あなたは毎日幸せですか?温かい気持ちになるようなことはありますか? “自分は今幸せなのか” “家族とは何なのか” 今からご紹介するのは家族愛や幸せを追い求めていく葛藤を描いた素敵な家族小説ばかりです。
不妊治療の末に授かった一人娘の加奈子を、事故でなくした桐原容子。5歳の娘の死を受け入れられない容子には、加奈子の魂「マル子」が見えるようになり、夫の信樹と3人で暮らしはじめます。ある日マル子が、妊婦の野口正美の身体に入り込んだのを見て、加奈子が正美の娘として転生すると容子は信じるようになるのでした。
正美の産後、その娘に執着を見せる容子。しかし、加奈子が転生したのは正美の娘としてではなく……。
- 著者
- 新津 きよみ
- 出版日
- 2012-11-01
狂気と正気の間をさまよう容子の行動は、時に恐怖すら感じさせるものの、可愛い盛りのわが子を失った母親の悲しみが痛いほどに伝わってきます。
輪廻転生という若干オカルト的なテーマを扱っており、少しとまどう方もいるかもしれません。ですが、本作の本質は、亡くした子供への深い愛情で壊れていく妻と、そんな妻を愛し続けながらも目を背けてしまう夫、といった家族の普遍的な感情です。
境遇の違う三家族の「母と子」を描いた作品。奇しくも同じ苗字、同じ名前の息子を持った三人の母親たちの抱えた悩み、怒りが生々しい感情と共に描かれます。
物語の始まりに綴られているのは「母親」が「我が子」に感情のまま暴力を振るう凄惨な場面です。本書を手に取り、導入部分を読んだだけで衝撃を感じる方も多いでしょう。
- 著者
- 椰月 美智子
- 出版日
- 2016-08-31
行き場のない「母親」の感情がリアルに描写される様には、思わず目を背けたくなるかもしれません。ですが母親も一人の女であり、人間です。彼女たちのやり場のない感情は、知らず知らずのうちに多くの家庭が抱えている問題かもしれない、そんな風に考えさせられる作品です。
決して美談ではない母と息子の関係は、他人事などではなく私たちの身近にも起こりうることでしょう。著者自らも涙を流しながら執筆し、自身が母親として感じた「経験」をきっかけに生まれた『明日の食卓』。抱える問題も、生活環境も違う三家族の、目を背けてはいけない現実を取り上げた問題定義作品です。
19歳の主人公・こと子には姉2人と弟1人がいます。父と母も含めてとても仲が良く、イベントを大切にする結束力の強い家族です。
一番上の姉であるそよちゃんは結婚して家を出ていますが、そのそよちゃんが恋しくなり、残った3人で電話をかけるシーンがあります。
「電気をつけ、一つの受話器に頭をくっつけあうようにして、私たちは姉に電話をかけた。いつのまにかこの家からいなくなってしまった私たちの姉に」。この姉弟のたぐいまれなる仲の良さを感じられる、心温まる場面です。
- 著者
- 江國 香織
- 出版日
- 1999-09-29
一番下の弟・律が中学校を停学になるシーンも印象的です。
彼が趣味でつくっているプラモデルのフィギュアが教師たちの間で問題視され、母が学校に呼ばれたり、停学の通告を受けることになるのですが、律に非がないと知っている姉たちと両親は、揃って律の味方につきます。
停学の処分を受け入れつつも、「私は停学も素晴らしいと思うわ。(中略)なんでも経験だもの」と母が言い、校則違反はしていないのだから「気に病む必要はない」と父も言い、律の好物で卒業祝いの食事をしたりするのです。
江國香織の作品には家族間、とりわけ姉弟や兄妹の愛情に焦点をあてたものが多く、本作も例外ではありません。
でも、「執着」「コンプレックス」といった感じのネガティブな愛情ではなく、血がつながる者同士としてのポジティブな愛情がたくさん表現されていて、微笑ましく、羨ましく思えるストーリーになっています。
