佐藤亜紀作品の魅力は、厳選された言葉と濃密な雰囲気。ファンから高い評価を受ける作品が多数存在します。今回はそんな佐藤亜紀の上級者向けファンタジー小説をおすすめします!
佐藤亜紀は、1962年新潟県生まれの小説家です。1991年に『バルタザールの遍歴』で日本ファンタジーノベル大賞を受賞しデビューしました。
佐藤亜紀の作品の特徴は、大きく分けて二つあります。
まず一つ目は、緻密な時代考証によって組み立てられた重厚な世界観です。特に大学で西洋美術史を専攻していたこともあり、彼女の作品には19世紀から20世紀にかけてのヨーロッパを舞台にしたものが多いです。歴史の大枠から衣食住などの文化風俗にいたるまで、まるでその場にいたかのようなリアリティをもって描かれています。
二つ目は、無駄を省いた筆致。このように書くと前述した特徴と矛盾するように思えるでしょう。しかし佐藤亜紀の作品では、人物設定や状況などの描写は極限まで削ぎ落とされ、選び抜かれた言葉が紡ぐ文章によって、作品が展開していきます。読者はその削ぎ落とされた登場人物の会話や独白によって、ストーリーを読み解いていくのです。
今回は、そんな佐藤亜紀による作品を5冊をご紹介します。
主人公はハプスブルク家に連なる名門貴族の跡取りとして生まれたメルヒオール。そして、彼の体に宿るのはもう一人の魂であるバルタザール。彼らは双子でありながら一人の体を共有しています。片方に意識がある時、もう片方は眠っている状態。なので、互いに知りない部分を補い合う為に日々の出来事について手記にまとめることにします。
- 著者
- 佐藤 亜紀
- 出版日
舞台はナチスが台頭し始め、貴族制が落日を迎えた頃のウィーン。二人の生家である公爵家も没落し、彼らは今まで当たり前だったものを捨て、国外へと逃亡することになります。酒と女に溺れる毎日、外見上双子でないが故に周囲の人から理解を得られないもどかしさ。二人はそれらをエスプリの効いた文章で描いていきます。
タイトルは『バルタザールの遍歴』ですが、メルヒオールが過去の思い出を手記にまとめ、時折バルタザールが登場しては内容に関して口出しをするというのが主な構成になっています。
作中では、没落した貴族達が過ぎ去りし栄華の日々を懐かしむ様子が描かれます。また、作中にはカリスマ的支配力で民衆からの支持を得ていくヒトラー及びナチスの姿も描かれ、このあたりの世界観は歴史に裏打ちされています。
一方、メルヒオールとバルタザールは、ひとりの人間の体をふたりの魂が共有している、という設定。史実とファンタジーが重なり合うことで、読みごたえのある物語になっています。読んでいて、これがデビュー作であることに圧倒されるでしょう。佐藤亜紀作品、まずはここから読み始めてみてはいかがでしょうか。
佐藤亜紀の作品の中でも特に評価が高い『ミノタウロス』。佐藤亜紀は本作で、吉川英治文学新人賞や、「本の雑誌が選ぶノンジャンルのベストテン」1位を受賞しています。
舞台は20世紀初頭、ロシアでは革命が起き帝政が倒れつつありました。主人公のヴァシリは、ウクライナ地方ミハイロフカに領地を持つ、成り上がり農場主の次男として生を受けます。成長した彼は留学などの経験を積んで高い教養を身につけ世間を見下すようになり、ついには故郷を飛び出して破壊と暴力を繰り返すのです。
- 著者
- 佐藤 亜紀
- 出版日
- 2010-05-14
作中では無法者たちとの戦いや新兵としての殺りくが、主人公の視点から描かれていきます。人でありながら、本能のままに獣としてしか生きられなかった者たちの物語です。
主人公の視点から描かれる筆致はあくまで淡々としていて、凄惨な悪行を冷めた目で見つめているようにも思えます。会話に関しても「」で区切られたものが少なく、主人公の耳をただの音としての声が流れていっているようです。いかに冷淡に物事を見聞きしているかが、この描写から伺えます。
