「レッドブルつばさ」からの改名を発表した赤ノ宮翼さんによるブックセレクトコラム「今月の偏愛本 A面/B面」!A面では映像化作や文学賞受賞作など、今月買って読んで間違いなしの1作をパワープッシュしていきます。 第4回はアニメ化された『氷菓』でもおなじみの米澤穂信さん著『本と鍵の季節』。赤ノ宮翼さんが推す、登場人物の青春バディ感に注目です!(編)
もはや青春小説!
初心者でもミステリーの幅広さを感じることができる小説
この連載では基本的にミステリー小説は扱わないつもりだった。
感想を述べる上で、中身に触れるとどうしてもネタバレをしてしまう部分があり、特にミステリー小説というジャンルは、謎そのものが面白いものであることが多いので、このような形で紹介するのは適していないと思っていたからだ。
また、個人的な話だが、そもそも昔からミステリー小説をあまり読んでこなかったことも関係している。有名な作品(「シャーロックホームズ」シリーズや『十角館の殺人』など)をいくつか読んだことはあるが、なんとなくミステリー小説の構造として「事件が起きて、それが意外な犯人または意外なトリックによって行われていたことが明らかになる」ということが軸になっていて、その“意外さ”の幅を広げることで成熟していったジャンルだという認識があった。今までのミステリー小説にはなかった斬新なアイデアやトリックが生み出されることで「新しいミステリー小説」として取り上げられるのであろうと思っていたのだ。
実際に、事件のトリックが面白いものや小説の構造が面白いもの(いわゆる叙述トリックと言われるものなど)を読んで、確かに読んでいる時は夢中になって読み進めるけれども、一度手の内がわかってしまえば、その魅力は半減してしまう。
“意外性”というものは基本的には最初の一回しか作用しない。そして、その点が小説を読んでいて「アイデアが消費されている」という風に感じてしまうのだ。
以上の理由から、様々な制約があるミステリー小説は紹介するのは難しいと感じていたが、この『本と鍵の季節』は違った。
作者は米澤穂信さん。デビュー作の『氷菓』から始まる〈古典部シリーズ〉はアニメ化もされ人気を博している。私も、作者の名前はこのアニメから知った。
私がよく行く書店は新作のミステリー小説の特設コーナーが大々的に展開されている(どこの書店でも同じだとは思うが)。
たまにはミステリー小説を読んでみようかと思ったが、仰々しい帯の言葉や海外ミステリーの表紙を見ていると二の足を踏んでしまう。
その時に米澤穂信さんの『栞と嘘の季節』という本が目に入った。
〈古典部シリーズ〉は何冊か読んだことがあり面白かった記憶があるし、本の説明文には「青春図書室ミステリー」という文字があり、そこで親しみを覚えた。
『栞と嘘の季節』はシリーズ2作目ということなので、一作目の『本と鍵の季節』を手に取り読んでみたが、それは先ほど述べたようなミステリー小説に対する考えから離れた面白さがあった。ミステリー小説の中でも“意外性”だけではない魅力が存分にあるのだと再認識できた。その魅力については、ここから紹介する本書の魅力の3つ目としてこの記事の最後で述べているので、ぜひ最後まで読んでいただきたい。
- 著者
- 米澤 穂信
- 出版日
〈僕〉こと高校2年生で図書委員の堀川次郎は、同じく高校2年生で図書委員の松倉詩門と付き合うようになってから、学校内外で起きるおかしな出来事に関わることが増えていった。全6編からなる連作短編集。
『本と鍵の季節』は全6編の短編で構成されている。基本的には各編で1つ事件、といっても殺人事件のようなものではなく、例えば「先輩に開かずの金庫を開けてもらうように頼まれる」とか「テストの問題用紙を窃盗した生徒のアリバイを証明する」といったような、あくまで日常に根付いたちょっとした出来事を、語り手である堀川次郎とそのバディ的存在である松倉詩門が解決していくという話になっている。
しかし、全ての事件や謎が完全に解き明かされるわけではないのが、この小説の大きな特徴の一つである。