作家の母と9歳の娘、さきちゃん。ふたりの何気ない日常のやり取りを12の物語で綴っている北村薫の短編家族小説です。
タイトルは作中に出てくるこんなお母さんが口ずさむ歌からきています。「月のー砂漠をさーばさばとさーばのみそ煮がゆーきました」(『月の砂漠をさばさばと』から引用)この歌を聞いてさきちゃんは“かわいい”と喜びます。「うん。あのね、さきが大きくなって、台所で、さばのみそ煮を作る時、今日のことを思い出すかな、って思ったの」(『月の砂漠をさばさばと』から引用)
私たちもふと何かをきっかけに思い出がよみがえることありますよね。さきちゃんもきっと、さばのみそ煮を作るたびにお母さんのことを思い出すのでしょう。
- 著者
- 北村 薫
- 出版日
- 2002-06-28
また、さきちゃんの聞き間違いに焦点を合わせた物語もあります。子供らしい聞き間違いや感じ方の違いに母も戸惑いつつ共に成長していく様が印象的でした。北村薫氏の繊細な言葉の紡ぎ方、おーなり由子氏の作中に出てくる優しいタッチの挿絵が見事に合っていてほっこりとさせてくれる、まるで絵本を見ているような感覚。この作品は、自分も幼少期に母のぬくもりに触れながら育てられ、愛情をもって見守られながら今ここまで生きてきたのだな、私は一人ではない、と思い出させてくれます。
読み終わるころには心の中が温かくなり、ほっこりと優しい気持ちになる……そんな家族小説です。愛情とはなんだろう、子供にどう接していけばいいのだろうと悩んでいる方は特に読んでいただければと思います。
あなたは大切な人に嘘をついていませんか?あなたは家族のことをどれだけ知っていますか?『空中庭園』は角田光代が描く家族小説です。
「秘密をできるかぎりもたないようにしようというとりきめをつくったのは私だった。私の家庭は母のつくったあのみじめな家とは違う、私のつくりあげた家庭に、かくすべき恥ずかしいことも、悪いことも、みっともないことも存在しない。」(『空中庭園』から引用)
母、絵里子が自分の理想を元に作り上げてきた、一見幸せな6人家族の“京橋家”。こんな取り決めを作った背景には絵里子の幼少期の経験が関係しています。絵里子の母さと子はシングルマザーで、お金もない厳しい中で絵里子と兄を育ててきました。ですが絵里子は“いじめ”や“母の愛情不足”によって心を閉ざしてしまいます。そんな幼少期の経験を繰り返したくないという思いから、隠し事をしない幸せな理想の家庭を追い求めていく家族小説です。
- 著者
- 角田 光代
- 出版日
- 2005-07-08
「あたしはラブホテルで仕込まれた子どもであるらしい」(『空中庭園』から引用)
この一文から始まる物語……隠し事がないというのは素晴らしい。ですが一見幸せそうに見えるこの家族、実はひとりひとり大きな闇を抱えて過ごしていました。それぞれの隠された闇とは……。理想の家族を追い求めるがあまりに本当は崩れてしまっていた家庭。6人それぞれの視点から語られる物語によってすべてが繋がっていきます。果たして何が真実で何が嘘なのか。崩壊、絶望、その中の幸せを必死で追い求めていく歪な関係。狂信的なまでの母の理想の家庭はどうなっていくのか。
次の展開が待ち遠しく、それぞれの視点の物語を読むにつれて家庭像が見えてきます。家族ってなんだろう、理想の家庭とは一体何なのだろうと、疑問に思われた方におすすめの家族小説です。
『花まんま』は、直木賞受賞の短編集です。不思議な出来事をどこか懐かしさを感じさせる雰囲気で包んだ短編全6篇です。
表題作「花まんま」は、兄と妹の関係性を描いた作品です。父を幼い時に亡くした兄妹。妹に愛情を注ぎ、大切にしようとする兄の姿が綴られています。
ある日突然幼い妹は今までの可愛らしい面影がなくなり、大人びた雰囲気になり、兄は変化してしまった妹を一生懸命理解しようと協力します。実は妹がとる行動には、兄の知らない理由があって……。
