児童虐待という大きな問題に立ち向かう主人公の一貫田逸子。虐待の事実を明らかにするのは現実でも非常に困難ですが、本作では決して諦めない彼女や仲間たち姿が描かれ、重いテーマでありながらも少し希望がもてる作品に仕上がっています。
『児童福祉司 一貫田逸子』は作画さかたのり子、原作穂実あゆこの作品。主人公の一貫田逸子が前向きで明るい性格をしているため、難しいテーマでも物語を暗くさせすぎずに描くことに成功しています。
あおば野児童相談所の児童福祉司になった逸子は、幼い時に親から虐待を受けていた友達の小夜を亡くした過去を持っています。そのため自ら志願して、住民課から異動してきました。
虐待は往々にして隠されるものなので、会うことすら困難な状況でも逸子は根気強く足を運び、子どもたちの笑顔を守ろうとするのです。悲劇をくり返したくない、という彼女の強い思いは周りの人たちの心も動かしていきます。
本作に登場する彼女の周りの人物たちは、虐待の当事者以外にも、施設の職員、児童福祉司、心理判定員、小児科医、保健師などさまざま。それぞれの立場で児童虐待に関わる様子がリアルで、物語に深みを与えているのです。
たとえば、1巻の「生贄の子」では、残飯を食べさせていることが虐待になるのか、という点について児童相談所の人間がカンファレンスをおこなうシーンが描かれています。
保健師からは、残飯を与える行為は一部育児放棄に該当するということ、小児科医からは身体的に危害を加えなくても精神的なダメージを与えている場合は「心理的虐待」にあたるという見解が示されました。
ここでは専門家に対して否定的な意見を述べる人物も登場し、問題点について読者がより理解しやすくなるよう作者の工夫がなされています。
この記事では、全2巻のなかから選りすぐりのエピソードをご紹介し、本作の魅力をお伝えしていきます。
- 著者
- ["さかた のり子", "穂実 あゆこ"]
- 出版日
まずは第1話のエピソードをご紹介します。
小学生の逸子は、同じクラスで友人だった小夜の様子が少しおかしいことに気づいていました。テレビの話題をふっても返事がなく、腕にはあざがあります。また、逸子の家に遊びに来た時は冷蔵庫の食べ物を盗み食いしていました。
しだいに学校に来なくなり、逸子は給食のパンを届けていましたが、本人にはほとんど会えない日々が続きます。小夜は母親の再婚相手に虐待をされているようでしたが、まだ幼かった逸子には、それくらいしかできることがありません。
しかしその給食のパンでさえ、小夜の口には入っていなかったのです。
やがて、彼女が餓死してしまうという最悪の結末を迎え、この虐待が表沙汰になります。逸子はこの幼い日の出来事がきっかけで、児童虐待に対して撤退的に挑んでいく児童福祉司の道を進むことを決めたのです。
この回では、育児がうまくいかず夫の理解も得られない妻が、児童相談所に子供を預かってほしいと相談にくる様子も描かれています。
ただその子供には傷などもなく、体重も正常。在宅で様子をみるということに落ち着いてしまいました。しかし逸子は、はっきりとした理由はわからないものの、虐待の可能性を捨てきれずにいてもやもやしたままです。
そんなとき、同僚の小児科医・亜鳥裕一から、相手の出す「シグナル」を探すように言われました。
それは、母親が逸子と会話をするときに見せていた、ある何気ない仕草にあったのです。
逸子の過去と児童虐待をしてしまいそうになる母親が描かれた第1話ですが、いかに身近に虐待の要素が潜んでいるかがわかるエピソードになっています。
中学校の教師から、お弁当に残飯を持って来ている子がいるという通告を受け、逸子はその生徒の両親と面接をしました。
しかし母親は残飯なんて持たせていないとヒステリックに怒りだし、気弱そうな父親は何かの間違いではないかとその場を収めようとするのです。
一方、心理判定員の遠山は、虐待を受けたとされる由惟という少女と面接をします。彼女に描いてもらった自画像は顔のないものになっており、これは何か秘密を隠しているという心理的な傾向を示していました。
事実、その家庭で虐待はおこなわれていました。由惟のほかにも子供が2人いますが、母親がなぜか彼女にだけ残飯を食べさせており、父親はそれを知りながらも平然とした態度をとっていたのです。
