社会の奥深くに根付く見えづらい闇を、これでもかというくらい鮮烈に描いた作品を次々と生み出している映画監督の園子温。今回は、その鬼才・園子温の生き方に迫るおすすめの本を5作、ご紹介します。
性や暴力を生々しく描く作風の映画で知られる園子温。彼の人生も、作品に負けないほど刺激的なものでした。
少年時代、園子温はませた子供としてのびのびと過ごしました。小学生の頃から大人向けの洋画ばかり見ていて、ゴジラなどの子供向けの映画は、あくまで同級生との話題作りのために見ていたそうです。また周りを驚かせるために全裸で登校することもあり、周りの大人も相当手を焼く子供でした。
中学生の頃、詩を書く面白さに目覚め、受験参考誌に詩を投稿するようになりました。そして17歳で家出をして上京し、詩人デビューを果たします。当時は「ジーパンをはいた朔太郎」といわれ、注目されていました。
大学時代から映画製作をはじめ、「男の花道」でぴあフィルムフェスティバルのグランプリを受賞します。その後「自転車吐息」や「部屋THE ROOM」などを生み出し、少しずつ園子温の名が世に知られるようになりました。しかしそこからしばらく作品が評価されず、辛い貧乏時代を経験します。一時は40歳手前でホームレス生活をするほど、お金が底をついたことがありました。
それでも映画監督になりきる夢を捨てられなかった園子温は、衝撃作「自殺サークル』」を生み出したことをきっかけに、「愛のむきだし」や「冷たい熱帯魚」、「恋の罪」など暴力や性を鮮烈に描いた作品で一躍脚光を浴びるようになります。
日本映画界に類を見ない過激な作品は、一部の映画ファンから「園子音の作品はエログロだ」「園子温の映画は映画じゃない」と批判も多く受けることもあります。しかし園子温はそうした従来の映画の型にとらわれず、社会の闇をさらけ出す映画を作り続けています。なぜ園子温はここまで過激に生きられるでしょうか?ここでは園子温の強烈な人生観が色濃く反映された5作品を紹介いたします。
映画『愛のむき出し』は約4時間にも及ぶ大作で、ベルリン映画祭カリガリ賞、国際批評家連盟賞を受賞して話題となりました。その映画の原作となるのが、小説『愛のむき出し』です。園子温の「盗撮のプロ」の知り合いの実話をもとに作られたこの作品は、「盗撮のプロ」の少年の真っすぐで歪な愛を描いています。その独特の世界観に、気づかぬ間に没頭してしまうはずです。
高校生のユウは、マリア様のような女性と結婚するという亡き母の約束を夢見ながら、優しい神父の父と暮らしていました。しかし派手な女カオリと父が破局したことをきっかけに、優しい父は恐ろしい神父に豹変します。ユウは父から毎日懺悔を強要され、ユウは自分の「罪」を作り出すようになります。次第にユウの「罪」はエスカレートし、「盗撮のカリスマ」と呼ばれるほど盗撮にのめり込みます。ある日、ユウはマリア様そっくりの少女ヨーコに出会い、生まれて初めての恋をします。しかしヨーコには恐ろしい宗教が忍び寄り、ユウからヨーコを奪おうと企むのです……。
- 著者
- 園 子温
- 出版日
- 2012-01-07
ユウが盗撮魔であることを知ったヨーコは徹底的にユウを拒みますが、ユウはあきらめずに何度もヨーコを取り戻そうとします。「こっちの世界に戻って来い!」宗教に洗脳されてしまったヨーコに向かって、ユウが叫びます。しかしユウのいる「こっちの世界」とは、ヘンタイの世界。そのどこかちぐはくな設定が、ますます園子温の本作の面白さを増幅させます。
この作品の印象的なところは、盗撮や変態、勃起、コカン(股間)などの用語が何度も登場しますが、不思議と下品さは感じません。それはユウのヨーコに対する「変態」なりのまっすぐな愛が描かれているからでしょう。むしろ変態的でまっすぐな愛情を見せるユウは、くだらないようで何処かかっこよく見えてきます。「変態」であれ何であれ、まっすぐ貫くことのかっこよさが伝わってくる園子温の小説です。評価の高い映画作品も一緒に見てはいかがでしょうか。
園子温節が炸裂する小説が、この『受け入れない』です。彼は少年時代、成績も悪く、ガラの悪い友達ばかりいる典型的な「問題児」でした。その一方で現代詩に魅了されてからは、受験参考誌に自作の詩を投稿し、度々詩が雑誌に掲載されるなど、詩の世界では「優等生」だったのです。この作品では、園子温が作り出す詩14編とエッセイが、「普通」に縛られた生きづらい社会に強いメッセージを警告しています。
