古井由吉のおすすめ作品5選!文学賞を受賞した小説を振り返る

更新:2017.1.25 作成:2017.1.25

古井由吉は多くの賞を受賞し、十分な評価を受けています。今ではすべての賞は辞退していますが、現役で作品を書き続けています。人間の深い感情を、言葉による表現でまるでそばにいるかのように、匂いや感覚まで感じさせてくれます。

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古井由吉とは

古井由吉は1937年11月19日生まれ。東京府東京出身で、八王子の競馬場近くに住んでおり、競馬好きなことは有名です。古井由吉は1953年に獨協高校に入学したのち、同年9月日比谷高校に転校します。同級生に尾高修也、塩野七生、庄司薫などが、在籍していました。

1956年に東京大学文学部独文科を卒業後、大学院人文科学研究科独語独文学専攻修士課程を修了します。その後、金沢大学助手から講師を経て、立教大学助教授となります。当時の研究は、フランツ・カフカに加えて、ロベルト・ムージルやヘルマン・ブロッホで、彼らの翻訳もしています。古井由吉がドイツ文学者といわれる所以です。

1968年に処女作『木曜日に』を同人雑誌『白描』で発表し、続いて「円陣を組む女たち」で注目を浴びます。そして、1970年3月に立教大学を退職。執筆に専念し、当時「内向の世代」の代表的作家といわれていました。特に、登場人物の精神の深部に分け入る描写に特徴があります。

1・芥川賞受賞の『杳子・妻隠(杳子)』

この本は、1971年に芥川賞受賞の『杳子』と、『妻隠(つまごみ)』の2作を収録したものです。

『杳子』の主人公「彼」は、一人の女が、山の谷底の岩に、座り込んでいるのを見つけます。その女、杳子は「まわりの重みが自分のほうにじわじわとあつまってくるのを感じて」(『杳子・妻隠』新潮文庫より引用)動けなくなったと言うのです。それから三か月後、二人は偶然、駅のホームで再開し、関係が深まります。

物語の冒頭から、既に杳子の人格がぼやけて謎めいており、精神的に揺れ動いて安定していません。時に、少女のように見えたり、淫らな女性に見えたりします。この、存在感を感じさせない人物の描き方が、古井由吉の独特な表現ともいえ、杳子の内面描写の揺らぎが、他の文学とは違った魅力を感じさせます。
 

著者
古井 由吉
出版日

『妻隠』は、あるアパートに5年ほど住んでいる一組の夫婦の話です。二人は、学生時代1年付き合って結婚する訳ですが、恋愛小説の始まりのような、情熱的なものがあるわけでもなく、流れに任せて夫婦生活を営んできました。ある時、妻・礼子には、夫であるはずの寿夫が、全く知らない男のように見えて愕然とします。

何気ない、夫婦生活を切り取った古井由吉の作品ですが、その奥に、目に見えない本人たちにすら感覚としてしか捉えられない、心情や二人の関係を見事に表現しています。感情を現象として、言語で表す見事な作品です。

2・日本文学大賞受賞『栖』

この作品は、古井由吉の中期の三部作といわれる、『聖』『栖』『親』の一つです。『栖』は1980年日本文学大賞を受賞しています。

『栖』は、佐枝という女性が、岩崎という男性と出会い、二人だけでアパートにこもる情景を描いています。佐枝は、そのうちにだんだんと精神的にゆがみを生じてきます。岩崎は、佐枝を守ろうとし、佐枝は、結婚することへの期待から少しずつ狂喜へと向かうのですが……。
 

著者
古井 由吉
出版日

『杳子』を読まれた方は、この作品で、古井由吉の世界観が、単なる内向性文学ではないことに気づかれるかもしれません。生と死が対岸にあるものとして考えられておらず、死は生の中にあることが見られるからです。作中では、二人だけの濃密な空間を、全く他者を交えることなく、男と女として表現されています。特に、佐枝の日常から逸脱した、心の在り様や、そこへいたる過程の描き方が濃厚で、これぞ文学といえるかもしれません。
 

3・谷崎潤一郎賞受賞作『槿』

1983年に谷崎潤一郎賞を受賞した本作は、「槿」と書いて「あさがお」と読みます。通常ならば「むくげ」と読むところですが、古井由吉は作品の一朝の夢の儚さとして、「あさがお」としたようです。「あさがお」は冒頭、少年杉尾が10歳の頃、線香のにおいのような草の匂いと共に目が覚めて厠へ行くところに出てきます。そのあさがおが、作品の危うさを予言しているようです。

