石川淳という作家を知っていますか?第二次世界大戦後の混乱の中、坂口安吾や太宰治と同じく社会への批判精神から無頼派と呼ばれた作家のなかに石川淳がいます。昭和の文学を支えた彼の作品にはたくさんの魅力がつまっています。
石川淳の作品の魅力は、なんといってものびやかで美しい文章。一度読むと脳裏に浮かんだ鮮やかな情景がしばらく離れません。また夷斎という別の名も持ち、たくさんのエッセイも書いています。
1899年に東京で生まれた石川淳は、漢学者の祖父と琴の師匠をしている祖母のもとで育てられます。本名は「じゅん」ではなく「きよし」と読みます。小学校に入学した頃から、毎日のように机の前に座らされて『論語』の素読をさせられていたそう。中学時代には森鴎外や夏目漱石を愛読し、森鴎外訳『諸国物語』に感銘を受け、通学途中の市電の中で森鴎外を見かけたことに感激をします。
1916年に慶應義塾文科に入学しますが半年で退学し、翌年に東京外語大学仏文科に入学。在学中から文芸誌に作品を寄稿するようになります。卒業後は一度銀行に勤めますがすぐに辞めて、その後はフランス語講師などをしながら文学者を志します。
フランス文学者としてアナトール・フランスの翻訳に打ち込みながらも、アンドレ・ジイドの『背徳者』の主人公ミシェルの反文明的な生き方にだんだんと憧れるようになっていきます。こういった生い立ちから、和漢洋の知識を背景に石川淳は社会への批判精神を作品に投影していったのですね。
夫人の石川活は
「ふだん石川はあまり喋らない。お酒を飲んだときはうるさいほどペラペラ喋るくせに、その他のときはほとんど黙っている。黙って原稿用紙に向き合い、黙々と読書し、だから家の中はいたって静かであった。」(『晴れのち曇、所により大雨』から引用)
と語っています。また坂口安吾はエッセイの中で、銀座にウイスキーを飲みに行くと酒場に並ぶ列のなかに必ず石川淳がいたと書いており、酒好きだったことも窺えます。
太宰治や坂口安吾と比べると少数のファンに支持されてきたであろう石川淳ですが、短命だった2人とは違い、1987年に88歳で亡くなるまで創作意欲を絶やさずに作品を生み出し続け、晩年に執筆した『狂風記』では多くの若者から支持を得ます。
数多くの作品を残した石川淳ですが、その中でも珠玉の5作品をご紹介します。
芸術選奨文部大臣賞を受賞したこの『紫苑物語』は、石川淳の作品の中でも特に色彩豊かな作品です。「その中にただ一ところ、青々とあざやかな色をたもって、草むらの、花をまじえ、風になびいているのが見えた。紫苑の茂みであった。」(『紫苑物語』から引用) 本文を読んでいると自然と風景が浮かんできます。
題名の紫苑は紫の花びらが美しい花で、その花言葉は「君のことを忘れない」。作品の中で紫苑は宗頼が矢で射た死体の血が流れた場所に埋められます。流れる血の赤と、紫苑の花の紫のコントラストが色鮮やかに美しく描かれています。
- 著者
- 石川 淳
- 出版日
- 1989-05-05
石川淳が描くこの物語の舞台は中世の日本。国を治める宗頼はもとは歌の家に生まれますが、弓矢の名手となり赴任先の国では狩りに明け暮れます。ある日、子狐を射止めたことをきっかけに、たくさんの人を殺すようになっていきます。
生ける人の背に矢を射たてる宗頼、宗頼にかたきを討つために美しい女性に化けた子狐の千草、岩穴で暮らしほとけを彫る平太、宗頼に仕えながらもその位を狙う藤内。それぞれの願望を持って生きている登場人物たちですが、いったい誰の願いが叶うのか、幸せになれる人はいるのか、短編ながらもどんどん引き込まれていきます。
「美しい花には棘がある」ではないですが、石川淳の美しい文章によって、怖さが引き立てられている妖気と妖艶さが入り混じった作品です。
