芸能プロデューサーが語る “「意識高い」と「先入観」についての二題”|ある業界人の戯れ言#21

更新:2024.6.26

ドラマや映画などの制作に長年携わってきた読書家プロデューサー・藤原 努による、本を主軸としたカルチャーコラム。21回目からは「ダメ業界人」という自虐を脱ぎ捨てて、リニューアルしてお届けします!

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「意識高い」と「先入観」についての二題

最近、「意識高い」とはどう言うことなのか?についてよく考えます。

現在61歳になった僕は、この形容詞をこれまで6割方ぐらいネガティブな意味で捉えてきました。実際に僕がたまたま3人で打ち合わせしていた時に一方の人がもう一人の人に対して「意識高いですね」と発言したことで、言われた人がとても気分を害する場面に出くわしたこともありますし。

しかしこれは僕などがこういう年齢だからそのように思うだけで、今の10代、20代の人たちの多くにとってはもしかしたらそういうことではないのではないかと思い始めました。

環境だってジェンダーだって人権だって、今の若い世代は幼い時からの教育のおかげで、意識が高いのなんてのはそもそもデフォルトだから、その流れで、新しい保守的考え方、みたいなものがその世代に徐々に形成されつつあるのではないかと。

そのように考えると話題になったドラマ「不適切にもほどがある」が、概ね好意的に受け入れられたのはどちらかと言うと年齢高めの層で、若い層にはそこまで評判がよくなかったと言うのも、何となくうなずけます。

そんなことをモヤモヤと思っている時、たまたまあの佐藤優による書評を読んで、これはもう読まないわけにはいかないなと思った本がありました。

麻布競馬場『令和元年の人生ゲーム』

著者
麻布競馬場
出版日

 

佐藤氏はこの本をZ世代の精神的現在地を知る上でもとてもいい的なことを書いていましたが、僕は読んでみてはーなるほど!と本筋とはほぼ無関係の場面で膝を打つ気持ちになったことがあったのでそれを紹介しておきます。

ある新しい企業が、社員のために、仕事とは直接関係のないさまざまなボランティアなどを紹介してくれる、というのをやっていて、社員がそれに参加するしないについては社員の自由意志で会社はそこに一切関知しない、と言うのが出てきます。

これをたとえばバブル世代の僕のような人間が聞くと、そんなこと言って会社は絶対それぞれの社員が何に参加するのかしないのかを見ているはずだ、と考えてしまうのですが、もしかしたら今の20代以下の大半は生まれた時からの教育の成果もあって、そんな風に物事を捉えたりしないのかもしれないのです

つまりはボランティア精神というものがデフォルトの一つとしてすでに意識のベースにあるので、その行為がもしかしたら偽善的になるかも、などとはそもそも思わないのです。

その流れで言うと、僕のこの書評コラムを読んでくれたあるルポライターの方から、藤原さん、もし若い人にも読んでもらいたいと思うなら、自虐的な文章はやめないといけませんよ、と言われました。

僕などは自信満々で何かとマウント取りたがりな文章よりは、自虐的なほうがいいんじゃないかと思ってきたのですがどうもそうじゃないらしいのです。

その方いわく、自虐的な発言をするぐらいなら、その部分を修正した上で発言すべき、みたいなことらしいのです

それでふと思い出したのは、映画にもドラマにもなった三浦しをんの小説『舟を編む』でした。この中のヒロインは当初「私なんか・・・」と言う発言をしてしまいがちなのですが、辞書作成をし主導する大学教授からその「なんか」と言う言葉の意味を知っていますか?と問われてそれを調べる中で、徐々に「私なんか」と言う発言をしないようになっていきます。

うーん、意識高くあるってことは、そんな言語生活にも忍び寄っているものなのか、と僕は思いました。

昔、糸井重里が「小説・問題意識」と言う文章で、「俺は問題意識だ。」から始まるのを笑いながら楽しんでいた身としては、もはやその感覚と訣別しないといけない、と言うことなのかもしれません。

ところで小説『令和元年の〜』のほうには、全章通じて出てくる沼田という人物がいます。この人物はいろいろな会社を渡り歩いているようなのですが、ある意味意識が高いのかそうでないのか判断しかねるような言動をさまざまな場面で繰り返します。