- 著者
- 朱川 湊人
- 出版日
- 2008-04-10
妹や弟なんかいてもいいことなんかひとつもない、などとひとりっ子でない人なら誰しも1回は思ったことがあるかもしれません。いつだって自分が面倒を見なければいけないのだから、兄姉の上の代は損な役回りです。「花まんま」の兄も最初は同じように思っていました。しかし言動はいつでも妹に対する愛おしさが表れているのです。損な役回りだと思いつつも家族という絆に繋がれるふたり。
本作は、家族へのそんな煩わしさと思いやりの気持ちがリアルに描かれています。兄の言動に現れる心の機微に注目して読んでほしい作品です。
過去に辛い記憶を持つ泉水と春という兄弟が、地元仙台で起こった連続放火事件を追っていく小説です。伊坂幸太郎作品は多く映画化されていますが、この作品もそのうちの一つ。
遺伝子に関することを取り扱う企業に勤める兄・泉水、壁の落書き(グラフィックアート)を消す仕事をしている弟・春は、絆の深い兄弟です。そんな折、春は、連続放火事件の近辺にグラフィックアートが残されていることに気が付き、関心を持ったふたりが事件を追っていきます。
- 著者
- 伊坂 幸太郎
- 出版日
- 2006-06-28
この小説の特徴は、巧妙に作り上げられたミステリーです。連続して起こる放火事件現場に残されたグラフィックアートの謎は、まるでパズルのピースをはめて完成を目指していくような感覚で謎解きが進み、ミステリーを楽しむことが出来ます。そしてもう一つ大きな特徴として、深く描かれた家族愛です。兄弟、親、と深い絆で結ばれた家族愛の描写が、温かくも切なくなります。
思わず「え?」と声を出してしまう書き出しから始まり、終わりまで予想のつかない展開、そして兄弟の絆を描いた小説です。また登場人物の春は『死神の精度』に出てきますので、両作品を読んで楽しむことも出来ます。
『その日のまえに』は、生と死をテーマにした短編集です。全7篇の話に出てくる登場人物たちが、大切な人の死を前にしてどのように思い、行動するのかが描かれています。
- 著者
- 重松 清
- 出版日
- 2008-09-03
表題作「その日のまえに」は、妻の余命が1年足らずと知った夫が主人公。「明日」を断ち切られてしまった中で、「昨日」を妻と共に振り返ろうとしていきます。そして、過去ではなく未来の「明日」のかけがえのなさに気づくのです。
ふたりの出会いを回想し、新婚生活を過ごした場所「相模新町」を巡ることによって、「昨日」を鮮やかに思い出していきます。夫婦の幸せだった宝物のような日々を忘れないために心に焼き付けていくのです。
愛する人が救われるのなら、何にでもすがろうとする辛い気持ちや、そんな絶望の日々の中でも少しでも「今日」を過ごそうとする前向きな気持ちが目に浮かび、涙があふれてくるでしょう。
そして、「その日」の話に入ると、涙が止まらなくなること請け合いです。夫婦で自然と妻が亡くなる日を「その日」と呼ぶようになります。「その日」が、いつまでも来ないでほしいと思う願望と、確実に近づいてると気づいている絶望。その狭間で夫婦それぞれの揺れる気持ちが言外に溢れるように伝わってきます。死を前にして、どう思い、どう行動するか。自分だったら……と考えさせられるでしょう。
その後の「その日のあとで」の話では、妻が亡くなった悲しみだけではなく、子どもたちと過ごすこれからの未来への希望が描かれており、温かい気持ちになれます。ハンカチを片手に、ぜひ読んでください。
物語は1961年から始まります。大島吾郎は学校の用務員として働きながら、小学生に勉強を教えていました。そんなある日、教えていた児童の母親である赤坂千明とともに学習塾を立ち上げることになります。二人はやがて結婚し、長女の蕗子、次女の蘭、三女が生まれました。そこから蕗子の子供である一郎、杏までの一家の歴史、また教育、塾というもののあり方を描いているのです。
