源義経はチンギスハンだった?頼朝の弟の伝説を読むおすすめ本5冊

更新:2017.2.16 作成:2017.2.16

鎌倉幕府を開いた源頼朝の弟で、平家を討ち滅ぼした天才軍略家の源義経。その悲劇の死から後年様々な伝説が全国に残ります。後に日本へ攻め込んだ元の皇帝チンギスハンは義経だったというのもその一つ。今なお伝説として残る義経を探る5冊をご紹介します。

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判官贔屓の言葉を生んだ、源義経とは

源義経は鎌倉幕府を開いた源頼朝の異母弟で、幼名は牛若丸です。当時権勢を誇っていた平清盛に討たれた源氏の棟梁、源義朝の九男として生まれました。

父源義朝が平治の乱で敗死すると、義経(牛若丸)は乙若ら兄たちと母に連れられ逃走、遮那王という稚児名で京都の鞍馬寺に預けられます。しかし、遮那王は僧になることを拒み脱出し、平家の手の届かない東北の平泉に下り、平泉では奥州藤原氏当主の藤原秀衡に匿われ庇護を受けることに。尚、この逃避行中に元服し源九朗義経を名乗るようになっていました。

兄である源頼朝が父の敵である平家を倒そうと関東で挙兵すると、義経はこれに合流。藤原秀衡から与えられた兵を率いて、頼朝の名代として京都へ攻めあがります。以降源氏の指揮官として平家を攻め、一の谷、壇ノ浦で平家を滅ぼす武勲をあげるのです。

平家滅亡後、源氏の棟梁として兄頼朝は鎌倉に幕府を開き武家政権を樹立しますが、軍事的な立役者だった弟の義経とは対立していくことに。義経が平家を倒した功績として、兄頼朝に無断で朝廷から官位を受けとったのが原因だとされています。

義経は抵抗する意思が無いことを申し開きするために鎌倉を訪ねますが、頼朝はこれを許さず、ついには義経討伐を命じたのです。義経はこれに対応して京都で反乱を起こしますが、鎮圧されてしまい、藤原氏を頼って平泉に逃亡しました。

平泉では藤原秀衡に匿われますが、当主の秀衡が死去してしまいます。後を継いで当主となった藤原泰衡は、幕府からの執拗な義経討伐令に屈服し、義経を襲う決断を下したのです。義経は抵抗しますが、居住地の衣川で最期を迎えました。

その悲劇的な最期は世の中の同情を呼び、生存説など様々な伝説を後世に残し、また義経最後の官位を用いて判官贔屓という言葉も生まれ、日本人の心情を表す言葉として、現代でも使われています。

源義経にまつわる7つの逸話

1:「鵯越の逆落とし」は作り話だった?

源平合戦でも有名な「一ノ谷の戦い」には、義経勢が急な崖を降って平氏の背後をついで大勝利をあげたとされている「鵯越の逆落とし」という逸話があります。 しかし「鵯越」という場所は、実際には一ノ谷から8kmも離れているのです。そのため、物理的な整合性が取れていない点があります。

ちなみに一ノ谷の背後にあったのは「鉄拐山」という山で、ここから駆け下りれば「逆落とし」は成立することになります。

2:頼朝との関係悪化の理由

源平合戦の後、頼朝との関係が悪化することが、義経の悲劇に結びついていきました。 そもそも、何故関係が悪化したのか様々な議論がありますが、要因の一つとして「3種の神器」の奪還に失敗したから、と言われています。 「勾玉」「鏡」「剣」のうち、「剣」だけが結局発見できず、これが頼朝の怒りを買っていました。

3:源義経=チンギスハン説が浮上した訳

同じ時代を生きたモンゴルの偉人、チンギスハンと同一人物では、という言い伝えがあります。 これは、18世紀にドイツ人学者・シーボルトが日本駐在中に発言したことがきっかけでした。

まだ、「伝承」の域を出ませんが、当時でもモンゴルにわたることが物理的に不可能では無かったこと。チンギスハンが当時のモンゴル人としては珍しく、大弓を使っていたこと。藤原泰衡に討たれた後の首が、真夏にも拘わらず鎌倉の頼朝に届くまで1ヶ月以上も要し、腐敗が進んでいたこと等が、こうしたロマンを引き立てました。  

4:五条大橋の決闘の史実

義経の家来として有名な武蔵坊弁慶は、平氏の侍を襲っては太刀を奪い取り999本までそろえたところで、1000本目を狙った相手が牛若丸、後の義経とされています。 しかし、史料「義経記」によれば、義経と弁慶の出会いは五條天神社で、決闘場所も五条大橋ではなく「清水寺」である旨の記述があり、矛盾が生じています。

5:壇ノ浦の戦いでの戦時法違反行為か?

