通信社で国際的な政治の裏を見てきた辺見庸。その反骨精神漲る作品群は読者にたくさんのことを考えさせてくれます。辺見庸の作品のおすすめを5作ご紹介します。
辺見庸は1944年、宮城県石巻市南浜町生まれの小説家です。エース記者として知られていた共同通信社時代、『近代化を進める忠告に関する報道』で新聞協会賞を受賞し、書記辞任に絡む中国共産党の機密文書をスクープしたことで国外退去処分を受けたこともあります。
さらに、外信部次長時代の1991年『自動起床装置』で芥川賞を受賞しました。
1995年に地下鉄サリン事件に遭遇したことで、1996年には共同通信社を退職して本格的な執筆活動をスタートしています。
社員を効率よく働かせるため、通信社に設けられた睡眠管理セクションでアルバイトをする「ぼく」の仕事は、宿直者を時間通りに起床させる「起こし屋」でした。
あるとき、「自動起床装置」が睡眠管理セクションに導入されることが決まり……。
この作品のテーマは「眠り」で、「ぼく」のアルバイトの先輩の聡は装置に敵意を向けます。「ぼく」は傍観者的な立場です。
「自動起床装置」という人間性を剥奪していく装置と、それに立ち向かい眠りを守ろうと必死にもがく「ぼく」と聡の姿に、日常を蝕んでいく非人間的システム VS 人間性、というテーマが見出されます。
- 著者
- 辺見 庸
- 出版日
もっとも人間らしい欲の1つである睡眠までも機械で制御しようとするシステムは、現代社会の歪みへの警鐘のように思われます。
装置が空気を送り込まれて膨張したり縮小したりするだけの単純なゴムの塊であるところに、辺見庸の社会への冷めた眼を見せつけられた気分にもなります。
自分が生きる社会について、これでいいのかと考えさせられるきっかけになりそうな1冊。ぜひ読んでみてください。
辺見庸が新聞や雑誌などのさまざまな媒体で発表した文章をまとめた1冊。
表題作となっている「反逆する風景」は、辺見曰く「ものを書くうえで、フィクション、ノンフィクションを問わずだが、それら不整合を取り込むべきか否か」がテーマです。
文章を書く際には、テーマがあって核があります。それを書くにあたって取材をしたり調べたりすれば、核に当てはまらない部分や必要のないものがどうしても出てくるのですが、それらの不要な箇所を切り捨てるか拾うかということを書いているわけです。
- 著者
- 辺見 庸
- 出版日
- 2014-10-30
辺見庸は、核に必要がない、本来の話から外れたできごとを「意味のない風景」とし、その意味のなさを「反逆」と呼んでいる考え方、表現の仕方が独特で、そこがこの本を面白くしているのかもしれません。
日頃からものを書くことをしている人には興味深い内容で、書かない人にはもの書きの気持ちがわかるのではないかと思います。辺見庸のおすすめ作品です。
宮城県石巻市生まれの辺見庸が東日本大震災以後に書き綴った詩集。
当時住んでいた街は、この震災で跡形もなくなってしまったのだそうです。
この中に「水のなかから水のなかへ」という詩があるのですが、
「半世紀まえ 眼にまつわったひとつぶの予感の涙から 海がうるんで浮んだ 海は暗い底にびっしりと声たちをしずめていた」の部分にぐっと胸を掴まれました。
ここにある半世紀前とは、辺見も経験した1960年の「チリ地震津波」の記憶によるものだそうです。
未曾有の震災による被害による実際の姿を伝えるのに、多くの言葉を使うことができず、詩という表現方法を選んだ辺見庸の心の痛みを感じ、苦しくなりました。
- 著者
- 辺見 庸
- 出版日
- 2011-12-01
当たり前にあるべきはずだった故郷、なくなるはずがないと思っていた場所が失われてしまうなんて、想像すら追いつかない辛さだと思います。それだけに辺見庸の言葉は、当時のどんな報道よりもリアリティをもって迫ってくるのです。
ふだん詩を読まない人にも、ぜひ読んでいただきたい1冊です。
基地と原発をテーマにして「沖縄タイムス」で連載されていたインタビュー記事を書籍化したものです。
辺見庸はこの作品の中で、東日本大震災直後のことについて語っています。
駐日大使が被災地を訪問したことに触れ、トモダチ作戦や感動的シーンの陰に戦略的演出があり、それに気づきつつもメディアが書かなかったこと、メルトダウンに関しても報道せずに通り過ぎてしまったこと……などを通して、日本の報道メディアの敗北だと言い切っているのです。
- 著者
- ["内田樹", "小熊英二", "開沼博", "佐藤栄佐久", "佐野眞一", "清水修二", "広井良典", "辺見庸"]
- 出版日
- 2012-11-21
それを読んでどう判断するかは個々の考え方だとは思いますが、「国という幻想や擬制が一人ひとりの人間存在や命と引き合うものかをまず考えたほうがいい」と言い切ってしまうあたりに現在の日本の本質を見抜いていて、さすが鋭く社会を見ている、と感心させられます。
辺見庸と同じく他の方のインタビューも考えさせられるものばかりで、充実した本になっています。地方紙の企画だからこそ作り上げることのできた辺見庸の一冊です。
「人びとと同じものを、できるだけいっしょに、食べ、かつ飲む」――これを目的に世界中を回った「食」についてのルポタージュ。
「食」をテーマにしているからと言って、食欲が湧く本ではありません。「それ、食べていいの?」と思うものすら食べねば生きていけないような、極限状態にある人々が多く登場し、著者同様に、恵まれた環境にある人間として、困惑や迷いが生まれてしまいます。
従軍慰安婦の話があったり、戦争中のミンダオ島での食事の話が生々しく語られたり、世界各地ではまだ「第二次世界大戦」は終わっていないのかもしれないと感じさせる過酷さも描かれていました。
- 著者
- 辺見 庸
- 出版日
キリスト教系国際救援団体「ワールド・ビジョン」で働くフレッドの助言を受けて、エイズ孤児や孤児を引き取っている家にいろいろなものを配るエピソードが書かれている章があります。
物を配るという行為の中にある「偽善」のようなものに困惑している辺見庸に対して、フレッドが言い放つ「驚いたり、嘆いたりならだれにでもできる」という言葉がとても重たく沁み込みました。
こんなことをしつつも、辺見は社会情勢に物申すという気持ちで世界を巡ったわけではなく、ただの行き当たりばったりだったのだとか。
だからこそのリアリティや率直な感想が書かれていて、読みやすいルポとなっています。身構えずに読めるのと同時に、世界の「食」について改めて深く考えさせられることでしょう。
外信部で日本以外の風景を見てきたからこそ書ける作品を多く発表している辺見庸。古い時代を描いたものもありますが、現代社会とさほど大きく違いもないのではないかと思います。ぜひ読んでみてくださいね。