- 著者
- 森 絵都
- 出版日
- 2016-09-05
教育の現場を描くというときそれは大抵学校が舞台となります。それは世の中の人々が教育の現場を想像するとき学校を思い浮かべることも理由の一つなのかもしれません。 しかし、この作品は学校を話の中心としていません。 一般に学校の補助的存在としての位置づけが強い塾が舞台です。 塾が子供たちにとってどんな存在になるのか、時代の変化によってどのように変わっていくのかが描かれています。 学校とはいわば絶対的な存在です。国が指導要綱を定め、何を教えるのかを決めたことを学校がそれに従って教えていきます。しかしながら、そこには決められたことに対する光と闇が出てくるものです。塾とはまさにその闇を掬い取ることができる場所。学校ができない、教育における光と闇の部分を描くにはとても動きやすい教育の場だといえます 。
大人もかつては 子供でした。かつては教えられる立場でした。その教えられる立場の人間が教える立場になっていくということ。教育とは学ぶ楽しみや喜び を伝えることも含まれますが、それは過性のものではなく、その人一人のものではなく、つながっていくものです。 教育とは何かまとまった概念、塊のようなものではなく、昔から流れてきている川のようなものです。学ぶ喜びを知ったものが、その喜びを伝える 、そして次の新たな人間に伝えていくその一連の流れそのものであるともいえます。大島一家の家族の歴史は教育というものを体現してくれているのです。
この時代に教育は子供たちに何をしてあげられるのか、その問題を深刻なトーンではなく、あくまで家族のつながりの中や塾の中で起こる暖かな物語として描くことで、より読者にその問題に目を向けられるよう丹念に作られた作品です。 それだけでなくこの作品は家族の物語などとして読むこともできます。それは教育というものを一つの舞台ではなく大きな物語として描いたことで 、懐の深い作品になったということでもあるのかもしれません。
下町にある古本屋、“東京バンドワゴン“に四世代8人が暮らすこの家族には以下のような家訓があります。
「<本は収まるところに収まる><煙草の火は一時でも目を離すべからず><食事は家族揃って賑やかに行うべし><人を立てて戸は開けて万事朗らかに行うべし>・・等々。まだあります。トイレの壁には<急がず騒がず手洗励行>、台所の壁には<掌に愛を。>」(『東京バンドワゴン』から引用)
- 著者
- 小路 幸也
- 出版日
- 2008-04-18
ちょっと変わった家訓を持つ賑やかな大家族、東京バンドワゴンを舞台に事件が起こり、個性豊かな面々が解決していくテンポのいい作品です。大家族だからこその明るさや、賑やかさ、会話の重ね方など表現がとても素敵で読み進めていくのがとても楽しく読者を物語の中に引き込んでいってくれます。人情味溢れる世界観がこの物語の特徴ではないでしょうか。
あなたは家族に対して、一人にしてほしいなあ……面倒だなあ……と思うことありませんか?でもこの作品を読めば、家族とは、どんなに辛いことや悲しいことがあっても笑顔で出迎えてくれて困難にも共に立ち向かってくれる存在なのだなと気づかされます。何かに立ち止まったときや、悲しくなった時ぜひ手に取ってみてほしい家族小説です。
「観るたびに思う。映画は旅なのだと。」(『キネマの神様』から引用)
冒頭からわかる、映画好きなら共感するこのセリフ。映画が好きなあなたもそうでないあなたもきっと原田マハの本作を読めば映画館に足を運びたくなるでしょう。
物語は39歳独身で長く勤めていた会社を辞めた娘の歩と、ギャンブル依存症であり、無類の映画好きの父。
