独特な文体で、小説の常識を飛び越えていく作家・山下澄人。彼の描写は、まるでその様子を実際に見ているかのように、鮮明に心に残ります。ここでは、多くの作品が、次々と文学賞候補に上げられている注目の作家・山下澄人のおすすめ作品をご紹介していきます。
1966年、兵庫県に生まれた山下澄人は、神戸の高校を卒業後、倉本聰の富良野塾へ、第二期生として入塾します。その後劇団FICTIONを主宰。山下澄人は脚本の製作や演出、出演までをこなしていました。
2011年頃から、小説を積極的に執筆するようになり、2012年『緑のさる』でデビュー。野間文芸新人賞を受賞し、その独特な作風が話題になりました。これまでに『ギッちょん』『砂漠ダンス』『コルバトントリ』『しんせかい』が、次々と芥川賞候補となり、山下澄人は今後が楽しみな注目の作家です。
デビュー作にして、いきなりの野間文芸新人賞を受賞した注目作『緑のさる』。小説の常識を、根底から覆してししまったかのような斬新な山下澄人の作風が、多くの人に衝撃を与えました。
主人公の男性は、葬儀屋のバイトを終え、劇団の稽古場へ向かう電車に乗っています。ひょんなことから、劇団員が3人しかいないこの劇団は、解散することになってしまい、することがなくなった「わたし」は、ふと海へ行ってみたくなります。物語はここから、辻褄もストーリーも凌駕した、不思議な異空間へと迷い込んでいくのです。
- 著者
- 山下 澄人
- 出版日
- 2012-03-16
だからと言って、文章が難解で複雑なわけではなく、むしろ単純で淡々とした様子で、ふわふわと物語は進んでいきます。夢なのか現実なのか、未来なのか過去なのか。あらゆるものが自在に形を変え、頭の中に入り込んでくるような不思議な感覚を覚えます。今までに読んだことがないような斬新さにもかかわらず、作品は決して破綻しておらず、その絶妙なバランスが魅力的です。
ルールや常識に囚われない、奇妙な世界でありながら、リズミカルでテンポの良い文章に、心地よく浸れる山下澄人のこの作品。頭を柔軟にして、主人公と共に、この世界へと迷い込んでみてはいかがでしょうか。
主人公の「わたし」が、様々な人や動物の、内側に入り込んでいく物語『砂漠ダンス』。山下澄人の芥川賞候補にもなった表題作『砂漠ダンス』の他、書き下ろし作品の『果樹園』が収録されています。
「わたし」はタカハシと名乗っていますが、タカハシではありません。ある時ふと、砂漠が見たくなり、「わたし」は遠い外国の砂漠まで行くのですが、そこから「わたし」は、時空を超えるように、コヨーテになったり、様々な人になったりします。しかも「わたし」が入り込んだ人の意識はしっかりとあり、「わたし」の意識も確かにその人の中に存在するのです。
時間も場所の区別もつかなくなるなるほど、あっちこっちに飛んでいく「わたし」の様子は、読んでいてくらくらするほどです。
- 著者
- 山下 澄人
- 出版日
- 2013-08-13
普通小説では、登場人物の思考は、ある程度整理され、わかりやすくまとめられているものです。ですが、私たちの実際の思考は、ふとまったく関係ないことを考えていたり、なんだっけと忘れてしまうことが多々あったりするものですね。山下澄人の今作では、そんな人間の実際の思考を、そのまま文章にしているような表現が多く、自分も一緒になって体験しているような感覚になってしまうのです。
まったく新しい形の小説で、なんとも不思議な気分を味わえることでしょう。人によって、いろいろな感じ方がありそうな物語ですから、興味のある方には、ぜひ一度読んでみていただきたい山下澄人の作品です。
過去と未来を行き来しながら、視点をころころと変えて、生と死について綴る物語『コルバトントリ』。芥川賞候補にもなった山下澄人のこの作品は、主人公の「ぼく」を通して、あらゆる出来事が走馬灯のように流れていく物語で、山下澄人独特の作風が、遺憾なく発揮されています。
