芳賀哲哉 著『teardrop』の英語版が、2021年11月に刊行されました。本作は2018年に刊行された日本語版SF小説『teardrop』を、作者自ら英語に翻訳したものです。今回は英語版の刊行に際し、アンドロイドの心の在り方を問う本作の魅力を綴ります。
今回ご紹介するのは芳賀哲哉が2018年に刊行したSF小説、『teardrop』です。
作者の芳賀哲哉は1984年生まれ、東京都在住。2010年に『満たされた心』を出版し、2016年には文芸思潮現代詩賞に入選をはたしました。
『teardrop』は人間に極めて近いアンドロイドが普及した近未来を舞台に、機械犯罪課の警察官・36番と、バーの歌姫アンドロイド・カレンの交流や関係性の変化、アンドロイドの人権獲得や待遇向上を主張するレジスタンスの戦いを描いています。
主人公は通称36番と呼ばれる青年。彼はメガロポリスの機械犯罪課に配属されている警察官です。この機械犯罪課の面々は個人情報秘匿の為、お互いを番号で呼ぶ慣例になっていました。
ある日同僚たちとミュージックバー「トランスフォーマー」に出向いた36番は、ステージで朗々と歌い上げるアンドロイド・カレンに強く惹かれます。
カレンの歌声を褒める36番に対し、仲間たちは「上手いのは当たり前だろ。そういう風に造られてるんだから」と失笑します。
この世界には様々なタイプのアンドロイドが普及していますが、彼ら彼女たちは人の形をした道具として見下されています。しかし36番はアンドロイドに対し世間一般とは違った感情が芽生え始めており、カレンへ酒を勧めました。
後日、アンドロイドの地位向上を主張するレジスタンス団体の鎮圧に赴いた36番は自爆テロに巻き込まれます。
その際幼い少女の姿をしたアンドロイドを仕方なく殺めてしまった36番は、以降に悪夢に苛まれ、カレンに救いと癒しを求めるのでした。
『teardrop』の見所はなんといっても美しく端正な文章。
36番と無機質な数字を振られた主人公が一人称で語る物語は、通奏低音に抒情的な余韻を漂わせて読者を引き込みます。とはいえ難解な言い回しや専門用語は使っていないので、SF小説特有の敷居の高さを感じずにすみます。
本作で語られているのはむしろ現代社会にも通じる普遍的な問題、異なる人種への差別でした。
序盤、レジスタンスの鎮圧に赴いた36番がやむをえず幼女型アンドロイドを処分するショッキングなシーンがあります。そこでのアンドロイドとのやりとりが、36番に「アンドロイドの命」についてより深く考えさせることになりました。
彼女は人間の老教授が死んだ娘に似せたアンドロイドで、36番の手をとり、「命の音」を聞かせます。そうすることで自分たちもまた心や感情を持っていること、人間たちと同じ痛みを感じる存在であると訴えたのです。
『teardrop』ではアンドロイドを差別、迫害する人間の醜悪さや卑劣さが容赦なく暴かれていきます。カレンの歌唱中に嫌がらせをする若者の集団がその典型例で、人間はこうも浅ましくなれるのかと胸が痛みます。作中ではアンドロイドに肩入れする36番がむしろ異分子として扱われるのです。
36番とアンドロイドたちとの触れ合いを通し、彼らに感情移入した読者は、善悪の価値観を根底から揺るがされます。
さらに36番の対立軸として機能するのが13番の存在。
初登場時は青臭く頼りなかった新人が、レジスタンスによるテロに巻き込まれたのをきっかけに、アンドロイド殲滅を誓うのです。
同じ事件に直面したにもかかわらず片方はアンドロイドへの同情に目覚め、片方は復讐の道に突き進む……この数奇な分岐がドラマを一層盛り上げていました。
アンドロイドと人間の対立を描いた小説は枚挙に暇がありません。SFジャンルではむしろオーソドックスなテーマで、先行者は数多く存在します。
『teardrop』の特筆すべき点は、アンドロイドの死生観に焦点をあてた試みです。
作中にて、13番が娼館に乗り込んでアンドロイドの娼婦たちを虐殺するシーンが出てきます。36番は13番の行き過ぎた殺戮を非難しますが、彼は全く耳を貸しません。
その後、36番は工場街に足を伸ばして13番がスクラップにしたアンドロイドの葬儀に出席しました。十字架を掲げた焼却炉にて、アンドロイドたちが仲間の死を悼む静謐な描写は一際強い印象を残します。
文明が発展にしたがって目に見えないものへの敬意を忘れてゆく人間とは反対に、自我や感情が芽生えたアンドロイドたちは、目に見えない概念……即ち神や天国に縋り出すのです。
本作を読んでいると、人間の精神面は物質的な豊かさと反比例し退化しているのではないかと思えてなりません。一方、アンドロイドの進化は魂の深化を意味しているように感じます。たとえ人に造られた機械であろうと、仲間の死を悼んで亡骸に手を伸ばす彼女たちに心が宿ってないはずがないのです。
そして本作では、心を描写するにあたり、歌、音楽もまた重要な役割を担っています。人間もアンドロイドも歌を愛する心は同じ。たとえばヒロインのカレンは機械の声帯を搭載する歌姫ですし、36番が関わることになるレジスタンス団体「マリアの日」のリーダー、ルディ博士もまた前時代の音楽をこよなく愛しています。
「辛いと思うことはない?」
「ありません。掃除や給仕は楽しくはないですけど、歌えるのであれば文句はありません。それで幸せなんです」
36番が投げかけた「心」の問いにきっぱり答えるカレンからは、歌へ賭ける情熱と誇りが伝わってきました。
『teardrop』にはカレンや他のアンドロイドが歌唱するシーンが頻繁に登場し、その際の描写が彼女たちの本音、あるいは聞き手との距離感を饒舌に代弁しています。
カレンが紡ぐ歌声を美しい比喩を織り交ぜ表現することで、本作はSF小説であると同時にヒューマンドラマとして昇華され、音楽小説としての側面も持ち合わせています。
レジスタンス団体「マリアの日」の真の目的、そしてその意味を知りたい方はぜひ小説を読んでください。衝撃的な展開が待ち受けています。
『teardrop』はジャンルボーダーの傑作です。
二人の間に育まれた確かな絆に、カレンと36番の幸せを祈り、物語がハッピーエンドであれと望みたくなるような本です。
人ならざる者に心はあるのか。そして、アンドロイドに心があるのだとしたら、彼らを差別し、処分しようとする「人間」の心の在り方は、心がある者として正しい姿なのか。
「心」というものの在り方について考えさせられる小説です。
- 著者
- ["芳賀 哲哉", "加藤 剛"]
- 出版日
- 著者
- Haga, Tetsuya
- 出版日