直木賞をはじめ、あらゆる賞の受賞を固辞し続けた作家、山本周五郎。彼は英雄や権力者には目もくれず、日陰にいる人々を見つめ続けました。大河ドラマになったことでも有名な、『樅ノ木は残った』を含む、おすすめ6作品を紹介します。
山本周五郎は1903年、山梨県に生まれました。小学校の先生から小説家になるようにと言われるほど、幼いころから物語を作るのが得意であったようです。小学校を卒業してからは、質店に住み込みで働きに出ており、店主の助けを受けながら小説を書き始めました。この店主の名前が山本周五郎であり、ペンネームの由来となっています。1943年に『日本婦道記』で直木賞に推薦されますが、これを辞退。その後も毎日出版文化賞や文藝春秋読者賞を辞退しています。
彼の小説には、世間に虐げられている人がたびたび登場します。日陰にいる人たちにスポットライトを当て、貧困や憎しみを生み出す背景を探りつづけた周五郎。1967年、63歳でこの世を去るまで、自らの生活を執筆活動にささげました。平穏や快適さの裏側にある出来事。それらと向き合い、強く生きるためのいくつものメッセージが、彼の小説には隠されています。
『樅ノ木は残った』は周五郎の代表作とも言える長編小説。江戸時代に起こった「伊達騒動」で反対派の人間を殺害した、原田甲斐が物語の中心人物です。歴史上、極悪人とされてきた人物ですが、真実は自らを犠牲にして藩を救ったという、新しい解釈で書かれています。
幕府による取り潰しの危機にある伊達藩。不穏な空気を感じ取る人々は、原田甲斐にも意見を求めますが、彼は笑ってごまかすばかり。甲斐は魅力的で、人に好かれる性質です。しかし、政治や陰謀の話に取り合わない彼の態度に、周りの人間は徐々に失望していきます。なぜ彼は動かないのでしょうか?実は、甲斐には計画がありました。誰にも本心を明かさず、着々と準備を進めていきます。
- 著者
- 山本 周五郎
- 出版日
歴史小説と聞くと難しいイメージですが、男女間で交わされる会話などが多く散りばめられており、非常に読みやすい内容です。そして、権力者や家臣、その妻たちなど、さまざまな立場の想いが交錯していく様子が巧みに描かれています。味方をも欺き、孤独の中で闘い抜く原田甲斐の姿に、最後まで目を離すことができません。
物語のラストには、庭で樅の木を見つめる一人の人物。自分の家族までも犠牲にして、藩を守った原田甲斐の意志が、確かに残されていることが伝わってきます。
長崎で医学を学んだ野心ある青年医師、保本登。彼は江戸に戻り、幕府の御目見医師になるつもりでした。しかしどういうわけか、通称「赤ひげ」という厳しい男が医長を務める、小石川養生所で働くことになってしまいます。養生所を利用するのは、貧しく劣悪な環境に置かれた人々ばかり。こんなところで医者になるつもりはないと反抗していた保本ですが、ある事件をきっかけに少しずつ変わり始めます。
- 著者
- 山本 周五郎
- 出版日
- 1964-10-13
作品は8つの短編から構成されており、殺人癖のある女を描く「狂女の話」や、成就したとたんに恋から冷めてしまう男の「三度目の正直」、一家心中の悲劇を描いた「鶯ばか」など、さまざまな患者や事件を扱った内容となっています。
物語の多くを形作るのは、目も当てられないような悲惨な出来事や、ときに気分が悪くなるほど不快な人物たちです。しかし赤ひげは、全てに現状まで至った背景があると考え、貧困と無知を克服することが重要だと説きます。権力を憎み、最善の策を探し続ける赤ひげの颯爽たる姿は、生活の中に潜むあらゆる問題への向き合い方を、読者である私たちにも教えてくれているようです。
『青べか物語』は、作者が実際に体験した出来事をもとに書かれた小説です。ある日、作家である主人公は浦粕という漁師町を訪れます。町の景色を気に入り、そのまま滞在することになるのですが、現代離れした人々の生活は、驚きと発見にあふれていました。
- 著者
- 山本 周五郎
- 出版日
- 1963-08-12
タイトルにある「青べか」とは青い船のことです。物語は、主人公がこの青べかを老人から売りつけられるところから始まります。そして、小学生たちから多くの情報を与えられながら、徐々に明らかになる町の全貌。浦粕は、のどかな生活と猟奇的な事件が共存する、何とも不思議な町でした。本書はいくつもの短編から成り、章ごとに奇妙な登場人物や風習が描かれています。
布団に砂を撒く新妻や、石灰工場で欲望を爆発させた男など、日常の中から浮かび上がる明らかな異常。しかし、悲惨なテーマも多い中、物語はむしろ軽快に進んでいき、読者を愉快な気持ちにさせてくれます。それは、作者自身が奇妙な習慣を軽蔑することなく、親しみをもって接していたからかもしれません。
主人公の男は、浦粕に3年ほど滞在したあと、逃げるようにその町をあとにします。そして30年後に再び訪れたとき、親しくしていた少年にすっかり忘れられていることに驚きます。まるで、滞在していた3年間が嘘だったかのように。最後まで、どこか不思議な空気の流れる作品です。
