2021年3月のリリース以来、人気が過熱しているソーシャルゲーム『ウマ娘プリティーダービー』。『ウマ娘シンデレラグレイ』はそのスピンオフ作品で、オグリキャップを主人公にしたスポ根漫画です。史実準拠のストーリーが面白く、漫画ならではの表現力、演出でゲームに劣らない人気。売り切れも続出するほど!この記事ではそんな『ウマ娘シンデレラグレイ』の魅力や見所、元ネタについてご紹介していきます。
『ウマ娘シンデレラグレイ』(以下、「シンデレラグレイ」)は2020年6月から集英社の青年漫画雑誌「週刊ヤングジャンプ」で連載されているスポーツ漫画です。アプリゲーム『ウマ娘プリティーダービー』(以下、「ウマ娘」)の公式スピンオフで、ゲームにも登場するオグリキャップを主人公に据えた作品。
ゲームの「ウマ娘」は実在の競走馬を元にして、擬人化された美少女キャラクターによるレースを楽しむ育成シミュレーションです。ハイクオリティの3DCG、練り込まれたゲーム性、感動的なストーリーで2021年3月の配信開始から即座に人気が沸騰しました。関連コンテンツはもちろん、登場するキャラクターをきっかけにして過去の競走馬に関心が向かい、現実の競馬も盛り上がるという逆転現象も起きています。
「シンデレラグレイ」はそんな状況に後押しされ、既刊16巻までの書籍版電子版の累計発行部数が650万部を突破しました(2024年9月現在)。2021年に第1巻が発売された当時は各地の書店やネット販売で売り切れが続出し、「次にくるマンガ大賞2021」コミックス部門第2位に輝くなど、名実ともに大人気作品となっています。
当初ゲームの波及効果で注目されたのは間違いありませんが、「シンデレラグレイ」がここまで売れているのは、純粋に漫画として面白いからに他なりません。
キャラクターの個性が際立つ美麗な作画に、史実をベースにした胸躍るライバル達の激突。一見すると典型的な擬人化萌え漫画かと勘違いしてしまいますが、「シンデレラグレイ」の本質は秀逸なスポ根漫画です。競走馬モチーフという点で言えば、往年の名作ジャンプ漫画『みどりのマキバオー』を想起させる部分もあります。
あまりにも熱い展開の数々に、ファンからはアニメ化待望の声も出ている「シンデレラグレイ」。この記事ではその魅力と見所を史実と照らし合わせながら、たっぷりとご紹介していきます。
物語の舞台は現実によく似たパラレルワールド。そこには生物としての馬がいない代わりに、馬耳や尻尾を持つ人間によく似た「ウマ娘」がいました。ウマ娘は例外なく競争が得意で、人々はその走る姿に感動し、いつしか彼女達のレースはアイドル性と力強さを兼ね備えた世界的エンターテインメントになっていました。
もちろん日本も例外ではありません。しかし「皇帝」シンボリルドルフが一線を退いて以来、花形であるはずの日本中央レース界はどこか精彩を欠いていました。……ある芦毛のウマ娘が、岐阜カサマツに現れるまでは。
そのウマ娘の名はオグリキャップ。
地方で燻っていたトレーナー北原穣(きたはらじょう)は彼女の中に、人々が夢を託すたぐいまれなスターの素質を見出しました。北原の指導を受けたオグリキャップは見る見る頭角を現し、地方の枠組みを遥かに超える圧倒的強さで激走。やがて日本中にその名が轟き、オグリキャップは「怪物」と呼ばれようになります……。
「シンデレラグレイ」には競走馬をモチーフにしたウマ娘が多数登場しますが、数え上げていけばキリがないため、ここでは主要キャラクターに絞ってご紹介していきます。
まずは主人公オグリキャップ。元ネタは第2次競馬ブームを牽引し、「芦毛の怪物」と称された同名の名馬です。初登場時カサマツトレセン学園所属でしたが、地方に収まる実力でないことから、単行本2巻でスカウトを受けて中央に転属します。
パッと見でクールな印象を受ける芦毛(白毛と黒毛の入り交じった灰色の毛並みのこと)のウマ娘ですが、実はかなりの天然です。物言いはぶっきらぼうなものの、ズレた発言で場を和ませることもしばしば。大食いの多いウマ娘の中でも、特に桁外れの健啖家です。
赤白黄色の3色のセーラー服が特徴で、これは史実でオグリキャップに騎乗した武豊の勝負服に由来しています。この配色に関しては「芦毛の(白い)怪物」という史実の異名から連想して、「連邦の白いやつ」こと初代ガンダムをオマージュしているのかもしれません。
そんなオグリキャップをサポートするベルノライト。劇中のレースにはほぼ出走しないものの、実家がスポーツ用品店ということもあって知識が豊富で、公私に渡ってオグリキャップを支える縁の下の力持ちです。
ベルノライトは同名馬のいないオリジナルウマ娘ですが、オグリキャップと同時代に笠松競馬場で走っていたツインビーがモチーフでしょう。コナミの同名ゲーム『ツインビー』のパワーアップアイテム「ベル」と、主要人物ライトをかけ合わせた名前と思われます。コナミはスポーツクラブの経営でも有名なので、そこから実家のスポーツ用品店が設定されたのでしょう。
そしてオグリキャップのトレーナー、北原穣。担当ウマ娘と東海ダービーを制覇するのが夢で、無名トレーナーながら的確なアドバイスによって、オグリキャップの才能を伸ばしていきます。40代近いおっさんですが、キャラクター間における立ち位置は完全にヒロイン。
北原はオグリキャップの転属関連で見せた複雑な言動から推察するに、史実における笠松時代の馬主と調教師、騎手の3人をミックスした人物のようです。ちなみに北原が作中で一度口にする自称「キタハラジョーンズ」はオグリキャップの弟、オグリトウショウの幼名「インディジョーンズ」が元ネタの可能性があります。
「シンデレラグレイ」が最初に注目されたのはゲーム「ウマ娘」の影響ですが、その後爆発的に売れたのは、1つの作品として優れていたからに他なりません。
史実を落とし込んだ絶妙なアレンジ、胸の躍る活躍と格好いい演出、そして「シンデレラグレイ」で描かれる新たな「ウマ娘」世界の視点。ゲームのファンだけでなく、競馬ファンも唸らせる本作の3つの魅力を、ここから詳しくご紹介していきます。
「シンデレラグレイ」最大の魅力は、実は漫画としての面白さにあります。各キャラクターの走りに賭ける情熱。レース本番までの練習の積み重ね……。それらが時に小ネタを挟みつつも丁寧に展開されるので、史実の競馬をまったく知らなくても、スポ根モノとして問題なく楽しめるようになっています。
とはいえ、単にスポ根というだけだと読む人を選んでしまいがち。「シンデレラグレイ」は可愛さの中に格好よさもあるキャッチーな作画なので、老若男女関係なく受け入れやすくなっています。
ストーリーの魅力として、ライバル同士のデッドヒートの熱さは完全に正統派少年漫画のそれ。全力のオグリキャップがホラー漫画の怪人じみた異質なタッチで描かれたり、「稲妻」の異名を持つウマ娘が帯電現象を起こしたりと、けれん味たっぷりの誇張表現はバトル漫画顔負けの迫力です。
さまざまなやりとりの中で垣間見える、ウマ娘達の豊かな感情表現にも要注目。顔つきだけでなく、馬耳の動きまで駆使した微妙な感情の発露が見事です。言葉とは裏腹な(あるいは言葉以上の)想いが、手に取るようにわかります。
さらに演出の素晴らしさもずば抜けています。見せ場でしっかり見開きを使ったかと思えば、意表を突く繊細な描写(特に2巻、3巻ラスト)もあり、作画担当・久住太陽の表現力にはただただ脱帽するしかありません。用語や競馬を知らなくても、ただ読んでるだけでワクワクさせられます。
全体的には少年漫画のテイストに近いですが、夢や希望だけでなく現実の厳しさを見せつけられる、青年漫画ならではのほろ苦い展開も見所です。このように「シンデレラグレイ」は「ウマ娘」や競馬を抜きにしても、漫画好きの読者が楽しめる非常に優れたスポ根作品となっています。
スポ根漫画らしい激闘も見所ですが、卓越したストーリーも忘れてはいけません。読者をアツくさせる「シンデレラグレイ」の物語。「ウマ娘」としてのアレンジや脚色はもちろんされていますが、ほぼ史実通りということに驚かされます。
格下の地方から中央へ移籍して破竹の快進撃、芦毛馬の外見とシンデレラ(灰かぶり)の一致……記録だけ見れば、名実ともに絵に描いたようなシンデレラストーリーに思えるでしょう。しかし史実のオグリキャップが歩んだ道は、決して順風満帆とは言えませんでした。
最初の馬主と調教師のこだわりと挫折、2度の馬主交代と無茶な出走ローテーション、そして日本競馬界に一石を投じたクラシック登録問題……。数々の苦難を経てなお、オグリキャップは見事に走り続けました。そしてそんな地方出身の馬が、エリート揃いの中央競走馬たちを薙ぎ倒していくさまに人々は熱狂しました。
こうした実際の出来事の光と影も、「シンデレラグレイ」にしっかり反映されています。語り尽くせないほど波瀾万丈だった史実が、擬人化されることによってよりドラマチックかつ感動的展開に変化しており、往年の競馬ファンなら思わず目頭が熱くなるはずです。再現といえば、オグリキャップの天然大食いなキャラ付け、柔軟な体を活かした独特な走法も史実を汲んだものです。これら競馬ファンのツボを突く設定も非常に好評です。
「シンデレラグレイ」は事前知識なしで読んでも充分面白いですが、元ネタのオグリキャップを知っていればいるほど、より一層楽しめる作品となっています。
作品の面白さを繰り返しご紹介してきた「シンデレラグレイ」ですが、「ウマ娘」のメディアミックスとして読んでも興味深い点があります。それは世界観の拡張です。
「ウマ娘」は基本的に、現実の中央競馬をモチーフとした中央レース=トゥインクル・シリーズがメインとなっています。一方で地方競馬に相当するローカル・シリーズについては、ゲームの一部シナリオで軽く言及される程度で、具体的にどんな状況かまったく不明でした。
そんななかで発表された「シンデレラグレイ」。オグリキャップの出身地であるカサマツレースにスポットが当てられたことで、地方の実態がようやく判明しました。
作中の説明によると現実の地方競馬場に対応する日本各地、全15箇所にレース場(おそらく地方トレセン学園も)があり、大半の地方ウマ娘は基本的に所属地方のレースにしか出走しないようです。
しかも中央と地方ではウマ娘の実力、人気ともに相当な格差があることも、カサマツトレセン学園教師や名もなきウマ娘の言動から読み取れました。地方でどれだけ戦績を挙げても、中央の足元にも及ばない。ウマ娘のアイドル的活動から華やかな世界に思えますが、実は徹底してシビアなのが伝わって来ます。
こういった設定を踏まえると、「ウマ娘」のゲームやアニメに対する見方がまた変わってくるでしょう。中央トゥインクル・シリーズはまさに日本ウマ娘の頂点を決する場であり、そこに注ぎ込まれる努力や情熱がいかに熾烈か。「シンデレラグレイ」を読んで世界観の理解度が上がると、より一層「ウマ娘」のレースを楽しめるようになっています。
蛇足ですが地方競馬としては、北海道・帯広の地方レースの存在が明かされたのは注目すべきポイントです。帯広と言えばばんえい競馬が有名。もしかするとウマ娘のソリ引きレースが開催されているかもしれません。このまま「ウマ娘」の人気が続けば、いずればんえいウマ娘が出てくるかも……そんなウマ娘世界の地方事情を空想できるのも「シンデレラグレイ」の魅力です。
2024年8月23日、ゲーム「ウマ娘」3.5周年を記念した特別番組「ぱかライブTV Vol.44」にて最新アップデートや初公開ウマ娘、コラボイベントといった数々の情報が公開されました。
その中で大々的に発表された目玉情報の1つが、「シンデレラグレイ」のTVアニメ化です。同時にティーザームービーとアニメ公式サイトが公開されました。制作するのはWebアニメ『ウマ娘プリティーダービー ROAD TO THE TOP(以下、「RTTT」)』、アニメ映画『ウマ娘プリティーダービー 新時代の扉(以下、「新時代の扉」)』を担当したCygamesPictures。
