日々仕事に忙しく追われ、読書をする暇なんてない……という方にもおすすめなのが、エッセイ。短く濃縮されたエッセイ集は、時間に捕らわれず、通勤列車の中や休憩時間に少しずつ読むのに最適です。 時に知的に、時に暴走しながら綴られた赤裸々な文章に共感したり、首を傾げたり。今回はそんな女性作家のエッセイを5作ご紹介いたします。
向田邦子は、昭和の放送作家として記憶にとどめている方が多いかもしれません。様々なテレビドラマの脚本を手掛けて、名を知られた方です。
『父の詫び状』に続く二冊目のエッセイ集がこちら、『眠る盃』です。
随筆集としてまとめられているこの本には、特定のテーマはありません。
様々な媒体で書かれたものを一冊にまとめたため、内容も長さも一定ではありません。
短いものは五行程度で終わってしまったりもするのですが、ほんの短い文章でさえもドラマのワンシーンのような含蓄を感じてしまう、そんな魅力があります。
- 著者
- 向田 邦子
- 出版日
- 2016-01-15
タイトルの『眠る盃』は滝廉太郎作曲「荒城の月」の歌詞、めぐる盃から取られたものですが、そのいきさつを語ったものが三番目に収録されています。
人の名前や言葉を間違って覚えてしまうという、誰にでもあるちょっとした失敗ですが、眠る盃になったいきさつには背景があります。
宴会の帰りに飲み直しとばかりに客を連れ帰る父の姿。
酔い潰れて眠る父の横に転がる杯。酒は水とは違う、と向田邦子は語ります。
少女であった彼女はこの時、重くけだるく揺れる酒と杯が眠っているように見えたというのです。
そうして「めぐる杯」が「眠る杯」になり、いつしか間違えて歌ってしまうようになったのだそう。
何気ない言葉ひとつひとつに情景がある。遠くなってしまった昭和の光景を、豊かな文章で垣間見せてくれる、そんな向田邦子のエッセイ集です。
著者に関しては今さら説明する必要もないでしょう。テレビ史と共に生きた破天荒な感性を持つ黒柳徹子の半生を綴った一冊です。
二度映像化されたのでそちらを記憶している方も多いでしょう。
代筆に頼らず、本編のすべてを黒柳徹子自ら執筆した自伝です。この独特の感性は映像だけでは伝わりにくいもの。ぜひ本を手にとってみてほしいものです。
タイトルの「トット」とは黒柳徹子の渾名。一人称形式にせず、自分自身である「トット」を主人公に創生期のテレビ業界を舞台にし、小説のような形式になっています。
- 著者
- 黒柳 徹子
- 出版日
- 2016-02-27
例えば「無色透明」というエピソードの一節。
六千人の中からオーディションで選ばれたトットはその理由を聞いて驚きます。
曰く、あなたはとても試験の成績が悪かったから、これだけなにも知らないならかえって手垢がついてなくていいだろう。一人くらいそういう子をいちから育ててみよう。
「無色透明! そこが、よかったんですよ」
あんまりな理由です。
それをわざわざ本人に言ってしまう相手の自由奔放さ、それに対して「どう考えても、そんなことはない」と思い込むトットのかわいらしい頑固さ。
美人ではないけれどキュート。演技達者なわけではないけれど、どこか天然で強烈な存在感のある、黒柳徹子の魅力が詰まっています。
まるで他人事のように語られる、どこかとぼけた文章にいつの間にか引き込まれていることでしょう。
おもわず、ここまで書いて大丈夫なのかな?と心配になってしまうくらい、赤裸々に書かれたエッセイです。
エッセイストと女優、一見接点のないふたりにはいくつか共通点があります。
同じ大学出身であること、父親が著名な作家であること。美しい女性でありながら○○なこと。
そんなふたりが食べることをテーマに交互に綴っています。
往復エッセイと銘打たれているだけあって、本書には一方の問いかけに対してもう一方からアンサーがあります。その掛けあいも共著であるからこその魅力。
知的な女性ふたりが交互にエッセイを綴る、などと聞けば、感性豊かで優雅な文章が綴られているのだと想像してしまうところですが、なんとのっけから相手の幼少期を「イケ好かないガキ」呼ばわり。本書の中でアガワ、ダンフミと呼び合うふたりの関係は、なかなかに辛辣で、時に赤裸々です。
- 著者
- ["檀 ふみ", "阿川 佐和子"]
- 出版日
- 2001-06-25
「米を研ぐ女」からの「よく食う女」では、炊飯器を持たないアガワの自炊事情が語られます。
お茶漬けが食べたいと言うダンフミに「うちに来る?」と誘いながら炊飯器を持たないアガワ。冷凍ご飯があるかと思えばそれもなく、アガワはその場で米を研ぎ始めるのです。
その時見た光景に恐れおののくダンフミ。
アンサーではおびえた様子なんてちっとも見せなかったのに、やっぱり女優ねと答えるアガワ。
同じ場面を語っていても、ふたりの視点の違いが面白い。
一粒で二度美味しいとはこういうことでしょうか。
下品になりすぎず、相手を罵っても敬意を忘れず、でもやっぱりひと言余計。そんな絶妙なさじ加減で最後までさわやかに面白く読ませてくれるエッセイです。
もはや「出オチ」とでも呼ぶしかないタイトルですが、著者は元美術学芸員。納得の知識で、神仏にまつわるあれこれを語っています。
作家としては怪談実話や伝記物の小説が有名でしょうか。専門家が専門分野を語るのだから面白くないはずがありません。
なんだかハードルが高そうだな……と思った方はとりあえず前書きから少し覗いてみましょう。
「この間、××僧正ったら、ご祈祷中に不動明王に逢ったんだってぇ」
「えー、マジ!? いーなぁ。私もご一緒すればよかった」
なんとも気の抜けるやりとりですが、これは某時代・某密教寺院のやりとりを想定した著者の妄想会話。
オカルトもゴシップも大差ないと言い放つ、著者のノリは終始この調子です。
- 著者
- 加門 七海
- 出版日
どこか気の抜けるイラストや、実物の写真も多く掲載され、好きな人にはたまらない、特に興味がない人でも、読んでいるうちに興味が湧いてくる……そんな吸引力のある魅力にあふれた一冊です。
なんだかいかめしいタイトルですが、内容は「ダラダラしつつ本を読む」こと。ゆるいテーマですが、このダラダラがとても面白い。
出てくるタイトルは、純文学から少女小説、マンガまで幅広いですが、メインに据えてじっくり語ったりはしません。
女の子は何故可愛い子が多いかという話に始まり、かつて見ず知らずの男に「ブス」呼ばわりされた三浦しをんの経験を語り、さて前フリ終わり! 本の話を……と続いたところで、飽きたとばかりに唐突に終わる、という自由気ままさ。
時にまるごと執筆を友人の山田に丸投げし、時に突然対談を始め、気まぐれに読んだ本の感想、もとい妄想を語り始めたり、始めなかったり……。
- 著者
- 三浦 しをん
- 出版日
少々の自虐を自らのツッコミで昇華させるスタイルで、むちゃくちゃな持論をどんどん展開させたかと思えば、突然脱線する、まるでジェットコースターのようなエッセイ集。
ただし低速。あくまでダラダラ、堅苦しくないのが本書の魅力です。
このジェットコースター、脱線してもそのまま突き進んでしまうので、語っている本の内容がまるで分からない(そもそも語ってすらない)ことも多いのですが、かえって読みたくなってしまうから不思議なものですね。
三浦しをんのエッセイ、おすすめです。