本好き芸人でnote芸人でもある、赤ノ宮翼さんによるブックセレクトコラム「今月の偏愛本 A面/B面」!B面では「今読んでほしい!」と思う本を、A面よりも自由度高めにおすすめしていただきます。 海外小説をあまり読んでいないことに気が付いた赤ノ宮翼さん。今回紹介する『雪の練習生』は、「海外小説に手を出しづらい」という方におすすめできる、海外在住の日本人作家・多和田葉子さんによる小説です。
あらすじでは伝えきれない物語を、文体や構造から味わう小説
数年前から自分が読んだ本を記録し始めたのだけど、振り返って見たら圧倒的に海外の小説を読んでいないことに気づいた。
読書が好きになった小中学生の頃は図書館でよく海外ファンタジーを読んでいたものだけど(「ハリー・ポッター」「ダレン・シャン」「バーティミアス」シリーズなど)、最近はすっかり読まなくなってしまっている。
それでも一年に数冊程度のペースで海外の小説を読むこともあるが、数で見たら圧倒的に日本の小説が多い。
理由をいくつか考えてみたが「文体」というものは大きい気がする。
海外の小説は翻訳したものを読むわけだけど、翻訳者によって文体は大きく変わる。
同じ小説でも翻訳者によってニュアンスが変わる場合もあり、「この小説はこの翻訳者の方が読みやすい」といった情報を得ても、そちらがあまり流通していないから仕方なく別の方を読むか……ということもある。
好みの文体の翻訳者を見つけても、その人が自分の読みたい海外の小説を翻訳しているとは限らない。
そういった様々なハードルを考えると、ストレートに読める日本の小説の方が数が多くなるのもうなずける。
ただ、だからといって海外の小説を全く読みたくないというわけではない。
ハードルはあるにしても、それでも海外の面白い物語は読んでおきたい。
そんなことをぼんやり思いながら書店を歩いていると「全米図書賞受賞」という文字が飛び込んできた。
多和田葉子さんの『雪の練習生』の文庫版の帯に書かれていた文言である。
受賞したのは別の作品ではあるが、表紙を見て数か月前に知人が『雪の練習生』をSNSで褒めていて、今度読んでみたいと思っていたことを思い出した。
作家のプロフィールを見ると「ベルリン在住」と書いてある。
全米図書賞を受賞しベルリン在住の作家の小説ならば、自分がよく読んでいる日本の小説とはまた違う感覚を得られるかも知れない。なんとなく海外の小説の雰囲気が流れていることを察知し『雪の練習生』を読み始めた。
結果として、海外の小説を読んだような感覚になれたかどうかは分からないが、まだまだ自分が知らないだけで面白い小説は沢山あるんだな、という感想になった。
- 著者
- 多和田 葉子
- 出版日
- 2013-11-28
ひょんなことから書き始めた自伝によって作家になった「わたし」が描かれる「祖母の退化論」、その娘でサーカスの人気者になった「トスカ」が描かれる「死の接吻」、トスカの息子で動物園の人気者になった「クヌート」が描かれる「北極を想う日」という三編によって紡がれるホッキョクグマ三代の物語。
『雪の練習生』はまずホッキョクグマの「わたし」の物語から始まる。
あらすじにそう書いてあるし、冒頭の文章もなんとなくホッキョクグマっぽい描写があるので、そうなのだろうと思いながら読み進めていくと、少し混乱してくるかも知れない。
「わたし」がある会議に参加し「我が国における自転車の経済的意味」に関して堂々と発言を始め出すのだ。
「あれ?ホッキョクグマが主人公ではないのか?」と思いながらまた読み進めていくと、「わたし」がサーカスに所属していたことがわかり、知り合いに文芸誌の編集長になっているオットセイがいる、という描写が続き、このあたりでようやく「そういう世界」なのだと認識することができる。
動物が主人公の小説は数多くあるし、ホッキョクグマが会議に参加し、オットセイが編集長をしているのも「そういう世界」なのだと言われてしまえば、こちらは従うしかない。現実にはあり得なくても、そういうファンタジーの世界を楽しむことができるのも読書の良い所だ。
そう思い、動物が登場するファンタジーの世界として楽しもうとまた読み進めると今度は「東ドイツ」「亡命」といったファンタジーの世界には似つかわしくない単語が飛び込んでくる。