アニメ化について発表されるやいなや、SNSを中心に大変な反響が巻き起こりました。特にX(旧Twitter)ではしばらくの間トレンド入りし続けたほど。アニメ化は「ウマ娘」プレイヤーおよび「シンデレラグレイ」漫画読者がずっと待望していたことではありますが、これにはちょっとした事情があります。
オグリキャップはデビューから引退まで、すべてがドラマチックでした。どこか一部を切り出すことは出来るものの、そんなことをすれば魅力半減。オグリキャップの魅力は彼の競争馬生そのものなので、やるなら全部やらなければ意味がありませんが、どうしても大河ドラマ並みの分量が必要となります。
実馬の人気・実力・知名度ともに充分であるにも関わらず、「ウマ娘」のメディアミックスコンテンツとして単独でやるにはあまりにも長すぎるせいで、これまでオグリキャップの物語はアニメ化に不向きと言われていました。
一方で漫画媒体であれば話は別。数年の長期に渡る連載が当たり前なので、そういった事情から漫画「シンデレラグレイ」の企画が始まったと見られています。
……しかし、状況は変わりました。「ウマ娘」はすっかり浸透して、今や誰もが一度は目にしたことのある世界的コンテンツです。しかも「シンデレラグレイ」自体がシリーズ累計販売数650万部を超える大ヒット作にまで成長しました(参考までに『鬼滅の刃』、『【推しの子】』は最初のアニメ化時点でそれぞれ累計200~400万部程度)。
これほどの人気、売り上げを誇る作品となれば、数年かけて全編映像化することも不可能ではありません。
つまり「シンデレラグレイ」のアニメ化は満を持して行われるわけです。
さて、で気になるのはどこまでが範囲になるのか、というところ。現在判明している情報は制作担当がCygamesPicturesであること、2025年放送予定なことだけですが、メインビジュアルからある程度推察出来ます。
まずメインビジュアルで目につくのは、靴の形で割れたガラスの向こうから振り返るオグリキャップ。やや不鮮明ですがオグリキャップの左上にはタマモクロス、右下にフジマサマーチらしきウマ娘も描かれています。
このメンツであれば、少なくとも序章カサマツ編から第1章中央編入編ラストまで、と考えて良さそうです。おそらく半年かけて放送され、第2章以降は期間を空けて第2期、3期といった形式になるのではないでしょうか。
CygamesPictures担当ということで、映像のクオリティは保証されたようなもの。まだ記憶に新しい「RTTT」、「新時代の扉」では緻密なレース描写で視聴者を驚かせ、場面によっては綺麗さより迫力を重視したダイナミックな構図が圧巻でした。
「シンデレラグレイ」はアクション漫画やスポ根漫画もかくやの展開が多数あるため、そういった描写ですでに実績を上げているCygamesPicturesは完璧な抜擢と言えます。ただし、「RTTT」と「新時代の扉」はどちらも一般的な映画くらいの長さしかありませんでした。
「シンデレラグレイ」全編のアニメ化となると、分割するとしてもかなり長編になるのが予想されます。クオリティを長期間安定させたまま、最後まで完成させられるかはちょっと気になるところです。
とはいえ「RTTT」、「新時代の扉」の美少女コンテンツらしからぬ熱気、力の入れようからすると「シンデレラグレイ」こそCygamesPicturesの本命なのではと思えます。確実にいいものを出してくれると信じて、2025年の放送開始を待ちましょう。
ここからは「シンデレラグレイ」既刊3巻のあらすじと見所をご紹介していきます。
「シンデレラグレイ」には物語の中心となるレース展開から、思わず見落としてしまいそうなちょっとした小ネタまで、史実をベースにした描写が数多くあります。物語には直接関係しないものも多々ありますが、そういった史実由来のネタを探すのも本作の醍醐味。そこで各巻のあらすじとあわせて、細かい小ネタについても解説していきます。
- 著者
- ["久住 太陽", "杉浦 理史", "伊藤 隼之介", "Cygames"]
- 出版日
カサマツトレセン学園に入学したオグリキャップは、期待の特待生・フジマサマーチの存在で注目こそされませんでしたが、北原とベルノライトのサポートで徐々に自分の走りをものにしていきます。
とにかくオグリキャップを際立たせる演出が秀逸です。ノルンエースらの妨害を意に介さない、力強い走りが爽快。その一方、普段は周囲の毒気を抜く天然キャラなのが面白く、親しみやすいです。敵味方を問わず人を惹き付けてやまない、スター性の片鱗が天然要素の中にしっかり描かれています。キャラクター同士の関係の変化も見所。
オグリキャップは作中、幼少期に膝が悪かったと告白します。
これは史実において、右前脚が曲がった状態で生まれたことが元ネタ。脚は献身的な介護で矯正できたのですが、当初は健康な成長も危ぶまれたようで、元気に育ってほしいとの願いから「ハツラツ」という幼名がつけられました。「シンデレラグレイ」ではこれらの逸話が母親の親身なマッサージや、オグリキャップが元気いっぱいなシーンでの書き文字「ハツラツ」に反映されています。
また1巻のオグリキャップはとにかく泥だらけですが、これは史実のオグリキャップが現役時代の間、まだら模様の芦毛だった(芦毛は加齢で毛色が段々白くなる)ことの再現だと思われます。
オグリキャップと序盤に激戦をくり広げる、フジマサマーチにもモデルとなった馬がいます。地方時代のオグリキャップに唯一勝利した馬、マーチトウショウです。微妙に名前が違うのは、マーチトウショウが権利関係のややこしい馬名であるせいでしょう。
作劇の都合で若干変更されていますが、マーチトウショウとオグリキャップの史実での直接対決の戦績は2勝6敗でした。オグリキャップは当時、蹄叉腐乱(蹄の病気)を発症しており、2度負けたのは病気に起因する出遅れのせいとの見方が強いです。
「シンデレラグレイ」ではこういった事情を踏まえて、スタート直前に邪魔されて靴紐がほどけたり、靴を履きつぶしたためにオグリキャップがうまく走れなかった、という風にアレンジされています。
なおマーチトウショウは短距離を得意とした馬だったので、オグリキャップの蹄叉腐乱がなくとも、距離の短いデビュー直後の2戦では勝っていた可能性が高いのです。
- 著者
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準重賞レース「ジュニアクラウン」を終えて、北原はオグリキャップを「中京盃」に送り出しました。東海地方最高峰「東海ダービー」を目指すなら当然の選択でしたが、懸念材料が1つ。北原は事前に、彼の叔父で中央トレーナーの六平銀次郎(むさかぎんじろう)から、「中京盃」を回避するよう言われていたのです。
六平はなぜ回避するようアドバイスしたのか。一抹の不安とともにレース当日を迎えますが、北原の心中とは裏腹に、オグリキャップは見事に快勝してみせます。
この2巻で序章カサマツ編が終わります。オグリキャップとフジマサマーチの熱戦から一転するため、読んでいるとあまりの急展開に圧倒されるでしょう。
2巻で注目していただきたいのは絆です。トレーナー、ライバル、あるいはファン。形は違えど、オグリキャップに対する熱い想いが胸を打ちます。後半のとあるシーンでは、思わず感涙してしまうかもしれません。
オグリキャップを語る上で絶対に欠かせないタマモクロス。作中ではオグリキャップがフジマサマーチを下し、「ジュニアクラウン」を制したのを見て奮起しますが、実はこれも史実に沿っています。
実在のタマモクロスは一般的に遅い4歳でデビュー後、しばらくダートレースなどで走りますが、ほとんど勝ちきれませんでした。ところが1987年10月、オグリキャップが「ジュニアクラウン」で勝利した直後芝に転向すると、まるで呼応するかのように連戦連勝し始めたのです。
馬のタマモクロスが笠松を視察した事実はありませんが、オグリキャップ最大のライバルだけに、なにか運命的な繋がりを感じさせます。
オグリキャップの中央移籍は、史実でかなりのゴタゴタがありました。
連戦連勝していたオグリキャップですが、注目度の高い「中京盃」の勝利で全国に名前が知れ渡りました。同時に方々から中央移籍を打診されるようになったのです。笠松競馬にこだわっていたオグリキャップの馬主は拒否し続けていましたが、2代目の馬主となる人物から熱心に説得され最終的に受諾。これは苦渋の決断でしたが、「東海ダービー」制覇を悲願としていた調教師と激しく意見が対立したそうです。
ストーリーでは北原が優柔不断な態度を取りますが、こういったオグリキャップ陣営の混乱が元になっているのは間違いありません。
ちなみに実際のオグリキャップの中央移籍では、同時に装蹄師が1人付き添って中央入りしています。ベルノライトが中央に同行するのは単なるご都合主義ではなく、キャラクターのモチーフにこの装蹄師の要素を含んでいるためでしょう。
カサマツ編ラストを飾る最終直線の走りで、涙ながらに観客席の北原を振り返るオグリキャップ。この序章屈指の感動的シーンにも元ネタがあります。
地方時代のオグリキャップの騎手を務めた安藤勝己。彼は最終直線で1番手になった時、よく後方を振り返っていました。オグリキャップの笠松ラストランとなる「ゴールドジュニア」でも同様に、大きく左後方を振り返っているのが映像記録に残っています。
この安藤勝己のクセをうまくエピソードに取り込み、涙なくしては読めないあの名シーンが生み出されたのでしょう。
フジマサマーチはレース決着後、オグリキャップより長くレースを走ると宣言しますが、これも史実に関連しています。モデル馬のマーチトウショウが現役引退したのは、オグリキャップから2年後のことでした。戦績でかなわなくても、現役期間は上という意地が感じられます。
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中央に移籍したオグリキャップは、北原の叔父・六平の元でトレーニングに励みます。断念した「東海ダービー」に代わって「日本ダービー」を新たな目標に据えますが……。移籍のゴタゴタでクラシック登録ができていない彼女には、出走権がないと判明。
オグリキャップは自身の「日本ダービー」出走を例外的に認めさせるため、中央の重賞レースで確かな実力を示していきます。
地方で連勝してるとはいえ、中央から見ればオグリキャップは完全に未知数。格下扱いを隠そうとしないウマ娘すら出てきます。そんな逆風の中でも、見事に力を発揮していくオグリキャップが痛快です。
3巻は世論がオグリキャップを徐々に認めて、大きなうねりになっていくのが見所。地方出身のスターの誕生を望むファンの声は、ついに「皇帝」シンボリルドルフすら動かします。果たしてオグリキャップはすべてのウマ娘が憧れるクラシック最高峰レース、「日本ダービー」へ出走できるのでしょうか?
オグリキャップが理事長秘書の駿川たづなに意味深な反応をしますが、オグリキャップの史実とは無関係です。駿川たづなはゲームで元ウマ娘(「幻の馬」トキノミノル説が濃厚)なのが示唆されており、ファンサービス的に描かれただけでしょう。
オグリキャップがクラシック路線(皐月賞・日本ダービー・菊花賞)に出られなかったのはほぼ史実通りです。競走馬が一生に1度、3歳時にしか出られないクラシックレースは、競馬でもっとも重要なタイトルと言っても過言ではありません。特に「日本ダービー」は別格扱いで、そこで勝つことは競馬関係者にとって最上級の名誉です。そのため未登録を理由に、同世代より抜きん出て強いオグリキャップが出られないのは大きな騒動になりました。現実では結局出走できませんでしたが……?