「『やっちゃいけないこと』は破るべきためにある 言っちゃいけないことをおもっているなら そこに少しだけぜったいに本当の地球のための真実がある やっちゃいけないことを今、やりたい その思いにこそ自分の本来の姿がある」(『受け入れない』より引用)
- 著者
- 園 子温
- 出版日
- 2015-06-19
園子温の今作では、自粛ルールをもうけて自分で生きづらくしている人々への批判を、強い言葉で訴えてきます。中には「鬱病なんぞ クズな大人が嘘ついてつけた ただのあだ名だ」(『受け入れない』より引用)や、「人生を 満喫しろ オマエが人を殺したかったら人を殺せばいい」」(『受け入れない』より引用)のように、「有名な映画監督がここまで過激な発言をしてもいいの?」と思ってしまうような発言もあります。
こうした毒々しい発言をしながらも、園子温の作品が多くの人々に受け入れられるのは、一貫して「普通」を「受け入れない」力強い生き方があるからではないでしょうか。
園子温の思想が色濃く出たこの小説は、人によって好き嫌いがはっきり分かれる作品でしょう。「わかったようなことを言うな」と不快感を覚える人もいるかもしれません。しかし読み進めていくと、私たちも無意識のうちに「普通」にとらわれて生きていたのではないかと考えさせられます。「私は自分らしく生きている」と思っていても、一度読んでいただきたい園子温の小説です。
「『いっせーのーせっ!』体育の時間に響くような気持ちのいい、元気な合唱だった。(中略)2002年5月26日。午後7時30分。東京JR新宿駅で54人の女子高生が手に手を取っていっせいにプラットホームから飛び降りた。そして東京行きの中央線が、彼女たちを轢き、脱線しかかったまま急ブレーキをかけた。彼女たちは全員即死した。事故なのか、事件なのか、全く見当もつかなかった。
(『自殺サークル』より引用)
『自殺サークル』は、54人の女子高生が一斉に飛び降り自殺をするという衝撃の事件で幕を開けます。全員とも遺書はなく、誰にも集団自殺の原因はわかりませんでした。しかしこの事件は「始まり」にすぎず、事件の数日後には、全国で自殺の連鎖が始まるのでした……。
集団自殺の連鎖が起こる半年前ほど、愛知県に住む女子高生のさやかは、街が停電になった間に家出をします。そして、インターネットの掲示板で知り合った「上野駅54」という女性に会いに東京に向かいます。さやかの妹ゆかは、姉の失踪を機に掲示板と「上野54」の存在を知り、ゆかまで突然行方をくらましてしまいます。
2人の娘を失った父・徹三は、娘たちの行方を追いかけることを決意します。世間では、連鎖自殺の背景に「自殺クラブ」の存在があるのではないかと囁かれていました。徹三も娘たちが「自殺クラブ」に関わっているのではないかと疑うようになります。
- 著者
- 園 子温
- 出版日
- 2013-09-06
印象的な言葉である「自殺クラブ」ですが、文中ではほとんど描かれていません。ただ分かっているのが、さやかやゆかは違う人間として生まれ変わり、「妻」や「娘」、「母」など与えられた「役割」を演じる人生を送っていることです。文中に、下記のようなセリフがあります。
「<グラスからあふれる水>という役割は、誰かが担わなければならないの。花瓶と花瓶、花と花。シャンパンとシャンパン。グラスとグラス――そんな関係ばかりがはびこっている世界で、誰かがそんな役回りを引き受けなくてはいけないの。」(『自殺サークル』より引用)
自分の過去を捨て、「妻」や「娘」、「母」などの「役割」を演じる彼らの姿は、「役割」がなければ上手くに生きることができない社会への批判とも考えられます。さやかやゆかのように極端な形でなくても、私たち自身も社会の中で必要とされる「役割」を演じ、その役が自分自身と乖離していると感じたことがある人は多いはずです。女子高生の集団自殺という残酷性だけでなく、「役割」を演じながら社会で生きる私たちのあり方を考えさせられる奥深さもある園子温の小説です。
「非道」と聞くと、常識から外れた不良や問題児といったネガティブなイメージがあります。しかし園子温は、「非道」とは周りの視線を気にせず、自分だけの道を進むことだと熱く語っています。問題作を次々と生み出す鬼才・園子温の「非道」を極めた人生が、生き生きと描かれたのがノンフィクション『非道に生きる』です。
