『金色夜叉』といえば、読みにくく、文学的で難しい内容だと思い込んでいる方も多いかもしれません。しかし実際はストーリー性に富んだ、現代人でも十分面白いと感じられる物語です。作者尾崎紅葉の天才ぶりと、その代表作から5作品、ご紹介します。
尾崎紅葉は1868年、江戸幕府が終焉を迎える直前の芝中門前町に生まれました。父親が営む家業は廃業し、母は早くに亡くなり、母方の祖母に育てられました。学費は母方の関係者に援助してもらい、教育はきちんと受けることができていたようです。
1883年(紅葉15歳)、東京大学予備門入学。これは現在の東大教育学部の前身であると言われています。東京英語学校と開成学校が合併して間もなくの事らしいので、当時としては外国語と洋学研究の専門学校といったところでしょうか。なんにせよ、勉強についてはかなり優等生だったと推測されます。
尾崎紅葉が小説家としてデビューしたのは20歳の頃、『二人比丘尼色懺悔』が出世作として知られています。その後読売新聞社に入社、売れっ子連載小説家の道を歩むことになります。23歳で結婚、最終的に2男3女を持つことになります。
尾崎紅葉には泉鏡花や田山花袋など、その後有名になった弟子が数多くいます。師匠というと、なんとなく50歳以上の成熟した中年から老年男性を思い浮かべますが、紅葉が弟子を多くとっていたのはなんと20代の頃。あの有名な『金色夜叉』を30歳前後で書いた後、胃がんのために35歳で亡くなっているという、薄命の天才なのです。
尾崎紅葉といえば『金色夜叉』。国語か社会科の教科書で一度は見たことがあるタイトルなのではないでしょうか。この作品は読売新聞で5年間連載されましたが、結末を書き終える前に紅葉が他界し、未完として終わっています。(その後門下生が引き継いで完結篇を書いていますが)
昭和に入ってテレビドラマも作成されたというこの作品、紅葉が書いただけでも前編、中編、後編、続金色夜叉、続続金色夜叉、新続金色夜叉とあり、かなりの長期連載です。よほど人気があったのでしょう。作家としてデビューしてから10年たった紅葉の完成された美しい文章と、連載小説らしい展開の速さが、人々の心をつかみました。
- 著者
- 尾崎 紅葉
- 出版日
- 1969-11-12
長期連載である『金色夜叉』の中でも、前編が最も有名です。主人公である間貫一の婚約者であったお宮は、結婚目前にして貫一から大富豪に乗り換えてしまいます。(と言ってもお宮も、特段非人情な悪女という訳でもないんですが)大富豪に嫁ぐことになったお宮と貫一が言い争い、激怒した貫一がお宮を蹴り飛ばすシーンが有名です。
そのシーンを読者の頭に焼き付けさせたのち、中編、後篇、続編へと話が展開します。妻となるはずの女性に裏切られたと感じた貫一は性格も生き方も一変して、お宮への復讐心を燃やし続けながら高利貸しになるのです。
かつての優しさを忘れ、冷血な拝金主義者としての人生を歩む貫一。その一方で、お宮は第一子を亡くしてあまり幸せでない生活を送っています。やがて二人は再会。二人の間の溝、その周辺で起こる金がらみの争いや傷害事件と、次々に物語が展開していきます。
尾崎紅葉の小説は、最初は昔の文体で読みにくそうに感じますが、しばらく読んでいると実に心地よいリズムで書かれた文章であることに気づかされます。物語の構成、展開、会話の流れ、臨場感と躍動感、どれをとっても素晴らしく完成されていて、単に自分の心の赴くままに書いたのではなく、読み手の心理を明確に意識して書いたに違いありません。
現代でいうと実によくできた連続ドラマを見ているようで、小難しい文学作品というより、エンターテイメント作品であるようにも思えます。テレビがなかった当時としては、この小説が多くの人を興奮させ、次回を待ち望む気持ちにさせたベストセラーになったというのも頷けます。
紅葉が22、3歳の頃に書いた作品、『伽羅枕』。紅葉が実際にモデルとなった老女の話を聞いて仕上げた小説です。老女は江戸の時代に吉原で名を馳せた花魁(遊女の中でも地位の高い、姉さん身分)で、その波乱万丈な人生と侠気(弱きを助ける男らしい気性)溢れる粋な立ち振る舞いが描かれています。
当時はこれを、江戸時代の「粋」の世界を描いた前近代的作品と批判する声もあったようです。文明開化で皆が前を向こうとしていた時代ですからね。しかし、紅葉はそんなことは百も承知だったのではないでしょうか。その時代にウケる作品を多く生み出した天才作家が、そんな時代遅れの作品を、考えもなしに出すとは思えません。
