時を超え、国を越え、過去の傑作が現代のクリエイターにひらめきや刺激を与えることがあります。 昭和初期に活躍した女性作家岡本かの子の「越年」「家霊」に着想を得て、台湾の女性監督が映画に昇華させた『越年 Lovers』は、まさにその好例といえます。海外の才能を衝き動かしたのは、とりもなおさず、元になった作品の力強さでしょう。 今回は、そんな話題のグローバル映画と、原作2編の魅力をご紹介します。
台湾の女性監督・郭珍弟(グオ・チェンディ)が脚本を書き、メガホンを取った日台合作映画『越年 Lovers』が話題です。この映画の原作は、80年前に書かれた日本の短編小説。
芸術家・岡本太郎の母としても知られる、小説家で歌人の岡本かの子の「越年(えつねん)」「家霊(かれい)」に着想を得て、3組の男女の愛を描くオムニバス映画に仕上がっています。著者独特の「耽美妖艶」の美学がいかに映像化されるのかに注目が集まります。
映画作品の出演は、NHK連続テレビ小説『ひよっこ』など、俳優としても目覚ましい活躍を見せるミュージシャンの峯田和伸(銀杏BOYS)、バラエティー番組で活躍する橋本マナミの日本勢のほか、台湾で注目を集め日本でも活動する若手女優ピピことヤオ・アイニンなど、多様な顔ぶれです。
2019年11月、山形国際ムービーフェスティバルの招待作品として上映。一般公開は、同年末から2020年2月中旬予定です。
今回は、この映画『越年 Lovers』の原作であり、近代日本文学を代表する傑作短編との呼び声も高い、岡本かの子の「越年」と「家霊」の見所、映画とのつながりを考察します。
岡本かの子は大正・昭和期を代表する女性作家・歌人のひとりです(1889年生~1939年没)。夫は漫画家・岡本一平。芸術家・岡本太郎の母としても知られています。
49年の短い人生の中で小説の執筆に没頭できたのは晩年の3年ほどだけでしたが、その間に、『老妓抄』『生々流転』『東海道五十三次』など、さまざまな傑作を世に送り出しました。
特に、ひとりの女性に童女のあどけなさと老女の妄執がともに棲む様を描いた『老妓抄』は発表時から文壇で高い評価を受けた作品。近代日本文学のなかでも傑出した短編という声も聞かれます。
- 著者
- 岡本 かの子
- 出版日
- 1950-05-02
そんな彼女は、子どものころから『源氏物語』や漢籍の手ほどきを受け、十代から歌人として活動していました。二十代には仏教研究家として知られるようになり、その後はヨーロッパやアメリカを長期にわたり旅していたこともあります。
このような豊かな教養と実体験を背景にした、厚みのある作風が彼女の特徴。旧家やそこに押し込められた女性たちの、滅びと消えることのない生への希求を、美意識高く描いています。
今回紹介する「越年」や「家霊」も、岡本作品の魅力が伝わる、人気の高い作品のひとつです。
映画のタイトルにもなっている「越年」は、昭和10年代の東京が舞台。軍需品を扱う拓植会社で働く事務員の佐藤加奈江が主人公です。
年末のボーナスを受け取った加奈江は、同僚の女性事務員たちと帰ろうとしたとき、会社の廊下で男性社員の堂島からいきなり左の頬を平手打ちされます。
- 著者
- 岡本 かの子
- 出版日
- 2019-08-23
翌朝、課長にそのことを伝えると、驚いたことに、堂島は昨夜のうちに速達で退社届を送ってよこし、会社を辞めてしまったというのです。引っ越してしまい移転先もわかりません。すべてが計画的。しかし、彼女には堂島がなぜ自分に暴力をふるったのか身に覚えがありません。
加奈江は同僚の男性社員から、戦争が終われば経営が傾くような拓殖会社に堂島が見切りをつけて転職したという情報をつかみますが、それと自分に何の関係があるのか見当がつきません。
その後、銀座で飲み歩いているだろうから、店が閉まる時分に銀座で張っていれば見つけられるかもしれないとも知らされます。
