今回は幽霊屋敷をテーマにした恩田陸のホラー連作短編集、『私の家では何も起こらない』をネタバレを交えてご紹介していきます。
『私の家では何も起こらない』は、時代や立場の異なる複数の語り手の視点から、ある幽霊屋敷で起きたエピソードを語り起こす連作短編集となっています。
ここでは『私の家では何も起こらない』に収録された全10編の内容を解説します。
『私の家では何も起こらない』(表題作)
主人公は作家の「私」。彼女には丘の上の洋館に一人で暮らす風変わりな叔母がいました。叔母が住む屋敷は地元で評判の幽霊屋敷であり、怪しげな噂に事欠きません。
それが原因かどうかわかりませんが、叔母は二十年前に屋敷を売りに出していました。
しかし屋敷にはちっとも住人が居着かず、現在は「私」が引っ越し、仕事場兼住居として使っています。職業柄静かな環境と孤独を好む「私」は、地元の人々が敬遠する幽霊屋敷での生活を気に入っていたものの、突如現れた謎の男の存在が日常を脅かし……。
『私は風の音に耳を澄ます』
主人公の「私」は貧しい幼い少女。母親には虐待され、わがままな弟の世話と仕事に追われる日々を送っていました。そんな「私」に手をさしのべてくれたのは、丘の上の屋敷に住む「彼女」でした。
重労働から解放され、夢のような毎日を送る「私」。彼女は体の衰えた旦那様のために、特別な手料理を作っているそうなのですが……。
『我々は失敗しつつある』
ある酒場で知り合った四人の男女は、地元有名な幽霊屋敷に興味を示し、肝試しに向かいます。しかし屋敷の探索中に一人また一人と消えていき、不気味な人形へと置き換わり……。
『あたしたちは互いの影を踏む』
丘の上の屋敷に引っ越してきた双子の老女の姉妹。彼女たちはとても仲が悪く、常にいがみあってきました。ある時互いへの憎しみが頂点に達し、殺し合いに発展します。
『僕の可愛いお気に入り』
厳しい両親に抑圧され、息苦しい日々を送っていた「僕」。やがて「僕」は一人暮らしの老人を標的にした殺人鬼となり、血も凍る凶行を繰り広げます。その矢先、屋敷の床下に潜んだ少女に一目惚れするのですが……。
『奴らは夜に這ってくる』
祖父の「儂」が孫に語って聞かせる丘の言い伝え。屋敷がある場所はもともとインディアンの聖地で、足を踏み入れたら呪われると言われる場所でした。幼い孫は夜に這ってくる魔物の気配に怯えるものの、祖父はその正体を知っており……。
『素敵なあなた』
お客様を自慢のお屋敷に案内する「私」。饒舌に美点をアピールするものの、やがて記憶が錯綜し、過去に起きた惨劇の数々が甦ります。
『俺と彼らと彼女たち』
丘の上の屋敷の修理依頼を受けた大工。しかしそこは幽霊たちの巣窟と化しており、新人大工は逃げ出してしまいます。「俺」は引退した父親に助けを乞い、幽霊たちに立ち向かいます。
『私の家へようこそ』
『俺と彼らと彼女たち』に依頼人として登場した「私」が、友人を屋敷に招いて、幽霊たちのエピソードを離します。
『随記・われらの時代』
実はここまで読者が読んできた話は、作家Oが書いた短編でした。正体不明の人物がその事実を明かした上で、一連の考察を述べていきます。
- 著者
- 恩田 陸
- 出版日
- 2016-11-25
作者の恩田陸は本屋大賞を二度受賞した人気作家。『私の家では何も起こらない』は、熱狂的なスティーブン・キングファンであり、ホラーをこよなく愛する彼女が世に送り出した珠玉のゴーストストーリーです。
本作は丘の上にたたずむ一軒の屋敷を舞台にしたオムニバス。地名・人名などの固有名詞は登場せず、「私」「俺」「僕」と称す、語り手の視点でストーリーが進行します。
この仕掛けが実に巧妙で、叙述トリックに騙されることうけあい。欧米の「I」に相当する一人称「私」は、人物の性別や立場を曖昧にする役割を果たします。
また、恩田陸は特定の場所や空間、建物へのこだわりが非常に強いです。
