうどその折、同じ占い師から同じように予言を受けた少年がいました。地元の有力家系の次男・梁文秀です。文秀は「皇上に仕える側近となるが、苦労が待ち構えている。誇り高く生きよ」と告げられ、科挙という厳しいテストの末に皇帝に仕えるようになります。
当時の清朝内では、皇后と皇帝が権力を争っており、その部下である春雲と文秀も権力争いに巻き込まれていきます。しかしながら彼らには身分を越えた、ある深い絆があったのです。はたして春雲は見事に出世することができるのでしょうか。そして清朝の行く末は——。
厳しい戦乱の世の中を描いた作品ですが、その中にいる人間模様は温かくまとめられています。自らを顧みることなく、ひたすら利他のために励む春雲。治世のために厳格な統治者を演じる反面、人情に溢れた太后。分かち難い春雲と文秀の複雑な関係。心温まる登場人物の姿には、感動がつまっています。
「この作品を書くために作家になった」と語る作者が人生を賭して残した、壮大な歴史物語です。
『壬生義士伝』は、新選組の人物に焦点を当てた歴史小説です。2000年に柴田錬三郎賞を受賞しています。映画化のほか、漫画化もされている幅の広い作品です。
物語の主人公は、吉村貫一郎という新選組隊士。地元盛岡の藩士でしたが、少ない稼ぎでは妻子を養うことができないと感じた吉村は、藩を抜けて新選組へと加入します。すべては自分のためではなく、家族のためでした。しかし、そんな吉村は脱藩者として追われ、ついには切腹することになります。彼の死後、時代は大正時代に入り、とある新聞記者の調査によって吉村の知られざる生涯が明かされることになります。
- 著者
- 浅田 次郎
- 出版日
本作品の見どころは、この新聞記者の語りと吉村の回想録、その他の関連人物の語りがオムニバス形式で繋がれている点です。幕末と大正時代を行き来しながら、その時代の差異に思いを馳せることになります。国の騒乱期を迎えた時代と、他国との戦争に勝ち、次第に近代化が進む時代。人々の生活文化や哲学、なにもかもが違っています。記者の口から語られるのは、もはや日本人が忘れてしまった「侍魂」を喚起させてくれる吉村の姿でした。
その他の各語り手の話も印象的です。家族から、故郷を離れて脱藩者となった吉村の真意を語られる場面は涙なしでは読むことができません。「平成の泣かせ屋」である浅田次郎の渾身の名文がずらりと並びます。
本作品執筆のきっかけは、長女が岩手の大学に進んだこともあって、度々盛岡に足を運ぶようになったことだったようです。そこで盛岡の人物を主人公にした物語を考え、多くの時間と労力を題材研究に当て、本作が生まれました。
上下巻にまとめられていて量としても手ごろであり、どこか憎むことのできない人間臭さを鮮やかに描き出したこの作品は、浅田次郎の異名をそのまま表す一作として、第1位に輝くと考えます。
以上、浅田次郎をはじめて読む方へ向けた作品のご紹介でした。長いこと小説家に憧れながらも、なかなか陽の目を見られずに、無頼漢として様々な経験をしてきた浅田。そんな強い意志と多彩な経験があったからこそ、このような人間味あふれる作品が多く生まれたのかもしれません。