季節は、年の瀬。そこから加奈江の銀座通いが始まります。彼女は堂島を探しだすことができるのでしょうか。そして、彼の真意とは何だったのでしょう。
このあとは、見所をご紹介いたします。
「越年」は文庫で20ページほどの掌握小説です。なぜ堂島が加奈江をなぐったのかという謎解きが、本作の重要な柱といえますが、復讐劇のようなおどろおどろしさはありません。
それよりも、小津安二郎や成瀬巳喜男など、日本映画の名監督がつくるような軽快な雰囲気で、小気味よい筆致が魅力的です。
漫画家の安野モヨコは『女体についての八編 晩菊』と題するアンソロジーにこの「越年」を収録しています。アンソロジーは、文豪たちの短編に彼女が挿画をつけたものです。
- 著者
- ["太宰 治", "岡本 かの子", "谷崎 潤一郎", "有吉 佐和子", "芥川 龍之介", "森 茉莉", "林 芙美子", "石川 淳"]
- 出版日
- 2016-04-21
そこで安野モヨコは、作品が書かれてから長い年月を経ていることから、登場人物の心情や行動には共感できないとしつつも、人を殴った手の感覚やそれが薄れていくさまといった肉体感覚について、こう評しています。
「時代に関係無く、絶対的なものだというのをこの作品に教えてもらった」
(『女体についての八編 晩菊』(選者あとがき)より引用)
また、映画『越年 Lovers』に主演した峯田和伸は、岡本作品は、繊細な言葉の選び方や語感の面白さがあり、それを「音楽的な体験に近い」と賞しています。
どちらにも共通していえるのは、彼女の表現は、身体に近しいものだということではないでしょうか。
たとえば、実際の本文で加奈江や同僚たちが話す言葉には、今の若者が使わないようなものが多くあります。
「うんとやっつけてやりなさいよ」
「こりゃ一杯、おごりものだぞ」
「ほほほほ」
(「越年」より引用)
ただそれも、戦後の銀幕スター独特のセリフ回しを思い浮かべながら読んでみると、すっと入ってくるもの。どこかで聞いたなつかしさも感じられるのです。
肉体や音など、感覚的に古びない作品である本作。共通した感覚を感じられるものの。そこから読者それぞれが心の中に映像を作り上げる違いもある、ユニークな作品です。
「越年」と同じく、昭和10年代の東京。こちらは、山の手の八幡宮に向かい合って建つ、名物のどじょう店「いのち」が舞台です。
昔から、どじょうは、スッポンやフグと同じく身体の精分になるといわれます。さらに店名が「いのち」というだけあり、この店は若者たちの間でこんな会話が交わされるほどの人気店でした。
「疲れた。一ついのちでも喰うかな」
「逆に喰われるなよ」
(「家霊」より引用)
そんな店内の板壁のひとつにあいた小窓から、下働きの女性の給仕ぶりや客席の様子を監督するのが、本作の主人公、くめ子。
長いこと女番人としてこの小窓からにらみをきかせていた母が病に倒れたことから、娘のくめ子がその役を継いだのです。くめ子が顔を見せると、若者たちからは嬌声ともつかない声があがり、彼女を苦笑させます。
「越年」同様、本作でも暮れの押し迫ったころにある事件が起こります。「いのち」に相当なつけがたまっている徳永という彫金師が、どじょう汁の出前をまた頼んできたというのです。母親の代から言いなりに食べさせているのですが、年長の出前持ちは一度かたをつけるべきと意見します。
やがてしびれをきらした徳永が店にやって……。徳永の語りに、しだいにみなが引き込まれていくのです。
本作で描かれているのは、典型的な旧家の姿です。家に縛り付けられた女性、夫は放蕩三昧……。店がにぎわっていても、どこか滅びを予感させる重い空気が漂っています。
「いのち」につけをためている徳永がどのような男なのか、若者なのか年老いているのか、何を生業にしているのか、なぜつけをためられるのか。読者にはなにもわかりません。
それが、店にあらわれた徳永自身の口からしだいに明かされていきます。その語りの面白さこそ、本作の魅力なのです。
- 著者
- 岡本かの子