ある意味トリックスターのようにも見えるこの人物を軸に設けたことが、著者が僕らのような違う世代の読者にも読ませるための一つの接点として考えたんじゃないかとか、僕は邪推しているのですが、そんな考えが当たっているのかどうかも含め、いろんな人の読後感想を聞いてみたいと思いました。

 

この5月に東京藝大美術館で催されていた「大吉原展」と言う展覧会に行ってきました。テーマのせいで展覧会そのものに一部批判が寄せられたせいか、テレビ局などが主催に入っているにもかかわらず、大きなメディアでほとんど宣伝されない状況になっていましたが、僕が行った日はかなりたくさんのお客さんが来ていました。

陳列されているものの大半は、喜多川歌麿や歌川広重などの浮世絵が中心でしたが、江戸から明治期へと時代が進む中で、まずは高橋由一が描いた藝大所蔵の『花魁』と言う洋画から一気に空気が変わり、最後のほうには樋口一葉の『たけくらべ』コーナーと言うのがあり、ここで僕はしばしたたずむことになりました。明治から20世紀を生きた鏑木清方(かぶらぎきよかた)と言う日本画家が描いた『一葉像』とたけくらべの主人公を描いた『美登利像』が何だかとても清明で美しかったからです。

僕はこれを描いた画家が確実に樋口一葉に対する憧れのようなものを持っていたのではないかと思い、ネットで一葉との間にどれぐらい年齢差があったのかを調べました。一葉の生年が1872年、清方の生年が1878年で6歳差でした。とすれば一葉が亡くなった24歳の時、清方は18歳で、年上の文学的才気に溢れる女性に強い憧れを抱いたとして何ら不思議はありません

恥ずかしながら僕は一葉の代表作である『たけくらべ』も『にごりえ』もそれまで読んだことがなく、一葉作品は日本文学が言文一致になる境目にあってまだ文語体であることもあって何か面倒で手を出していませんでしたが、前々回のこのコラムでご紹介した長谷川宏の『日本精神史 近代篇』の中で、この2作のあらすじが書かれていて、へーそんな話だったのか、と改めて思い、今度は現代語訳がないのかと調べたら、やっぱりあるのですね。『たけくらべ』は小説家・松浦理英子、『にごりえ』は詩人・伊藤比呂美によるそれぞれ現代語訳が文庫で出ていました。

著者
["松浦理英子", "藤沢周", "井辻朱美", "阿部和重"]
出版日
著者
["伊藤比呂美", "島田雅彦", "多和田葉子", "角田光代"]
出版日

 

その2つを読んで感じたのは、これを書いた樋口一葉と言う人は、何とも我の強い意識的な女性であったのではないかと言うことでした。

これまで僕は、一葉が母と妹を一人で生計を支えるべく貧乏に耐え肺病に罹って若くして亡くなったと言うこともあって、何となく“薄幸”のイメージを先入観として持っていたのですが、そうではなかった。一葉は亡くなる一年ちょっと前に著作が売れたのもあって、生前わずかの期間ではあったけれども、もしかしたら文壇の今で言えばアイドル的存在になっていたのかもしれない。そうなれば6歳年少の新進の日本画家が憧れの眼差しを持って彼女やその物語の主人公を描いたとしても何ら不思議ではないのではないかと思うに至ったのです。

改めて手元の五千円札を見ても、樋口一葉の像は凛として美しい。もうじき違う女性に差し代わってしまうタイミングではありますが、これほど著名な作家について間違った先入観を抱いていたらしいことを読書好きのはしくれとしては深く反省しなくてはならないと思いました。

ちなみに『たけくらべ』では、後半、物語の最後の方になって主人公・美登利の気分が急に下がります。文壇ではその理由を、美登利が吉原に出て“水揚げ”されることが決まったから、と言う説と単に“初潮”を迎えたせいと言う二つの説があって、いまだ決着を見ていないと言うことも今回初めて知りました。

130年以上前の日本で生きて24歳で死んだ女性作家は、自らが女性であると言うことを強く意識せざるを得ない環境の中、そのことを軸に置きながら書いた。2024年の今、一葉が生きていたら、同じような題材をどのような意識で書き進むのか、詮ない想像をしないではいられないのでありました。


info:ホンシェルジュX(Twitter)

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