- 著者
- 尾崎 紅葉
- 出版日
- 1955-07-05
この『伽羅枕』が連載されるとき、広告に「これは実在する人物に会って、それをそのまま書いただけ」と記されていました。時代が西洋化に向けて進む中、敢えてこの老女の「粋」で痛快な人生を、「ありのまま」と前置きして書く。文明の中に埋もれてしまいそうな、江戸の生きた物語を発掘し、そこにリアリティと斬新さを表現したのかもしれません。
今でいうと、昔の裏社会に生きた高級ホステスの暴露話、仁義あり人情ありの、波乱万丈物語みたいなものでしょうか。時代に逆行する内容でありながら、絶対人に「面白い!」と言わせる自信が、紅葉にはあったのでしょうね。
尾崎紅葉の小説は古文と現代文が混ざったような独自の文体が多いのですが、『多情多恨』は言文一致(げんぶんいっち)、つまり話し言葉に近い文体を用いています。尾崎紅葉ファンだったらもしかすると物足りなく感じるかもしれませんが、現代人にとっては読みやすくわかりやすい文章です。
作品によって文体を大きく変えたのは、時代に即したものを模索する紅葉のチャレンジ精神からなのか、それとも作品に最も適した文体を模索した結果なのか、はたまたその両方であったのか。この『多情多恨』は『金色夜叉』や『伽羅枕』のように、波乱に満ちた人生を描いたものではないので、言文一致体の方が、読者が作品に入り込みやすいと思ったのかもしれません。
物語の主人公は、最愛の妻を亡くした鷲見柳之助という、極端に人の好き嫌いが激しい男です。妻が好きすぎて好きすぎて、それを失った現実を受け入れられない柳之助は、泣きじゃくってばかりの毎日。周囲がそれにほとほと困りながらも世話を焼いてあげるさまが滑稽です。
- 著者
- 尾崎 紅葉
- 出版日
- 2003-04-16
柳之助は元々人嫌いで、亡き妻と友人である葉山以外に好きな人などいないという、ひどく変わった人物です。奥さんの死後、家が荒れ放題になってしまったのを見かねて、義母の計らいで手伝いに来てくれた義理の妹も、(本人に直接は言いませんが)嫌いだという理由でとうとう追い返してしまいます。
非情な恩知らずというのではなく、全くの子どもなのです。他人がいると窮屈でならないし、世話を焼かれるとたまらなく鬱陶しい。その分、亡き妻と葉山にはただならぬほど懐き慕っている。本当に情けなく面倒くさい男なのですが、友人葉山がほうっておけずに世話をしてしまうのもわからなくもない純朴さがあります。
いつまでも家に引きこもりがちな柳之助を見かねた葉山は、自分の家で一緒に住まないかと誘います。柳之助は、葉山は大好きですが実は葉山の妻のことは大嫌い。そして妻の方も柳之助が嫌い。それでも柳之助は独りでいるのに耐えかねて、一緒に住み始めます。
妻の死から立ちなおれずいつまでもクヨクヨメソメソしている柳之助が、周囲の情に影響されながら少しずつ変わっていく様子や、当初は柳之助が大嫌いだった葉山の妻が、だんだん柳之助を健気でいじらしく思えてくる様子が、こまごまとした気の利いたエピソードの中で巧みに描かれています。大変読みやすい作品なので、尾崎紅葉を初めて読む方におすすめです。
尾崎紅葉が21歳の時に書いた作品『二人比丘尼色懺悔』は、紅葉の出世作として有名です。2人の尼が、自らの過去を懺悔しあう物語です。語り手がいるにも関わらず小説の中は3人称という文体は、当時としては新しい手法であったようです。
「文章は在来の雅俗折衷おかしからず。言文一致このもしからずで。色々気を揉みぬいた末。鳳か鶏か―虎か猫か。我にも判断のならぬかゝる一風異様の文体を創造せり。あまりお手柄な話にあらずといへど。これでも作者の苦労はいかばかり。それをすこしは汲分て。御評判を願ふ」(『二人比丘尼色懺悔』より引用)
紅葉は前置きにこう書いています。要するに「いろいろ悩んだ結果独自の文体を作り出しました、あんまり褒められるものではないけれど、苦労したからちょっとそれを汲んで、感想を聞かせてね」みたいなことでしょうか。でもそこには謙虚さというより「でも絶対イケてるから!」みたいな自信が垣間見える気もしますね。
- 著者
- 尾崎 紅葉
- 出版日