本作では丘の上の幽霊屋敷に焦点が絞られており、屋敷そのものが主人公ともいえる、ミステリアスな存在感を放っているのに注目してください。
時系列がバラバラに配置されている為、過去・現在・未来が錯綜し、思いがけない所で伏線が回収されたり、登場人物の接点が明かされるのも読書の醍醐味です。
『私の家では何も起こらない』を彩るのは、ホラー作家・孤児の少女・農場経営の老人・双子の姉妹・サイコパス殺人鬼・大工の親子と、立場も年齢も様々なユニークな語り手たち。
自ら希望して、あるいは不運な偶然で屋敷に招かれた人々が辿る戦慄の運命は、人の不可解さと人知で測れない存在が与える恐怖が入り混じり、ブラックユーモアさえ感じさせます。
特に出色なのが『あたしたちは互いの影を踏む』。
これは仲の悪い双子の老女が、互いへの憎しみを募らせ殺し合いに至る顛末を描いた一編で、アップルパイの下ごしらえに交えて交互に綴られる心理描写がスリルを高めていました。
恩田陸の描くゴーストたちはどこか人間臭い愛嬌があって憎めず、『俺と彼らと彼女たち』は、これまで登場した幽霊総出演のスラップスティックコメディと化しています。
一方で怖い箇所はしっかり怖く、『奴らは夜に這ってくる』の「這うもの」の不気味極まる描写は、読んでいて背筋が寒くなるほど。
緩急自在なストーリーテリングの見事さは、ベテラン作家・恩田陸の面目躍如です。
『私の家では何も起こらない』では、彼ら・彼女らが幽霊になった背景のおぞましさが読者をぞっとさせます。
連続殺人鬼の少年は優秀な兄と比較され屈折し、双子の老女は似ているからこそ互いのささやかな違いや欠点を許せず、旦那様に尽くす「彼女」は子供の肉を使った最高の料理を旦那様に提供しました。
単純に幽霊がでるから怖いのではありません。彼女たちが屋敷に執着する理由の方が怖いとさえ言えます。
霊が新たな犠牲者を呼ぶのか、屋敷自体が意志を持ち人を呼ぶのか……。
故人の記憶が集積された屋敷はそれ自体が強力な磁場と化します。
裏を返せば、連綿と語り継いでくれる生者がいなければ私達の世界に幽霊屋敷は存在し得ないのです。
『俺と彼らと彼女たち』の大工が「家が立派になればお前たちも住みやすくなるだろ!」と霊を喝破したように、死者とは生者に依存する事で、辛うじて現世に留まっていられるのかもしれません。
『随記・われらの時代』にて、『私の家では何も起こらない』は作家Oが著した小説だと暴露されるものの、これまでさんざん叙述トリックに翻弄されてきた読者は、信用ならざる語り手の主張を鵜呑みにしません。
『私の家では何も起こらない』が作り事を並べ立てたただの小説なら、作家Oはどこへ消えてしまったのでしょうか?
あなた自身の目で答えを確かめてください。
- 著者
- 恩田 陸
- 出版日
- 2016-11-25
『私の家では何も起こらない』を読んだ人には、『ずっとお城で暮らしてる』(シャーリィ・ジャクスン)をおすすめします。
メアリ・キャサリン・ブラックウッドは最愛の姉・コニーと村外れの洋館で暮らしていました。地元の人間は何故か彼女を忌避し、コニーを白い目で見ています。他の家族は皆殺されてしまいましたが、優しく美しいコニーがいるだけでメアリは十分でした。
そんなある日従兄チャールズが来訪し、メアリの幻想の世界にひびが入ります。
これもまた信用ならざる語り手モノで、メアリの目を通して見ていた世界がひっくり返る瞬間の衝撃は格別。
- 著者
- シャーリィ ジャクスン
- 出版日
続いておすすめするのは『ぼくが死んだ日』(キャンデス・フレミング)。こちらはアメリカのヤングアダルト向けホラー。
『私の家では何も起こらない』と同じく、過去と近代が錯綜する構成が特徴。
テイストが異なる恐怖を詰め合わせた、オムニバスのお手本のような一冊です。
- 著者
- ["キャンデス・フレミング", "三辺 律子"]
- 出版日