騒ぎの大きさを象徴するものとして、競馬評論家として活動していたタレントの故・大橋巨泉が、オグリキャップを参戦させるよう当時のJRAに異議申し立てしたという話が残っています。作中に登場する競馬記者・藤井泉助と、藤井泉助の書いた記事はこの時の大橋巨泉がモデル。
中央デビュー戦のペガサスステークスで見せた武者震い。心機一転して気合いを入れたことの表現と思いきや、これもオグリキャップが実際にした行動です。
初めて見せたのは本編でも出てきた1988年のペガサスステークス。これ以降、オグリキャップはしばしばゲートイン直前で静止して首を震わせました。大舞台で自分を鼓舞するように見えたことから、まるで武者震いだと親しまれました。
ブラッキーエールとディクタストライカも、フジマサマーチと同じようにモデルから名前が変更されたウマ娘です。それぞれラガーブラックとサッカーボーイ。
主要キャラクターを除く、登場ウマ娘とは権利関係で名前を変えるケースが多いです。しかし変更後も、見る人が見ればちゃんと元ネタを連想できるよう工夫されています。たとえばサッカーボーイは父がディクタスだったので、父の名とサッカーから連想してストライカーを組み合わせ、ディクタストライカになったことがわかります。
サッカーボーイは当時オグリキャップとよく比較された競走馬ですが、直接対決したのは距離適性のない有馬記念の1回だけでした。そのため、現在でもどちらが上か議論されることがあります。ディクタストライカは「シンデレラグレイ」でオグリキャップと同格に扱われてるので、もしかしたら史実にない絡みが見られるかもしれません。
ちなみに本編に登場する脇役ウマ娘のほぼすべてにモデル馬が存在しますが、ノルンエースとルディレモーノ、ミニーザレディの3人だけは完全オリジナル。序盤にいじめをする悪役なので、馬主に配慮して意図的にモデルを設定しなかったようです。
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- ["久住 太陽", "杉浦 理史", "伊藤 隼之介", "Cygames"]
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ついにスタートした「日本ダービー」。クラシック路線の中で最長の歴史を持つこのレースには、1つの格言がありました。もっとも運のあるウマ娘が勝つ。「日本ダービー」は速さでもなく、強さでもなく、巡り合わせを掴んだ者が勝者となる、何が起こるかわからない過酷なレースです。
最終直線で先頭に躍り出るサクラチヨノオーに対して、内からメジロアルダン、外にヤエノムテキが迫り――さらに大外から……。
オグリキャップは宣言通り、ルールも常識も実力で覆します。しかし、その結果は必ずしも彼女が望んだようにはいきませんでした。ダービーの決着には前巻までにあった勝利の高揚とは別種の、納得と沈痛が半々ほどで入り交じった不思議な読後感があります。この辺りは『シンデレラグレイ』ならではの妙味と言えるでしょう。
そして第1章中央編入編は「日本ダービー」を区切りとして終わりますが、激動のストーリーはまだまだ続きます。上半期を締めくくるグランプリ「宝塚記念」をタマモクロスが圧勝。
連勝記録を更新し続ける芦毛ウマ娘の同士の直接対決が、ついに実現する瞬間が刻々と迫ってきています。
オグリキャップが「日本ダービー」に出走できるか否かは、第1章中央編入編の注目点でした。結果は史実通りサクラチヨノオーの勝利。オグリキャップがダービーに参加しているかのような描写は、読者をミスリードする演出でした。
「シンデレラグレイ」は現実に叶わなかったオグリキャップ出走が期待された一方で、1988年の「日本ダービー」はサクラチヨノオーの文字通り一世一代の晴れ舞台だった事情があり、史実へのリスペクトを重視する本作でif展開にするのは色々と問題がありました。
その点、本編でシンボリルドルフがダービーのオグリキャップを幻視した演出は、非常に上手い落としどころでしょう。もしもを強く予感させつつ、波風を立てない素晴らしい構成です。
ちなみにサクラチヨノオーは、オグリキャップと違った理由でダービーに出られなかったマルゼンスキーの子だったり、前年のサクラスターオーの無念を背負っていたりと、不思議なほど「日本ダービー」に因縁のある馬でした。なお全力のサクラチヨノオーの瞳から桜が散っている表現は、ダービー後の史実を示唆しているのかもしれません。
結局「シンデレラグレイ」でも、オグリキャップのダービー出走はなりませんでした。しかし、署名活動やシンボリルドルフの嘆願もあって、URA上層部がルール改定に乗り出したことが描かれます。
実はこれも史実通り。オグリキャップのクラシック未登録問題がきっかけになって、JRAは1992年からクラシック路線の追加登録制度を導入しました。この制度の恩恵を受けた馬は「ウマ娘」にも登場します。テイエムオペラオーとキタサンブラックです。世代の違うテイエムオペラオーの背中が、のちの「夢」の代表として描かれているのはこのため。
オグリキャップは「日本ダービー」の栄冠こそ手にできませんでしたが、日本競馬のルールとのちのすべてのクラシック未登録馬の運命を一変させるという、他の誰にもできない偉業を成し遂げているのです。
1988年の「毎日王冠」ゲート入り前、シリウスシンボリがなぜか暴れだし、レジェンドテイオーとダイナアクトレスを蹴ってしまう事件が起こりました。被害を被ったレジェンドテイオーは発走除外となり、ダイナアクトレスは出走こそできたもののやる気を失って散々な結果に。
劇中ではこのエピソードに実馬の海外渡航経験をミックスし、シリウスシンボリがヨーロッパ仕込みのダンス演舞を披露した際、ロードロイヤルとダイナムヒロインを怪我させる展開にアレンジされています(ロードロイヤルはレジェンドテイオー、ダイナムヒロインはダイナアクトレスがモデル)。
実際のタマモクロスは繊細な馬で、そのせいか食が細く、強さのわりに小柄で細身でした。ところが1988年の秋の天皇賞の直前は調整が上手く行ったらしく、この時だけはよく食べて体調も万全になったそうです。本作では珍しくバカ食いするタマモクロスに対して、ゴールドシチーが驚くシーンとして史実が反映されています。
ちなみにタマモクロス専属トレーナーは小宮山勝美(こみやままさみ)という名前ですが、これは実馬の調教師の氏名をベースに、主戦騎手の下の名前を盛り込んだネーミングのようです。タマモクロスの騎手はのちにオグリキャップにも騎乗しているので、六平の弟子を自称する小宮山も今後、タマモクロス抜きで物語に関わってくるかもしれません。
G1を伺うオグリキャップを激励するため、久々に北原が登場します。実際に関係者の激励があったかは不明ですが、北原の言動はおそらく笠松時代に主戦騎手だった、アンカツこと安藤勝己のTwitterにインスパイアされていそうです。
安藤勝己は元号が変わる際に平成最後のつぶやきと称して、当時の中央でのオグリキャップの活躍を眩しく見ていた、と語っています。劇中で北原がどことなく眩しげにオグリキャップを捉えているのは、この発言を受けた演出でしょう。
ついでながら、この時に北原の持参したお土産にも由来があります。お土産らしいお土産に混じって、ひときわ異彩を放つミニーザレディの五平餅とにんにく。五平餅そのものではありませんが、にんにく味噌を実馬のオグリキャップに食べさせていたという記録が残っています。
馬ににんにく味噌とはちょっと驚きますが、今でも競走馬の持久力アップや夏バテ防止を目的に、飼い葉に配合して与えることがあるそうです。
- 著者
- ["久住 太陽", "杉浦 理史", "伊藤 隼之介", "Cygames"]
- 出版日
勝つのは地方から来た怪物か? 破竹の勢いの現役最強か? 連勝街道を進むオグリキャップとタマモクロスの直接対決が、秋シーズン最高峰のG1レース「天皇賞・秋」で切って落とされます。
いつも通り中団やや後方から前を狙うオグリキャップに対して――最後方からの追込ではなく、まさかの先行ポジションを取ったタマモクロス。芦毛のウマ娘同士による世紀の一騎打ちは、誰も予想できなかった驚きの展開でスタートしました。
5巻の見所はなんと言っても「天皇賞・秋」。同じ芦毛のウマ娘ながら、性格も走り方も何もかもが違う2人の激突に胸が躍ります。手に汗握る実力伯仲の走りを見ていると、どちらが主人公なのか困惑するほど。
後半でクローズアップされるクラシック最後の一冠、「菊花賞」も要注目です。舞台はクラシック路線最長の京都レース場3000m。天才トレーナー奈瀬文乃(なせふみの)の手がけた未知数のウマ娘スーパークリークが、1番人気の皐月賞ウマ娘ヤエノムテキに挑んでいきます。
史実でオグリキャップが登場する以前は、今ほど強い芦毛の競走馬がおらず、「芦毛の馬は走らない(勝てない)」というのが通説でした。ところがJRA重賞連勝記録タイ(当時)のオグリキャップ、史上初の天皇賞春秋連覇に挑むタマモクロスが同時期に出現し、熾烈なマッチレースを繰り広げたことで通説は完全に覆ります。
特に1988年の「天皇賞・秋」は「芦毛と芦毛の一騎打ち」として、2012年にJRAのCMの題材になりました。ちなみに「天皇賞・秋」決着後の欄外にある新聞1面の見出し「風か光か―…」は、同CMに登場したフレーズ。
タマモクロスはデビューから4戦目で落馬事故に巻き込まれて以来、馬群を嫌って後方からの追込スタイルに徹していました。しかし「天皇賞・秋」では主戦騎手・南井克巳がアドリブで先行策を取ります。劇中では小宮山トレーナーが大げさに驚いていますが、史実でも調教師の小原伊佐美が思わず「負けた」と思ったほど驚愕したそうです。
生産牧場が経営不振で閉鎖となり、経営者の錦野昌章は一家離散の憂き目に遭うなど、実馬のタマモクロスは出自が不遇でした。しかし、タマモクロスの天皇賞春秋連覇=日本一達成によって錦野昌章は再評価され、家族とも再会できたそうです。
不思議なことに、タマモクロスが連戦連勝し始めたのは牧場が閉鎖した時期の前後。実馬が生まれ故郷の経営状態を把握していたとは思えませんが……ウマ娘のタマモクロスが日本一にこだわり、錦野昌章モチーフと思われる入院中の恩人「おっちゃん」を励まそうとしたのは、こういった背景が反映された結果でしょう。
元ネタのタマモクロスはかなり気性が荒く、引退後も見学しに来た一般客に噛みつこうとするほど凶暴でした。「シンデレラグレイ」劇中、時折タマモクロスが歯を剥き出しにした表情を見せるのは、実馬の凶暴な一面を再現している可能性があります。
奈瀬のモデルである武豊と実馬のスーパークリークには、逆指名といわれるエピソードがあります。
「菊花賞」で乗る馬を視察した際、武豊はなぜかスーパークリークに袖を引っ張られて、しばらく離れられなかったそうです。自分が馬に選ばれたと感じた武豊は騎乗を決心。見事「菊花賞」で人馬ともに初となるGIタイトルを獲得しました。
奈瀬がスーパークリークを推すのは、このエピソードを元にしているからでしょう。
- 著者
- ["久住 太陽", "杉浦 理史", "伊藤 隼之介", "Cygames"]
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世界の強豪ウマ娘が集う国際招待G1レース「ジャパンカップ」。欧州王者トニビアンカを筆頭に、今年も名だたる海外ウマ娘が集結しますが……各々輝かしい実績を携えて参戦する中、アメリカ代表の1人オベイユアマスターだけが異色の経歴でした。
平凡以下の戦績とG1未勝利というデータ以外、すべてが謎に包まれたウマ娘。六平の指示でベルノライトが密かに探りを入れますが、オベイユアマスターは手の内を一切見せず、逆にオグリキャップの内情を指摘してみせます。
波乱を予感させつつ迎えたレース当日。オグリキャップはタマモクロスの末脚を封じるべく、先行策に打って出ますが……。
「シンデレラグレイ」だけでなく、アニメやゲームを含む「ウマ娘」として初となる海外勢の登場に、物語はいやが上にも盛り上がります。いずれも個性的ですが、特に王者たるトニビアンカの威圧感は別格。底抜けに明るいアメリカンガールな見かけとは裏腹に、何やら不気味な思惑を抱えるオベイユアマスターの動向も見逃せません。
世界のウマ娘を相手にして、オグリキャップとタマモクロスがどんな走りを見せるのか注目してください。
オベイユアマスターのモデル馬はペイザバトラー。名前を本来の「執事に(給金/敬意を)払え」に対して、正反対の意味になる「主人に従え」にする命名センスに痺れます。しかも実名でないことを逆手にとって、改変した名前通りレースを支配するキャラ付けにしたところが秀逸です。
ちなみにペイザバトラーという命名自体は、「報いを受ける、高いツケを払う」を意味する慣用句「pay the piper」のもじりである可能性が高いです。
劇中ではオベイユアマスターが情報戦を制しますが、わざとアメリカで平凡な成績を残したこと以外ほぼ史実通り。
ペイザバトラーは芝の高速馬場が得意だったものの、ダート大国アメリカでは結果が残せず、適性のあった日本の「ジャパンカップ」に賭けて出走しました。主戦騎手クリス・マッキャロンはタマモクロスとオグリキャップを仮想敵にして、過去のレースから馬の癖まで徹底的に研究したそうです。
マッキャロンは併走すると粘るタマモクロスの勝負根性を研究で見抜いており、反則覚悟の斜行(斜め移動)でタマモクロスと並ばず、最終直線で優位に立ちました。
日本行きを勧めたトレーナーは、間違いなくクリス・マッキャロンがモデル。たった数コマしか登場していませんが、容姿がマッキャロン本人とそっくりです。
