岡本綺堂は古き良き怪談を書いた小説家です。江戸、明治、大正を舞台にした「語り」の怪談が多く、読んだらきっと誰かに教えてあげたくなるはず。子供も大人も大好きな昔懐かしの怪談を無料電子図書館青空文庫で堪能しませんか。
岡本綺堂とは明治生まれの小説家にして劇作家です。元新聞記者であり、日露戦争では従軍記者として満州に渡った経験もあります。記者の仕事の傍ら創作に励み、戯曲や小説を発表しました。
新歌舞伎の代表作家として名をあげる一方、小説では怪奇物を多く書き表しました。岡本綺堂の小説は古来からの妖怪談、江戸時代の昔話など、どこか懐かしさを感じながらぞくっとさせるそんなものが多いのです。昔話や怖い話が大好きという人にはたまらない作家でしょう。海外の小説への造詣も深く、『世界怪談名作集』などの翻訳物も残しています。
岡本綺堂の名前は今ではあまり有名ではないかもしれません。しかし、現在活躍する作家の中には岡本綺堂に大きな影響を受けている人もいます。その代表的な作家が宮部みゆきです。
彼女は綺堂の代表作『半七捕物帳』のアンソロジーを編んだこともあるほどの岡本綺堂ファン。宮部みゆきの時代小説や怪奇小説には岡本綺堂の作品に共通するものがみられます。宮部みゆき好きという人にもお勧めしたいのが、岡本綺堂の怪談なのです。
影を踏む、という遊びを知っていますか。こうこうと照る月にくっきりと浮かび上がる影。自分の影を踏まれず、相手の影を踏んでいく遊びです。
『影を踏まれた女』に出てくる江戸時代の子供たちは、この遊びに夢中です。子どもたちだけで影を踏みあうのは面白くないからということで、通りがかりの人の影を踏んで逃げるという悪ふざけも流行していました。しかし、影といっても自分の形をしているものを踏みつけられるのは愉快なことではありません。
そして、影を踏まれると悪いことがある、寿命が縮まるという伝説もありました。この物語の主人公おせきもこの伝説を信じていて、ある日彼女は許嫁の家から帰る途中、子供たちに影を踏まれてしまいます。これを気に病むあまり彼女は月夜の晩の外出を控えるようになるのですが……
- 著者
- 岡本 綺堂
- 出版日
- 2006-05-11
徐々にさいなまれていくおせきの精神の描写が、この話をより異様なものに見せてくれます。
「日光のかゞやくところへ出れば、自分の影が地に映る。それを何者にか踏まれるのが怖しいので、かれは明るい日に表へ出るのを嫌つた。暗い夜を好み、暗い日を好み、家内でも薄暗いところを好むやうになると、(中略)かれは燈火(あかり)をも嫌ふやうになつた。月といはず、日と云はず、燈火(あかり)といはず、すべて自分の影をうつすものを嫌ふのである。かれは自分の影を見ることを恐れた」(『影を踏まれた女』より引用)
偏執狂に見える症状ですが、いつしか彼女の影も姿を変え……。月に照らされた悲壮なラストには美しい恐ろしさがあります。もちろん、この作品は青空文庫で読める作品です。
『青蛙堂鬼談』は古き良き怪談が集まった小説です。青蛙堂を名乗る俳人、梅沢が自宅で開いた怪談語りの会。この会によばれた出席者がひとりひとり持ち寄った不思議な話を披露するという設定で、十二の不思議な話が語られます。この中から第二の男が語った「利根の渡」という話を紹介します。
享保の初め、利根川を渡るためには船が必要でした。この船の渡し場にいつも現れる座頭(盲人)は旅人に野村彦右衛門という人物のことを尋ね歩いています。
渡し小屋で寝起きしている老人、平助は毎日やってくる座頭に同情し、食べ物を渡したり小屋に住まわせたりと親切にしてあげます。しかし、寝起きを共にするうち平助は座頭の恐ろしい一面に気が付き始め……。
- 著者
- 岡本綺堂
- 出版日
- 2015-03-31
この「利根の渡」のみどころは座頭の得体のしれない恐ろしさが徐々に明らかになってくるところです。座頭が夜な夜な長い針を磨いでいることに気が付いた平助。ある雨の日、小屋の前に跳ね回っていた大きな鱸(すずき)を座頭は難なく取り押さえてしまいます。魚の両目を針が貫いていていました。
「『針は魚の眼に刺さっていますか。』と、座頭は訊いた。『刺さっているよ。』と、平助は答えた。『刺さりましたか、確かに、眼玉のまん中に……。』見えない眼をむき出すようにして、座頭はにやりと笑ったので、平助はまたぞっとした」(『青蛙堂鬼談「利根の渡」』より引用)
語られる怪談の舞台は江戸、九州、満州、中国と様々で、昔話風のものから、体験型のものまで実にバラエティ豊かで、怪談好きには必見の書です。
ちなみに続編に『中国怪奇小説集』があり、こちらは同じく青蛙堂で中国に限定した怪談を語るという設定です。この作品も青空文庫で読むことができます。
『指輪一つ』は関東大震災を題材にした怪談です。
