津村記久子の作品には、風変わりな人物がよく登場します。はじめはその変わりっぷりに驚かされますが、読み進めるうちになんとなく彼女たちを応援したくなってしまうのです。
1978年大阪生まれの津村記久子は、小学生の時に両親が離婚し、弟と共に母子家庭で育ちます。父親が事業に失敗した後働かず、気分屋で時に暴力を振るったことが原因のようです。
大谷大学文学部を卒業後、就職氷河期と言われる時代に入社した会社ではひどいパワーハラスメントにあい、精神的に追い詰められて退職を余儀なくされます。しかし約1年後に再就職。2005年に小説家デビューした後も会社員を続け、約10年半は二足のワラジをはく生活でした。
そうした背景は、作品にも大きな影響を与えています。働く人々を題材とした作品が多いのもそのひとつですが、彼女の作品の底に一貫してあるのは、見える見えないに関わらず、日常の中にある「暴力」、個人を侵す理不尽な力への厳しいまなざしです。
そのことについては津村記久子自身がエッセイの中で「自分は、女であれ男であれ、どんな主人公の小説を書いている時にも、必ずあのやりきれなさと怒りを通過してきた人間について書いている、と思う。『自分には助けられなかった』ことが疾走していく」(『二度寝とは、遠くにありて想うもの』より引用)と語っています。
少し変わった主人公たちが、理不尽な力に憤り、それでもまた歩き出す様を描き続ける作品たちは、ささやかに私たちを励ましてくれるものばかりです。そんな中から、デビュー作や芥川賞受賞作を含む5作を紹介します。
2005年、津村記久子は『マンイーター』で太宰治賞を受賞し作家デビューします。その作品は『君は永遠にそいつらより若い』と改題後し出版されました。
主人公は卒業を控えた22歳処女の女子大生ホリガイです。彼女は自らを「童貞の女」と自嘲的に語ります。
襖に切り抜きのグラビア写真を貼ったり、「初めてやるならこの人がいいな」リスト一位の八木君のケツを讃える自作の歌を歌う等、ちょっと変わったところのある人物なのです。読者としては冒頭からツッコミをいれたくなってしまいます。
- 著者
- 津村 記久子
- 出版日
- 2009-05-11
物語の前半は、ホリガイと周囲の若者たちの人間模様の描写がとりとめもなく続きます。しかし、後半に徐々に明らかになるエピソードは、マイペースに見えるホリガイの内に実は存在している、ある強い思いを浮き彫りにしていくのです。
そして、彼女がそれに颯爽と立ち向かうのでも追従するのでもなく、ただ自分なりの真摯さで向き合っていたのだと知った時、私たちはタイトルの意味を知ることになります。
漫然とした前半部分と、物語にスピードがのってくる後半部分とのギャップから、荒削りな印象もある作品です。しかし、それだけに作者の確固たる思いが伝わってきていつの間にか作品世界に引き込まれ、ページを繰る手を止められなくなってしまいます。
自分の無力さをいやというほど感じつつ、それでも諦められない泥臭いホリガイの心に、小さな灯りをともすようなラストにホッとします。津村作品の底に一貫して流れている主題が最もはっきりと描かれていて、いい意味でこなれていない、デビュー作の強さを感じさせる作品です。
津村記久子の魅力のひとつにタイトルのうまさがあります。上質なミステリー作品のラストに唸らされることがあるように、読み進めるうちに「そういうことだったのか!」と思わされるものが多いのです。そのひとつが芥川賞候補にもなった『カソウスキの行方』です。
ロシア人が出てきそうなタイトルですが、登場人物はすべて日本人。主人公は不倫中の後輩の言葉を間に受けて行動した結果、正社員が3人しかいない倉庫に左遷されたイリエなのでした。
かなり理不尽な状況ですが、彼女は後輩と対決することも、会社に辞表を叩きつけることもしません。代わりになんと恋をすることに……。しかし、相手は真面目だがいまいちパッとしない同僚の森川でした。
そもそも理不尽な状況をやり過ごすための手段が恋とは、なんとも斬新です。この時点で、読者は「えっ?」となるでしょう。そして、イリエが恋のためにするとんちんかんな言動に、また何度も「えっ?」と言いたくなってしまいます。
- 著者
- 津村 記久子
- 出版日
- 2012-01-17
作品の終盤、イリエは森川のために、自分でも気付かないうちに突発的な行動をします。それは普通に考えれば森川とは何の関係もない行動です。でも、イリエを見てきた読者には、それが彼女の優しさなのだということがわかります。
恋をしていること、パートナーがいることが幸せであるという雰囲気があり、うまく恋ができる人がもてはやされがちな世の中です。でもイリエをみていると、それだけではないのかな、と思えてくるでしょう。
はじめは妙に思えたイリエや森川の言動も、最後には少ししみじみしながら受け入れてしまう不思議な魅力があります。登場人物がみな愛しくなってしまう作品です。
仕事を持ち、起きている時間の半分以上を職場で過ごすような毎日。ふと「これでいいのかな」と立ち止まる瞬間があるかもしれません。
ナガセは、ある日世界一周クルージングの費用と、自分が1年工場で働く手取り給料が同額であることに気付いてしまうのです。芥川賞受賞作『ポトスライムの舟』はここから始まります。