この作品は、「奇遇の巻」「戦場の巻」「怨言の巻」「自害の巻」の四つの巻で構成されています。「奇遇の巻」では山中の庵で偶然出会った二人の比丘尼(若葉と芳野)が互いの身の上話をします。「戦場の巻」では戦場での若武者(この物語における二人の恋相手)の活躍。「怨言の巻」では若武者と芳野の物語、「自害の巻」では若武者と若葉の別れ、そして若武者の自害という構成です。
上記でおやと思った方もいるかもしれませんが、二人はそうとしらず実は同じ相手を思慕していたのです。若葉は夫と死別して出家したと言い、芳野は夫が戦場で討ち死にして出家したと語るうち、二人の話す若武者が同一人物であったことが明らかになっていきます。
最初からは明らかにしないこのからくりを「奇遇」というタイトルで暗示するところがテクニシャンですね。物語を始める前に、紅葉は文体以外にもいくつか前置きをしていますが、「此小説は涙を主眼とす」(『二人比丘尼色懺悔』より引用)ともあります。これがどんな話なのか、ちょっと布石を打ったんでしょうか。しかしこの布石が、その後物語を読み進める際にじわじわ効いてくる気もします。
まだ若干20歳を過ぎたばかりでこの読ませ方、読者の心理を読んだ上での物語構成。そして時代としても、西洋文化が入ってきて、文明人を目指して難しい政治的なものに目が向けられる中で、人々にウケそうな人間味のあるストーリーを狙って書いたような節もあります。無茶苦茶、頭のいい人だったんでしょうね。紅葉の才能に脱帽したくなります。
尾崎紅葉は『源氏物語』の影響を強く受けたと言われています。『源氏物語』といえば、恋多き平安のプレイボーイ光源氏が主人公ですが、『三人妻』は貧乏な生まれから一代で財産を築いた成金商売人・葛城余五郎と三人の妾の物語です。
元々この話、紅葉自身が語るところによると『読売』の雑報からヒントを得たと言います。ある豪商の葬式で3人の妾が殉死の意味で髪の毛を棺に入れたという話で、全く素性も性格も異なる女が同じ男の妾となっていたら、嫉妬や衝突もあったろうし、面白い小説の題材になりそうだと感じたのだそうです。
物語は前編と後篇に分かれており、前編は、余五郎が目を付けた3人の女性を時に裏工作までして手に入れる過程、後篇は余五郎とともに過ごす3人の妾の関わり合いを描いています。3人の女性はそれぞれ境遇も性格も異なり、余五郎の元へ来た理由も、余五郎への気持ちも様々です。もちろん、みんな仲良く心穏やかに、という訳にはいきません。泥沼加減は、ちょっと前の昼メロドラマ並みです。
また『3人妻』というタイトルのわりには、3人は妻ではなく妾であり、本妻はちゃんと別にいます。ですから厳密に言えば4人妻なんですが、本妻は他の女性たちとは距離を置いているというか、全く別の立ち位置にいる感じです。3人の妾に対して嫉妬心は見せず、妾たちの性格について余五郎と他人事のように話す本妻と、妾たちとの関係も興味深いものがあります。
- 著者
- 尾崎 紅葉
- 出版日
- 2003-04-16
紅葉の小説の中には、さまざまな性格の女性が登場しますが、どの作品でもそれぞれの個性を巧みに表現していますね。若い紅葉がこれほど女性の心理を緻密に表現できるのは、やはり才能の為せる技でしょうか。一歩引いたところから客観的に見ているというか、作中の登場人物の心境を的確な言葉でスパッと表現している感じが面白いです。
決して裕福な生まれではなく、読売新聞社で雇われ人として小説を書いていた紅葉にとって、葛城余五郎のような田舎から成り上がった拝金主義者は嫌悪の対象であったと推測されます。しかしながらただ単にそれを痛烈に批判するだけでは、面白い物語にはならない。その周囲の人間に焦点を当てることで読者の興味や共感をそそる小説を書きあげた紅葉は、決して自分の思想や感情に溺れない、徹底的に読み手重視のプロ作家だったのでしょうね。
尾崎紅葉の独特の文体は、目で追っていくととても心地よいテンポを刻んでいます。その文章はまるで芸術作品のようですが、そこには未熟な芸術家によくある独りよがりなナルシシズムや、粗削りな様子は全く感じられません。時代を見つめ、流行を見つめ、人々の心理を予測していた。そもそも若干二十歳で独自の文体を作り出すこと自体、天才としかいいようがありません。紅葉が現代に生きていたら、文学の道を志したかどうかはわかりませんが、少なくとも超一流の何かになっていたことでしょう。若くして亡くなったことが惜しまれる、明治の名作家です。