タイトルの『ミノタウロス』は、ギリシャ神話に登場する牛の頭と人の体を持った怪物。人間としての理想の奥にある、獣のような心が描かれている作品だといえるでしょう。
19世紀末から20世紀初頭のヨーロッパを舞台に「感覚」と呼ばれる人の心を読み操る特殊能力の保持者たちが活躍する物語『雲雀』。主人公のジェルジュは、能力保持者の中でも飛び抜けた能力の持ち主で、オーストリアの諜報員として活躍します。
- 著者
- 佐藤 亜紀
- 出版日
- 2004-03-24
本作品は4つの物語からなる連作短編集です。時は第一次世界大戦、ロシア対オーストリア最前線でのジェルジュとある兄弟との出会いを描く「王国」、ジェルジュの突出した能力の秘密を両親の出会いと絡めて描いた「花嫁」、ジェルジュと狂犬という異名を持つ能力者ヨヴァンとの対決を描いた「猟犬」、そして上官の死後混迷する組織と主人公ジェルジュの揺れる心を描く「雲雀」。
後述する『天使』の前日譚や後日譚、外伝などを収録した短編集である本作。人物や舞台となる世界の設定は共通しています。世界観の理解のため、あるいは、さらに作品の世界に浸るために『天使』と合わせて読むことをおすすめします。
本作『天使』の舞台は、前述した『雲雀』と地続きになった第一次世界大戦前夜のオーストリア。人の心を読み操る特殊能力の保持者たちが暗躍する世界を描いた物語になっています。
主人公のジェルジュは、そんな能力保持者の中でも天賦の才を持つ少年です。大酒飲みの養父の元で極貧生活を送っていた彼は、父の死後「顧問官」を名乗る人物に拾われ、紳士としての振舞いを身につけるべく質の高い教育を受けます。
- 著者
- 佐藤 亜紀
- 出版日
やがて成長したジェルジュは、顧問官の部下として天賦のものだった「感覚」をコントロールする訓練を行い、第一次世界大戦に繋がる政府の諜報活動に関わるようになっていくのでした。
本作の読みどころは、戦争という設定の中で行われる「感覚」保持者たちの心理戦です。佐藤亜紀による無駄を省いた筆致だからこそ、特殊能力を持つ者たちそれぞれの思惑が交錯するやり取りの臨場感がより際立ちます。
少年・青年期のジェルジュが青春を国に捧げる姿を描く本作は、前述した『雲雀』に繋がる作品です。こちらを読んでから『雲雀』に行くのがおすすめです。
『戦争の法』は、佐藤亜紀二作目となる長編小説です。1975年、日本から独立しソ連軍が駐留することになったN***県が舞台になっています。経営していた工場と家庭を捨て、武器と麻薬の密売人になった父と、売春宿の女将になった母を持つ主人公「私」。彼の回想録という形式で物語は進行します。駐留するソ連の圧政下、「私」は親友の千秋と共にゲリラに参加し、山に籠もるのです。
- 著者
- 佐藤 亜紀
- 出版日
- 2009-06-10
全体に溢れる厭世的な雰囲気が本作の特徴です。戦争物なので戦闘の場面もあり、緊張感もプラスされています。どちらかというと決して派手ではなく、陰鬱とした雰囲気が立ち込める世界観。そんな重く仄暗い戦争という状況下にあっても、登場する人物たちは生き生きと個性を発揮しているように思えます。全員アクが強く、問題を抱えながらも「N***県の独立」に向き合っているのです。
自分が住む県の独立、他国からの占領とそれまで受けられていた恩恵が突然無くなる不安。日本にいればほとんどの人があまり意識しない題材ですが、本作を読むとまるで自分が当事者になったような錯覚に陥ることでしょう。
いかがでしょうか。今回は「上級者向けファンタジー小説」ということで、5冊を紹介させていただきました。みなさんの気になる一冊が見つかれば幸いです。