「これは現実の話なのか?でも現実にこんなホッキョクグマいないよな?」と混乱しながらも、当時のドイツの緊迫した状況とホッキョクグマのユーモラスな描写が心地よく積み重なり、どんどんと読み進めていくことになった。
この、現実でもないファンタジーに振り切ってもいない、他に見ない独特の世界を描いているというのが『雪の練習生』の大きな魅力の一つだと言える。
最初の編である「祖母の退化論」では「わたし」が自伝を書き人気作家になっていく、という話が大きな軸になっている。
その「わたし」が書いた自伝も小説の中に登場するのだが、「わたし」が実際にしている行動と、「わたし」が過去を回想し書いた自伝の文章が小説の中に同時に存在しているので、「今、これは誰がどのような行動をしているんだ?」と少し混乱する人もいるかも知れない。
そして、それは次の「死の接吻」でも続いていく。全体を通して「ものを書く」ということも一つのテーマになっているのだ。
小説にもの書きが登場し、その登場人物が書いた文章が描かれることも少なくはない。
分かりやすくするために、登場人物の作中の言動を描く地の文とは違うフォントで書いたり、〈〉や【】のように括弧を使って、別の文章だということを強調する場合もあるが、『雪の練習生』ではそこまでわかりやすく分けられてはいない。
一行空いたり、明らかにそれまでの文章とは違う人物が登場したり、ある程度は読者も理解できるような構造になってはいるものの、感覚としてはシームレスに近い。
その構造に混乱しつつも、次第に「これは小説のような文字媒体でしか味わえない表現だ」ということに気づけるのだ。
最後の「北極を想う日」に登場するクヌートは実在していた、ということに気づいたのは全て読み終えた後だった。文庫版の解説でそのことについて触れていて、そこで「そういえばそのような名前のホッキョクグマがいたかも知れない」とその存在に思い当たったのだ。
ウィキペディアによると、クヌートはベルリン動物園で生まれ、母のトスカ(「死の接吻」に登場するトスカも実在するのだと気づかなかった)が育児放棄したため、人工哺育で成長し世界中で人気を集めたとあった。
クヌートの飼育係を勤めたトーマス・デルフラインは作中には登場しないが、彼をモデルにしたであろう人物は登場する。
作家のホッキョクグマが登場するような世界を描きながらも、実在したホッキョクグマも登場するのだ。
「北極を想う日」はクヌートが動物園に来て、人口哺育を受けながら成長していき、動物園の人気者になっていく姿が描かれている。
ノンフィクションではないので、当然事実とは異なる部分は多いのだが、それでも作者の多和田さんが実在するクヌートを登場させたのにはどんな意味があるのだろうと考えてしまう。
「クヌートみたいに動物園で人気を博したクマ」を登場させれば、物語としては成り立つはずなのに、トスカとクヌートという名前を出したのだ。
実在するものを登場させることで、よりリアルに物語を感じて欲しかったのかも知れないし、ウィキペディア上にも育児放棄をした、という情報ぐらいしか残されていない母親のトスカにも「こんな事情があったのかもしれない」という、もしもの世界を描きたかったのかも知れない。
実際に何が起きたかは分からないが、それでも作中に登場するトスカもクヌートも生き生きとしていて、とても幸せそうに思える。
現実の凄惨な事件をフィクションでハッピーエンドにする、というような「もしもの世界」の描き方ではないが、それでも現実の出来事を物語に昇華することで、完全なフィクションよりも心に残るものはある、ということは事実である。
『雪の練習生』は大きな物語が展開していくわけではないので、あらすじだけで「面白そう」と思ってもらうことは少し難しいかも知れない。実際、自分も文庫版に掲載されているあらすじを読んで「どういう話なんだろう」と首をかしげながら読んだのだけど、「うまく言えないけどすごいことが起こっていて、何か面白い」という感覚が1番近いように感じた。
独特な世界やユーモアに溢れた文体、一筋縄ではいかない構造など「小説としての面白さ」を存分に楽しむことができる小説だと思った。
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writer:赤ノ宮翼 Twitter
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