杉尾は40歳の文筆家。彼は2人の女性と奇妙な出会い方をして、付き合うようになっていきます。一人目は、献血をした先で出会った31歳の井出伊子です。献血のあとふらふらとしているところを、杉尾がおぶって家に送りました。彼女は突然、知らない人に自分の部屋で抱かれなくてはいけないと言い出しますが、杉尾はそれを断り、代わりに青いあさがおを持ち帰ることになります。

著者
古井 由吉
出版日
2003-05-10

2人目の女性は、友人の通夜で出会った萱島國子。國子は、以前杉尾に乱暴されたという妄想を持っていたのでした。思わぬ三角関係が進んでいく中で、今度は精神病棟にいる杉尾の友人石山が國子へ度々電話をかけるようになり……。それぞれに深まっていく謎の真相ははたして解明されるのでしょうか。

この作品では珍しくストーリー性があり、謎が明らかになることを予感させて、思わぬ展開に魅了されます。また、先に出版された『杳子・妻隠』『栖』と違うところがあります。前記の二つは、精神を病んでいく女に寄り添おうとする、現実に留まる男が、女に翻弄されながらも生きています。しかし、『槿』は石山も精神を病んでゆきます。どうにもならない感情によって、引き起こされる悲劇を、明確に表現していますが、狂喜であることが不自然なことではないようにさえ感じられ、生きていることそのものが、どんなに危ういのかを浮き彫りにしています。

4・川端康成文学賞受賞『眉雨(中山坂)』

1987年川端康成文学賞を受賞した古井由吉の作品です。これは8編の短編小説と1編の随筆をまとめた作品集です。『眉雨』『斧の子』『叫女』『邯鄲の』『秋の日』『道なりに』『沼のほとり』『中山坂』『踊り場参り』の9編が収録されています。古井由吉40代後半の作品になります。

『眉雨』は、眉を雲にたとえて、その雲の瞳から世界をみた情景を描いています。擬人的に、雲の瞳と世界が言葉のやりとりをして、会話で表現されています。雲から雨が降れば、涙を流すかのようであり、雲の切れ間は、目を開いたようであり、といった具合です。そして、そのまま、眉をテーマに話は展開され、女は眉で、敵か味方かを判断するなど、さまざまな書き方が描かれます。

眉の雲による人間や自然、全てが住まう世界の描写が美しく、その表現力に一気に引き込まれます。この作品は、流れのあるストーリーというようり、広い世界の中の、極小さな切り口から、自然界の成り立ちの壮大さや、生命の恩恵を表しています。それでいて、人間の些細な感情の機微に至るまでをも表現しようとしています。
 

著者
古井 由吉
出版日
2012-05-09

『中山坂』は、ある女が見知らぬ老人の代わりに、馬券を買うことになる話です。女は、総武線の電車で寝過ごして、すぐさま駅に飛び降ります。そこは、下総中山駅でした。そこで、女は坂道を登りながら、一人の老人と出会います。老人と女は、近くの店に入りますが、店の人から、老人が癌で余命幾ばくもないことを聞かされ、女は頼まれた馬券を買いに走ります。

物語はちょっとした日常の様子を切り取り、淡々と描かれているのですが、短い文章の中に、登場人物たちの背景や心情が、ぐっと迫るような、どこかで見たことがあったような、それでいて、どこにもないような、そんな作品になっています。この短編には、ストーリーとしてあまりはっきりしたものがありません。しかし、そこにはやはり洗練された、文学としての言葉を巧みに操った古井由吉の表現が、読み手を導いていきます。

また、この作品集は女の精神のもろさではなく、女に助けられている抑うつの男、蒔きを割ることに生きることを委ねる男たちなどを描いています。虚無の状態からでこそ生を際立たせることができるのは、古井由吉ならではでしょう。
 

5・読売文学賞受賞『仮往生伝試文』

古井由吉のこの作品は、1990年読売文学賞を受賞しています。冒頭に『今昔物語』からの引用がありますが、だからといって、古典作品を物語とした小説なのかというと、そういう訳でもないのです。競馬の話もでてきますし、ある僧が、厠で往生について思索し、世の無常を悟る話などが盛り込まれ、一人称の語り部は平安時代と現代を繋ぐ、日記の想定で進んでいきます。

著者
古井 由吉
出版日
2015-07-11

往生という言葉に導かれて、古井由吉が思う、生と死、虚と実、それを余すところなく、言語を駆使して表現した作品といえるでしょう。人が往生するということは、どのようなことを表すのか、複数の切り口で語りかけているような作品です。

以上、受賞作をご紹介させていただきましたが、あらためて、古井由吉は、文学を生み出す言語の使い手のようです。しかし彼の文章は、言葉を巧みに使いこなすという次元ではなく、生と死や夢と現実との境界を、美しく表現することに、重きを置いています。文学とは、深く内向に刻まれた言葉を紡ぐことだったと、思い出させてくれる作品群です。