子供の頃に俺が居た地域では、子供なら誰しもが知っている都市伝説があった。子供というか、中学生の思春期の頃の話だ。
いま、台所で食器を洗っていたら、何となく思い出した。
地元に一つ、リサイクルショップがあった。そのリサイクルショップで買い物をしてしまうと、頭の中の右端の下、隅っこに小さなブラックホールができる。外からは脳みその様子なんて分からないから、当事者である本人も、そしてもちろん周りの誰にも気付けないのだが、そのブラックホールは当人が持つ記憶の、とある一部分だけを吸い込んでしまう。
その時その当人が好きだった相手の、その相手を〈好きだと思う理由〉の記憶だけが、密やかに奪い去られるのだ。
そのリサイクルショップにはもちろん常々利用者が居て、つまりそこで買い物をすれば無条件に穴ボコに侵される、という訳では無いらしかった。ブラックホールへ導かれるその誰かには、趣味でも、必要でもないのに、どうしても手に取ってしまう光がそこにはあって、それを買い求めてしまったが最後。そんな都市伝説だった。
中学の課外授業で職場体験があって、そのリサイクルショップに当たってしまったその年の数人は、だからみんな、何となくちょっと怯える。
好きだった人自身のことを丸々忘れてしまう訳じゃない。好きだった人のことを好きだったこと自体を忘れてしまうわけじゃない。好きな人の、自分がその人を好きだった理由だけが、この世界から、誰も知らぬ間に消えてなくなってしまうのだ。
俺の代の時は北嶋と、あと3人の女子がそのリサイクルショップに割り当てられた。
北嶋にはちょうどその時、交際がはじまりそうな藍川という女の子が居た。傍から見ても二人の感情は明白で、二人は決定的な言葉だけをお互いが口にしないまま、恋愛の浅瀬でじゃれ合ったりしていて、面倒くさい感じだった。
周りはその様子を眺めつつ、時折見せる二人の特別な仕草を目ざとく見つけては、無責任に囃し立てたりして遊んだ。
例のリサイクルショップに割り当てられた北嶋を、藍川も、そして周りのみんなもいつもみたいにからかったし、北嶋自身もそれをネタにして笑ったりしていた。あくまで都市伝説だ。みんな面白半分だった。
それからしばらく経って職場体験から戻って来た北嶋は、やっぱり藍川と一緒に下校して、日曜日には二人で近所のスケートリンクに遊びに行ったりしていた。
みんな北嶋が例のリサイクルショップで二日間だけ働いて来た事なんて忘れていた。
ある時、俺と北嶋とニ人、放課後の道端でダラダラと過ごしていた時、奴の携帯に見慣れないストラップが掛かっている事に気が付いた。
「職場体験の時リサイクルショップで買った」
と北嶋は話していた。ストラップは頭の長いおじいさんのフィギュアがぶら下がった、なんとも言えない出自不明な代物だった。「ヤバいじゃん。藍川のこと好きじゃなくなった?」と聞いたら「元々好きじゃねえよ」と返された。
その時の言い草はこれまで北嶋と過ごしてきた俺にはわかる、言うまでもなく見え透いた照れ隠しで、俺も特に気にとめなかったし、追随するのも面倒だったし、その話はそこで終わらせた。
でもそれから北嶋と藍川が交際に至ることは、結局無かった。学校を卒業した後に、ふと思い返してみればそういえばあの二人って結局付き合わなかったよな、とおぼろげな記憶がそこに転がっているだけの、ただそれだけの話。
もしかしたら付き合ったりしていた時期が二人しか知り得ない場所にはあったのかも知れなかったが、たぶんなかった。ある時から、二人が二人で居る場面をパタリと見なくなって、でもそれは後からしか気付けないくらいにさりげないもので、二人は二人で居る事を、いつの間にかやめていた。
流し台の食器をぜんぶ洗い終わる頃には、俺もまた違う事を考えている。それぐらい、とりとめのない記憶。
可哀想な藍川。でも本当に可哀想なのは北嶋。かわいそうな北嶋。
百年の恋も、冷めてしまう。
※この岡山天音はフィクションです。実在する岡山天音は近所のファミレスへ。北嶋は居ない。
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