周五郎の小説の中でも特にファンが多い『さぶ』。主人公の栄二は器用で頭の良い男、対して職人仲間のさぶは不器用で気も弱いです。さらに、栄二は女性にも人気があり、さぶの片想いの相手も栄二に恋をしているほど。そんな順風満帆に見えた栄二の人生ですが、ある日、事件が発生します。仕事先で盗みを働いたとされ、出入り禁止になってしまったのです。
身に覚えのない栄二は怒り狂い、誤解を解こうとして店に抗議に行きます。しかしそれがきっかけで、ついには犯罪者の自立支援施設である、人足寄せ場に入れられてしまうことになりました。自分の運命に絶望した栄二は、濡れ衣を着せた犯人への復讐心に縛られながら毎日を過ごします。さぶが面会に来ても、決して会おうとしません。
- 著者
- 山本 周五郎
- 出版日
- 1965-12-28
ふさぎ込む栄二に対し、なぜか多くの人間は思いやりを持って接してきます。ある日、岡安という男から、自分の置かれている現状をよく考えるようにと言われる場面があります。
「『おまえは気がつかなくとも』と岡安はひと息ついて云った、『この爽やかな風にはもくせいの香が匂っている、心をしずめて息を吸えば、おまえにもその花の香が匂うだろう、心をしずめて、自分の運不運をよく考えるんだな、さぶやおすえという娘のいることを忘れるんじゃないぞ』」(『さぶ』より引用)
世間からのけ者にされた人々と一緒に過ごすことで、それまでの考え方を一転させ、だんだんと目の前が開けてくる栄二。今まで自分を支えてくれていた人たちの存在に気づき、徐々に変化する様子が鮮やかに描かれています。
そして、タイトルにあるように、さぶはこの物語において欠かせない人物です。難しい言葉は使わず、非常にシンプルな台詞が多いのですが、だからこそ彼の言葉は重く心に響きます。何年経ってもこの小説が愛される理由には、さぶの存在が大きいでしょう。
さて、復讐心を忘れ改心する栄二ですが、彼の人生を一変させた真の犯人は誰だったのでしょうか?意外な方向に進んでいく、物語のラストにも注目です。
『日本婦道記』は、世間に出ることはないけれど、強く殊勝に生きた女性たちを描いた短編集。直木賞に選ばれたことでも有名です。
- 著者
- 山本 周五郎
- 出版日
- 1958-10-28
「松の花」は、妻を亡くして初めて、30年越しに真実を知る男が主人公です。彼女の死後、遺品整理をしていると、出てくるのはボロボロの服ばかり。裕福に暮らしていたはずなのにどうして?呑気に見えた妻の、隠れた一面が明かされていきます。
また、離縁されてからも、姑の世話をし続ける「不断草」は、目が見えない義理の母を不憫に思い、自分の人生を捨てる決意をする女性の話です。さらに、女性の意思の強さを描いた「二十三年」は、鳥肌の立つような衝撃の事実が用意されています。
どの作品も、妻として、そして母として生きる女性たちの強さと、凛とした美しさにあふれています。世間に隠された見えざる部分を、決して無かったことにはしない、そんな周五郎の姿勢が伝わってくるようです。あらゆる立場に置かれた女性の生活を浮き彫りにしており、充実した内容となっています。
舞台は江戸時代後期。主人公の三浦主水正の父親はニ十石ばかりの組頭で、下級武士でしたが、主水正は子供時代から勉学に武術に励み、異例の出世を遂げていきます。本作は彼の8歳からの38歳までの半生が描いた作品です。
真面目で仕事に一途な三浦主水正は、主君の飛騨守昌治が計画した工事の責任者になりますが、思うように工事は進みません。小雨でも工事を休みにしてしまう総支配人。堤の工事に反対する藩の重臣たちは、妨害するだけではなく、主水正の命まで狙います。
主水正は、幼馴染で、彼との間に子供を持つななえと命からがら逃げ回り、貧しい生活を強いられます。しかも、息子を2歳の時に不慮の事故で亡くしてしまうのです。これが原因となり、二人は別れてしまいました。
- 著者
- 山本 周五郎
- 出版日
- 1971-07-19
後に妻となる旧姓山崎つるは娘時代からわがまま放題で育ったお嬢様として描かれ、父親からは「鷲っ子」と呼ばれるほど気が強い娘でしたが、長い長いすれ違いの夫婦生活のうちに心を開いていきます。
つるは気が強いだけでなく、物語の後半にはかわいらしい一面も垣間見えます。あれだけお互いを遠ざけていた二人が寄り添っていき、良い夫婦関係を築いていく姿にも注目して読むのも良いでしょう。
主水正のライバルで、藩主の息子である滝沢兵部も自分の立場に苦しみます。酒におぼれてしまいますが、最後は主水正により助けられ、立ち直っていきます。この二人のラストシーンは必見です。
三浦主水正の前向きなだけではなく、弱音を吐いたり、苦しくて叫んだりする、人間臭さにも注目して読んでみるのも良いでしょう。特に上下巻合わせると1000ページを超えますが、歴史小説といえども、堅苦しさも難しさもあまり感じられません。三浦主水正の人間らしさに触れながら、歴史ものの入口におすすめです。
以上、山本周五郎のおすすめ作品でした。賞を嫌い、権力を憎んだ小説家、山本周五郎。苦悩の中で闘う彼の作品たちは、どんな時代にあっても、読者の心を勇気づけ、奮い立たせてくれることでしょう。