1937年に発表された『普賢』は、芥川賞を受賞した石川淳初期の大作と言われています。1935年に約10年ぶりに創作活動を再開し、執筆した処女作の『佳人』とならんで、戦争を控えた当時ではあまり受け入れられない私小説ともいえる作品で、一文がとても長いのが特徴的です。
『普賢』は不況の中一家破産をし、ものを書くことで生計を立てていこうとする30歳の独身男性の主人公と、その主人公が市井で出会った低俗な人物たちの物語です。
主人公の「わたし」はジャンヌ・ダルクの伝記を書いたクリスティヌ・ピザンの伝記を書きたいと思っていますが、ジャンヌ・ダルクの顔はいつも長年思い続けているユカリと重なります。
ユカリは酒浸りの文蔵の妹で、非合法活動をしている青年のもとへ家出してしまいます。青年は当時発言力の無かった、今でいうところの労働者である無産階級の人々が社会に対して自由を訴えるような活動をしていたのです。
様々な葛藤により筆が進まない主人公の苦悩と、お酒あり、薬あり、非合法運動ありの世界で見えてくるものはなんなのか。石川淳の鋭い視点で当時の日本の底辺の世界が表現されています。
- 著者
- 石川 淳
- 出版日
- 1995-04-28
題名の『普賢』は普賢菩薩のことで、普賢菩薩は女性救済の信仰を持つそうで、ユカリやジャンヌ・ダルク、その他に登場する女性たちの姿に注目して読み進めていくと、その時代を生きる女性たちの姿が現代にも通じるものがありおもしろいです。
作品全体を通して「ものを書くとはどういうことか」という、姿が石川淳と重なる主人公の問いかけが終始繰り返されています。読み込むほど「わたし」の苦悩が石川淳の苦悩のように感じられてきます。
『焼跡のイエス』は戦後の上野の闇市を舞台にした石川淳の短編作品です。
上野アメ横の原型は終戦後まで遡ります。御徒町駅から上野駅までの間にたくさんの出店が連なっていました。食糧難の時代だったので、砂糖の代わりに「芋アメ」を売る店が多くあったことと、アメリカ物資が多く売られていたことから「アメ横」と呼ばれるようになったそうです。そんなアメ横の姿がリアリティをもって描写されています。
物語には、二目と見られぬボロとデキモノの獣のような少年が登場します。生まれつき虚栄心が強く、もっぱら体裁をよくすることに苦心していた主人公がその少年に対して次のように感じます。
「また律法の無いものにこそ神は味方するのだそうだから、かの少年は存外神と縁故のふかいもので、これから焼跡の新開地にはびころうとする人間のはじまり、すなわち『人の子』の役割を振りあてられているものかも知れない。少年がクリストであるかどうか判明しないが、イエスだということはまずうごかない目星だろう。」(『焼跡のイエス』から引用)
- 著者
- 石川 淳
- 出版日
- 2006-11-11
話としては、汚らしい少年と出会い、財布を無くしてしまうという短いものですが、誰もが目をそむけたくなる浮浪児にイエスの姿を見つける瞬間を、石川淳は戦後の独特の雰囲気を織り交ぜて描いており、読んでいると今では想像できないような当時の生活状況や人々の葛藤について考えさせられてしまいます。
戦争により荒廃した風景や、少年の汚さに恐怖する人々の姿を、当時の社会への皮肉も含め独自の目線で書いています。当時のイエスの概念をくつがえすような、石川淳の「聖」への概念がさすが無頼派の文豪といえる作品です。
1953年に書かれた『鷹』も、当時の雰囲気が濃厚に漂う石川淳の作品です。
たばこの専売公社に勤めていた国助は「万人の幸福のためにもっとも上等のたばこをつくり出したい」と思ったためにクビにされてしまいます。仕事を失った国助は古ぼけた食堂で出会ったKに紹介され、運河のほとりにあるたばこ工場で働き始めます。そこでEという人物や、キュロットに長靴をはいた少女と出会い話は進んでいきます。
