軍師、黒田官兵衛について知れるおすすめ本5冊!

更新:2021.12.16

秀吉の名軍師であった黒田官兵衛。欲の少ない誠実な男であり、有名な逸話も多く残っています。そんな黒田官兵衛の生きざま、実像、考え方について深く知ることができる本をご紹介します。

ブックカルテ リンク

秀吉も恐れる智謀の持ち主、黒田官兵衛

1546年播磨国に黒田職隆の嫡男として生まれた黒田官兵衛は、その才を認められ、1561年に御着の城主である小寺雅職に仕えることとなります。1567年頃には家督を継ぎ、小寺雅職の親族の娘を正室に迎えて姫路城代となりました。

信長が台頭してくると、官兵衛は信長の才能を高く評価し、織田へ付くことを主君に進言します。認められると積極的に交渉に動き、秀吉や竹中半兵衛との仲も深めていくのでした。

秀吉が姫路城に駐在するようになると、参謀として活躍。そこで毛利や宇喜多との戦いが続きますが、織田の家臣荒木村重が謀反を起こし、その翻意の説得に向かった官兵衛は主君の裏切りにあい逆に幽閉されてしまいます。この幽閉生活は1年も続きました。

1582年備中高松攻めの最中、本能寺の変が起こり、官兵衛は秀吉に光秀を打たせるために中国大返しを成功させました。「運が開かれる機会が参りましたね」というようなことを述べたと言われ、秀吉にその智謀を恐れられるようになったようです。

以降は秀吉のために尽くし、九州を攻略し中津城を築城。秀吉死後は家康へ近づき、関が原では家康側について九州で戦いました。家康も官兵衛の知略を恐れていて、力を付けさせないためにも褒美が少なくしたと言われています。その後隠居生活を送り、1604年に亡くなりました。

秀吉の「軍師」黒田官兵衛に関する10の事実

1:幽閉時代にできた頭にできものに悩んだ

官兵衛の頭には醜いできものがあったと伝えられています。このできものは官兵衛が有岡城に幽閉されていた時に患ったものとされており、他にも幽閉生活によって左足の関節を痛めてしまうなど、身体に大きな障害を残すことになっ た出来事でした。

2:高麗人参の栽培に没頭した

日本ではじめて高麗人参を栽培したのは官兵衛だと言われています。隠居後、高麗人参の栽培に没頭したという記録が残っておりますが、どうやら人参の種子を発芽させるには至らなかったそうです。祖父重隆は目薬の販売で生計を立てていたこともあり、薬草の栽培なども行なっていたようなので、その影響を受けていたのではないかとも言 われています。

3:官兵衛は倹約家だった

倹約家としてのエピソードが数多く残されています。 貧しい家臣が鯛を立派な白木の箱に入れて献上した際、 「鯛は嬉しく頂戴するが、その立派な箱は誰かに売って、武具を整えよ」と命じたこと や、
不要になった物を家臣に売り下げて蓄財に励んだことなどが知られています。

4:側室を持たない愛妻家

政略結婚の末、櫛橋光を正室に迎えましたが、側室を持たず光だけを愛したそ うです。光との間には長政と熊之助の二人の息子が生まれまています。長政が生まれた後、子ができない時期が続きましたが、それでも側室を取ろうとはしませんでした。

5:辞世の句は「おもひをく 言の葉なくて つゐに行く 道はまよはじ なるにまかせて」

「もはや思い残す言葉もなく、あの世へ行くことになりました。今は迷うことなく、なりゆきに任せて旅立とう」という、読んでいてとても気持ちのよい内容となっています。

6:名言「人に媚びず、富貴を望まず」

官兵衛の遺訓とされる名言です。 私は人に媚びへつらうことはしない、富や権力も求めはしない、 という意味で、彼の誇りの高さをうかがうことができます。 

7:実はキリスト教信者だった

官兵衛が38歳の頃、キリスト教の洗礼を受けました。高山右近に勧められると教会に通い、ドンシメオンという洗礼名を授かります。ただし1587年に秀吉がバテレン追放令を公布するとキリスト教は邪教として排斥されますが、官兵衛は令に従って棄教したことから、それほど熱心な教徒ではなかったと言わ れています。

8:実は風流人だった

母の影響を受け、幼い頃から源氏物語などの文学に触れていたと言われています。和歌や連歌などを好んで詠み、京都の公家階級(五摂家や堂上家が知られる)と親交深めたそうです。

9:個性的な形の兜を被った

銀白檀塗合子形兜と言い、お碗をひっくり返したような形状が特徴です。 「如水の赤合子」とも呼ばれたこの兜を戦場で常に着用していたそうですが、義父である櫛橋伊定から婚約の祝いとして贈られたものと言われています。
 

10:官兵衛は出家して「如水」に

朝鮮出兵をきっかけにして秀吉の怒りをかってしまった官兵衛は、 出家し「如水円清」と名乗るようになります。水のようにその心が澄んでいる、ということを表しているようです。

秀吉の最強軍師、黒田官兵衛の人生とは

著者
司馬 遼太郎
出版日
2004-01-16


黒田官兵衛の生涯を詳しく知ることができる『播磨灘物語』。解説や補足が多く書かれているので、物語性を楽しむことに加えて歴史の知識を豊富に手に入れられることでしょう。

黒田家が近江から備前福岡、そして播州姫路へ移ってくる話から始まります。目薬売りを商いとしているうちに、いつしか貧乏から抜け出し、祖父重隆は御着城主の小寺藤兵衛に仕えることとなりました。黒田家の人々はみな人に仕えるというより自立しようとする気持ちの方が強く、それでいて主君を裏切ったり主家を乗っ取ったりすることはないということが書かれており、このことが官兵衛の性格を形作っているようです。この黒田家にまつわる話は奥深く、官兵衛についてより深く知ることができます。

