奇妙な登場人物たちと、独特の設定から成る佐藤哲也の小説。一見すると大真面目に書かれた文章は、冗談とユーモアに満ちていて、声に出して笑ってしまう人も少なくないほど。一度彼の小説に足を踏み入れたら、きっと夢中になってしまうことでしょう。
佐藤哲也は1960年生まれの小説家。静岡県浜松市の出身です。コンピュータ・ソフトウエア会社に勤務した後、1993年に『イラハイ』で日本ファンタジーノベル大賞を受賞しデビューしました。妻の佐藤亜紀も小説家で、1991年に『バルタザールの遍歴』で、同じく日本ファンタジーノベル大賞を受賞しています。
佐藤哲也の小説は普通のファンタジーとは一線を画しており、かなり独創的であると言えるでしょう。深刻な問題や、味気ない出来事も、佐藤の手にかかれば、たちまち遊び心溢れる小説に変わってしまいます。また、固い文章で冗談を書き連ねる、独特の言葉運びも楽しく、小説でなければ表現することのできない魅力が、いくつも隠されているのです。
誰も真似することのできない、佐藤哲也だけが作ることのできる小説たち。著者の個性が光る、おすすめの5冊を紹介します。
ある男の一言がきっかけで、熱帯と化した東京。空調すら制御できなくなり、あまりの暑さに人々は倒れていきます。パニックに陥った東京では、エアコンを破壊する過激な集団や、CIA工作員、そして「事象の地平」という謎の存在を守る国家との間で、戦いが繰り広げられました。
- 著者
- 佐藤 哲也
- 出版日
- 2004-08-25
熱帯の島で習慣とされている「夏眠」、知的生命体である「水棲人」、部長のふりをして資料を盗み出す「部長もどき」、特に実害のない「課長もどき」……。突拍子もない、馬鹿馬鹿しさすら感じられる出来事が次々と発生します。それらが実際に存在するかのように、作者が真面目に表現している様子が可笑しくてたまりません。
物語の中で異様な存在感を放つ水棲人の、思わず笑みがこぼれるような可愛らしさと、シュールさが魅力的です。水棲人が、焼却炉に投げ込まれる直前の台詞を引用します。
「『焼かないでください。焼かないでください』と生物が言った。 『何か言っていますよ』 『無視しろ。気にするな』 『ダイオキシンが出ます。わたしを焼くとダイオキシンが出ます』」
(『熱帯』より引用)
熱気と湿気に悩まされ、汗をぐっしょりかきながらも、どこか呑気に構えている登場人物たちの独特の雰囲気が、面白くやみつきになります。佐藤哲也が作り出す、奇想天外な『熱帯』を、思う存分堪能してください。
「最高指導者」である妻は、家に閉じこもり、毎日大量の手紙を「民衆細胞」たちに送り付けます。それを受け取った人々は、自分の使命に目覚めていきました。「個別分子」に気づかれないように準備を続け、ついに6月9日、暴動が起き、世界は一変し……。
- 著者
- 佐藤 哲也
- 出版日
物語は「最高指導者」である妻の夫、「わたし」の視点から書かれています。二人はどこにでもいる、仲の良い普通の夫婦。しかし、妻は民衆独裁に異様なこだわりがあり、出会って3回目のデートでは「国家理念」を語り聞かせてくるほどです。
「わたし」はそんな妻が民衆国家を着々と作り上げていることに気づきながらも、止めることができず、うっかりアドバイスまでしてしまうことも。そして、最初は圧倒されていたはずの「わたし」も徐々に民衆国家に目覚めていく様子は、ぞっとするような恐ろしさがあります。
電気やガスが止まり、荒れ果てていく町、尽きていく食料。「民衆細胞」ではないと見なされた「個別分子」たちは、捕らえられ、コンテナに詰め込まれます。この「個別分子」の見分け方が実にあやふやであるという設定も、著者特有の皮肉とユーモアが感じられるものです。
「水を満たしたバケツを頭の上に乗せて運んだ女は、なぜだか個別分子として摘発された。遺伝子組み換え大豆を共同の畑に植えた者も個別分子として摘発された。」
(『妻の帝国』より引用)
「民衆細胞」によって破壊されていく非現実的な世界と、妻と「わたし」が生きる現実的な生活との対比が、物語を味のあるものにしています。未来から来た人が書いたような、不思議な空気の流れる型破りな小説です。