父に振り回されてばかりの母、そしてそのまわりを取り巻く映画雑誌編集長や批評家、名座の支配人から広がっていきます。奇跡が奇跡を呼び、出会うことのなかった映画好きが共通の彼らの運命はどう交わってこれからどのように変わっていくのか……。
- 著者
- ["原田 マハ"]
- 出版日
人生これから何が起こるかわからない今が辛くてもあきらめることはないと思わせてくれる、そんな家族小説です。
思わずあるある、と頷いてしまう6つの様々な家庭を覗き見た短編家族小説集です。
中でも、ネットオークションにハマる主婦の物語「サニーデイ」は共感を得るかたも多いと思います。出品して落札されたときの気持ちって確かに何とも言い表せられない嬉しさがありますよね。また、「家においでよ」では妻との別居を機に再開した趣味にのめりこんでいく夫の様子が描かれています。やはり家族がいて、幸せだと思っている中にも我慢はあるもので……。別居中とはいえ、自分の好きなことをできる環境というのは、ちょっと羨ましいなと思いながら物語に入り込んでしまいました。
- 著者
- 奥田 英朗
- 出版日
- 2010-05-20
どの物語もクスっと笑えて自分も登場人物になったような気持ちで思わずつっこんでしまったり……。読み終わった後はほっこりとした気持ちになります。この作品の魅力はユーモアに溢れていること。ただただ日常を書き連ねているのではないのです。家庭の深刻な問題なはずなのに、奥田英朗の手によってどれも面白おかしく描かれています。ちょっと他の家庭の大事な部分を覗き見ているような、いけないことをしているような感覚になりながらもページをめくる手が止められません。
さくっと気軽に読めるので家事の合間や通勤途中などぜひ愛読していただきたい家族小説です。
『ウェルカム・ホーム!』には家族の絆を描いた2つの作品が収録されています。
「渡辺毅のウェルカム・ホーム」は 住居、仕事など様々なものを失った元シェフの渡辺毅が主人公の物語。毅は、シングルファーザーで親友の英弘とその息子憲弘と一緒に暮らしています。主夫として家事、育児をこなす毅。しかし憲弘の作文をきっかけに“オトコの沽券”に悩み、“フツー”ではない自身の生き方に違和感を覚えるのでした。そんな毅と家族の絆を描く、笑いあり、心はほっこりできる物語です。
「児島律子のウェルカム・ホーム」は仕事に生きる児島律子が主人公。律子は自分には何かが足りないと感じていました。そこへ見知らぬ青年が“セイナ”と結婚することを報告しに来ます。セイナとは誰なのか、また律子は心の穴を埋めることが出来るのか。こちらも“フツー”とは違う、親子の絆が描かれています。
- 著者
- 鷺沢 萠
- 出版日
- 2006-08-29
2作品ともに共通して描かれるのはフツーではない家族のあり方です。血や戸籍がつながっているだけが家族、親子ではないのだということを教えてくれます。フツーである、フツーじゃないことがそれほど重要でないこと、結局最後は当人が幸せであればそれでいいということも教えてくれるとても心温まる物語です。
“渡辺毅”の話は、比較的笑える要素が多い作品でとても読みやすいでしょう。日常のひとつひとつの出来事が細かく描かれていて、その場の情景が想像しやすいのです。愛すべきキャラクターが多くどんどん物語にのめり込んでしまいます。そして次の“児島律子”の話を読み出すとまた違った雰囲気で、作者の表現力に驚かされます。こちらは涙なくして読めない作品でしょう。
どちらも切なく、とても心温まる物語です。自分は家族を大切にできているだろうか、そんなことを考えさせてくれます。ぜひ、家族との接し方を見直すきっかけに読んでみませんか?
いかがでしたでしょうか?家族といっても多種多様。どの家族小説も魅力的に描かれています。ドラマや映画になっている作品もありますので良ければチェックしてみてください。