物語は、主人公ナガセと友人のヨシカ、主婦のりつ子と大人びた幼稚園児の娘恵奈、工場勤務の岡田さんなどがからみ進んでいき、登場人物たちは、少しずつ傷つけられ、人生の方向転換を迫られています。津村記久子は、その姿を感情的にならずに淡々と描くのです。
- 著者
- 津村 記久子
- 出版日
- 2011-04-15
こう書いてくるとただ人生を考える堅苦しいお話なのかと思われてしまうかもしれませんが、そこはさすが津村記久子です。ナガセも、腕に「今が一番の働き盛り」と刺青を入れることを真剣に考えるようなちょっと変わった人物として描かれています。ポトスのおいしい食べ方を真剣に考え、岡田さんに相談するなど、ところどころでクスリと笑える部分があります。
わかりやすく大きなことをしなくてもいい、暮らすということは小さな行動の連続なのだということを感じさせられます。小説が終わっても続いていくナガセたちの未来を感じることができるはずです。
そして本を閉じて実際の生活に戻る時、心の奥がほんのり温かく、気持ちも少しだけ上向きになっていることに気付くでしょう。
登場人物たちのその後を描いた『ポースケ』という作品もあります。『ポトスライムの舟』が気に入った方は、こちらもおすすめです。
赤く染めた髪に阪神カラーのゴムの歯列矯正器。アザミは派手な姿で私たちの前に登場します。
音楽以外のことに疎く、問題児扱いされたこともあるアザミと、成績もよく決断も早い友人のチユキ。野間文芸新人賞を受賞した『ミュージック・ブレス・ユー!!』は2人の女子高生の卒業までの日々を描いています。
対照的に思える二人ですが、パンク好きという共通点があります。また、周囲の誰かが傷つけられた時に義憤を感じるというところも同じです。普通なら見逃してしまうような言葉で傷つけられた人も、見過ごすことができません。それゆえに、前年の文化祭である事件を起こしてしまいます。
二人のやり方は、決してスマートとは言えません。むしろ的外れでたどたどしく、不恰好といってもよいほどです。「もっとうまくやればいいのに」と言いたくなる場面もしばしばあります。
- 著者
- 津村 記久子
- 出版日
- 2011-06-23
そしてその真剣さは、彼女たち自身に対しても向けられています。例えば友人を事故で亡くしたメール友達のアニーに、書く言葉がみつからないアザミ。
「だいじょうぶなわけはないけれど、それでもだいじょうぶかと訊きたいと思った。文面ではなく、たどたどしくつっかえるであろう自分の声で。そうするためには、いったい何をしたらいいのだろう。」(『ミュージック・ブレス・ユー!!』より引用)
アザミは自らの無力さを痛感しながらも、逃げることなく答えのない問いかけを続けます。彼女が魅力的なのは、そこから逃げたいと思っている自分を認めているところです。認めながらも、自分はどうすればいいのかをぐるぐると考え続けているアザミ。そんな彼女は、あまりに不器用で真面目すぎて、せつなくなるほどです。
外見や成績などはいわゆる優等生ではないアザミですが、懸命な姿に、そっと肩を叩きたくなります。そして「自分の好きなものだけを抱えて、自分のスピードで歩くのも悪くないかもしれない」と思わされてしまうのです。
作者の津村記久子自身も、音楽が好きでどっぷりはまっていた時期があり、津村記久子の著作のエッセイには、ライブに行った話などもよく出てきます。パンク好きの方は、ところどころに差し挟まれるアザミと、男版アザミともいえるトノムラとのディープな会話も楽しめるでしょう。
豪雨警報が出された夕方、埋め立て洲にあるオフィスから『とにかくうちに帰ります』の物語は始まります。さまざまな理由で、最終バスに乗り遅れたOLのハラをはじめとする4人が本土にたどり着くまでを描いた作品です。
会話文が津村ワールド全開で「この状況で、引っかかるのはそこかい!」と言いたくなってしまうところばかり。そもそも、彼らがバスに乗り遅れた理由やどうしても帰りたい理由が「え?そこ?」というものであったりするのです。
思いもかけず非日常に直面した彼らは、とりとめもないことを話し、歩き続ける中で「帰ったらすること」を想います。
- 著者
- 津村 記久子
- 出版日
- 2015-09-27
帰ったらしみじみ泣いて、そして眠ろう。久しぶりに親に電話をかけよう。息子を引き取る為に保育所を探そう。携帯電話を替えよう。普段は意識せずにしていること。しようと思いつつ後回しにしていたこと。
それら自体は些細なことですが、彼らは豪雨前の「日常」からほんの少しだけ動き出します。笑ってしまうくらい小さな変化です。しかし人生が小さな選択の連続なのだとすれば、彼らの人生は大きく動き出したことになるのかもしれません。
読んでいる私たちも、忙しさにかまけてしそびれていたことをしてみようか、と思わされる作品となっています。
津村記久子が独特のユーモアで描く人物たちは、理不尽な状況の中でも、どうしようもなく優しく人間くさいです。わかりやすくエールを叫んだり、声高に主義主張を押し付けるようなことはありません。でも「こっちもぼちぼち行こか」と思わせてくれる力があります。誰でも生きていく中では、多少なりとも理不尽な目にあったり、傷ついたりすることがあるでしょう。そんな時は、津村記久子の作品を読んでみませんか。