- 出版日
- 2011-04-15
店にくめ子しかいない夜、それを見越したように徳永が再び店にやって来ます。彼の口から語られる、店との関係、生へのあくなき欲求。特にくめ子の母親の存在は、本作のタイトル「家霊」そのものです。
「斜陽族」は太宰治が1947年に発表した『斜陽』から生まれた流行語ですが、それより10年近く前に、旧家の「負」の凄みのようなものを描き出した本作などは、「斜陽族の元祖」といわれることもあります。
実は作者の夫も放蕩癖があったことで知られています。作品と彼女の苦労を重ね合わせると、実感としてその大変さが伝わってくるようです。
死にゆく前の一瞬の華やぎ、何かに憑かれたような人々の姿。その中で、主人公のくめ子の、旧家の娘という宿命への忍従と、それでもどこかで救いを信じている気持ちとの揺れが描かれています。その狭間で折り合いをつけながら生きていこうとする、ラストの描きぶりも見事です。
さて、この次は最後に原作から映画作品ではどんなところが見所になりそうかを考察していきましょう。
映画『越年 Lovers』のもとになっている小説が書かれたのは80年前です。それを古いと一蹴せず、このタイミングで映画化しようと試みは、とても挑戦的ではないでしょうか。
そんな映画は、3幕構成。「越年」をもとに、2019年の台北とマレーシアのクアラルンプールを舞台にする「新年出演」が第1幕。「家霊」をベースとして台湾の田舎の食堂を舞台を移した「平凡的愛情」が第3幕。
その間の第2幕として、学生時代に想いを寄せ合った男女の姿を、故郷の山形の冬景色を背景に描くオリジナルストーリー「追憶の風景」が差し込まれています。この山形パートでは、ともに山形出身の峯田和伸と橋本マナミが山形弁で演じています。
- 著者
- 岡本 かの子
- 出版日
- 2019-08-23
郭珍弟監督は、何に駆り立てられて人は愛を求めるのかについて、岡本の愛の解釈に感銘を受けたそうです。映画では、時代も場所も設定が移されていますが、その変化があるからこそ、作者のものの見方、考え方も自然な姿で蘇るといえそうです。
また、社会性を感じるシーンも多く出てくるでしょう。小説「越年」の主人公が勤めるのは拓殖会社。第二次世界大戦前、日本には植民地で開拓や植民事業をおこなう国策会社が多数設立されました。
監督は、小説「越年」にグローバル化する現代の台湾企業の姿を見るようだともインタビューで述べています。山形パートで主人公が再会する女性は、長く暗い冬を、東北の片田舎で大雪に閉じ込められたように過ごしてきた人物。
病身の母を抱え、代々続いた写真館を守っている姿は、オリジナルストーリーでありながら、岡本作品に登場する旧家や女性たちに重なるものがあります。
愛と変わりゆく社会で守るものがある人の姿を描く本作ですが、雰囲気は原作と同じく、軽快なものになりそう。峯田和伸は、『サムライ』や『リスボン特急』で知られるフランスの映画監督ジャン=ピエール・メルヴィルの名を挙げ、あっさりした演出がジャン=ピエール・メルヴィルのようで好きだった、と述べています。
素朴な演出だからこそ、それぞれの幕で描き出されるテーマに思いを巡らせながら見ることができそうです。
岡本かの子の原作を読み、映画ではそこに新たな命がどのように吹き込まれたのか、比較してみる楽しさがきっとあることでしょう。映画も原作もご覧になって、より深く作品を楽しんでみてはいかがでしょうか。
映画『越年 Lovers』は、日本、台湾、マレーシアと内外で撮影された映像も楽しみです。山形とクアラルンプールでは温度差が60度近くもあったそうで、監督はインタビューで、その温度差を冷たくも熱くもなるのは愛情のようと例えています。
また、映画では舞台も見所。山形県は、日本の雪景色を撮りたいという監督の希望で撮影場所に選ばれ、岡本太郎ゆかりのホテル「ル・ベール蔵王」でも撮影されたといいます。ぜひ、時空を超えた小説・映像体験をお楽しみください。