尾崎翠は一般的にはあまり知られていない作家ではあるものの、女性ならでは視点で描いた恋や愛の作品に高い評価を受けている作家です。今回はそんな彼女の作品を厳選して5作品紹介いたします。
尾崎翠は、大正時代を主にして活躍しました。60年以上にも及ぶ生涯の中で、作家として活躍したのは僅かでありながら、太宰治をはじめとして有名な文豪にも高い評価を受けました。
尾崎翠の作品は、回りくどい表現や難しい言葉づかいはなく、100年以上前の文章だとは思えない、読みやすいものばかりです。彼女の文章は彼女が感じたことをありのまま抜き出しており、ありありと情景が目に浮かぶようになっています。
本作品は、尾崎翠が神経の不調に悩まされて鳥取に帰郷する前の、最後の作品となっています。尾崎翠が感じたままを参考にし、内面で昇華された表現は美しく、すんなりと心の中に染み渡っていきます。
主人公の町子という少女は、人間の第六感を超えた先にある感覚、「第七官(感)」に響く詩を書きたいという願望を持っていました。しかしなかなかそれは適わず、妙な趣味を持つ兄弟や、浪人生の従兄弟たちと日々を過ごします。そんなある日、「私」は「ひとつの恋」をしたことに気が付くのですが……。
- 著者
- 尾崎 翠
- 出版日
- 2009-07-03
「私」が「ひとつの恋」を見つけるまでの軌跡、そしてその言葉の意味が徐々に明かされていく様子を描いた物語です。メインは町子の恋ですが、そこを彩る人物たちの描写も面白おかしく、すぐに読み進めてしまいます。彼らは分裂心理や蘚の恋愛を研究しているという変わり者なのです。
「第七官」とは尾崎翠の造語になっていますが、その意味を考えながら読んでいくと、町子本人にも分からない「第七官」の実態が少しずつ掴めてきます。「ひとつの恋」が「第七官」にどのように影響するのかも明確にはかかれない本作品はその雰囲気と余韻を楽しむ作品とも言えるでしょう。
本作品は、尾崎翠が若年の際に発表した作品をまとめて本にしたものです。本作品には詩、短歌、散文が収録されており、そのどれもが尾崎翠の曇りなき五感で捉えられ、綴られた美しい文章に仕立て上げられています。
この作品が書かれた時期が18歳~24歳であると考えると、その感性の鋭さ、ありのままに世界を受け入れる素直さに驚かされます。10代後半から20代前半の時期は、大人として自立しはじめる時期です。そのため、社会に対する反感や怒りを蓄えてしまい、物事を捉える瞳が濁ってしまう時期でもあるのではないでしょうか。
- 著者
- 尾崎 翠
- 出版日
- 2004-09-16
しかし、『迷へる魂』に収録された作品からは、そのような濁りは感じられません。どこまでも純粋で、どこまでも真っ直ぐに自然を、そして自分自身を見つめ続けた尾崎翠による言葉たちは、社会に疲れた私たちを癒してくれます。
「……されど/われいづくに帰らん、/迷へる魂とともに」
という言葉は、少女の郷愁の想いを、ありありと表現しているようです。彼女の言葉を読み進める内、偏見なく世界を観察すること、ありのまま世の中を見ることが、どれほど大切なのかが分かってくるでしょう。世界は醜いものと思っている人にこそ、読んでほしい、純真無垢な作品集です。
青春は一瞬で過ぎてしまいます。感受性が豊かだった青春の日々はきらきらと輝いていて、何よりも美しい思い出となっている人も多いのではないでしょうか。『アップルパイの午後』は、そんな、一瞬の日々を、尾崎翠の敏感な感性で捉え、文章に閉じ込めた作品です。
アップルパイの午後―尾崎翠作品集 (1975年)
恋愛と喧嘩という、青春の二大要素を詰め込んだ本作品は戯曲という形をとっています。甘く、しかし恐らくすぐに過ぎ去ってしまう一瞬と、意見が食い違い、お互いに若いため、言い争ってしまう……。そんな青春の一ページが会話形式でありありと伝わってきます。
「アップルパイ」は作品中に主人公が口にする食物なのですが、本作品のそれは青春を象徴する味です。甘さが口いっぱいに広がりながら、けれどときどき、リンゴ特有のほんのりとした酸味が広がる。読んでいるだけでそんな味が口いっぱいに広がるような心持ちがする、まさに甘酸っぱい作品です。
尾崎翠の比較的後期の作品です。主人公である「こほろぎ嬢」と、とある詩人との恋愛を巧みに描いています。少女の目から見た世界と、若々しい感情の渦、そして尾崎翠の鋭敏な感覚で捉えられた世界を味わうことが出来るのです。
- 著者
- 尾崎 翠
- 出版日
『こほろぎ嬢』でのメインは、たどたどしい二人の恋愛です。恋に恋をするような性格である『こほろぎ嬢』は、恋に関してはとても勇敢です。愛しい人と過ごした屋根裏部屋からでなくなってしまうほどの恋愛体質。恋に溺れている様子は、甘くあり、どこか滑稽でもあり、恋愛の醍醐味を初々しいふたりに見ることができます。
そんなふたりの恋は台風のようにその渦の力を増していきます。恋をしたことのある誰しもが、若かった頃の恋愛は未熟に感じて思い出すのも恥ずかしいような体験をしている人もいるのでは?そんな若かりし頃の恋愛にトリップしてしまうような作品です。
尾崎翠が捉えたユーモラスの世界を味わうことのできる本作品。私たちが世界を捉えるとき、気を抜くと何の疑問もなく見てしまいがちなのではないでしょうか。尾崎翠はそんな視点に疑問を呈してくれます。私たちの見ている世界は、もっと面白いのではないか? という新たな視点を提供してくれるのです。
- 著者
- 尾崎 翠
- 出版日
詩人・土田九作は、自分を取り巻く世界についてじっくりと考えていました。詩を書くためには、世界を面白く捉えなければならなかったのです。ある日九作は、失恋している女の子に恋をしてしまいます。そして「地下室アントン」を訪れるのです。九作は世界の面白さを捉えることが出来るのでしょうか。
九作の捉える普通だったら病気かどうかを疑うのではないでしょうか。しかし、九作は「象が二重人格で苦しんでいるかもしれない」と考えるのです。凝り固まった観念の外にある、新たな視点を提供してくれる九作。読んでいるとどこか洒落っ気のあるユーモアが癖になる作品です。
尾崎翠は素晴らしいみずみずしい感性によって世界の断片を収集し、巧みな技巧によって綴ります。彼女の綴る文学は、ありのままの世界に触れる楽しさを感じられる作品ばかりです。