働き始めた工場では、「明日語」という言語が使われていて、「明日語」によって明日起こる出来事を予告した新聞がすられているのです。国助もまたその「明日語」の入門書を渡されます。
- 著者
- 石川 淳
- 出版日
- 2012-04-11
未来がわかってしまう「明日語」や、ラストの終わり方などはファンタジーを読んでいるような気分になります。しかし幻想的な表現と反して、現実の秩序に対して戦う人間の姿をテーマに戦後の平和運動に絡めて書かれた石川淳の作品でもあります。
当時、発禁処分や文学会からの弾劾を受けた石川淳は「小説とはなんなのか」と存在意義を問いかけ、物語の中では万人の幸福を願う個人の思想を、秩序によって弾圧してしまう社会に対する革命へ向かう主人公の姿を力強い文体で、美しく描き出しています。
『焼跡のイエス』に次いで読んでいただきたい石川淳の作品です。
「堯舜」、「李白」、「清盛」他数作が収録されている石川淳の短編集です。「アルプスの少女」や「家なき子」など、世界の傑作文学のパロディも収録しています。幼少のころから漢文に親しみ、フランス文学を学んだ石川淳の知識の広さが伺われる作品集です。
この中の「堯舜」を少しご紹介したいと思います。
登場する舜は5000年生きています。お酒を飲みながら収入がそれなりにある商売を考えた結果、料理屋を営むことにします。しかし、いざ料理を作ってみようとしたら、この数千年の間使っていなかったせいで包丁の扱い方がわからなくなっていたのです。少し間の抜けた話ですね。
そこで舜は、安く仕入れることができて扱いが楽な商品を考えました。そして自身の好物である豆腐に目をつけました。しかし舜には料理の経験がないので売り出す商品が夏は冷奴、冬は湯豆腐と一品のみ。そんな豆腐屋さんの一番の売りは舜の妾でもある看板娘の娥皇女英という女性2人。
ある日娥皇女英がお金を持ち出し姿を消してしまいます。一時は「人生がいやになった。自殺したい気持ちだ。」と川に呟くほどに追い込まれますが、探し出すまでは死んでも死にきれないと自分一人で探し出そうと発憤します。
ここでハッピーエンドがちらりと垣間見えますが、なんと娥皇女英2人を両脇に抱えた禹という人物とすれ違います。一般大衆に紛れていた娥皇大英2人を禹が見抜いて連れて帰り、禹の妾となっていたのです。
- 著者
- 石川 淳
- 出版日
このままでは、なんとも悲しい話ですが最後は舜と娥皇女英の父である堯の落語のような会話で終わります。2人の会話は饒舌体を得意とした石川淳らしくリズミカルな調子で書かれていて、オチといった感じです。
舜は、楽をしたがる少しだらしない男として描かれています。読んでいると少しもどかしく感じてしまいます。しかし娥皇女英を思う気持ちは人一倍強い舜。ダメな男ですがつい感情移入して、なんとか救われてほしいと思ってしまいますね。
石川淳の落語のような短編が収録されているのが『おとしばなし集』です。これまで紹介してきたものは、無頼派と呼ばれるにふさわしい、社会に訴えかけるような作品でしたが、『おとしばなし集』は読者を楽しませることを目的として作られた、とても面白おかしい作品の数々になっています。ぜひ石川淳の『おとしばなし集』を読んでほっこりしてください!
独自孤高と言われ、和洋漢の広い学識から鋭く世の中を作品に投影してきた石川淳の作品。創作意欲の絶えなかった彼の作品はエッセイや翻訳なども含めるとかなりの数になります。時代を反映し社会に問いかけるようなものからユーモラスなものまで多岐にわたりますが、難しく考えすぎず、その美しい文に触れてみるだけでも価値のある読書体験になるはずです。