文庫全4巻の大作で、3巻から大きな盛り上がりを見せます。官兵衛にはその人格に大きな影響を与えることとなった、幽閉の時期がありました。主君の裏切りにあい、死ぬ思いを経験します。3巻はそのシーンから無事抜け出し播州を平定するまで、4巻は秀吉の中国攻め、本能寺の変の後の中国大返し、山崎の合戦でクライマックスとなります。

官兵衛の重要性が増してくるにつれて、秀吉からもその才能を恐れられるようになっていきます。そんな中で欲の少ない彼がとる行動、考え方、欲を出す場面、葛藤など、官兵衛の様子が手に取るように分かり、どんどん読み進めてしまいます。天下を取れたかもしれない男の潔い人生をぜひ感じてください。

黒田官兵衛に多大な影響を与えた幽閉生活

著者
吉川 英治
出版日
2013-07-25


『黒田如水』というタイトルを見ると、生涯を追ったものか、もしくは晩年の話かなと思いそうですが、内容は官兵衛の若かりし頃についてです。特に荒木村重に幽閉された時期に重きを置いて書かれています。この事件により官兵衛は別人のようになったと言われているくらい重要な事件でした。その後の軍師としての彼について全く書いていないことに、作者の潔さを感じます。

この本のおすすめの読み方は、竹中半兵衛との友情に注目することです。この時代には珍しく、何の裏もない本当の友情がここにあるのです。半兵衛は、官兵衛の息子を主君の命を裏切ってまで秘密裏に助けます。そんな半兵衛の心意気に感銘を受け、またその死んだと思っていた息子と官兵衛との対面シーンでは心震えるほど感動することでしょう。

吉川英治の描く官兵衛は、誠実です。戦国という時代に、これだけ欲もなく主君に仕えた人物はあまり存在しません。自分が天下を取れる才能がありながら、です。その潔い心持ちを感じることで、清々しく読み終えることができるでしょう。幽閉の場面は読んでいても辛いのですが、その中で生きる希望を持つ官兵衛に、生きるとは何かということを改めて考えさせられます。

キリシタンが時代の流れを作っていた

著者
葉室 麟
出版日
2012-05-15


キリシタンを主体として歴史を見ると、どのような風景が見えてくるのでしょうか。『風薫る』では、キリシタンであった黒田官兵衛と日本人修道士のジョアンを主人公として、二人の生きざまを描きます。キリスト教はこんなにも歴史に影響を与えていたのかと驚かされるかもしれません。

本能寺の変での暗躍。そこが一番面白い読みどころです。まさか信長を討つことに、官兵衛が関わっていたなんて誰が思いつくでしょうか。弾圧からキリスト教の世を守るために、彼は動きます。官兵衛、光秀、秀吉の思惑はどういう結果をもたらしていくのか、ページをめくる手が止まりません。

官兵衛が神をどのように考えていたのかは分かりませんが、拠り所が必要だったこの時代、隠れキリシタンは武将の中にもたくさんいました。そんなキリシタンたちが時代を作っていく様子は、今まで私たちが知る歴史とは別物のようです。信長、秀吉の時代をキリシタン目線で読み解くことができる貴重な一冊といえるでしょう。

軍師というのは後付けされたイメージだった

著者
渡邊 大門
出版日
2013-09-18


黒田官兵衛と聞いて一番に思いつくのは、秀吉の名軍師だったということではないでしょうか。本作では、そのイメージは後世に作られたものであったということが書かれています。一次資料を丹念に精査し、その理由を述べていきます。

黒田家は目薬屋で生計を立てていたという話も間違いで実は播州の土豪であったという話、有名な備中高松の水攻めも官兵衛の助言ではなかったという話など、読んでいると新たな解釈を知ることができ面白いです。

軍師という職業は戦国時代にはなかったので、官兵衛に対するそういう言葉は後からつけられました。それは、本人が長政につけさせたものだという興味深い話を展開させます。長政が官兵衛の偉大さを作り上げたのです。軍師として活躍したことや、もし関ヶ原で黒田家が西軍に寝返れば西軍が勝ったであろうということを後世に伝えさせました。どのようにしてイメージというものが作られていくのかが分かります。

関ヶ原での黒田官兵衛の暗躍とは

著者
安部 龍太郎
出版日
2013-11-20


関ヶ原の合戦で、官兵衛は九州を平定し、そこから一気に天下を取るつもりでいたという話があります。これをもとに壮大な物語を描きあげている本が『風の如く水の如く』です。関ヶ原の裏の面を見ることができ、さらには各武将の行動の理由づけが完璧になされており、これが歴史の真実であったのかもと思わせられます。

話の主体となるのは、本多正純が関ヶ原の功労賞を決める際に、官兵衛の裏切りの真偽を確かめるために関連武将に訊問するということです。黒田長政、細川忠興、竹中重門、後藤又兵衛ら怪しい人物の話を聞きながら、関ヶ原の歴史が語られていきます。そんなことを画策していたの?そういう意図で動いていたのか!と驚きの展開が続きます。

官兵衛と長政、本多正純と正信をはじめ、各武将の親子関係にも注目です。親子という切っても切れない間柄での愛情や葛藤が、身に染みて感じられます。関ヶ原の真相に深く入り込め、ドキドキしながらあっという間に読み終えることができる作品です。

黒田官兵衛は立派な軍師というイメージが強く、実際はどんな人物だったのかということは分かりにくいかもしれません。大河ドラマに取り上げられたことで興味がでてきた人も多いでしょう。この記事が様々な角度から彼について考えるきっかけになると幸いです。

  • twitter
  • facebook
  • line
  • hatena
もっと見る もっと見る