九州弁で話すのはおそらくペイザバトラーの調教師、ロバート・フランケルの要素。彼の育てたスクワートルスクワートが引退後に日本で種牡馬入りし、九州で優れた産駒を輩出していることに由来してそうです。ちなみにスクワートルスクワートは、2021年に九州産馬初のJRA重賞勝ちと怪我による引退で話題となった牝馬ヨカヨカの父。
道化を演じていたオベイユアマスターですが、第50話ラストで意外な本性の片鱗を見せます。
壁一面に貼った写真や新聞の切り抜きを前にして、華麗に踊るオベイユアマスター。足下をよく見ると、彼女の影の形が「四つ足の生物」=馬のようにも見えます。
設定上ウマ娘世界には生物の馬が存在せず、別世界の馬の魂を受け継いでいることになっていますが、オベイユアマスターの影はこの設定を踏襲した描写かもしれません。
劇中で名前は明かされていませんが、オベイユアマスター(ペイザバトラー)に先着していることから、モデル馬はおそらくサンシャインフォーエヴァー。
サンシャインフォーエヴァーは優れた戦績を記録し、種牡馬として高く評価された馬です。日本の生産牧場も高額でオファーを出したものの、結局は交渉決裂。代わりに近親のブライアンズタイムが購入されたのですが、この馬から「ウマ娘」にも登場するナリタブライアンやマヤノトップガン、ウオッカの父タニノギムレットなど数々のG1馬が誕生しました。
こうして間接的に日本競馬史へ影響を与えたことから、ウマ娘のサンシャインフォーエヴァーをきっかけにして、オベイユアマスターが変貌するストーリーになったのかもしれません。
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- ["久住 太陽", "杉浦 理史", "伊藤 隼之介", "Cygames"]
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日本最強か、欧州王者か、それとも地方から来た怪物が真価を見せるのか――あらゆる予想を覆して、最終直線で飛び出したのはアメリカの伏兵でした。
己の力を証明する。オベイユアマスターとタマモクロスのすべてを賭けた激走の末、ついにGI「ジャパンカップ」決着。その結果は、オグリキャップに力の差を痛感させるものとなりました。
レースの余韻、反省、特訓……密度の濃い日々があっという間に過ぎ去り、1年を締めくくる年末の祭典「有馬記念」の開催日が近づいてきます。ファン投票上位のウマ娘だけが参加できる特別なグランプリレースに、オグリキャップとタマモクロスの出走が決まるのですが……。
オグリキャップの意識の変化や、浮き彫りとなるライバル関係が7巻で焦点の当たるポイントです。従来通りの走りでは乗り越えられない壁にぶち当たり、仲間と一丸になって挑む展開はまさにスポ根と言えます。
ところが次走へ向けて順調に態勢を整え始めた矢先、衝撃的なニュースが発覚。さらに驚異の末脚ディクタストライカ、菊花賞ウマ娘スーパークリークといった油断できない相手が続々と名乗りを上げ、年の瀬の大一番「有馬記念」に向けてストーリーが収束していきます。
オグリキャップらを除く「ジャパンカップ」の着順は、4着ミシェルマイベイビー、5着トニービン。6着以下は劇中で描かれていませんが、元ネタ通りなら6着ムーンライトルナシー、8着エラズリープライドです。
これら「ジャパンカップ」でクローズアップされた海外ウマ娘には、すべてモデルになった馬が存在します。
ミシェルマイベイビー=マイビッグボーイ
トニビアンカ=トニービン
ムーンライトルナシー=ムーンマッドネス
エラズリープライド=ボーンクラッシャー
ほとんどの場合で元ネタを少しひねって、女性的なイメージにしているのが一目でわかります。
この中で『ウマ娘』的に絶対外せないのがトニービンです。世界最高峰の「凱旋門賞」を含むヨーロッパレースでGIを6勝した名馬。「シンデレラグレイ』のストーリーと同じく、「ジャパンカップ」レース中に骨折したものの最後まで走って5着に入線しました。
トニービンは引退後に日本で種牡馬となり、産駒(子供)には「ウマ娘」にも登場するウイニングチケットやエアグルーヴ、母父(母方の祖父)としてはアドマイヤベガ、カレンチャンがいます。その他、ウマ娘化されている実馬のライバル馬を多数輩出しました。
エラズリープライドは元の名前の原型がまったく残っていませんが、名前が物騒すぎるせいかもしれません。がらっと変えられた真意は不明ですが、エラズリープライドにはちゃんと由来らしきものがあります。
ボーンクラッシャーは現役中に18勝し、そのうち5勝がニュージーランドのエラズリー競馬場で開催されたレースでした。同一競馬場のレースで複数回優勝した経験が他にほぼない一方、エラズリー競馬場なら必ず3着以内に入るほどコースが得意だったようです。
この戦績を称えて、死後建てられたボーンクラッシャーの像に「The Pride of Ellerslie(エラズリーの誇り)」という文言が刻まれました。おそらくこの文言を元にして、エラズリープライドと名付けられたのだと思われます。
ディクタストライカの元になったサッカーボーイは、クラシック戦線の活躍こそ振るいませんでしたが、古馬(4歳以上の馬)の出走するGIII「函館記念」でレコードタイムを叩き出して圧勝しました。
一般的に3歳馬と4歳馬では体の完成度とレース経験に差があるため、4歳馬の方が強いとされています。そんな史実のサッカーボーイの走りをアレンジして、「シンデレラグレイ」においてオグリキャップが格上のタマモクロスに勝つための重要な布石に据えたのは、さすがとしか言えません。
ちなみに3巻元ネタでも少し触れましたが、実馬のオグリキャップとサッカーボーイはともにマイラー(マイルの得意な馬)同士でよく比較されたものの、「有馬記念」前までの時点で対戦経験は皆無。ウマ娘化された姿の模擬戦とはいえ、両者万全かつ邪魔の入らない状況での一騎討ちは、当時のファンなら誰もが夢見た光景でしょう。
劇中「有馬記念」の直前、地下バ道でシンボリルドルフがオグリキャップを激励し、「Take it easy」と言って送り出すシーンが出てきます。「Take it easy」とは、シンボリルドルフの主戦騎手だった岡部幸雄の座右の銘です。
それがなぜウマ娘のシンボリルドルフからオグリキャップに向けられたのかというと、1988年の「有馬記念」で一度だけ岡部幸雄が乗り変わった史実を踏まえた結果と思われます。
中央デビュー以降、オグリキャップの主戦騎手は河内洋が務めました。しかし、タマモクロスが「有馬記念」で引退することを知った陣営は、2度敗北した河内洋からベテラン岡部幸雄への交替を強く希望。1回だけという条件付きで乗り代わりが実現しました。
この史実での乗り代わりを「シンデレラグレイ」に落とし込んだのが、件の地下バ道での見送りシーンというわけです。
なお「Take it easy」は岡部幸雄がアメリカ遠征に行った際、実力を発揮できなかった彼がクリス・マッキャロン騎手からかけられた励ましの言葉だとか。クリス・マッキャロンといえば、6巻および7巻でフィーチャーされるオベイユアマスター=ペイザバトラーの騎手。史実を見ると意外なところで関係しているのが面白いです。
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- ["久住 太陽", "杉浦 理史", "伊藤 隼之介", "Cygames"]
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例年、1年を締めくくるグランプリレース「有馬記念」。加えて脅威の末脚ディクタストライカ、菊花賞勝ちの注目株スーパークリークを始めとする、スターウマ娘の勢揃いで近年まれに見る盛り上がとなっていました。
特に現役最強タマモクロスと怪物オグリキャップの直接対決――第3戦目にして最終決戦とあって、周囲の盛り上がりは最高潮。タマモクロスが最後の花道を飾るのか、オグリキャップが現役最強の世代交代を果たすのか、それとも……。
多くの人の夢を乗せたレースがついに開幕しました。誰もが「自分らしさ」を発揮し、骨身を削って走る壮絶な展開。頂点を示す者、限界に挑む者、壁に突き当たる者……それぞれの現時点での力が描かれます。
自分に有利な仕掛けのタイミングを計る中、最初に動いたのはタマモクロスでした。ゾーン(超集中状態)に入り、他のウマ娘を全く寄せ付けない圧倒的な走りでスパートをかけます。
追い詰められるオグリキャップ。彼女はレース前、六平に言われた「自分らしさ」について思いを巡らし、走りながら自分の原点に立ち返るのでした。
ラストは堂々たるマッチレース。一時代の終わりと始まりを告げる瞬間に心奪われることでしょう。
ディクタストライカがスタート時に負傷し、本調子で走れなかったのは史実通りです。88年「有馬記念」で、モデル馬のサッカーボーイがゲート内で暴れて頭をぶつけ、鼻血を出した上に歯を折るアクシデントを起こしました。
「シンデレラグレイ」に登場する何人かのウマ娘は、「領域」と呼ばれる超集中状態に入ることで限界以上のパフォーマンスを発揮します。これはゲーム版における固有スキルとほぼ同じもの。
原則として元ネタの実馬に与えられた二つ名が「領域」名になっています。父シービークロスの異名を受け継いだタマモクロスの「白い稲妻」、爆発的な末脚から「弾丸シュート」と呼ばれたサッカーボーイ=ディクタストライカなど。
ただし、ウマ娘オグリキャップの「灰の怪物」と書いて「グレイファントム」と読ませる「領域」名は、実馬の「芦毛の怪物」と「グレイファントム」や「グレイゴースト」と呼ばれた祖父ネイティブダンサーの異名が組み合わさったものとなっています。
88年「有馬記念」の最終直線を抜けた実馬のオグリキャップとタマモクロスは、他馬を突き放す猛烈な激走を見せました。「シンデレラグレイ」では同様にマッチレースを演じますが、その際に実況が「火を噴くような死闘」と評し、楽しそうに走る2人に対して六平は「笑ってやがる」とこぼします。
一連のシーンは77年「有馬記念」をモチーフにして制作されたテンポイントのCMが元ネタでしょう。流星の貴公子テンポイントと天馬トウショウボーイの凄まじいマッチレースが、「戯れにも見えた。死闘にも見えた」のフレーズとともに紹介されました。
レースで激しい競り合いをする一方、イメージの中で遊びにふける幼いオグリキャップとタマモクロスの様子がJRAのCMを思い起こさせます。お互い高めあっていることから、タマモクロスのCMのフレーズ「宿敵が強さをくれる」も意識しているかもしれません。
激闘から一夜明け、故郷の母に宛てて手紙を書くオグリキャップ。そこではモノローグ形式の語りでレースを振り返りつつ、「ジャパンカップ」で一緒に走った海外ウマ娘の現状が1コマずつ描かれます。
日本で療養中のトニビアンカを見舞うムーンライトルナシー、本来の姿で往来を行くオベイユアマスター、そして芦毛のウマ娘の頭を撫でるエラズリープライド。
実馬のトニービンとムーンマッドネスはどちらも「ジャパンカップ」後に引退し、日本で種牡馬となったことの表現でしょう。気になるのはエラズリープライドと一緒にいる謎のウマ娘です。
左耳に飾りがあることから、芦毛の牝馬なのは間違いありません。ニュージーランドのボーンクラッシャーと関係する芦毛の牝馬といえば……十中八九、翌年の「ジャパンカップ」で世界を驚かせるホーリックスでしょう。単行本の加筆修正で、謎の芦毛のウマ娘はわざわざ見栄えのいいデザインに変更されたため、いずれフォーカスが当たるはずです。
本編で惜しくも勝利を逃したものの、見事勇退を果たしたタマモクロス。彼女はラストシーンで「おっちゃん」と涙の再会を果たします。
5巻の元ネタでも触れましたが、「おっちゃん」はタマモクロスを生産した錦野昌章がモチーフ。タマモクロスの活躍で錦野昌章の家族が再会できたこと、牧場の閉鎖で実馬のタマモクロスには叶わなかった家族(故郷)の元へ戻るというifが込められたシーンだと思われます。
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- ["久住 太陽", "杉浦 理史", "Pita", "伊藤 隼之介", "Cygames"]
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オグリキャップの繋靱帯炎発覚。選手生命に関わる大怪我でオグリキャップは半年間全休、スーパークリークとディクタストライカも休養へ……芦毛の頂上決戦で盛り上がりに盛り上がった秋レースに比べると、春シーズンのレースは見劣りするものとなりました。
そこへ彗星のごとく現れたのが、地方の傑物イナリワン。年末最後のダートGI「「東京大賞典」優勝を引っさげて中央に移籍した彼女は、破竹の勢いで「天皇賞・春」と「宝塚記念」を連勝したのです。
オグリキャップ不在のまま幕を開けた春シーズンですが、蓋を開けてみればイナリワンが活躍。シニア戦線は主役たり得るウマ娘が入り乱れる、群雄割拠状態となります。
とはいえ、彼女たちがしのぎを削るのはもう少し先のお話です。今はまだイナリワンを筆頭に、メジロアルダンやヤエノムテキらが打倒オグリキャップを目指し、ふつふつと闘志を燃やす様子が描かれるのみ。
夏を終えて、GII「毎日王冠」へ運命的に集まってくる強豪たち。マークするのはもちろん、休養明けのオグリキャップです。秋シーズンのビッグタイトル「天皇賞・秋」に弾みを付ける1戦、果たして誰が勝ちを収めるのでしょうか?
