「地下生活」を強いられることになった、終末期のモスクワを描く近未来小説『Metro 2033』。悲惨な核戦争により、地上は人が住めないほど汚染されています。サバイバルや、ホラー要素に満ちたゲーム版(X box360)も高い人気を集めた本作、その映画化がついに決定しました。今回は、原作小説の見所を、ネタバレを含めながら紹介していきます。
本作の舞台は、2033年のモスクワ。世界を巻き込む核戦争により、人々は地下に暮らしています。
主人公の若者・アルチョムを中心に、個性的な登場人物・奇抜な設定を通して、絶望のなかにあっても、貪欲に生きる人間の姿が描かれつつ、陰鬱な空気と冒険要素が上下巻にぎっしり詰まっています。
主人公たちが恐怖と背中合わせで暮らしているのは、モスクワに実在する地下鉄(メトロ)網。
実際に、第三次世界大戦に備えて、旧ロシア帝国の宮殿クレムリンの地下には、秘密裏に駅がつくられたとも噂されるロシア。それだけに、破天荒なストーリーが展開されながらも、どこか現実味が感じられます。
- 著者
- ドミトリー グルホフスキー
- 出版日
- 2010-06-21
『Metro 2033』は、モスクワ生まれの小説家・ドミトリー・グルホフスキーによる長編終末小説です。
本国ロシアでベストセラーを記録した後、日本には2010年、Xbox 360およびWindows版のゲームが先に上陸。翌2011年に日本語訳の小説が出版され、ファン層が広がりました。
今回、ロシアを代表するメディア企業の、ガスプロム・メディア・ホールディングによる映画化が決定。公開は、2022年1月を予定しています。監督もキャストもまだ発表されていません。しかしゲーム化にあたり、充実した日本語版がつくられた経緯もあるため、声優陣についても期待が高まります。
本作の舞台は、モスクワに実在するメトロです。核戦争当初は、巨大なシェルターとして機能しましたが、管理体制がひとたび崩れて「無政府状態」に陥ると、一つひとつの駅が「独立国家」のようになる、という設定。
地下に逃げ込んだ人間たちは、一か所に身を寄せ合い助け合うのではなく、駅ごとに異なる個性が生まれます。駅同士で争ったり、連合や同盟を結んで生き残りを図ったりする点が、本作の面白さのひとつ。
ネズミを競わせるギャンブルが盛んな駅もあれば、その日の糧を得るために、自らの子どもを売る母親がいる駅も。アルチョムが育った博覧会駅は、乾燥キノコから生まれる名物のキノコ茶や、貴重な食糧源であるブタの飼育で発展しています。
なお、モスクワの地下を一周する環状線の各駅は、支線につながり交通・商業の要所であることから栄えており、別の路線からの襲撃に備えて、ハンザ同盟という友好関係を構築しています。
最初は、モスクワの地下鉄の駅名を聞いても、ピンとこない人が多いかもしれません。
それでも、巻頭に掲載された路線図と、本文を行きつ戻りつしながら読み進めていくうちに、いつしか本作の世界に入り込んで、この複雑な地下鉄網を「地図なし」で理解できるようになるでしょう。
東京・名古屋・大阪など、地下鉄は日本でも発達しています。自分の知っている路線や駅のことを考えながら読むというのも、想像が膨らみ、恐ろしくも楽しい読書体験になります。
本作のメトロには、数千から数万ともいわれる人々が暮らしています。信仰や制度、肩書きや思想など多種多様です。
たとえば、ストーカー。本作のなかでは「意を決して、地上に出て行く命知らず」の彼らは、ストーカーと呼ばれます。遮断ガラス付きの防御スーツを着込み、武器・燃料・機材など、人々の生活に必要なものを地上から取ってくる危険な仕事です。
また、主人公・アルチョムが目指している、メトロの最大都市・ポリスには、カーストと呼ばれる身分制度があり、司書・軍人・司祭などが対立しています。
そのほかにも、共産主義者・ファシスト・革命戦士・自由商人・哲学者・霊感の強い神秘主義者・人食いなど、さまざまな人々が主人公の前に現れ、物語に大きく関わってくるのです。