「ぼく」の父親は入院中です。母親は昔、車に撥ねられて亡くなりました。「ぼく」は、古いアパートでおばさんと暮らし、たまに病院まで、父親のお見舞いに出かけます。物語の冒頭から、突然に景色を歪め、まるでこの世の人ではないような登場人物たちが、続々と「ぼく」の前に現れるのです。
- 著者
- 山下 澄人
- 出版日
- 2014-02-10
「ぼく」が小学生ということもあり、文章は端的でわかりやすく、山下澄人作品の中でも、読みやすい作品になるのではないでしょうか。時間軸というものがまるでなく、父親は子供の頃の姿で現れ、亡くなった母親は若い頃の姿になって登場します。友達のマエシバは、40歳になる2日前に、病気で死んでしまうようなのですが、「そのことをぼくは知らない」。作品全体に死というものが漂い、無性に切ない気分にさせられます。
過去と未来をこれほどばらばらに登場させ、「ぼく」の視点から唐突に違う視点へと変わる場面も、多々あるにもかかわらず、不思議と出鱈目さを感じることはないのです。生と死の狭間を、浮遊しているかのような気分を味わうのと同時に、その文章の巧みさにも驚かされる山下澄人の作品です。
生活の中にあるものすべてを脱ぎ捨て、自由を求め山に登る主人公の姿を描いた『ルンタ』。山下澄人のこの作品もやはり、斬新な手法で生と死について存分に描かれています。表題作の『ルンタ』の他、「星になる」の2篇が収録されています。
1人で暮らす主人公の「わたし」は、ある日住んでいた部屋を捨て、山へと向かいます。「わたし」はもう、人間としての暮らしにはうんざりで、いずれは履いているスニーカーや、着ている服さえもすべて脱ぎ捨てて、自由になろうと考えています。
山を登る「わたし」の前には、死んだ叔母や友達の中西、2ヶ月前まで一緒に暮らしていたユという女など、例によって様々な不思議な人物たちが現れます。馬のルンタやクマまでもが物語に加わり、時間や常識など関係ない、不思議な情景に取り込まれていくのです。
- 著者
- 山下 澄人
- 出版日
- 2014-10-29
人の人生を濃密に描いた小説は数多くありますが、生まれる前や、死んだ後のことについて想いを馳せるような小説は、なかなか珍しいのではないでしょうか。生まれる前のことは誰も覚えていないし、死んだ後どうなるかなど誰にもわからないことですが、山下澄人のこの作品を読んでいると、そんなわからない世界のことを想像してみたくなります。
ストーリーを追ったり、頭で理解しようとしたりすると、途端に躓いてしまうこの作品。これまでの、小説を読むという行為を忘れて、ただ文章に身を委ねていると、なんとも心地よい気分にさせてくれるでしょう。
間違えて配達された新聞をきっかけに、学校のある「谷」へ行くことになる、主人公の姿を綴った『しんせかい』。「富良野塾」での経験を彷彿とさせるこの作品。山下澄人は、本当におこった出来事もあるし、なかったこともある、と語っています。表題作『しんせかい』の他、『率直に言って覚えていないのだ、あの晩、実際に自殺をしたのかどうか』の2篇が収録されています。
主人公のヤマシタスミトは、俳優や脚本家を育てるための、全寮制の学校のようなところで、生徒を募集している記事を目にします。そこに応募し、二期生として選ばれた「ぼく」は、学校のようなものがある「谷」へとやってきました。この物語では、「ぼく」がこの「谷」で過ごす、2年間の自給自足の日々が描かれています。
- 著者
- 山下 澄人
- 出版日
- 2016-10-31
わかりやすい文章で、淡々と細かく、毎日の生活を綴っているだけなのですが、とてもリアリティーがあり引き込まれます。まるでその光景を、映像として目の前で見ているような、不思議な感覚になるのです。そこに、主人公の感情などはいっさい書かれていないにもかかわらず、先を読まずにはいられない不思議な力がある山下澄人の作品です。
山下澄人のおすすめ作品を5つご紹介しました。どの作品も、小説とはこういうもの、という概念をあっさりと覆す作品になっています。山下澄人の描く、リズミカルで不思議な世界へ、ぜひ迷い込んでみてはいかがでしょうか。