ウマ娘イナリワンの同名モデル馬はオグリキャップと同じく地方出身で、4歳(当時は数え年で5歳)まで大井競馬場で過ごし、中央に移籍した馬です。年代的にはオグリキャップやスーパークリークではなく、1つ上のタマモクロスと同世代。
地方から中央にチャレンジする馬は、たいていまったく勝てずに再度地方へ戻るケースが多いです。その状況は当時も今もほとんど変わっていません。それくらい地方と中央には大きな隔たりがあるのですが……イナリワンはなんと、中央で勝ったレースがすべてGI。地方出身なのを抜きにしても、普通では考えられない飛び抜けた成績です。
イナリワンは中央移籍してすぐGIをあっさり勝つ実力がある一方、GII以下の勝ちは一度もなかったり、妙な凡走をしたりと非常にムラッ気の強い馬でした。持ち前の気性の荒さと合わせて、ウマ娘イナリワンは気の短い江戸っ子に設定されたのでしょう。
オグリキャップと同時期に、オグリキャップと同等の馬が地方から出てくるという、作り話めいた嘘みたいな事実。
実馬のイナリワンは一度だけ、オグリキャップの故郷・笠松競馬場で走っています。レースは88年の「全日本サラブレッドカップ」。勝者は87年に中央から地方に移籍したフェートノーザンでした。
ウマ娘イナリワンが負けたフェイスノーモアは、このフェートノーザンをモデルにしていると思われます。
中央で勝つと息巻くイナリワンに対して、フェイスノーモアは突き放した物言いをしました。これは地方に移った中央出身ウマ娘に勝てないようでは難しいという意味と、フェートノーザンの主戦騎手が地方時代のオグリキャップに騎乗していた安藤勝己なので、オグリキャップ関係を匂わせながら期待と挑発をする意味もあるでしょう。
イナリワンのトレーナーにも当然元ネタがあります。
地方時代のトレーナー檮原龍子(ゆすはらりょうこ)は、調教師・福永二三雄がモデルでしょう。キングヘイローの主戦騎手で知られる福永祐一の叔父に当たる人物。福永二三雄が高知出身であることから、高知県の地名「檮原」と高知の偉人である坂本龍馬を組み合わせたネーミングと思われます。
中央のトレーナーは檮原龍子の息子、檮原太郎。こちらはインテリ気質なことから、JRAで初めて大学卒業後に調教師となった鈴木清(慶應義塾大学法学部出身)がベースでしょう。アメリカ帰りでもあるため、イナリワンの馬主の縁で渡米経験のある武豊要素が入っていると思われます。
イナリワンの主戦騎手はウイニングチケットのダービー勝ちで知られる柴田政人なので、そのうち柴田政人由来のなにかが描かれるかもしれません。
実際にオグリキャップは繋靱帯炎を発症し、1989年の前半を休養にあてました。JRAが運営する温泉療養施設、通称「馬の温泉」で当時最先端の超音波治療と温泉療養、プール運動が行われたそうです。オグリキャップは厩務員・池江敏郎らの献身と、持ち前の生命力が合わさって奇跡的な回復を遂げました。
「シンデレラグレイ」の温泉回はこの史実を踏まえたもの。実馬のオグリキャップに溺れたという記録はありませんが、かなり泳ぎが下手だったらしく、同回で溺れたのは本当にカナヅチだったせいです。
ちなみに泳ぎを苦手とする競走馬は他にも結構いて、ゲーム「ウマ娘」だとプールトレーニングでビート板を持っているかどうかで判別できます。
メジロ家メイドとして登場する天利サキはトレーナーではありませんが、メジロアルダンの厩務員だった宮崎利男がモデルかもしれません。宮崎の「崎」が名前に、利男の「利」が名字にそれぞれ入れ替わった形。
その天利サキがお茶請けで出すヨモギ饅頭にも元ネタがあります。宮崎利男が実馬のメジロアルダンの健康を気遣ってヨモギなどの野草を食べさせていたことか、あるいはメジロ牧場のあった洞爺湖には天然ヨモギが生えており、周辺でヨモギ饅頭が売られていることのどちらかがイメージ元でしょう。
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- ["久住 太陽", "杉浦 理史 & Pita", "伊藤 隼之介", "Cygames"]
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オグリキャップは第3コーナーで仕掛けますが、外から上がる動きを読んだメジロアルダンに有利な位置を奪われ、距離ロスを強いられてしまいます。勝負は最終直線にもつれ込みますが、最後方から一気に進出してくるイナリワン……!
GIIとは思えない顔ぶれで白熱する「毎日王冠」。レースはメジロアルダンの視点を軸に、途中まで対オグリキャップを想定した彼女の思惑通りに進みますが……。一方、同じ日に行われたGII「京都大賞典」ではスーパークリークが余裕の圧勝。同じ優勝でも、まったく性質の違う勝ち方に思わず釘付けになります。
オグリキャップか、イナリワンか、スーパークリークか、それともヤエノムテキやメジロアルダンが3強を脅かすか。秋シーズンのGIレースに向けて、役者が揃いつつあります。
89年のGII「毎日王冠」は休養明けのオグリキャップの2戦目で、イナリワンと初対決がここで実現しました。勝ったのは前年も優勝したオグリキャップですが、「毎日王冠」を連覇したのは今に至るもオグリキャップのみです(2023年3月現在)。
オグリキャップとイナリワンは劇中において、お互い負けたと思い込んで「やられた」と発言しますが、史実でも写真判定が行われるほどギリギリの差でした。レース展開や結果から、数あるGIの激走を差し置いて、実馬のオグリキャップのベストレースともいわれることもあります。
ちなみに「シンデレラグレイ」劇中でメジロアルダンの前を走るウィンディミオは、背番号からおそらくウィンドミルをモチーフとしたウマ娘。実はウィンドミルもイナリワンと同じく大井から中央に移籍した馬です。
競馬に実況は付きもので、名勝負には名実況が欠かせません。
89年GII「毎日王冠」は、フジテレビの堺正幸アナウンサーの「3頭並んだ! 3頭並んだ! そして2頭になった! 並んで並んでゴールイン!!」が非常に有名。劇中ゴール直前の横一列を告げる一連の実況は、実際のレースをかなり意識したセリフになっていました。
なおゴール直後の「これは際どくなりました!!」はラジオNIKKEIアナウンサー、佐藤泉の実況が元ネタです。
レース後にメジロアルダンを労うサクラチヨノオーとディクタストライカ(サッカーボーイ)。
実馬はそれぞれ3歳クラシック路線で覇を競いながら、古馬となった4歳以降に目覚ましい結果を残せなかった3頭です。メジロアルダンを除く2頭については、89年に引退しているという共通点があります。
実際にはない再戦を誓う3人。その様子から、「ウマ娘」世界では史実を乗り越えることができる、異なる歴史を歩める希望を感じ取れます。
フジマサマーチのモデルとなったマーチトウショウは89年の一時期、中央競馬に移籍していたことがあります。
ちょうどオグリキャップが半年休養した時期に当たるので、フジマサマーチの中央挑戦にフォーカスを当てて、オグリキャップに影響を与える展開が予想されましたが……。
本誌連載と並行して増刊号「ヤングジャンプヒロイン2」で発表された外伝は、89年の出来事をモチーフとした本編とは時間が前後して、オグリキャップがカサマツを去ってから半年後を描くものでした。
結果だけいえば、マーチトウショウの中央挑戦は失敗でした。もし忠実に再現するとなると、フジマサマーチがボロボロになる筋書きは避けられないでしょう。
「シンデレラグレイ」は競馬をリスペクトした物語であることと、オグリキャップの最初のライバルであるマーチトウショウの名誉を守る意味で、外伝の題材はフジマサマーチがカサマツで頑張っている方が前向きでよいと判断されたのかもしれません。
外伝とはいっても、レース展開は史実通り。フジノノーザンがモデルの「東海ダービー」ウマ娘ヤマノサウザンを登場させて、熱くたぎる「岐阜王冠賞」の駆け引きは本編に勝るとも劣りません。オグリキャップの「高松宮杯」とマーチトウショウの「岐阜王冠賞」の日程が重なっていた偶然を、上手くアレンジした秀逸なストーリーでした。
余談ですが、フジノノーザンはのちに中央に行き、88年「エリザベス女王杯」でタマモクロスの半妹ミヤマポピーに破れています。
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- ["久住 太陽", "杉浦 理史 & Pita", "伊藤 隼之介", "Cygames"]
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秋のGI戦線を目指して、己の走りに磨きをかけていくウマ娘たち。中でもスーパークリークは「京都大賞典」が圧勝だったため、高く評価されていました。ただ、やはり1番に推されたのはオグリキャップ。彼女はタマモクロスのトレーニングノートをヒントに、「領域」を自分のものとしていきました。
一方、自分の殻を破ろうと打ち込むヤエノムテキに、前走の僅差負けから調子の上がらないイナリワン……。
それぞれの想いを胸に「天皇賞・秋」がスタートします。逃げのロードロイヤルが先陣を切りところまではいつも通りでしたが、なんとスーパークリークが早々に前へ出て3番手に。この仕掛けが予想外の波乱を巻き起こすことになるのでした。
永世3強揃い踏みでの初のGI。スーパークリークとメジロアルダン、そしてヤエノムテキのオグリキャップ対策が錯綜します。
ゴールの一瞬に向けて誰がどう動くのか。気力だけではない、体力だけでもない、総合的な能力が要求される過酷なレースに目が釘付けになるでしょう。すべてが終わった時、勝者の底知れない恐ろしさに震えるかも知れません。
しかし、本当に恐ろしいのは、各ウマ娘がしのぎを削ったこのレースですら、まだ伝説の秋のGI戦線のほんの序章に過ぎないということ……。
劇中でオグリキャップは六平指導の下、「領域」を自在に引き出す訓練を行っています。この時に六平は、タマモクロスのトレーナー小宮山から預かったトレーニングノートを参考にしていました。
これは当時のオグリキャップに、タマモクロスの主戦騎手・南井克巳が騎乗したことに由来します。南井騎手は「豪腕ファイター」と呼ばれたジョッキーで、勝負根性のあるオグリキャップとは相性抜群でした。
そんな南井騎手の好騎乗を、「シンデレラグレイ」ではタマモクロスのノートをトレーナーから託される形で表現したわけです。
11巻のイナリワンは終始荒れ気味。
実際のイナリワンもオグリキャップにハナ差で負けた「毎日王冠」以降、不思議と調子を落としていたそうです。特に「天皇賞・秋」前後は過度に神経質になって、馬体にも影響が出ました。
本編でトレーニングに身が入らず、他者の評価を過敏に気にするイナリワンの様子には、こうした実際の背景が反映されていそうです。
1989年の「天皇賞・秋」は大外不利と言われたコースを、大外枠のスーパークリークが序盤に好位につき、ロングスパートで制する結果となりました。
スーパークリークの能力を引き出した武豊騎手の会心の騎乗で、一分の隙もないと評されています。その点を拡大解釈して「シンデレラグレイ」では、レース全体を支配する描写になったのでしょう。
一方のオグリキャップは、管理していた瀬戸口調教師が「あの時が(全レースで)1番調子が良かった」とのちに振り返るほどのベストコンディションでした。劇中で「お前は無敵だ」と太鼓判を押す六平は、この話が元ネタでしょう。
それほど調子の良かったオグリキャップですが、ヤエノムテキに阻まれて進路がなくなり、外に出さざるを得なくなったロスで結果的に負けてしまいます。
完璧なレース展開をしたスーパークリークと、理想の走りをできなかったオグリキャップの明暗の差と言えるでしょう。
第5巻の「菊花賞」直前で奈瀬文乃がスーパークリークに執着する様子がありましたが、そのきっかけとなった"逆指名"が「天皇賞・秋」の回想で描かれました。
若くして難関のトレーナー試験をパスするも、親の七光りと揶揄されて正当な評価をされなかった奈瀬。そんな彼女を一個人、"熱心なトレーナー"として指名したスーパークリーク。これは実馬のスーパークリークが"逆指名"したエピソードそのものです。