当時の水上戦では、戦船の漕ぎ手は「非戦闘員」の扱いで、武士たるものは非戦闘員を手にかけることは戦の作法に反するというのが、社会通念としてありました。 しかし壇ノ浦の戦いでは、緒戦の源氏の劣勢をみて義経は平氏側の船の漕ぎ手に向けて矢を射るように命じており、武勇を轟かせてきた義経としては珍しい武人の価値観に反する逸話があります。

6 :正室にも妾にも愛された義経 

正室である郷御前は、義経が泰衡に襲撃された際に義経とともに死にました。 妾である静御前は、頼朝に捕縛されましたが、命を賭けた抗命(義経の所在の秘匿、舞の奉納の拒否 等)により、頼朝の側近や頼朝の妻の北条政子の心も動かしました。 義経が愛する家族からも同じように愛されていたことが伺えます。

7:義経と頼朝の関係が悪化した原因とは

頼朝と殺しあうまでに関係が悪化したことの遠因として、平氏を倒した後の世作りの方向性に大きな違いがありました。 征夷大将軍として幕府を開き「朝廷とは別の政体」を作ろうとした頼朝と、後白河法皇から官職をもらい検非違使などの職についたことからわかるように「朝廷を後ろ盾とした政体」を目指した義経の、根本的な政治思想の違いがあったことが伺えます。

悲劇の英雄源義経。その戦いの歴史

『天馬、翔ける 源義経』は、歴史小説家で直木賞受賞作家の安部龍太郎が書いた、源義経を主人公にした歴史小説です。史実とフィクションを織り交ぜ、新たな義経像を描き出しています。

物語は義経が平泉の藤原氏に身を寄せている頃から始まります。牛若丸などの幼少時代は過ぎていて、平家打倒に兵をあげる直前の頃です。一方、兄の頼朝は伊豆の韮山で幽閉生活をおくっていました。

ふたりそれぞれに平家打倒の使者が来ることで話が展開していきます。人知れず野心を抱きながら慎重に日々の生活をおくる頼朝と血気に逸り急ぐ義経とを交互に描き、人間臭い感情を表す本作の切り口に引き込まれていくでしょう。

頼朝が兵を挙げると参陣した義経は京へ攻めあがります。先に挙兵して京都から平家を追い出した木曽義仲との同族同士の戦いや、平家を滅ぼす一の谷、壇ノ浦などの戦いを通じて、天才的軍略の陰で、余人が理解できないわがままな思考を持つ義経は、しだいに頼朝との間に溝が出来ていくのです。
著者
安部 龍太郎
出版日
2012-10-19
義経と頼朝の歴史と共に変わっていく心情が伝ってきて、義経の悲劇へ進んで行く構図が見えてきます。

義経、頼朝の対立が決定的になる場面で、義経が頼朝に許しを請うために鎌倉に向かったくだりでは、

「後白河法皇は義経を身内と呼んだ。それは法皇のご落胤だからという噂が、近臣の間に広まっているという『ほう。あの者は余の弟ではなかったか』頼朝は苦笑をもらした。『道理で気が合わぬはずじゃ』五年前の黄瀬川の本陣で対面した時も、本当の弟か疑わしいと思った。」(『天馬、翔ける 源義経』より引用)

と、頼朝がすでに義経に対して修復できない感情を持っていることを表し、

「これは義経を頼朝の対抗勢力に育て上げるために、後白河が仕組んだことにちがいない」(『天馬、翔ける 源義経』より引用)

と、政治的な要因もあったとして描かれています。後の義経が討たれる悲劇に繋がる心情が読み取れる、歴史小説というよりは人間模様を表した作品です。

古典で見る源義経とは

『現代語訳 義経記』は、義経の死後200年ほど後に書かれたとされる軍記物語を現代語に訳した本です。原作の『義経記』は、古文で書かれているため読みづらいのですが、本作は現代語で書かれているために、わかりやすく読み進めることができます。

後世、芝居やドラマなどで表される義経像の原点とも言われていて、武蔵坊弁慶や佐藤忠信、継信兄弟、伊勢義盛などの郎党らも魅力ある人物として取り上げられています。後の義経四天王も、これがモデルとなっているようです。
著者
出版日
2000-11-05
物語にある内容は史実と照らし合わせると疑問が残るところも多く、歴史的史料としての価値は低いかもしれませんが、義経の死後、彼を英雄に仕立てた創作物語として室町時代から語り継がれてきた話の内容は、当時から如何に義経が大衆に人気があったかがわかります。時の権力に立ち向かう義経を、常に英雄として描く日本人の心の原点がここにある気がする作品です。

弁慶と牛若丸の京都五条大橋での出会いや義経の逃亡劇の最期に、衣川の戦いで弁慶は弓矢を全身に浴びても義経を逃がすために倒れずに、立ったまま死んだとされる弁慶の仁王立ちもここから生まれました。600年以上昔から英雄視され、史実はともかくとして語り継がれていると思うと、まさに日本の歴史上偉大な人物なのだと改めて認識できることがわかります。