最初に提示された大きな謎を解き明かしはするのだが、そこに付随する別の謎は完全には解き明かされない。例えていうなら「犯人のトリックは見破るが犯人がなぜ犯行に及んだかは明かされない」という感じである。
自分がイメージするミステリー小説は、その2つが必ずセットになっているが『本と鍵の季節』ではそうではない。
確かに全てが解き明かされないとモヤモヤ感は残るのだが、その感覚がむしろ心地よく感じるのだ。実際に、現実の世界でこのような出来事があったら、確かに全てを知ることはないだろうし「あれって結局何だったんだろう」とたまに思い出すことがあるだろうが、その辺りもフィクションのラインを飛び越え過ぎない、日常に根付いた事件を扱うという点でも親和性を感じる。
本書の説明文に「青春図書室ミステリー」とあるように、物語の起点となる舞台は図書室が多く、主人公の2人が図書委員として業務を行っているシーンも数多く描写されている。
私は、小学生の頃から学校内の図書室をよく利用していて、図書委員になった経験もあるので細かい描写に懐かしさを感じずにはいられなかった。
さらに、謎を解くきっかけが図書室の本にあったり、亡くなった生徒が最後に読んでいた本を探す、というように本そのものが謎になっていたりと、タイトルに違わず「図書室の本」というものがキーワードになっていることが多い(もう一つのタイトルである“鍵”が起点になっている話もあるがここでは割愛)。
特に図書室をよく利用していた人にとっては、物語に没入しやすい内容だと言える。
こう書くと「では、利用していなかったら楽しめないのか」と思われるかもしれないが、『本と鍵の季節』ではその心配はない。
ジャンルとしては、ビブリオミステリー(本を題材にしたミステリー小説)とも言える本作だが、そこにマニアックな知識などは登場しない。あくまで、きっかけとして本が登場するだけで、例えば「作中に登場する本の内容を理解していないと、トリックに気づけない」といった読者側に知識を要求してくるようなことはない。
「図書室にこんな本があったな」ぐらいの距離感でも楽しむことができるのだ。
ミステリー小説なのに“意外性”ではない部分でこの作品が魅力的なのは、主人公2人の青春バディものとしての側面が強いことに関係している。
堀川と松倉は図書委員で出会い、基本的には図書委員としてしか学校内で関わることがない。お互いの過去を知っているわけでもないし、外でよく遊ぶような仲良しでもない2人が、共通の謎を通してお互いのことを少しずつ理解していく過程がまさに「青春ミステリー」の「青春」の部分を担っているのだ。
ミステリー小説といえば、ホームズとワトスンのようなバディがつきもので、これも勝手なイメージだがバディというのは正反対な人間であることが多い気がする。
正反対の2人がいがみ合いながらも事件の解決に向かって行き、次第に理解し合っていく、というものが王道パターンの気がするが、堀川と松倉は決して正反対というわけではない。
物語冒頭から、比較的仲良く話している描写があるし、2人ともどことなく大人びている様子があり似通っている。
そんな似通っている2人でも、同じ人間ではないので当然考えや価値観は異なっているが、そのキャラクターの描かれ方が「等身大の高校生」かつ「仲のいいクラスメイトではなく委員会が一緒の人」という絶妙な距離感を演出するのに一役買っているのだ。
そんな距離感の2人が、程よい温度感のまま謎に向かって行く、という感じがミステリー小説でありながら、青春小説としても楽しめる要因になっているのだと思う。
凝り固まった考えではあるが、やはりミステリー小説は「殺人事件」と「意外な犯人やトリック」が面白さの軸になっていると思っていたのだが、それらがなくても面白いミステリー小説があるということを再発見できた。殺人事件のような大きな事件ではなく、あくまで普通の高校生が体験するような身近な事件でも見せ方次第でいくらでも面白くなるのだろう。ミステリー小説というジャンルはまだまだ盛り上がっているし、自分が知らないだけで本当に様々なジャンルのミステリー小説があるのだろうという予感がする一冊だったと思う。
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