当時武豊はスーパークリークに騎乗して最年少GIジョッキーになるまで、「ターフの魔術師」と呼ばれた武邦彦の息子としてしか見られていませんでした。ところが今や、武豊といえば他の誰でもない唯一無二の天才。
この辺りの逸話も奈瀬文乃と、今後ストーリーに関係してくる父・奈瀬英人の関係と重なります。
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- ["久住 太陽", "杉浦 理史 & Pita", "伊藤 隼之介", "Cygames"]
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激戦から一夜明けても、気持ちが戻って来ないオグリキャップ。そんな彼女の前に、春のマイル戦線王者バンブーメモリーが現れます。すべてに全力、すべてにひたむきなバンブーメモリーは、憧れのオグリキャップとマイルレース最高峰の勝負――GI「マイルチャンピオンシップ(マイルCS)」での対決を熱望しました。
オグリキャップは「天皇賞・秋」を終えたあとは、「ジャパンカップ」から「有馬記念」へ進む、いわゆる秋シニア王道路線を進む予定でした。「マイルCS」が行われるのは、「ジャパンカップ」のたった1週間前。
つまり、もし実現させるとなると、2週連続でGIに出走する連闘ということになります。滅茶苦茶なローテーションによる肉体的ダメージは計り知れず、最悪の場合は選手生命を危うくする危険な行為です。
しかし、オグリキャップの脳裏をよぎるのはバンブーメモリーの熱意と、マイル路線でつけられなかったディクタストライカとの決着。
短い選手生命の全盛期、万全で走れる状態で最高の相手と競いたい。「マイルCS」も「ジャパンカップ」も走る――熱く募る思いは、選手生命を優先して断固反対の立場を取る六平の気持ちすら揺り動かしていきます。
12巻はあまりにも主人公すぎるオグリキャップの姿に当てられて、読者の気持ちすら昂ぶってくる巻です。
本編では「天皇賞・秋」から一夜明けて周囲がハロウィンで浮かれる中、まだ敗北を引きずるオグリキャップの様子が描かれました。この場面の元ネタはおそらく実馬と南井騎手の両方です。
南井騎手は1989年の「天皇賞・秋」で負けたことについて、「勝てたはずなのに負けた」と述懐しています。レースのあった日の夜は、悔しさのあまり寝付けなかったとも。
また実馬のオグリキャップは敗北を理解していたらしく、「天皇賞・秋」ゴール後は勝利したスーパークリークを睨んだまま、南井騎手に促されてもしばらく動かなかったそうです。11巻のラストのゴール直後、オグリキャップが呆然としながらも凄い形相でスパークリークを見つめているのも、このエピソードから来ていると思われます。
ちなみにオグリキャップ以外にも、敗北したことを悔やむ逸話が残っている有名な馬がいます。かの「皇帝」シンボリルドルフです。たった3度しかない敗北のうち、ギャロップダイナに負けた1985年の「天皇賞・秋」のあと、シンボリルドルフは馬房で悔し涙を流したと伝えられています。
オグリキャップの無茶なローテーションは、現在はもちろん当時ですら馬の負担を軽視しているとして批判の的になりました。
過密スケジュールの背景には、馬主の交代劇という極めてセンシティブな事情があったのではと言われています。詳しい経緯は割愛しますが、1989年に2人目の馬主・佐橋オーナーから3人目の馬主・近藤オーナーに権利が売却された際、莫大な額が支払われたそうです。
馬主といっても名義貸しに近く、権利が有効なのは現役中だけというというのが条件でした。そのため高額な費用をできる限り回収すべく、近藤オーナーの意向で非常識なローテーションを組まれたのでは……と推測されました。
現在の競走馬は1度レースに出ると、1~2週間(場合によっては数ヶ月)休養や訓練にあてるのが常識。GIに出たり短い間隔で立て続けに出走すると、休養期間はその分長くなります。それを考えると、3ヶ月で6レース(連闘含む)も走らせたのがいかに無茶だったかおわかりいただけるでしょう。
史実のあまりにも酷いローテーションを「シンデレラグレイ」の物語にどう組み込むかは、連載当初から一部読者の間で注目されていました。限られた競技生活の中、多くの好敵手との対戦を自ら望んだから、というのはスポ根として上手い落としどころと言えます。
なお、劇中でオグリキャップに対戦を申し込んだのはバンブーメモリーでしたが、自身も「マイルCS」から「ジャパンカップ」を続けて行う連闘スケジュールでした。これは史実も同様……それどころか、実は春のマイルGI「安田記念」を制した際も、オープンレース「シルクロードステークス」から連闘しての勝利でした。
無茶なローテーションという意味では、同年中に2度も連闘したバンブーメモリーはオグリキャップ以上だったのです。
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- ["久住 太陽", "杉浦 理史 & Pita", "伊藤 隼之介", "Cygames"]
- 出版日
短距離並みのスピードとパワー、中距離並みのスタミナ、長距離並みに難しいペース配分と位置取り……ウマ娘のすべての能力が試されるマイルの頂上決戦、GI「マイルCS」。中央移籍後の「ニュージーランドトロフィー」以来、久しぶりのマイルレースとなるオグリキャップは、序盤に先行策を取るも苦しい展開となりました。
最後まで諦めず、前を伺い続けた彼女にとっての最後のチャンス――前を走るバンブーメモリーの内側にわずかに開いた隙間。オグリキャップはすかさず並び立ち、そのままもつれ込むように2人でゴール……!
激闘の余韻がはっきり残る中、1週間後に迫った「ジャパンカップ」への調整が始まります。最優先で疲労回復を図らなければいけないオグリキャップは、事務手続きに忙殺される六平やベルノライトの薦めで、近所の健康ランドへ行くことになりました。
そこでオグリキャップは、1人のウマ娘と出会います。名前はフォークイン。彼女こそ「ジャパンカップ」に招待された選手の1人、ニュージーランド代表ウマ娘でした。
「マイルCS」と「ジャパンカップ」、2つのGIレースの決着と幕間において、当事者や関係者がレースに賭ける想いが交錯します。底抜けに大雑把で豪胆なシーフクロー、爪と牙を隠して静かに連覇を狙うオベイユアマスター、……そしてかすかに闇を感じさせるフォークイン。
日本代表の意地か、世界の壁か。のちに「事件」として語られる伝説の「ジャパンカップ」が刻一刻と迫ってきます。
1989年開催の「マイルCS」で勝利したのはオグリキャップでした。途中まで進路を確保できなかったオグリキャップですが、先行するバンブーメモリーとコースの間が開いていたことから、猛然と加速してハナ差の勝利をもぎ取れました。
ここでインコースが開いていたのは、当時バンブーメモリーに騎乗していた武豊がわざとやったそうです。現役最強の呼び声の高いオグリキャップ相手に、バンブーメモリーで真っ向勝負を挑みたかった、とのこと。ウマ娘のバンブーメモリーが竹を割ったようなまっすぐな性格なのも、この辺りが元ネタになっていそうです。
「マイルCS」のオグリキャップの激走は今でも語り草になるほどで、ゲームでお馴染みの固有スキル「勝利の鼓動」は「マイルCS」の走りがモチーフではないか、ともいわれています。本作中では11巻で行っていた超集中状態の訓練が激走の布石になっていました。
1989年「ジャパンカップ」には6頭もの海外馬が招待されました。本編でフォーカスの当たったところでいうと、シーフクローはアメリカ馬のホークスター、キャリーズルームとイブビンティはそれぞれイギリス馬のキャロルハウスとイブンベイです。
ホークスターは「ウマ娘「にも登場するグラスワンダーの父シルヴァーホーク産駒。GIを3勝もしているだけでなく、当時の芝2400mレースの世界記録2分22秒8のレコードホルダーでした。ちなみに世界記録を叩き出した1989年のGI「オークツリー招待」レースにおいて、4馬身差でペイザバトラー(オベイユアマスターの元ネタ)に勝っています。
キャロルハウスは1989年の「凱旋門賞」を含む、GI3勝のアイルランド生産馬です。「凱旋門賞」優勝後に社台グループに購入され、「ジャパンカップ」へ出走しました。
馬名は最初の馬主ジェラルド・ジョン・ハワード・キャロルが不動産会社キャロルグループの代表だったことにちなんで、キャロルハウスと名付けられたようです。「シンデレラグレイ」ではキャロルと語感が似た名前と、同じ建物関連のルームを掛け合わせて、キャリーズルームにされたのではないでしょうか。
イブンベイは生涯でGIを4勝したイギリス生産馬です。父はノーザンダンサーと覇を競った名種牡馬ミルリーフ。ミルリーフの産駒はイブンベイのほかに、ミホノブルボンを輩出したマグニテュードなどがいます。
イブンベイは1989年、ドイツのGI「オイロパ賞」を優勝してから「ジャパンカップ」へ参戦しました。
元々スタミナ自慢の逃げ・先行脚質の馬なのですが、空前のオグリキャップブームに沸く当時の「ジャパンカップ」では欧州競馬でありえない大観衆による大歓声が起きてしまったため、驚いたイブンベイが先頭で逃げてとんでもない事態を引き起こしてしまいます……。
この年の「ジャパンカップ」に出走した海外馬の大半は、引退後に日本で種牡馬になっています。すでに日本へ居着いている描写のあるトニビアンカ、ムーンライトルナシーと同様に、「ジャパンカップ」後もなんらかの形で再登場するかも知れません。
フォークインのモデル馬は十中八九、ニュージーランドの芦毛牝馬ホーリックスです。本来の馬名の由来はイギリスの同名麦芽飲料ホーリック(ミロのような粉状の飲み物)で、麦芽を意味する母馬モルトから連想して名付けられました。
フォークインという名前は2つの由来が考えられます。1つは「Folk Queen」です。「民衆の女王」の意味になり、後述するホーリックスの事情に相応しい命名といえます。もう1つは「○○をかき混ぜる」を意味する英語「fork in ○○」で、お湯を入れて溶かすホーリックのイメージにピッタリです。
ニュージーランドを含むオセアニア一帯は世界有数の馬産地であるにもかかわらず、これといった国外での活躍馬がなかったために、世界的な評価が低いものでした。そうした事情から、ホーリックスを管理するオサリバン調教師は「ジャパンカップ」優勝をオセアニアの悲願として、並々ならぬ覚悟で参戦を決めたそうです。
フォークインのデザインには、前年の「ジャパンカップ」に挑戦したエラズリープライドの要素(骸骨の下顎)が入っています。これは史実で対戦経験のあるボーンクラッシャー(エラズリープライドの元ネタ)の分の期待も背負っているという表現。
ちなみに……関係者の証言によると、実馬のオグリキャップはホーリックスに片想いをしていたとか。走ることか食べることにしか興味のなかったオグリキャップは、一度食事を始めると完食するまで何があっても飼い葉桶から顔を上げないのが普通でした。ところがホーリックスが近くを通った時だけ、食事を中断して彼女をじっと見ていたそうです。
劇中でフォークインはオグリキャップに対して姐御肌な態度を取ります。
これはホーリックスが6歳(旧表記で7歳)で時のオグリキャップより2歳年上だったことと、ニュージーランドから付き添ってきた厩務員バネッサ・バリーが献身的に世話をしていたことから、世話焼きのキャラ付けになったのでしょう。
健康ランドの設備に詳しいのは、オセアニアが有名な温泉地だからかも知れません。
実馬のホーリックスは人懐っこくて従順でしたが、非常に臆病で寂しがりな性格でした。「ジャパンカップ」の長距離輸送を想定した特別な訓練で、1頭だけの馬小屋に隔離した際には、特に夜間にとても怯えたそうです。
1989年「ジャパンカップ」には真っ先に現地入りした上に、オセアニア地域からの帯同馬(落ち着かせるために一緒に輸送する馬)はなし。