正義か悪か。源義経の一代記

『義経』は歴史文学の巨匠、司馬遼太郎が源義経の人生を描いた小説。これまでの伝説となっている弁慶との出会いや平泉へ下る言い伝えなどは一切排除して、義経の心情と兄頼朝との確執に焦点をあてた作品です。伝承に色づけられた義経像を覆そうとする著者の意欲作と言えるでしょう。

物語は義経がまだ牛若丸と呼ばれたころ、母である常磐御前が寝腐れの殿とあだ名される下級貴族の一条長成と再婚するところから物語は始まります。
著者
司馬 遼太郎
出版日
2004-02-10
一条長成は後に義経が平泉の藤原氏を頼るきっかけになる人物で藤原一族の姻戚にあたり、この人物をはじめ登場人物のほとんどが人間味ある優しい人物として書かれています。

正義は見る側で違うとあとがきで作者が述べているように、一見悪人にはなり得ない人物も見方を変え別の側面から見ると、悪にも見えるという作者の思惑が本作全般に溢れている作品です。

特に、兄頼朝との確執は顕著にその思惑を映し出しています。軍事的天才として神がかり的勝利で平家を葬った義経と、初の武家政権として盤石な政治体制を作ろうとする頼朝では、決してあいいれない正義があったのでしょう。

名探偵神津恭介が暴く源義経の謎

『成吉思汗の秘密』は、ミステリー作家高木彬光の人気キャラクターである名探偵神津恭介が活躍する人気シリーズです。源義経と中国元の皇帝ジンギスカンは同一人物だったとされる謎に挑んだ歴史ミステリー小説となっています。

ミステリーと言われる作品は本格派、叙情ミステリーや法廷ものなど古今東西様々な形式があります。本作ではジョセフィン・テイというイギリスのミステリー作家が『時の娘』という作品で発表した、「ベッド・ディテクティヴ・スタイル」と呼ばれる、探偵がベッドから出ないで推理する方式を使っています。
著者
高木 彬光
出版日
2005-04-12
探偵の神津恭介が、入院中に探偵作家の松下研三をワトソン役にして、歴史ミステリーを解いていく作品。恭介の大胆な推理にはフィクションとわかっていても引き込まれる魅力があります。

奥州の衣川で義経は死んでおらず、北海道へ渡り、樺太、シベリアを経てモンゴルに至ったとする神津恭介の仮説に歴史学の専門知識のある井村助教授反論していくという流れでストーリーは進んでいきます。討論上での二人の戦いは迫力さえ感じられる文章です。果してこのスケールの大きな夢物語のような仮説は、どのようにして結論付けられていくのか。是非本編でお楽しみください。

もう一人の源義経の物語

『義経になった男』は、源義経とその影武者を主人公に、二人の奇妙な生涯を描いた伝奇小説です。全4巻になる奇想天外な一大ストーリーは、空想と現実、架空と史実が混ぜ合わさった不思議な物語となっています。

数奇な運命で幼少時代を耐え忍んでいた義経が、兄頼朝の挙兵と共に歴史の表舞台に立つ一方、蝦夷出身の沙棗は義経の影武者として付き従うようになります。

もちろん架空の話で、史実には沙棗という影武者は存在していません。しかしそんなことは忘れてしまうほど、物語の世界に引き込まれていく娯楽大作の名作と言えるでしょう。
著者
平谷美樹
出版日
2011-06-06
小説の義経は傲慢で頼りない人物として描かれ、戦などでは主に影武者沙棗が活躍します。平家を滅ぼした一の谷、壇ノ浦での奇襲作戦では、史実でも奇跡と言わしめた巧妙な軍略を、沙棗の活躍でなぞっていくところは、本作の魅力の一つです。

兄頼朝を慕い従軍し利用され捨てられていく義経の心情と、頼朝を憎む影武者の沙棗との対比が、物語全体の雰囲気として印象付けられていきます。頼朝の討伐令により追い込まれ自害する義経に変わり、自分が義経として生きていくことを誓う沙棗。頼朝に対抗するために北に逃げる沙棗が見た奥州藤原氏の最期は、歴史の非情さを伝えています。義経伝説の新たな物語として、記憶に留めたい作品です。

これほど長い間、英雄として語られた人物は義経をおいていないのではないでしょうか。突如として歴史に現れ、非業の死を遂げた義経は、残された歴史的史料も少なく、その実像は謎に包まれています。だからこそ、全国の地に残る義経伝説でもわかるように様々な伝承が言い伝えられてきました。義経伝説を追うのは、永遠の歴史ロマンではないでしょうか。