佐藤哲也のデビュー作、『イラハイ』。日本ファンタジーノベル大賞を受賞しています。小説は「分別」と「愚かしさ」についての説明から始まります。人を煙に巻くような、堅苦しい説明に読者が困惑していると、突然、以下のような文章が現れるのです。
「舞台となるのは遥かな昔に滅んだ小さな王国であり、その名はイラハイという。」
(『イラハイ』より引用)
やっと始まった、と胸を撫で下ろして読み進めると、これが普通のファンタジーではないことに気がつきます。この小説は、異様で、シュールで、大嘘と冗談に満ちているのです。
- 著者
- 佐藤 哲也
- 出版日
架空の王国イラハイの歴史が描かれているのですが、王様も家来もでたらめな人ばかり。唯一まともそうな主人公ウーサンは、その性格の良さ故に、終始ひどい仕打ちを受けます。
転がった距離を競い合う「女房転がし」、あらゆる屋根に慎みの穴を開ける「屋根穴職人」、人を胎盤代わりにして卵を産ませる「マタグリガエル」、人の耳に巻貝を入れて死に至らしめる「邪悪なイルカ」……。可笑しな生物たちを、卓越した文章で書き表している様子は、もう作者が全力でふざけているとしか思えません。そして、珍事を当然のように受け止める住人たちも実にシュールです。
さて、ここまでの説明ですと、何と滅茶苦茶な小説なのだ、と思われたかもしれません。しかし、破天荒な内容にも関わらず、この物語はしっかりとまとめられています。ラストに差し掛かったとき、思いがけない人物の登場に、きっと、にやりと笑ってしてしまうことでしょう。
ある日、主人公たちの町に落ちてきた火玉。落下の速度がゆっくりであったことから、隕石とは異なると考えた友人の平岩は、その奇妙な現象を調べ始めます。街の至るところで起こる陥没や、謎の触手の目撃情報。しかし主人公の「ぼく」が一番知りたいのは、同じクラスで後の席に座る、久保田という女の子の気持ちです。
- 著者
- 佐藤 哲也
- 出版日
- 2015-01-14
あらゆる現象に対し、理屈をこねまわす主人公。未知の生物と勇敢に戦う平岩を見ても、自分は動かず、友人のことをヒロイズムに酔っていると考えます。そして、そのような迷妄に、久保田が惑わされないかどうかが、一番の心配の種です。
「教室から久保田を救い出したことで、言わばヒロイズムを発揮した平岩は、今度は無関心を示すことで、ヒロイズムの延長を図っているのだ」
「そして迷妄の奴隷である平岩は、これが終わったらヒロイズムの成果をまとめて久保田の前に広げようとたくらんでいるのだ」
(『シンドローム』より引用)
世界が滅びるかもしれない状況よりも、片思いの相手が気になって仕方がない。この主人公の気持ちは、思春期を経験した人であれば、誰もが多少なりとも理解できる心情ではないでしょうか。高校生の爽やかでキラキラした部分ではなく、狡くて情けない隠れた部分を描いた、一風変わった青春SF小説となっています。
さらに、文章の長さを一定に揃えたり、余白を活用したりと、視覚的な部分でも工夫されており、不思議な雰囲気をより楽しむことができることも魅力の一つです。
地球に暮らしていた人々はある日、次々と船に乗せられ、新しい惑星へと運ばれていきます。その土地の名はクンパニア。そこは地球と同じような生活が存在するものの、残酷さや理不尽さが、平然と受け入れられるような、どこか異常な世界でした。
- 著者
- 佐藤哲也
- 出版日
- 2009-07-09
希望や幸福を見出すことのできないクンパニアでの暮らし。人間の悲しみも、怒りも、そして死すらも、日常の出来事として淡々と綴られていきます。残酷な内容であるのにも関わらず、冷たく静かに並べられた言葉たちは美しく幻想的な雰囲気です。
本書にも佐藤哲也らしい、奇妙な生物や皮肉交じりのユーモアが、ところどころに散りばめられています。しかしシリアスな要素が強いため、他作品とは違った魅力を楽しむことができるでしょう。ファンタジーのようでありながら、現代の人間たちにも当てはめることのできるような、不思議なリアルさが感じられる本作品。最後の数ページに記された、クンパニアの過去を知ったとき、もう一度物語を読み返したくなるはずです。
以上、佐藤哲也のおすすめ5作品でした。感動的なエピソードも、魅力的な登場人物も出てこない、何ともシュールな小説たち。その底知れない面白さは、何年経っても新鮮さを失わず、読者を楽しませてくれるでしょう。