「小説の神様」といわれた横光利一の作品は日本の文壇に確固たる地位を築いており、彼の作品によって切磋琢磨した、かつての文豪たちの作品が現在にあるといえます。
横光利一は1898年に福島県で生まれ、父の仕事で住まいを転々としながら育ちました。「新感覚派」として、川端康成と共に活躍したことで知られています。
横光利一は、菊池寛に師事して菊池が創刊した『文芸春秋』で『日輪』を発表し、一躍有名新人となります。その後、関東大震災を経験し、その体験についても執筆しています。1932年に長編『上海』を発表し、文壇の中心的存在になっていきます。
また、戦中、戦後も活動を続けますが、戦犯との批判を受けることになります。その後1946年に『旅愁』を出版し、大きく取り上げられヒット作となります。晩年は、脳溢血を起こし、病床につきます。1947年、胃潰瘍によって49歳で横光利一は亡くなりました。
1924年『新小説』に発表されました。この作品は普通の文体とは異なるもので、当時「映画劇」と評され注目を浴びました。
不弥国の姫である卑弥呼は、大兄との婚姻の夜、奴国に襲われ連れ去られてしまいます。それは、かつて旅の者として助けた奴国の王子、長羅による卑弥呼に対する恋情のためでした。卑弥呼はなんとか奴国を脱出しますが、今度は邪馬台国に捕らわれてしまうのです。そこでは、王と王弟が彼女を奪い合って争います。しかし、それは卑弥呼による復讐の始まりでもあったのです。やがて、卑弥呼をめぐる王たちの戦いが幕を開けます。
- 著者
- 横光 利一
- 出版日
- 1981-08-16
横光利一の本作は、日本の歴史上最大のミステリーとも言われる、邪馬台国の女王・卑弥呼を主軸とした魅力的な物語です。文体が、戯曲のようで会話文がシナリオの様相を呈しています。そこには、心情の説明は一切ありません。ただ、セリフと情景描写のみで登場人物の激しい慟哭や欲情、悲哀を見事なまでに表現しています。
また、衣装や化粧なども具体的に表現されており、かの時代の文化を彷彿とさせるものです。戦闘シーンにおいては、描写に徹しながら臨場感あふれる文章で、まるで映画かアニメーションを観ているかのようです。一読の価値ある横光利一の作品であるといえるでしょう。
『日輪』と共に発表された作品ですが、『日輪』とは全く違う文体で書かれています。一匹の蠅の視点から、人間模様を描く、現在でも新鮮な感覚で読める横光利一の小説になっています。
あるのどかな田舎町で起こった、乗り合い馬車の脱輪事故の物語です。馬車のお客は、駆け落ちの若い男女、大金を持った田舎紳士、息子と母親、危篤の息子のもとへ急ぐ農婦です。事故の原因である御者は、のん気者で、毎日一番に蒸しあがったまんじゅうを食べることを楽しみにしています。そして、最後に蜘蛛の巣から逃げ出して、馬に止まっている蠅です。彼らの運命はどうなるのでしょうか。
- 著者
- ["川端 康成", "横光 利一", "岡本 かの子", "太宰 治"]
- 出版日
この物語は、一見、新聞記事の三面の片隅に乗るような、小さな事故を取り上げています。しかし、そこに乗り合わせた人々の、事情や人生は様々で、馬車に乗る理由も思いも個別です。そんな人々を、横光は馬車という小さな空間に集めて、社会の縮図として表現しているかのようです。
どんな社会であろうと、どんな人生であろうと、思いがけない何かによって突然変わってしまう、人間の生というもの。そして、タイトルである蠅が何を表現しているのか。短い物語の中に、考えさせられる事柄が多く詰まった小説です。
1926年『女性』という雑誌に掲載された、短編小説です。横光利一の亡き妻にささげるレクイエム作品といえるでしょう。
この短編は、結核を患った妻と、彼女を看病する夫とのやりとりを会話によって描いています。夫は執筆家で、妻の病室とは別の部屋で仕事をしながら、看病を続けています。彼は妻のために、好物の鳥の肝臓を買いに歩いたり、海の生き物を並べたりして妻を慰めようとします。しかし、彼女は夫に、自分に対して優しさが足りないと切りつけてきます。彼は、妻に「ここにこうして傍にいる」ということを、理論で説得しようとします。しかし、妻の病状は悪化してゆく中、ある日知人からスイートピーが届き……。