場面が変わって、遠山が大学時代の友人・磯村に呼び出されて一緒に酒を飲み、寄付をするのによいところはないかという相談を持ち掛けられていました。
磯村は中学生のころ、親友がいじめに遭っているのに助けるどころか煽るような行動をとってしまい、自殺に追い込んでしまった過去があります。その事実はいまだに彼の心を痛めていて、償いをできる場所を探していたのです。
この時遠山は、由惟が書いたある絵を思い出していました。由惟と両親の3人が描かれたものでしたが、父親と母親がまるで耳打ちをしているようなものだったのです。
後から、由惟の父親は、母親のヒステリックな感情の矛先を由惟に向かうように仕向けて、自分や残りの子どもたちに被害が及ばないようにしていたことがわかります。つまり父親は、由惟を生贄にして自らの身を守っていたのです。
その後逸子が、母親が由惟に弁当を渡す現場を抑え、彼女を保護することに成功しました。
このエピソードでは、何かを守るために何かを犠牲にするという残酷な状況が描かれています。由惟が残飯を食べさせられているのを笑顔で見ている父親の姿が実に醜く、不気味な存在に感じられるでしょう。
児童養護施設「翼の家」で虐待がおこなわれていると通告を受けた、逸子と保健師の河原町玲子。さっそく調査に向かいます。当然のように虐待の事実を認めない施設側ですが、「しつけ」として軽い暴力を振るうところや、職員の児童に対する言葉使いなどから、疑わざるを得ない状況でした。
この施設には、粗暴な行動をする剛という児童がいて、職員のなかでも問題児として扱われていました。剛に対する「しつけ」はどんどんエスカレートしていきます。
同じく施設にいる5歳の和。時々、夜だけ木になっている「りんご」を絵に書いていました。たまたまその絵を見た女子高生が、どう見ても「りんご」ではないことに疑問を抱き、施設に通告してきます。
その正体は、大きな布袋に入れられた剛でした。
- 著者
- 穂実 あゆこ
- 出版日
- 2006-10-26
このエピソードは、児童養護施設にいる子どもたちの心理状態がキーになっています。かつて虐待をされていた子は、親から受けた辛い仕打ちの記憶をなくし、よいことだけを覚えて生きていることが多いそうなのです。
優しい家族の姿をほとんど知らない和は、施設に来た後も「普通でない」ことを認識する気持ちが欠如しており、いま自分がいる施設がよいところであると思い込もうとしていました。
また、通告してくれた女子高生も実の母親から虐待された経験があり、今の母親は本当の親ではありません。
虐待された子どもたちが、生きていくために自分の心を無理やり整理している姿は、痛々しく映ります。それを悲しいことと捉えるのか、たくましいと捉えるのかは、読者の判断に委ねられるのです。
小夜が亡くなった後、彼女の母親は各地を点々としていて、いまのアパートに来てから3ヶ月が経っていました。当時の旦那とは離婚しましたが、再婚相手も酒浸りで暴力を振るうような人間です。
さらに、彼女たちの隣の部屋に住む夫妻が、4歳の息子に虐待をしているようでした。毎日幼い友人が会いにきているのですが、会わせてもらえてない様子です。小夜はかつての自分の経験から察していましたが、どうしても助ける気になれないでいます。
しかし、ある時偶然見てしまった虐待されている息子の姿や、友人の健気な姿にとうとう耐えられなくなり、逸子に連絡をするのです。
この家庭は逸子の管轄地域外ですが、そんなことは関係ありません。とにかく子どもの命を救うことが最優先だとして、「強制立入」の権利を使って子どもを助け出しました。
事件がひと段落し、小夜の母親と言葉を交わす逸子。16年前、彼女が毎日届けていた給食のパンが、1度だけ小夜の口に入っていた事実を知ります。過去の悲しい出来事が、少しだけ報われるエピソードでした。
虐待をテーマにした漫画『児童養護施設の子どもたち』について紹介した<漫画『児童養護施設の子どもたち』の見どころをネタバレ紹介!>の記事もおすすめです。
なぜ虐待が起こるのか、原因はひとつではありません。数ある社会問題のなかでも難題を扱った本作を通じて、少しでも考える時間をつくることが、解決への小さな1歩に繋がるのかもしれません。