これは、物語の都合でつくられた役回りではなく、一つひとつの制度や肩書きが誕生するまでの歴史があります。描き込みの細かさに「本当にこのような世界があり、地下に暮らしている人々がいるのでは?」という気にさせられるでしょう。
電気も自由に使えない、薄暗い地下での貧しく不便な生活……。本作全体を通して、主人公のまわりには、重苦しい空気が常に漂っています。それは、あるときは薄気味悪く、あるときは気持ち悪いものです。
主人公が暮らす博覧会駅には、さまざまな迷信があり、怪しげな噂が聞こえてきます。また眠りに落ちれば、恐ろしい悪夢に襲われることも。とくに、人々の意識に入り込み、恐怖心を操る黒き者(チョルヌィ)は、本作の核ともなる恐ろしい存在です。
また、核戦争による放射能の影響で、異形の化け物(ミュータント)に姿を変えた生き物たちが、隙あらば人間を襲い、連れ去り、その命を無残に奪うため、片時も油断できないのです。
人間に襲いかかる、獰猛(どうもう)で大きなネズミの大群も登場するので、食用にされるネズミの話など、まだ可愛いほうかもしれません。
主人公・アルチョムは、20歳過ぎの若者です。生まれたのは地上ですが、20年近くに及ぶ地下暮らしのなかで、地上に出たのは一回のみ、それも一瞬のことです。
そんな状況のなか、主人公が暮らす博覧会駅に、人々の心に入り込み、恐怖で正気を失わせる黒き者が現れるようになります。そして、ハンターと名乗る男が主人公の前に現れ、黒き者の侵入を食い止めるため、駅からさらに北のトンネルへと向かうのです。
そのハンターから「自分が戻らなかったら、地下都市ポリスに行って、メリニクというストーカーにすべてを話せ」と使命を託されます。
こうして主人公は、黒き者により滅亡の危険が増した博覧会駅を救うため、暗く恐ろしいトンネルを進む長い旅に出ることになります。
- 著者
- ドミトリー グルホフスキー
- 出版日
- 2010-06-21
「どこに行っても、助けてくれる人が必ずいる」とハンターが言い残した言葉は、当たっていなくもありませんが、行く手に待つのは恐ろしい出来事ばかり。
上巻のクライマックスは、ファシストたちが帝国を築き、差別が横行するトヴェルスカヤ駅。主人公はファシストたちの捕虜になり、司令官に絞首刑を宣告されてしまいます。
メトロの全体像も、駅ごとの特徴やそれぞれのしきたりも、何も知らずに旅に出た主人公。読み進めるごとに、先に進む怖さや怪しさ、驚き、不気味さ、気持ち悪さを、主人公と共有するドキドキ感が待っていることでしょう。
下巻では、駅を守る使命と同時に「呪いも背負ってしまったのではないか?」とアルチョムは悩みます。なぜなら、行動をともにした人がつぎつぎに命を落としていくからです。
また、ハンターの申し出を受けたときから「自分の運命は、自分だけのものではなくなった」と強く感じるように。
そして地下都市ポリスで、メリニクにどうにか会うことができます。謎だらけの旅が続きますが、少しずつ先に進みながら、この世界全体の成り立ちがアルチョムにも見えてきます。
- 著者
- ドミトリー グルホフスキー
- 出版日
- 2010-06-21
上巻では、ビクビクしながら先に進んでいたアルチョムが、下巻では少しずつ成長し、一歩先に進むたびに新たな答えに出会う、そんな展開が楽しめます。
また壮大なストーリーになっていくことで、その揺さぶりに飲み込まれそうになりながらも、長編終末小説ならではの冒険の楽しさがあります。
博覧会駅が陥落したら、路線すべてがやられる……。これは、博覧会駅だけの問題ではありません。そして、黒き者の正体がついに明かされるクライマックス。アルチョムは無事に、博覧会駅を守れるのでしょうか……?
通勤・通学・買い物などで、ふだんから地下鉄を使っている人は、読後は「地下鉄を見る目」が一変するかもしれません。ぜひ実際に手に取って読んでみてください。