そんな可愛さは、ないージャルジャル福徳秀介と読む、すばる文学賞作『泡の子』

更新:2025.3.5

新人作家の登竜門として注目を集めるすばる文学賞。2024年度の受賞作である樋口六華氏の『泡(あぶく)の子』は、「トー横」と呼ばれる新宿「TOHOシネマズ横」を舞台としたインパクトに溢れる作品です。本作の魅力を、自著長編小説の映画化もひかえるジャルジャルの福徳秀介氏に綴っていただきます。

1983年生まれ。兵庫県出身。2002年に後藤淳平とジャルジャルを結成。著作には短編集『しっぽの殻破り』、絵本『まくらのまーくん』『なかよしっぱな』。自伝的長編小説『今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は』が映画化、2025年4月25日(金)公開。
泡の子

唐突ですが、メロンクリームソーダは可愛い。爽やかな緑色のメロンソーダの上に白いバニラアイス。さらに可愛さを足すように、チェリーをぽんっと乗せる。あの可愛さたるや。そんな可愛さは〈泡の子〉にはない。

例えば、自分が乗ってる電車と同じ速度で並走する電車。進んでいるはずの電車がなんだか止まっているような錯覚。こんな錯覚を誰かと一緒に味わって「電車が止まってるみたいだね」と言ったらニコッとしちゃう。錯覚ってなんか楽しい。〈泡の子〉はそんな楽しい世界ではない。目が回る世界。いや違う。脳が回る。頭蓋骨の中で、脳みそだけがぐるぐると回る。手動で回す。自分の手で自分の脳みそをぐるぐると回している。だから、脳みそと目を繋ぐ細い糸みたいな神経がぐるぐる巻きになる。これ以上、脳みそが回らなくなった。ゴム動力飛行機のプロペラを回しすぎて、ゴムがいっぱいいっぱいにねじれている状況と似ている。そこで脳みそから手を放す。すると元の位置にぐるぐるぐるぐる⋯!  と戻る脳みそ。反動で飛んでいく身体。〈泡の子〉はそんな世界。

再び例えば、コーデュロイのパンツを指の腹で撫でる。そのときのコーデュロイのガタガタの感覚。〈泡の子〉はそんな上品なガタガタではない世界。かといって下品なガタガタでもない。この世界が、上品なのか下品なのか、または清潔なのか不潔なのか。そもそもそんな二択を迫る必要は全くないが、この世界で生きようとする姿は上品で清潔だし、この世界は物理的には下品で不潔だし、でも上品で清潔にも思えた。友情とか愛とか、そのようなことではなくて、逃げてたどり着いた場所にはもう逃げ口がなくて、そこに居座るしかなくて、でもそんな場所も「あって良かった」と言える登場人物の上品さと清潔さがたまらなく愛しい。

またまた例えば、モジモジしながら「好きです」と告白したり、ラブレターを書きながらモジモジして、「文字をモジモジしながら書いてる」ってニヤニヤしたり、そんなありふれたキラキラな出来事を「クソみたい」と冷たく言えるのは健全で、そもそもそんなありふれたキラキラを知らない人たちがいる。その人たちは体を犠牲にしたから心を壊したのか、心を犠牲にしたから体を傷つけたのか。大前提、心を壊してもいないし、犠牲にもしていないからこそ、そこにいるのかもしれないし、そこにいられるのかもしれない。

結局のところ、僕が何を言いたいかというと、〈泡の子〉の舞台であるトー横を「あって良かった」と言った登場人物が好き過ぎる、ということだ。「あって良かった」という言葉にはすごい力がある。

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