2016年に公開された映画『聖の青春』の原作者である大崎善生。今回は、同作を含む大崎のおすすめ作品をランキング形式で5作品ご紹介します。ノンフィクションから、小説まで名作盛りだくさんですよ。
大崎善生は少し変わった遍歴の持ち主です。1957年に北海道の医師の家系に生まれた彼は、周囲の反対を押し切って上京するのですが、都会の生活に馴染めず部屋にこもって読書ばかりしていたときもあったそうです。そして将棋に熱中するようになり、約1年というハイスピードでアマチュア最高位である4段まで昇格。彼の姿を見ていた将棋道場の席主の紹介により、日本将棋連盟へ就職したのち、将棋雑誌の編集を務めるようになりました。
2000年には『聖の青春』で作家デビューを果たします。元々は大崎善生に縁のある別の人物が描く予定だったのですが、その作家が急逝したことにより、大崎に白羽の矢が立ちます。同作は第13回新潮学芸賞を受賞。2001年に専業作家となり、将棋から離れた作品も手がけるようになりました。
- 著者
- 大崎 善生
- 出版日
ドナウ川で日本人男女が心中した——小さく掲載されたその新聞記事が離れなくなった大崎善生が、心中した少女の身に何が起こったのか、実際に取材し書き上げた本格ノンフィクション『ドナウよ、静かに流れよ』。大崎善生が本作以前に執筆した2編のノンフィクションはどちらも将棋の話でしたので、本作によって新たな境地を開いたように思います。
19歳女子大生の渡辺日実について、彼女がルーマニア人棋士マリア・ワタナベの娘だと聞いて驚愕します。マリア・ワタナベは雑誌編集者だった時代に見知った棋士だったので、人ごとに思えなくなった大崎善生は、本腰を入れて取材を始めるのですが、相手の男性で自称指揮者の千葉については当初全く情報がなく、日実の親から話を聞くことになります。日実の両親は娘は殺されたのだと語ります。千葉はパラノイア(偏執病)で、娘は騙されたのだ、と。しかし大崎善生が様々な人物、例えばウィーンで2人を見守っていた教会関係の人や、千葉の言動に手を焼いていた人などから取材を重ねるにつれ、どうやら日実は千葉と自ら進んで行動を共にしていたようだ、という結論に辿り着くのです。
頭から離れなかった新聞記事が、実は大崎善生の根幹に関わる「将棋」に関わっていたという奇妙な巡り合わせ。大崎善生がなんとしても解明したい、と感じたその衝動が理解できるからこそ、事実を書き連ねただけの作品としてではなく、大崎善生本人の感情も読み取ることのできる稀有なノンフィクションへと昇華されています。どうして彼女が19歳という若さで生を終えなければならなかったのか、その悔しさや愛が強く感じられました。そして人によって違う見解を聞くたびに、「事実」とは何なのかと考えてしまいます。
- 著者
- 大崎 善生
- 出版日
- 2006-02-28
『九月の四分の一』は大崎の短編集の一つです。小さい頃から小説家に憧れを抱いていた主人公が「自分には書けない」という現実を悟って挫折し、家電量販店に就職します。ある日、雑誌で見かけたベルギーの首都ブリュッセルにあるグランプラスという、世界で最も美しいといわれている広場の写真に心惹かれ、仕事を辞めたのちベルギーに向かいます。現地で出会った日本人旅行者の奈緒という女性と恋に落ちますが、彼女はある書置きを残し姿を消してしまいます。そして月日が経ち、ぽっかり空いた穴を埋めるかのような衝動に駆られ、主人公はまたベルギーへと向かうのでした。ベルギーという美しい土地をありありと想像させるような、繊細で透明感のある文章で物語は進んでいきます。
印象的なシーンがあります。奈緒が主人公に向かって、こう言うのです。
「『君はね、小説を書くべきだわ。それを諦めないで生きていった方がいいと思う。いつか必ず書ける日がくる』
僕は何も言わないで肯いた。
いつの日か僕は小説を書ける。
その言葉が、胃の底のあたりに小さな炎をともした」
(『九月の四分の一』より引用)
この主人公は大崎善生本人なのだろうか、と勘ぐってしまいます。親の反対を押し切って上京したにも関わらず、都会の生活に馴染めず、一人引きこもってばかりいた大崎。将棋に出会うまでに、この主人公と同じ挫折を味わったのでしょうか。そうだとすれば「書けない」と挫折している人の、どれだけの希望になり得るか計り知れません。
- 著者
- 大崎 善生
- 出版日
- 2004-03-25
大崎善生にとって、初のノンフィクション以外となる小説『パイロットフィッシュ』。瑞々しい文体で書かれた繊細な恋愛小説です。
