三島由紀夫賞最終候補作!間宮改衣『ここはすべての夜明けまえ』不老不死になった「わたし」の魂の彷徨

更新:2024.5.20

第11回ハヤカワSFコンテスト特別賞を受賞して鮮烈なデビューを飾った間宮改衣の小説、『ここはすべての夜明けまえ』。 第37回三島由紀夫賞の最終候補作となった本作は、融合手術で老いない体を手に入れた「私」の、ひらがなを多用した一人称語りが魅力です。 今回は各方面で絶賛の嵐のSF小説、『ここはすべての夜明けまえ』のあらすじや魅力を、ネタバレを含めて徹底解説していきます。

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『ここはすべての夜明けまえ』の簡単なあらすじと登場人物紹介(ネタバレあり)

物語は2123年、九州の山奥の屋敷から始まります。

一世紀に亘る余生を持て余した語り手の「わたし」は、嘗て父に言われた家族史の編纂を思い立ち、数奇な半生を振り返り始めました。

1997年、4人きょうだいの末っ子として産まれた「わたし」。母は分娩時に死亡し、年の離れた兄姉は既に自立しており疎遠。唯一父だけが母と生き写しの「わたし」を可愛がりました。

生来病弱でひきこもりがちだった「わたし」は、慢性的な希死念慮と虚脱感に苛まれ、鬱屈した思春期を送ります。数少ない娯楽はパソコンで動画を視聴すること。とりわけボーカロイドの楽曲『アスノヨゾラ哨戒班』を愛し、AIと名人が繰り広げる将棋の電王戦に夢中になりました。

25歳の時、娘に先立たれるのを恐れた父の意向で融合手術が施されます。

この手術は体の大半を機械に置き換えるもので、永遠に老いない体が手に入るメリットと同時に、セックスができず、子供が産めなくなるデメリットを伴っていました。

手術後……父は冷たく固い機械の体に生まれ変わった娘を拒絶し、自分の介護に当たる「わたし」を死ぬまで邪険にします。

「わたし」のきょうだいも様々な問題を抱えていました。

精力的に働いて妻子を養ってきたこうにいちゃんは、定年後すぐに合法化されて間もない安楽死を希望します。

同性のパートナーと暮らしていたまりねえちゃんは突然死。

さやねえちゃんはシングルマザーになり、父を看取った家に一人住む「わたし」のもとに、たびたび甥のシンちゃんを預けにきました。

さらに月日は流れ、立派に成長したシンちゃんは「わたし」に告白。「わたし」は甥の想いを受け入れるものの、カミングアウトの翌日にさやねえちゃんが飛び下りて……。

主な登場人物

  • 「わたし」  本作の語り手で1997年生まれ。名前は最後まで出てこない。25歳の時に融合手術を施され、永遠に老いない機械の体を手に入れる。
  • おとうさん 「わたし」の父親。亡き妻に生き写しの娘を溺愛し、子供の頃から性的虐待を加えてきた。機械の体になった「わたし」を嫌悪して辛く当たる。
  • こうにいちゃん 長兄。サラリーマンで既婚者。合法化されて間もない安楽死措置を望む。
  • まりねえちゃん 長姉。事実婚状態の同性のパートナーがいた。
  • さやねえちゃん   次姉。シングルマザーとなり男児を出産。「わたし」と息子の関係を知らされた翌日に自殺。
  • シンちゃん 「わたし」の甥でさやねえちゃんの息子。幼い頃から「わたし」に片想いしていた。
  • トムラさん   「わたし」とシェルターで対話する新人類。互恵性を重視する合理的思考の持ち主。性別不明。
著者
間宮 改衣
出版日

不老不死の少女の饒舌な独白。ひらがなを多用したモノローグの効果

『ここはすべての夜明けまえ』は1992年生まれの新人作家、間宮改衣(まみや・かい)のデビュー作。第11回ハヤカワSFコンテストにおいて特別賞を受賞し、第37回三島由紀夫賞の最終候補作にも選出され、各方面から熱い注目を浴びています。

本作の審査に当たった編集者は衝撃を受け、SFマガジン2月号に全文掲載を決定。2010年代にリリースされたOrangestar『アスノヨゾラ哨戒班』や将棋の電王戦が取り上げられているのも、同時代を生きた読者には嬉しいですよね。

本作最大の特徴は「わたし」の幼稚な語り口の変化。故意にひらがなを多用し、極力読点を抑えた文体は、混沌とした思考をとめどなく垂れ流しているように受け取れます。

センテンスが長い文章は慣れるまで大変ですが、その饒舌さこそが凄まじい没入感を生んでいるのに注目。

もちろんこの文体は計算ずく、「わたし」の精神年齢と密接にリンクしていました。もとより集中力散漫で落ち着きのない「わたし」の傾向が、焦点を絞る対象が次から次へと移り変わるせいで脈絡を持たない、フラットな文体に見て取れます。

