本は何かの義務で読むものでも、無理して読むものでもない。いみじくも内田百閒の言葉にあるように、「目はそんなものを見るための物ではなさそうな気がする(読書について)」「人間の手は、字を書くのに使うものではなさそうな気がする(文筆について)」。
もっともだ。人間の目や手は、まず生活と愛情のために使われるべきだろう。あるいは逼迫した事態のときに。本は読みたかったら読めばいいし、気が進まなかったら頁を繰る必要もない。本とは読まれるのを待っているものであって、向こうから勝手にやって来るものではないからだ。そこが本の良さでもある。
数年ほど、まったく小説を読まない時期があった。それは自分が大貧乏にあえいでいた頃で、他人が作った話を読んでも腹が満たされるわけではなし、また煩悶する精神に何らかの曙光が差すのでもない。絵空事であればあるほど、つまらない。
小説どころか、テレビ、映画、スポーツ、エンターテインメントと呼ばれるもののほとんどが遠い世界の出来事に思えて、いたずらに苦痛を覚える(以来、いまだに僕はテレビを見る必要を感じない)。それでも活字には愛着があったのか、なけなしのお金をはたいて、時々は古本屋で哲学や宗教の本を買った。
もう自分は小説に心を躍らせることなどないかもしれないな、そんなことを思い始めていたある日。病院の待合室で、所在なさにたまたま置いてあった少年漫画誌を手に取った。適当に読み飛ばすうち、ある漫画だけが矢鱈に面白く感じられた。
「哲也―雀聖と呼ばれた男」──少年漫画に今時麻雀とは場違いな気もしたし、また自分はギャンブルに興味などない。しかし、およそスマートとはいえないキャラクターたちの、何と生き生きとして魅力的なことだろう。有り体にいって、その頃の僕のやさぐれた気持ちに見事に合致したのだ、すぐさま既刊のコミックスを漫画喫茶で読破し、作家・阿佐田哲也がモデルらしいというので、次には氏の作品を読み漁った。
驚愕した。率直な感想を述べるならば、小説は捨てたもんじゃない、だ。これまでにこのような作風は読んだことがない。いわゆるインテリが書いたものとはまったく違っていて、鼻につく嫌味などなく教条的でもない、登場人物のほとんどが放蕩者であるにもかかわらず、そこはかとなく優しさと上品な香りさえ漂っている。何より、生きた文章である。
世の中にはまだまだ読むべきものがあるし面白いものがたくさんある、そのことを教えてくれた阿佐田哲也──色川武大の作品を、今回は紹介してみたい。
「麻雀放浪記(一)青春編」 阿佐田哲也
- 著者
- 阿佐田 哲也
- 出版日
冒頭部分からして、ぐいぐいと作品に引き込まれる。終戦直後、人々がいかに今日を生きるかに汲々としていた時代、豪雨の上野のチンチロ部落にフリークスのような男たちが集まって来る。即席の鉄火場。明けて翌朝、御徒町のバラックにて供される銀シャリと熱い味噌汁──緊張と緩和である。大衆小説はこうでなくてはと思わせる。
阿佐田哲也名義は、本来純文学作品を書きたかった色川武大(本名)が、原稿料稼ぎのためにやむなく始めたものだというが、肩に余計な力が入っていないせいか実に伸び伸びと筆致が冴え渡っている。
散りばめられた麻雀の符牒、イカサマ技の数々も面白いし(専門用語ほど人は興味津々になる)、登場人物がまた個性的で痛快である。誰一人としてまともな人間はいない。皆欠点と葛藤と弱さを抱えつつ、勝手気儘に、むき出しの生を生きている。ただのピカレスクロマンといってしまうのは簡単だが、人間は自由に生きれば不格好にならざるを得ない、しかしそうした在り方こそ魅力を放つと示唆してくれるようである。
本巻の末尾に坊や哲は、死闘の卓を囲んだ仲間のような敵のような男たちに精一杯の友情を抱く。同様に読者もまた最後には、上州虎に、ドサ健に、出目徳に、女衒の達にいいしれぬ愛情を感じているはずである。
「ギャンブル党狼派」 阿佐田哲也
- 著者
- 阿佐田 哲也
- 出版日
阿佐田哲也に心酔するといやでも麻雀を覚えたくなる。むろんルールに不案内でもどの作品も楽しめるが、最低限手役ぐらいは知っておかないとさっぱり分からない部分が出てくる。僕も何冊か麻雀入門書を購入し、覚えた。その頃の仕事仲間と連れ立って雀荘で徹マンもした。やはり彼らに対し不思議な友情が芽生え、僕が初心者だからかもしれないが、負かした相手にすまないという気持ちすら湧いた。
麻雀小説だけでいうなら『牌の魔術師』が秀作揃いでお薦め。が、ここではもう一冊、文学的香りのある『ギャンブル党狼派』を挙げておきたい。
第一話スイギン松ちゃん。松ちゃんが窃盗したバイクを転売するために、「私」を後ろに乗せて埼玉県の浦和に向かう。町はずれの林の中には焚火が焚かれ、怪しい男たちが右往左往している。ほんの短い挿話だが、暗がりに蠢く不埒な男たちの姿がありありと目に浮かんでくるようで、卓越した描写力だ。
第三話シュウシャインの周坊。友だちが欲しかった。……書き出しのこの一文だけでノックアウト。そうだ、阿佐田哲也(色川武大)の小説の最大の特徴とは、人間は絶対的に孤独だとの認識に尽きる。だからいたずらに他人とは馴れ合いにならないし、他者への容認、優しい視点も自然と生まれてくる。孤独と屈託、それに由来する弱さは誰しも抱えているものであり、そのことを笑ったり責めたりしてはいけないのである。
阿佐田の小説を色に例えるならば、モノトーン、それも軽佻浮薄なところのない沈潜した黒だろう。