ホーリックスのメンタルを心配したバネッサ厩務員は、一計を案じて馬の全身が映る巨大な鏡を馬房に設置しました。するとホーリックスは鏡写しの自分を仲間の馬だと思って、リラックスできたそうです。
本編でフォークインが鏡に話しかけるシーンは、このエピソードを反映したもの。重い期待を背負わされたせいで二重人格になっていることの暗示や、本作のタイトル「シンデレラグレイ」の『シンデレラ』に対する『白雪姫』=別のヒロインの暗喩にもなっていそうです。
第117Rのイナリワンが映画『酔拳』に似た謎の特訓をしている最中、オベイユアマスターのトレーナーが訪れて檮原太郎と会話するシーンが出てきます。
史実でイナリワンとペイザバトラー陣営に交流があったかは不明ですが、関係者から探るとこの描写が挟まれた繋がりが見えてきます。
イナリワンがJRA時代に所属していたのは鈴木清厩舎。イナリワンが移籍してきた時にはすでにフリーになっていましたが、鈴木清厩舎の1984年まで主戦騎手は岡部幸雄でした。言わずと知れたシンボリルドルフのパートナーで、何を隠そうシンボリルドルフに騎乗するために当時珍しかったフリー騎手になったのです。
第6巻元ネタで触れたように、オベイユアマスターのトレーナーはクリス・マッキャロンがモデル。
檮原太郎がライバルを強調しているのも印象的で、これはおそらくイナリワンの主戦騎手が岡部幸雄と同期の柴田政人であり、2人がライバル関係だったことに起因していそうです。
つまりまとめると、鈴木清厩舎所属の岡部幸雄と柴田政人、ペイザバトラーの騎手クリス・マッキャロンの関係を示唆するシーンだと考えて良いでしょう。
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- ["久住 太陽", "杉浦 理史 & Pita", "伊藤 隼之介", "Cygames"]
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「ジャパンカップ」開催を告げるファンファーレが鳴り響き、ゲートが開いて真っ先の飛び出したのはシーフクロー。彼女は激しく先頭を主張しますが、それを遮るようにイブビンティが前に出ます。ムキになったシーフクローが競りかけ、序盤からハイペースな展開になりました。
中距離2400mとは思えないマイル並みの速すぎるラップタイム。ついていけば潰されるが、ペースを落とせば置いて行かれる地獄の消耗戦に突入し、走者は誰もが破滅を予感しつつも速度を緩めることが出来なくなります。
過酷なレースを戦える状態で走れたのはほんの一握りでした。1人はオグリキャップで、彼女はこれまで培った経験から最適な走りで道中をクリアしました。2人目はその後ろで虎視眈々と上位を狙っていたオベイユアマスター……そして、スタート直後から好位3番手につけて静かに機を伺っていたフォークイン。
2人――いや3人ともがほぼ同時にゾーンに入り、栄光のゴールを目指してラストスパートをかけました。
最大の見所はフォークインとの激闘です。誰も知らなかった彼女の圧倒的なパフォーマンス。重く暗いフォークインの精神に光を当てるのは……。壮絶な叩き合いの末の結果が圧巻です。
前回の「ジャパンカップ」では、オベイユアマスターはカジュアルなパンツルックでしたが、今回はまったく違った執事を思わせる燕尾服で登場しました。
実はこちらの燕尾服こそオベイユアマスター本来の勝負服。以前のものは、推定サンシャインフォーエヴァーを表面的に真似したものでしかありません。
執事風の勝負服の由来はもちろん、オベイユアマスターの元ネタに当たるペイザバトラーから。実馬要素をこんな形で表現するセンスに痺れます。
実は本来の勝負服は今回が初出ではなく、前回「ジャパンカップ」が描かれた第6巻のカバー裏に上半身だけ描かれていました。ちなみにデザインの細部をよく見ると、以前のカジュアルルックは本来の勝負服の袖や裾をカットして、改造したもののように見えます。
モデル馬との関係やプロモーション等で「ウマ娘」と深い関わりを持つ武豊騎手。彼の体内時計は正確無比で、誤差コンマ何秒レベルという驚異的な感覚を持っていると言われています。
1000mを通過した際に出てきた「体感で58秒台」というモノローグは、当時実馬のスーパークリークに騎乗していた武豊騎手の要素を反映したものでしょう。
作中のレースは1989年11月26日開催「ジャパンカップ」がモチーフ。演出の都合でイブビンティにシーフクローが競りかけていることを除けば(実際は第4コーナー前までイブンベイ単独の逃げ)、ほぼ展開は同じです。
1番人気のスーパークリーク(前走「天皇賞・秋」の活躍が評価)が動かない中、最終直線に入った途端に先頭へ立ったのはホーリックスでした。そして大外から上がってきた2番人気オグリキャップ(連闘による不安視)との熾烈な叩き合いを制し、そのままゴールイン。
この時のホーリックスは15頭中9番人気でした。海外馬の中では特に人気が薄く、まさに誰も意識していない状態。この途轍もない快挙は2012年度JRAのCMに採用され、意外性を強調する「躍り出ろ、お前を知らない者達の隙を突いて躍り出ろ」のフレーズで紹介されました。
「意識の外からやって来た」という表現は、人気薄だったこととCMから来ていると思われます。
劇中のフォークインは母国の人々に「第2のエラズリープライド」と呼ばれ、遠征先の日本では誰にも知られていない状態でした。さらに実馬の鏡のエピソードを踏まえて、確固たる自分を持たない(自信がない)2重人格のようなキャラクターに設定されています。
重圧に押し潰されそうな気持ちを必死に押し殺す彼女は、最終直線の走りを見て手のひらを返す観客に、今まで誰も自分=フォークインを見ていなかったのにと怒りすら滲ませるのですが……。
そんな彼女の名を呼ぶオグリキャップの存在で、悲壮感漂うフォークインの物語がドラマチックに転換していきます。
このシーンはほぼ間違いなく、実馬のオグリキャップがホーリックスに片想いしていた逸話がモチーフ。食事を中断してまでじっと見ていたというエピソードを昇華し、お仕着せの立場しか見られていないと思い込んでいた、フォークインの心の闇を晴らすシーンに昇華したのが素晴らしいです。
ちなみにオグリキャップが種牡馬入りしたあと、ホーリックスと配合する案がありました。世界レコードのワンツーだけあって期待されたものの、おそらくホーリックス陣営の事情で結局は実現せず。何頭でも種付け出来る牡馬と違って、牝馬は年に1度しか受胎チャンスがないため、ニュージーランドの英雄に国外の馬をつけるわけにはいかなかったのでしょう。
補足の補足ですが、ホーリックスの妹が何頭か日本へ輸入され、そのうちの1頭である半妹ハルクザヘラルドとオグリキャップの交配が行われています。
フォークインのゾーン「ANTI CYCLONE」の元ネタは2つ考えられます。
1つはホーリックスの騎手、ランス・オサリバンの代名詞たる「風車鞭」。昔の外国騎手がよくしていたスタイルで、鞭を高速で振り回す様子が風車のように見えることから、そう呼ばれるようになりました。
もう1つは南半球の台風です。ニュージーランドのある南半球で発生する台風(サイクロン)は、地球の自転の関係で渦巻きの向きが日本を含む北半球とは逆の時計回りになります。反対方向の回転なので「Anti(反対)」、つまり「ANTI CYCLONE」。
元ネタの騎手がした風車鞭の回転を台風の渦に見立てて、南半球のウマ娘だからZONEの名称が「ANTI CYCLONE」となったのでしょう。
ホーリックスが「ジャパンカップ」で走破タイムは、世界レコードを0.6秒も更新する2分22秒2でした。
現在「ジャパンカップ」のレースレコードは2018年アーモンドアイの2分20秒6ですが、約30年前の東京競馬場の馬場は現在より芝の状態が悪く、改修前でコース形状も良くありませんでした。時代性を加味すると、ホーリックスの記録はまさしく破格。
ちなみに2000mのラップタイムは1分58秒でしたが、東京競馬場の2000mレースで1分58秒を切るタイムが出たのは、ウオッカとダイワスカーレットとディープスカイが激突した2008年「天皇賞・秋」でのこと。東京競馬場の改修工事が完了したのは2003年なので、1989年「ジャパンカップ」がいかにおかしかったかがわかります。
2012年に制作されたJRAのCMでは、そんな前代未聞の大記録に対して「2:22:2という『事件』」のフレーズでホーリックスの偉業が称えられました。
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GI「ジャパンカップ」衝撃の世界レコード決着――。しかも単に世界新記録をマークしたというだけでなく、出走したほとんどのウマ娘が従来のコースレコードと同じか、それを上回るとんでもないタイムで走りきったのです。
特に注目されたのはオグリキャップでした。クビ差2着とはいえ新世界レコードタイ。「マイルCS」からの連闘や殺人的ハイペースというレース結果から、オグリキャップは負けてなお強し……というより実質的な勝者としてもてはやされました。
真の勝者フォークインがオグリキャップの健闘を祈る一方、敗者となったオベイユアマスターは潔く日本を去りました。
世間の興味がオグリキャップ周辺に注がれる中、その状況に苦しむ者たちがいました。春のGI制覇以来不振が続くイナリワンと、天皇賞・秋の勝利を忘れ去られたかのようなスーパークリーク。
「永世3強」と呼ばれながらも、2人の評価がオグリキャップより劣っているのは明らかでした。しかし、彼女たちも黙っているわけではありません。逆境にあって「有馬記念」で起死回生を狙う、イナリワンとスーパークリークの動向が非常に気になる展開。
また去り際のフォークインがオグリキャップに語った一言も、今後を考えると意味深に思えてきます。
「貴方は色々なものを背負わされ続けるだろうけど(中略)
アタシのようには……ならないでね」(『ウマ娘シンデレラグレイ』第15巻より引用)
1989年「ジャパンカップ」の事件といえば、主に語られるのは1着ホーリックスと2着オグリキャップの世界新レコードについてです。しかし、実はもう1つ事件と呼べる出来事が起きていました。なんと出走した15頭中13頭、つまり最下位とブービーを除く大半の馬が従来のコースレコードと同等以上のタイムで完走したのです。
これにはちょっとしたカラクリがあり、レコードタイムはレースの平均ペースが速ければ速いほど出やすくなります。先頭集団のハイペースに釣られて、後続も離れずに飛ばすレース展開では、ゴールタイムが自然と速くなりがち。そんなハイペースでバテずに走りきると、レコードをマークしたりするわけです。レベルの高いレースなら、1着以下も必然的にタイムが速くなります。
とはいえ、普通はせいぜい2着か3着くらいまで。出走馬の大半が従来のレコードと同じか上回るのことはそうそうありません。
参考までに、2023年にイクイノックスが2000mの世界レコードを更新した「天皇賞・秋」では、4着のダノンベルーガまでコースレコード1分56秒1(2011年のトーセンジョーダンの記録)を上回るタイムでした。
「ジャパンカップ」と「天皇賞・秋」は開催場所こそ同じ東京競馬場ですが、改修されてコースの状態が違いますし、距離も別なので単純に比較はできません。しかし、出走馬の9割が旧レコードタイムで走るのが、いかに異常なのかは感覚的におわかりいただけると思います。
ウマ娘はゲーム本編やアニメ等において、スポーツ選手のように劇中メディアへ頻繁に登場する姿が描かれます。そのためピンと来ないかも知れませんが、現実の1989年のオグリキャップ人気は尋常ではありませんでした。
地方から移籍した背景、ここぞという時に見せる爽快な勝利、実力伯仲のライバル……ちょうど実施され始めたJRAのイメージ戦略とバブル景気が相まって、社会現象になったのです。
オグリキャップの動向は一般のニュースでも報道され、「オグリギャル」と呼ばれる若い女性ファンが競馬場に大量に押しかけました。