物語の進行に伴い「わたし」の独白には難しい漢字が増え、情緒の発達がほのめかされます。

序盤の「わたし」が25歳より遥かに幼く感じるのは、特殊な家庭環境に軟禁され、長いこと精神が遅滞していたから。

父の虐待や周囲の無関心が健全な成長を阻んだのは言わずもがな、「わたし」にとって最大の不幸は気安くお喋りできる相手が皆無の現実。

父は身勝手に「わたし」を可愛がるだけ。

きょうだいには存在しないかのように扱われ、対話前提のコミュニケーションが成立しません。

独りよがりに喋りたいことだけ捲し立て、しばしば読者を置いてけぼりにしてしまうのが、閉じた世界で生まれ育ったが故に著しく客観性を欠いている「わたし」の家族史でした。

やがて「わたし」は合理思考の新人類・トムラさんと出会い、第三者的立場に徹する彼(彼女)と対話を重ねることで、自らの過ちを見詰め直す聡明さや「一生一生一生やってはいけなかったこと」の詳細を言語化する知性に目覚めます。

著者
間宮 改衣
出版日

自省に至る対話。愛情に飢えた人間が「一生一生一生やってはいけないこと」とは?

本作の評価点は「わたし」をただの悲劇のヒロインや可哀想な女の子で終わらせない公平性。「わたし」の不幸な身の上を長々語らせたあと、彼女もまた加害者だったと提示し、世界の見え方を覆します。

生まれた時から父親に搾取されてきた「わたし」は、一生に一度でいいから正しく愛されてみたいと願い、シンちゃんが自分を好きになるように仕向けました。どんな時も常に味方になってあげれば、それは簡単に叶えられます。

かくして「わたし」は数十年連れ添ったパートナーを看取り、庭の向日葵畑に埋め……「シンちゃんを愛してなんていなかった」「肉親の情しかなかった」と自覚するのです。

一度でいいから正しく愛されてみたい、そんな人として当然の欲求に負けた「わたし」。

老いもせず死にもせず孤独に過ごす寂しさに耐えかね、甥をグルーミングし、計画的共依存に陥らせた「わたし」。

トムラさんとの対話を通して「わたし」は自身の加害性と向き合い、自分がどこで間違えたのか、あの時どうすればよかったのか模索します。

父親に体を搾取されてきた少女が甥の愛情を搾取する側に回り、被害者と加害者の両義性を兼ねてしまった悲劇こそが、『ここはすべての夜明けまえ』の中核を成す命題でした。

おとうさん、こうにいちゃん、さやねえちゃん、まりねえちゃん、シンちゃん……「わたし」の家族史は「対話」を欠いています。

旅先で初めて謝罪したこうにいちゃんにせよ仮想空間で愚痴るさやねえちゃんにせよ、内在化した「わたし」の想いや痛みには頓着せず、一方的に話を終わらせてしまいました。即ち、お手軽なカタルシスを得る為の捌け口にしたのです。

そうすることで過去を清算した錯覚に浸れる当人たちは幸せかもしれませんが、受け止めて投げ返す側の「わたし」の人格を無視し、話者としての尊厳を踏み躙る行為であるのは否めません。

「わたし」の体と心を犠牲に「家族」の体裁を守った結果、彼等は重い代償を支払わされました。

ラスト、トムラとの対話を経た「わたし」は滅びゆく世界で何を想うのか……深い余韻が味わえる結末をぜひ見届けてください。

著者
間宮 改衣
出版日

『ここはすべての夜明けまえ』を読んだ人におすすめの本

間宮改衣『ここはすべての夜明けまえ』を読んだ人には、宇佐見りん『かか』をおすすめします。

本作の語り手は19歳の浪人生うーちゃん。

離婚がきっかけで心を壊し、酒を飲んでは暴れる母をヤングケアラーとして世話する中で、SNS依存が加速していく少女の痛切な叫びが、息苦しい程の没入感を生んでいました。

著者
宇佐見りん
出版日

続いておすすめするのは日日日『ビスケット・フランケンシュタイン』

本作の主人公は少女の死体をツギハギして造られた不老不死の化け物、ビスケ。滅びゆく世界を彷徨い、人間の悪意や欲望に翻弄された、自分の人生を見詰め直します。

『ここはすべての夜明けまえ』と読み比べると一際味わい深い、名作ライトノベルです。

著者
["日日日", "Toi8"]
出版日
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