「もしも映画に文法があるのなら、そんなものぶっ壊してしまえ。もしもまだわずかに『典型的』なるものが自分に潜んでいるとすれば、それもぶっ壊してしまえ。(中略)『映画の外道、映画の非道を生き抜きたい』という僕の気持ちは、つまるところ自分の人生そのものだ。」(『非道に生きる』より引用)
冒頭から力強いメッセージで、日本の映画界をぶった斬ります。園子温といえば過激な映画作品で有名ですが、彼の生き方そのものも非常に刺激的です。彼は小学生の時、「周りを騒がせたい」という思いから全裸で登校し、学校からこっぴどく叱られるも、懲りずに何度も全裸で登校しました。
また17歳になって家出をして上京した際、道端で知り合った女性とホテルに行くことになりました。園子温は童貞を捨てられると喜びますが、ホテルに着くと女性は植木ばさみを取り出し、「私といっしょに死ぬか、夫婦のふりをして私の実家で暮らすか」という選択を迫ります。若かりし園子温は当然女性と暮らすことを選択し、一時期奇妙な同棲生活を経験するのでした。その後、宗教施設や左翼団体のアジトに潜り込むなど、まるで映画のような波乱万丈な人生を送っています。そうした刺激的な経験をもとに、園子温は映画を製作していきます。
- 著者
- 園 子温
- 出版日
- 2012-10-03
園子温は日本の映画界に多い大衆受けする感動映画を嫌い、とにかく自分が撮りたい過激で生々しい映画ばかり撮り続けます。見方によってはいい加減な人生を送っているかのようにも思えますが、映画の「典型」にとらわれず、また1つのジャンルに留まることなく、様々な映画作品を生み出し続けるストイックな人生でもあるのです。周りの視線を恐れず、自分のやりたいことを徹底的に貫くことで、「極端だけど魅力的」な作品として多くの人に愛されるのでしょう。
この作品を通じて、園子温の常軌を逸した人生に度肝を抜かれます。彼のように過激な人生を目指さなくても、「ここまで自由に生きて認められている映画監督がいるのなら、自分ももう少し好きなように生きてみよう」と考えるきっかけになるのではないでしょうか。全体的に軽快で読みやすい作品なので、一度園子温の人生観に浸ってみることをおすすめします。
「東京オリンピックが決まってから 日本は五センチくらい憂いている 墓場のように整然と並んだビルディング 東京よ 今日もお前の歯はとがっている」(『ラブ&ピース』より引用)
冒頭のページいっぱいに書きなぐられた筆文字――絵本と思ってページをめくった人は驚愕するでしょう。次のページでは、色とりどりの高層ビルの手前を、顔のない大勢の人々が大股歩きで進んでいきます。そうした世の中の流れに取り残された平凡な名前の男・鈴木良一と、彼を愛する亀がこの作品の主人公です。
鈴木良一は「ロックミュージシャン」になりたいという夢を持つ男。しかし良一は醜くて周りと違うことから、世間から一向に見向きもされません。そんな彼を愛する1匹のカメが、ひょんなことから大切な人の夢をかなえる代わりに、自分自身が大きくなる飴を口にします……。
良一の夢をかなえて大きくなったカメは、東京よりも大きくなります。一人の夢が、東京を飲み込むほど大きくなって、東京を墓場と化してしまう――それほどの強い思いがなければいけないとも読み取れるし、1人1人の夢には大きなパワーが秘めているとも読み取れます。決して多くのことは語られていませんが、どこか妥協して生きている人にはちくりと胸に刺さるようなメッセージが込められた園子温の作品です。
- 著者
- 園 子温
- 出版日
- 2015-05-26
終盤にある『鈴木良一の闇』では、『ピカドン』(現在の『ラブ&ピース』)のシナリオが生み出された背景が描かれています。22歳の園子温は自主映画祭でグランプリをとったものの、その後作成したシナリオがなかなか評価されず、苦しい日々を過ごしていました。そんな中、さびれたデパートの屋上のペットショップで1匹のカメに出会います。寂しさを抱えたような愛らしい亀に、園子温は一目ぼれ。その亀の出会いをきっかけに、『ピカドン』のシナリオを描くことになるのです。
自分の作品が認められず、30代でアルバイトをしながらなんとか生計を立てていた時代……誰もが「いい加減夢をあきらめた方がいい」と思う状況にありながら、園子温は「映画監督」になる夢を追い続けていきます。この作品を読むと、前半の『ラブ&ピース』の物語に込められた思いがより一層伝わってきます。周りから無視されても夢を追い続ける鈴木良一の姿勢は、忘れていた純粋さを思い出させてくれます。