かつての恋人由希子から、19年ぶりに電話をもらった山崎。それを機に、過去の出来事を思い出します。山崎はアダルト雑誌の編集をしているのですが、そこに辿り着くためにはたくさんの人々の愛と犠牲を要していました。作品のタイトルにもなっているパイロットフィッシュとは、アロワナなどの飼うのが難しい魚のために水槽の中の生態系を整えておく魚のこと。このパイロットフィッシュは、役目を終えたら人の手によって捨てられるか、大型魚に食べられてしまいます。
人生を水槽にたとえ、別れた人、犠牲となった人をパイロットフィッシュに重ねたのでしょう。人は誰しも何かを犠牲にして生きていくのです。けれどもパイロットフィッシュも、次の魚のために環境を整えておくという重要な役割を持っています。無駄なことなど何もないと言われているような気がします。
特に印象に残ったのは、物語の最初に語られるこちら。
「人は、一度巡り合った人と二度と別れることはできない。なぜなら人間には記憶という能力があり、そして否が応にも記憶とともに現在を生きているからである」
(『パイロットフィッシュ』より引用)
一度巡り合った人と二度と別れることはできないという考え方は、様々な巡り合わせを実際に経験した大崎善生ならではの見解なのかもしれません。
- 著者
- 大崎 善生
- 出版日
- 2003-05-15
奨励会をご存知でしょうか。プロ棋士を目指す人たちが所属する研修機関で、入会試験に合格するには最低でもアマチュア四段以上の実力がいる、とされています。誰でも入会することのできない奨励会ですが、その先のプロ棋士になれるのはほんの一握りの棋士のみ。そして会員には、満23歳までに初段、それをクリアしても満26歳までに四段に昇格できなければ退会となる年齢制限による壁が待ち受けています。『将棋の子』は、奨励会に入会するもプロ棋士になることができず夢破れた会員たちに焦点を当てたノンフィクションです。
「10年間にわたり将棋世界編集長を務め、そして私は退職の決心を固めた。
どうしても書かなければならないことがあったからである。
それは、将棋棋士を夢見てそして志半ばで去っていった奨励会退会者たちの物語である。栄光のなかにある多くの棋士たちを見てきたのと同時に、それと正反対の立場でただの一度も注目を浴びることなく将棋界を去っていった大勢の若者たちも見てきた」
(『将棋の子』より引用)
将棋の世界を愛していた大崎善生だからこそ、散っていった若者の物語をすくい上げて書かなければならないのだと、ある種の使命感を持って書かれた本作。彼は『将棋の子』を書くために編集長を辞めるという覚悟まで見せ、その成果あって鬼気迫るほどの作品となりました。彼が注目していたのは同郷の成田という棋士です。才能に溢れ、青春の全てをかけて将棋の世界に進んでいた成田はしかし、年齢制限に阻まれプロにはなれませんでした。その後の人生での苦悩や挫折、そして歳をとった彼が将棋が与えてくれたことについて語る瞬間は胸に迫るものがあります。
- 著者
- 大崎 善生
- 出版日
- 2015-06-20
難病と闘いながら29歳で夭折した天才棋士村山聖のノンフィクション『聖の青春』。元々は大崎善生の友人が育てていた作家が書くはずだったのですが、亡くなってしまったために本来ならば世に出ることはない作品でした。その友人が、「大崎さんが書いてくれればなあ」と漏らしたことがきっかけとなり、バトンは大崎善生へと引き継がれます。彼の作家デビュー作にして代表作です。
幼い頃から腎臓の難病であるネフローゼ症候群を患い、入退院を繰り返していた村山聖。一番の治療法はとにかく安静にしていることなのですが、活発だった村山聖はじっとしていられず、入院を繰り返していました。見かねた父から勧められた将棋の道にどっぷりとつかっていき、次第に頭角を現します。地方の名人戦で勝ち抜き、全国へ挑戦するため、聖は初めて東京に出向かいますが、そこでレベルの違いを見せつけられました。そして才能を見込んだ森信雄と師弟関係を結び、森の献身的なサポートを得ながら名人を目指すのです。
村山聖の、人一倍ともいえる勝利への熱意が感じられる場面があります。年齢制限に引っかかり、夢破れた友人の加藤昌彦に「加藤さんは負け犬だ」と面と向かって泣きながら罵るシーン。そこで殴り殴られの大げんかになります。どうしようもない悔しさや悲しさが村山の身に沸き起こっていたのです。加藤はこれから新たな人生を生きることができますが、村山聖には文字通り後がありません。次の人生など考える余裕も時間もない中、ただ名人になることだけを夢見て戦うのです。自分の死期を悟っていたが故の、何かを残そうとする熱情に思わず涙することでしょう。
自身の経験したことや実際に取材をしたことをもとに、圧倒的な筆力と情熱を持って書き上げられる大崎善生の作品。挫折しそうになったときに読めばきっと何かがつかめるはず。今までの人生を振り返って、これでよかったのだと背中を押してもらえるような気さえします。