人気ぶりを示すものとしては、2人目の馬主が製造・販売したオグリキャップのぬいぐるみも挙げられます。大小さまざまな商品が飛ぶように売れて、誇張抜きで各家庭に最低1つはオグリキャップグッズがある状態でした。
このぬいぐるみは現在まで続く競馬グッズの先駆けであり、もしオグリキャップがいなければ、競馬グッズそのものが作られなかったかもしれません。
トレセン学園の雑務を片付けるシンボリルドルフの前に、ひょっこり現れるウマ娘のトウカイテイオー。
史実では1988年生まれ、幼名はハマノテイオーでした。1989年時点ではまだ1歳(数え年だと2歳)で、劇中の季節感からすると同年秋に育成センターに移動したころのイメージでしょうか。
トウカイテイオーはたぐいまれな柔軟性を持っており、牧場時代には1.3mの柵を軽々跳び越えて脱走し(その後何事もなく戻ってくる)、牧場関係者を驚かせたエピソードが残っています。3~4階にある生徒会室の窓から飛び降りて、何事もなく走り去っているのはこの逸話を反映したのでしょう。
メジロアルダンは史実でも怪我に泣かされた馬生で、1989年に屈腱炎と診断されました。ただし、劇中での告知タイミングは「ジャパンカップ」後ですが、実馬の怪我が判明したのは「天皇賞・秋」のあと。
「天皇賞・秋」で3着と好走したメジロアルダンは、続く「ジャパンカップ」や「有馬記念」に期待されたものの、レース後まもなく屈腱炎を発症。出走回避を余儀なくされ、約11ヶ月に及ぶ長期休養に入りました。
時期が前後しているのは、盛り上がる一方のレース前に差し挟む余地がなかったのと、オグリキャップとライバルたちとの現状を対比させるためでしょう。
ここに来て急に敵愾心を燃やし、トーク番組で前代未聞のパフォーマンスをしたスーパークリーク。実はこれにも元ネタがあります。
もちろん実馬のスーパークリークが何かを言ったり、したわけではありません。主戦騎手である武豊のエピソードを反映したものと思われます。
バラエティ番組「笑っていいとも」のトークコーナーに武豊が出演した際、武豊はオグリキャップについて「何を考えているかわからない。嫌い」といった発言をしました。
この時の彼は世間的にオグリキャップのライバル(馬と騎手がライバルというのは妙な話ですが)と見られており、「天皇賞・秋」でオグリキャップを破ったこととあわせて、ファンから激しい反感を買いました。
この武豊の煽りは、通常の尺度を超えたオグリキャップへの高い評価に加えて、ライバル関係を強調して競馬を盛り上げる目論見だったようです。いわば意図的にヒールを演じたわけで、「シンデレラグレイ」劇中のスーパークリークに通じるものがあります。
蛇足ですが、武豊の「笑っていいとも」出演は1990年とする記述をよく見かけますが、正しい出演日は1989年12月21日です。
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- ["久住 太陽", "杉浦 理史 & Pita", "伊藤 隼之介", "Cygames"]
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ファン投票上位のウマ娘だけが出走出来る、冬のグランプリレース「有馬記念」。特に今年は話題沸騰のオグリキャップの参加、スーパークリークの大胆不敵な宣戦布告も相まって、日本中が注目していると言っても過言ではない人気振りでした。
レース直前の様子も普段とは別物。いつになく多弁で挑発的なスーパークリークと、対照的に無言で気迫漲るイナリワンの姿が、オグリキャップの心に強烈な印象を残します。
波乱を予感させる雨模様の中、レースがスタート。オグリキャップは逃げを打ったダイナムペインターを追走して2番手、それを伺うようにスーパークリークが4番手につけました。
前2走に続いて積極策に出たオグリキャップ。一時は先頭に立つも、対策を練って勝ちに来たスーパークリークがその上を行きました。
過酷なローテーション、度重なる高速決着――さまざまな要員でペース配分の狂ったオグリキャップ。気付けば彼女はスタミナ切れに陥っていました。それでもなんとかルーティンで立て直そうと、ゾーンに入りますが……。
最後は火を吹くようなゴール前のデッドヒート。熱い死闘であると同時に、「走ること」の原点に立ち戻る爽快な決着が見所となります。
このレースをもって激動の1年が終わり、第3章永世3強編完結。章タイトルにもなっている3強、彼女たちの存在でウマ娘を取り巻く社会、そしてウマ娘たち自身もすべてが変わりました。次の年は新しい時代の幕開けとなるのか、それとも――。
劇中ではオグリキャップは「マイルCS」から続く驚異的な結果から、スーパークリークは「天皇賞・秋」の実績と悪役(ヒール)宣言から、直接対決に注目が集まっていました。ここは実際の史実でも、事実上のオグリキャップ対スーパークリークの2強対決の様相でした。
オグリキャップは人気投票19万7682票でぶっちぎりの1位選出(2020年にクロノジェネシスが更新するまで「有馬記念」歴代最多得票数)で、当日も1.8倍の1番人気。スーパークリークはそれより少し落ちる3.1倍の2番人気になっており、2頭を除いたイナリワン含む3番人気以下は倍率が軒並み2桁台になるなど期待が段違いでした。
こうした数字からも、オグリキャップとスーパークリークが実力伯仲、対等なライバルに見られていたことがわかります。またオグリキャップは1枠1番、スーパークリークは3枠4番の単枠指定(1つの枠に2頭が基本。超人気馬に限り、急な出走取り消しで起きる諸問題に備えて1頭のみにしていた制度)になっていました。
第141Rで、スーパークリークは自身の勝利を確信しつつ、オグリキャップを警戒して油断せず走り続けます。ところが後ろから迫ってきたのは、オグリキャップではなくイナリワン。想定外の事態に、スーパークリークがわずかに動揺するシーンが登場しました。
これは当時、スーパークリークに騎乗していた武豊がレースを振り返った際、語った内容が元ネタでしょう。「天皇賞・秋」や「マイルCS」でオグリキャップと接戦を繰り広げた経験から、後ろから来たのはオグリキャップで、差し返してきたと誤認したそうです。
「シンデレラグレイ」で本人も含めて誰もが驚いた着順も、史実で大きな反響を呼びました。
オグリキャップは笠松のデビュー以来、中央移籍後も含めた1989年の「ジャパンカップ」までの26戦すべてで3着以内(うち1着20回)を確保していました。例え重賞レース、GIでも出走すれば複勝圏内は確実……そんな安定した戦績の馬はそうそういません。だからこそオグリキャップは怪物と呼ばれるようになりました。
そのオグリキャップが、競争馬生でもっとも低い5着入選。ある実況アナウンサーは放送中、僅差でゴールインしたイナリワンとスーパークリークより、オグリキャップが5着であることを繰り返しました。勝ち馬ではなく、負けた馬の順位を強調するほど当時のオグリキャップは大人気で、それほど衝撃的な出来事だったのです。
1989年「有馬記念」優勝馬イナリワンの勝ち時計は2分31秒7、従来の2分32秒8を約1秒も更新する堂々たるレコードタイム。しかも宝塚記念と有馬記念、2大グランプリレースを同一年に勝ったのは史上4頭目の偉業です。
「シンデレラグレイ」でシンボリルドルフが驚くのも無理はない大記録ですが、実は彼女が驚愕したのは他にも理由があります。
実はイナリワンが更新する前、「有馬記念」の従来記録2分32秒8をマークした馬は、なんとシンボリルドルフでした。しかもシンボリルドルフは「有馬記念」を2回勝っていますが、1回目の時はクラシック期で「宝塚記念」に出走せず、2回目は出走表明したものの故障発生で出走回避。2大グランプリ制覇を望まれつつ、果たせずに引退してしまいました。
実馬のシンボリルドルフが成し遂げられなかったことをイナリワンがやってのけ……。そんな事実から、ウマ娘のシンボリルドルフが驚愕するシーンに繋がったと考えられます。
オグリキャップ、スーパークリーク、イナリワン。
競馬史において互角の実力で「3強」と称されるライバル関係はいくつかありますが、この3頭は平成元年に当たる1989年にめざましい活躍をしたことから、特に「平成3強」と呼ばれるようになりました。つまり「3強」は数あれど、「平成3強」とはオグリキャップとスーパークリーク、イナリワンの3頭だけを指す特別な呼び方なのです。
第3章のサブタイトルが「永世3強」と判明した際、現実はもう令和な上に架空の世界で平成の年号を出すのもおかしくなるため、単に「平成3強」をもじって似た音の漢字をちょうど良く当てはめただけかと思われました。
しかし、16巻ラストにおいてそうではなかったのがはっきりします。少なくとも「シンデレラグレイ」内では。
藤井記者の手で総括された激動の時代、その立役者の3名を未来永劫に渡って語り継ぐ――だからこその特別な呼び名、「永世3強」。その呼称には、想像より遙かに強い想いが込められていました。時代が変わっても、未だに語り継がれる「平成3強」に相応しい「ウマ娘」ならではの命名と言えるでしょう。
ちなみに1989年の「有馬記念」は、「平成3強」が全頭揃って出走する最後のレースとなりました。
「シンデレラグレイ」の雑誌連載は現在「第4章 葦毛の怪物編」に入って、1990年の始動戦であるGI「安田記念」の決着まで進行しています。翌年のオグリキャップは「大阪杯」(当時はGII)、GI「天皇賞・春」を目標としていたものの、休養と調整が長引いて始動は「安田記念」からとなるのは史実通りです。
「安田記念」の次走は「宝塚記念」になるのですが……そうなると、ある馬の存在が必要不可欠となります。オグリキャップ世代の1つ下で、クラシック戦線とは無縁だったオサイチジョージ。
これまでオサイチジョージがどういう扱いになるか不明でしたが、「葦毛の怪物編」から実馬の父母にあやかったと思われる、ミルワカバという名前のウマ娘が登場します。新章開始早々、何かと絡んでくる彼女の動向に注目。
その後のオグリキャップは、上半期を終えると骨膜炎を発症。本来はアメリカ遠征を予定していたものの、療養に入って、以後は秋古馬3冠路線へと進みます。
特に注目したいのは因縁の「天皇賞・秋」と、ラストランとなる「有馬記念」です。レース展開は史実をなぞるとしても、どんなアレンジがされるのかとても楽しみです。きっと想像を超える、神懸かった演出を目の当たりにすることになるでしょう。
普通に考えると「シンデレラグレイ」も有馬記念がラストになりそうですが、もしかするとエピローグがあるかもしれません。
競走馬生活を終えたオグリキャップは、引退後にすぐさま種牡馬入りしました。それから数年後に吹き荒れるサンデーサイレンス旋風の影響もあって、オグリキャップ産駒でめぼしい成績の馬は出ず、長らく血統は途絶えていました。
しかし近年、関係者の尽力で直系のクレイドルサイアーが種牡馬となったことから、オグリキャップ血統が復活。2020年に誕生したオグリキャップのひ孫のフォルキャップ、オグリヨンセイが地方競馬で新たな挑戦を続けています。
クラシック登録の改正が「シンデレラグレイ」の物語に盛り込まれたように、実馬のオグリキャップが日本競馬に与えた影響は絶大です。それを考えると、エピローグでは一線を退いたオグリキャップが、フォルキャップやオグリヨンセイを思わせるウマ娘の指導に当たるシーンが出てくるかも……?
指導云々はかなり望み薄ですが、史実ではオグリキャップを追うように半妹オグリローマン(ヒシアマゾンと同世代)が地方競馬からJRAに移籍し、1994年の牝馬クラシック路線に参戦しています。ゲームも含めて「シンデレラグレイ」のこれまでの描写からすると、オグリキャップに妹らしき存在は確認できませんが、まったく触れられないということはないはず。新章の展開を待ちつつ、あれこれ予想するのも一興でしょう。
『ウマ娘シンデレラグレイ』はスピンオフ漫画としては異例の大ヒットを記録しています。できる限り多くの方に作品の魅力をお伝えするために紙幅を費やしましたが、百聞は一見のしかず。
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