震災時、旅行先の飛騨から東京に戻る電車の中で、急に具合が悪くなったK。途中下車し、一夜を明かすことになった宿で不思議なことが起こります。
風呂に向かったKは自分の前に女性が風呂場の扉を開けるところを目撃します。小さな宿ですから男女の区別が風呂場にあるはずもないだろうと思ったKが入るのをためらっていると、風呂場からすすり泣きのような声が……。
不安に思った彼がそっと風呂場をのぞくと入っていったはずの女の姿は見当たらず、足元には指輪が一つ落ちていました。これを見た連れの西田は、この指輪が震災で行方不明になった長女のものだと言い出します。
- 著者
- 岡本綺堂
- 出版日
- 2015-03-31
さて、ここからがこの話の見どころ。帳簿を調べて分かったのは、やはりKと同じようにいきなり気分が悪くなってこの宿屋に泊まった夫婦がいたことです。指輪はこの夫婦が落としたものらしいのですがこの夫婦の正体とは……。ぜひ本編でご確認ください。
ちなみにこの『指輪一つ』は『青蛙堂鬼談』の続編の一つで、『異妖の怪談集・近代異妖編』の中の一編でもあります。
人間が自分の力をおごって、生き物を傷つけ、とんでもない報いを受けるという話は怪談話の定番。『鯉』はそんなお話です。
寛永六年、不忍池の主と思われる大きな鯉が網にかかりました。そこに旗本の次男弥三郎があらわれ、「鯉を食べてしまおう」と言い出すのです。
あまりに大きい鯉であるから、と食べるのを気味悪がる人たちをしり目に、なんと弥三郎は鯉の首を切りつけたのです。結局商人のとりなしで、鯉は寺の池に放されたものの、首に負った傷が命取りになったのでしょうか。鯉は次の日には池に死骸となって浮かんでいました。
- 著者
- 岡本綺堂
- 出版日
- 2016-07-31
ここから鯉のすさまじい呪いが降りかかり、まず、鯉を生け捕った男たちが死んでしまいます。弥三郎は身を持ち崩し、役人に追いかけられる日々。逃亡先であるおもちゃ屋、小兵衛の家も見つかってしまった弥三郎はさらに逃げ場を求め、鯉のぼりの中に隠れようとします。
「その中で金巾の鯉の一番大きいのを探し出して、小兵衛は手早くその腹を裂いた。『さあ、このなかにおはいりなさい。』弥三郎は鯉の腹に這い込んで、両足をまっすぐに伸ばした。さながら鯉に呑まれたかたちだ。それを店の片隅にころがして、小兵衛はその上にほかの鯉を積みかさねた」(『鯉』より引用)
この切羽詰まった状況で鯉が出てくるところで、読者としてはどきっとしてしまいます。弥三郎が鯉に吞まれたようになるという表現もなんだか不吉です。果たして弥三郎の運命とは……。
『半七捕物帳』は非常に長いシリーズです。青空文庫では六十九作品が公開されています。この中の第一話「お文の魂」について紹介します。
あらすじはこうです。元治元年、旗本松村彦太郎の妹、お道が突然嫁ぎ先に幽霊が出るといって娘のお春を連れて帰ってきます。春の節句が過ぎたある日、お道の枕元にびしょ濡れの女が立ったというのです。そのさまの恐ろしいこと。と同時に横に寝ていた娘のお春も、
「ふみが来た。ふみが来た」(「お文の魂」より引用)
と泣き出すのでした。一体、この幽霊は何者で、そして幼いお春はなぜこの幽霊の名前を「ふみ」だと知っているのでしょうか……。
- 著者
- 岡本 綺堂
- 出版日
- 2016-03-28
『半七捕物帳』は純然たる怪談ではなく、本来は探偵小説です。だから怪奇現象の裏には必ず人為的な何かが潜んでいます。「お文の魂」ではこの幽霊事件をたくらんだ意外な人物を探偵役、半七親分が見事に解き明かしてくれるのです。
一方、「お文の魂」でもわかるように『半七捕物帳』には怪談テイストの作品が多く、ホラー好きにも楽しめるものになっています。たとえば「ふみ」が現れた時の描写は実にホラーです。
「女はなんにも云わなかった。また別に人をおびやかすような挙動も見せなかった。ただ黙っておとなしく其処(そこ)にうずくまっているだけのことであったが、それが譬(たとえ)ようもないほどに物凄(ものすご)かった。お道はぞっとして思わず衾(よぎ)の袖にしがみ付くと、おそろしい夢は醒(さ)めた」(『半七捕物帳「お文の魂」』より引用)
さて、『半七捕物帳』は江戸を舞台にした初の探偵小説です。シャーロックホームズを通読し探偵小説を書きたいと思うようになった岡本綺堂ですが、現代を舞台にしたミステリーでは西洋のモノマネになりそうだ考えました。そこで江戸を舞台にしたミステリー小説が誕生したのです。この発想は大当たりし、『半七捕物帳』は岡本綺堂の代表作となりました。
岡本綺堂の作品は現在ではほとんど書店ではお目にかかれません。ところが青空文庫では200を超える作品が楽しめるのです。ほとんどがすぐ読めてしまう短い怪談集の集まりなので、電車の待ち時間などに気軽に楽しむのもよいですね。でも、寝る前に読むと怖くて眠れなくなってしまうかも……。