昭和最大の横領事件を題材にした、鬼才・松本清張の傑作サスペンス小説。金融界の暗い部分をスポットを当てた問題作の『黒革の手帖』。今回はそのショッキングな結末について、ネタバレを含めた考察をしていきたいと思います。
地味で、あまり器量がよくない女性銀行員の主人公原田元子は、さえない人生を送っていくことに嫌気がさし、とある計画を立てます。それは銀行がグルになって脱税している架空口座をひそかにリストアップし、国税に言いつけると脅してそっくり自分のものにしてしまうというものでした。
元子の計画は大成功し、その多額のお金を元手に銀座のクラブのママになります。しかしクラブ経営はうまくいかず、しだいに借金が重なっていき、莫大なお金が必要になったのです。
追いつめられた元子がとった行動は、脱税者たちをリストアップしてある『黒革の手帖』を武器に、次々と(脱税している)金持ちたちからお金をゆすり、だまし取っていくのでした。
- 著者
- 松本 清張
- 出版日
- 1983-01-27
銀行から多額のお金をだまし取り、かねてからの夢だった銀座のクラブのママになった主人公の元子。
そもそも彼女は銀行から金をだまし取り、夢だった銀座一等地で店を構えることができた時点で満足するべきでした。銀行員としてのキャリアを活かし、地道に努力してすこしずつお店を維持していけばよかったのです。
ところが彼女は騙したお金があまりにも高額であったものですから、「こんなにカンタンにお金って手に入るんだ。わたしってもしかして天才かも」とうぬぼれてしまったのですね。これまでの人生では、けっしてスポットライトを当たるような華々しいものではなかったために余計に味をしめてしまったのでしょう。
クラブの経営がうまくいかなくなり、多額のお金が必要になった元子は『黒革の手帖』という門外不出の脱税者たちの名簿録を使って、以前銀行を出し抜いたように再び多額のお金をだまし取る術を思いつきます。
こうやって書くと、いかにも元子が「悪」という感じに見えてくるのですが、しかしなにもだますのは善良な市民ではなく、その逆でその善良な市民がなけなしのお金をで払っている税金を、銀行ぐるみでだまし取っているどうしようもないひとたちです。元子が悪におぼれいく姿を描写している一方で、脱税者たちの巧妙な手口の裏をかいて出し抜いていく頭脳戦も展開されていて、そのみごとな知略戦は読んでいて痛快であり、もはやどちらが悪いのかわからなくなってきます。
上下巻に分かれている『黒革の手帖』ですが、わかりやすくいうと上巻では元子が銀行をだまし、脱税者や高額所得者を痛快に出し抜き、見方によっては「半沢直樹」のような情け容赦なく敵を叩きのめしていく展開が主です。そして下巻になると今度は、元子が悪の限りを尽くしたまるで「半沢直樹」に出てくる悪役のような立場に変化していき、どんどん追い詰められていく様子が書かれているのです。この激しい元子の二面性に「同情の余地なし」「こうなって当然」と言い放つひともいる一方で、「銀行員時代に、真面目さゆえに嫌われていた元子がこうなるのはかわいそう」という擁護する声も少なからずあるようです。
ラストは元子の練った策略がぜんぶ出し抜かれてしまい、病院のベッドに横たわる元子の周りをこれまでだましてきた人たちが囲むという恐怖の結末で、そのあと元子がどうなったかは謎という非常にショッキングな内容なのです。
発刊された当時は1980年ということで、コンピューターもまだまだ発展途上だった時代。その時代の日本の暗黒な部分を、著者の松本清張は作品を通して痛烈に批判しており、彼がいかに日本の未来を憂いていたかを物語っています。
これまでに何度もテレビドラマ化されており、時代を超えたテーマ性を持つ『黒革の手帖』。
どんなに文化が発展しても、人間の持つ深い欲望はあらゆる世代の共感よび、激しい論議を呼び、また同時にどこか惹かれるものがあるのかもしれません。