- 著者
- 横光 利一
- 出版日
- 1969-08-22
この作品は、横光利一の自身の経験を書いたものだとされています。妻は友人の妹であった小島キミです。キミとの結婚は小島家の反対で、駆け落ちの状態。キミは、入籍する前に、結核により23歳という若さで亡くなっています。
二人のやり取りは、辛辣で激しいものです。しかし、その中にこそ、お互いを思う深い愛を読み取ることができます。二人は対峙しているようでいて、実は死に対する恐怖を拭うために、共に心の準備をしているのです。それを知って読んでいると、大変切なくやるせない想いにかられます。直接、愛を言葉にしない、気持ちのやりとりの中に深い感情が表現されており、とても読み応えがあります。
当時名だたる文化人は、上海を訪れていました。横光利一は多くの人たちに期待されて、上海へ向かいました。そこで、横光は民族意識や差別、文化的落差などを体験します。それは、連作長編『上海』として執筆されました。
上海に銀行員として10年住んでいる斉木は、毎日自分が死ぬことを考えない日はないという、陰鬱とした日々を送っていました。彼には、友人甲谷の妹競子という愛しい人がいますが、彼女は既婚しており日本にいます。ただ、最近になって彼女の夫が病気で危ないらしいと聞いて、可能性に希望を抱いています。
作品には多くの女たちが出てきます。トルコ風呂の女お柳、お杉、ロシア娼婦たち、そしてスパイとして活動する職女、芳秋蘭。それぞれが、魅かれ合い行き違い、幾層にも重なった三角関係が展開していきます。しかし、斉木は友人甲谷、山口たちとは異なる道徳観から、女たちと一線を越えることをしません。そして、動乱が起こり……。
- 著者
- 横光 利一
- 出版日
- 2008-02-15
これは横光利一にとって最初の長編小説です。彼は、芥川龍之介に「上海を見ておかなければ」と言われ、1928年に一か月滞在します。そして、そこで見て感じ、考えたことを紀行文としてではなく、小説として表現しました。
作品の中では、当時の混沌とした上海の様子が淡々と描かれ、読んでいると映像が目に浮かび、匂いや感触まで伝わってきます。そして、1925年に起こった上海動乱5.30事変を交えて、列強による支配下にある国が、どのようなものかを如実に表しています。また、伏線に次ぐ伏線を織り込んだ物語の構成になっており、横光利一の文学がよく分かる作品になっています。
この作品は、横光の死後1948年に雑誌『人間』に掲載されました。
太平洋戦争末期、梶は俳人仲間の高田から、一人の青年「栖方」を紹介されます。青年は、数学の天才で、帝大生でありながら、海軍で新兵器の開発に携わっていました。敗戦の気配に世の中が傾きつつある中で、「栖方」のリズミカルで正確な足音と、明るい溌剌とした笑顔に、梶は引き込まれていきます。しかし、ある時、高田から「栖方」は狂人なので、彼の言うことは信じてはならないという注意を伝えられます。
その後も「栖方」との関係は続きますが、梶は、何が真実でどこまでが嘘なのか、分からなくなってくるのです。「栖方」は自分の作った殺人光線の威力について、情報を漏らすのですが、梶はその事実を確かめる術もなく、葛藤しながらも「栖方」の美しい微笑に真実を見ようとします。しかし、その後戦況は悪化していき……。
- 著者
- 横光 利一
- 出版日
この短編は、横光利一の晩年の傑作であり、遺作ともなりました。また、この物語の梶という人物は、横光自身ではないかといわれていますが、梶の視線から書かれた小説は、他にも4編あります。
この作品の魅力は、背景が敗戦へ向かう日本の世情の中において、青年の憂いのない明晰判断に、希望の光を見た俳人の心を、叙情的に描ききったところにあるといえます。かつて、日本の純粋で端正な心と頭脳をもった青年たちに対する哀悼ともとれます。戦後の意識が薄れた今だからこそ、読んで欲しい作品です。