金原瑞人はこれまでに400冊以上の海外文学を訳してきた翻訳家です。本の紹介をすることにも尽力し、まだ見慣れていなかったヤングアダルトの分野の多くを日本に上陸させています。今回は、そんな金原が教えてくれる素敵な作品をご紹介します。
翻訳家でありながら、児童文学研究家と、法政大学社会学部教授という肩書も持つ金原瑞人。1954年に岡山で生まれた金原は、法政大学文学部英文学科に入ると、大久保博と犬飼和雄に師事して翻訳のいろはを学びます。大学生の時に翻訳家デビューしていますが、卒業後は翻訳を続けながら講師を務めました。
翻訳家としては、鏡美香の名義でロマンス小説を翻訳し、デビューを果たします。1984年頃からは犬飼和雄が主催の「海外児童文学通信」を編集刊行し、海外の児童文学を紹介する活動も開始。また、翻訳家としての活動では、英語圏のヤングアダルト小説の翻訳と紹介に力を入れ、当時では確立されていなかったヤングアダルトのジャンルを確固たるものにしていきました。
法政大学社会学部で小説創作ゼミを開講して、多くの小説家も排出しています。娘は芥川賞作家の金原ひとみです。
古典文学の最高傑作『最後のひと葉』。アニメなどのエピソードにパロディとして使われるほど有名で、タイトルは知らなくても、あらすじだけはなんとなく知っている人も多いことでしょう。著者オー・ヘンリーの文学界への功績は称えられ、英語によるすぐれた短編小説に送られる「オー・ヘンリー賞」が設立されました。
ワシントン・スクエアの西側には芸術家たちが集まる古いアパートがありました。そこに暮らしていた画家のジョンジーは、重い肺炎で入院してしまいます。彼女は病室から見える壁に広がる蔦を見て、あの蔦の葉が全部枯れ落ちてしまったら自分は死ぬのだ、と思い込むのでした。
- 著者
- オー・ヘンリー
- 出版日
- 2001-06-16
この話には病気で気力も失い、本人の思い込みによって本当に助かる見込みもなくなった友人を助けたいと願う美談が描かれています。病気に苦しむ少女の悲壮感とその様子を見る友人の苦悩がないまぜになり紡がれていく、中身の濃い短編となっています。友人を助けようと陰で奔走する画家スーの姿は、健気なものです。
また本書には、もうひとりの画家が登場します。ベアマンという老人です。彼は口だけではいつか最高傑作を描いてみせると言っておきながら、筆を取ったことはありませんでした。そんな彼がスーの話を聞き、ジョンジーが眠っている間、壁に葉の絵を描くのです。嵐が訪れても落ちない葉を見てジョンジーは生きる希望を取り戻しますが、嵐の中で絵を描いたベアマンは肺炎で命を落としてしまいます。自己犠牲により命を救った美談のようでもありますが、命と引き換えに残した作品が最高傑作になるという神々しさも、本書の読みどころといえるでしょう。
ロブ・ゴンサルヴェスの絵にセーラ・L・トムソンの詩が添えられた絵本作品『終わらない夜』。本書は物語を読むのではなく、騙し絵のように不思議な絵を楽しめる、画集のような仕上がりです。そこに幻想的な詩が加わることによって独特の雰囲気が醸し出され、大人も楽しめる作品となっているのです。
- 著者
- セーラ・L. トムソン
- 出版日
ロブ・ゴンサルヴェスの絵は視覚的に楽しめ、何度も細かい部分にまで目がいってしまう仕掛けがあります。たとえば海に架かる橋の絵では、柱と柱の間から向こう側の曇り空が見えます。手前にくるとその柱の合間の形が帆船に変化しているのです。その絵の変化がどこから始まり、どのように変化しているのかを何度も確かめたくなってしまう魅力があるのです。
セーラ・L・トムソンは絵に受けたインスピレーションを詩として、したためました。夜をモチーフにした絵の多くに物寂しさや怖さがありますが、その詩は絵に幻想的な優しさを添えています。奥行きのある絵に添えられた詩はどこまでも絵の中で反響していくようです。少し不思議な作品をぜひお楽しみください。
カート・ヴォネガットが死の間際に残した遺作であり、エッセイ集でもある『国のない男』。人類に対する絶望と皮肉を小説に書き続けてきたヴォネガットですが、このエッセイ集には彼の書きたかった憤りが詰め込まれています。自分の死期を悟ったヴォネガットが最後の力を振り絞って残した渾身の力作です。
- 著者
- カート ヴォネガット
- 出版日
- 2007-07-25
アメリカ批判を綴ったエッセイには、捻じ曲げられた大統領選挙についての怒りが書かれています。その選挙で黒人は選挙権をはく奪されたものだとヴォネガットは書きました。さらに、大統領が証拠もない大量破壊兵器を理由にイラクを攻撃しようとしていることを指摘し、自分は国のない男になったと言っています。ヴォネガットのアメリカ政府に対する行き場のない怒りを読むことができるエッセイです。
環境問題に対する言及では、ヴォネガットの言い回しにより、読者は新たな事実に気がつくことでしょう。人類が利便性を求めて交通手段を進化させていく過程で、化石燃料をところかまわず消費していく様を「化石燃料中毒」だと言及しているのです。そんな目から鱗のような批判で人類の愚かさを憂い、同時に未来に対する激励が込められた作品です。
『チョコレート・アンダーグラウンド』は、イギリス人作家のアレックス・シアラーによる少年少女向けのファンタジー小説です。チョコレート禁止というとんでもない法律に怒った子どもたちの反逆劇が描かれています。日本では本書を原作としたアニメが制作されました。
イギリスの選挙で勝利した健全健康党がチョコレート禁止法を制定すると、国中から甘いものがなくなっていきました。これに怒った子どもたちは地下組織を結成してチョコレートの密造を始めます。子どもたちの猛反撃が始まったのです。
- 著者
- アレックス シアラー
- 出版日
本書の魅力は、政府によって価値観を押しつけられるディストピア要素が、子ども目線で面白おかしく書かれている点。チョコレートを巡って自由のために戦う子どもたちの勇気と大胆さが、物語の面白さになっているのです。大人の理不尽に立ち向かう子どもたちによる、痛快な冒険小説といえるでしょう。
物語の中では、チョコレートという形で自由を奪われています。これが思想だったり、恋愛だったり、奪われる物の対象が変わるとしたら、ゾッとする話です。選択する自由の素晴らしさが再認識できる本作。読みやすくわかりやすい点も魅力的です。
『青空のむこう』は、死んでいしまった少年が心残りと共に生者の世界にちょこっとだけ帰る物語です。まだヤングアダルトというジャンルが浸透していない日本で初めて翻訳された本作は、ヤングアダルト小説を書き続けるアレックス・シアラーの日本での出世作ともなっています。
主人公のハリー少年は、自転車に乗っているところをトラックにはねられてしまいます。気がつけばそこは死者の国。そこでハリーはアーサーという不思議な少年に出会います。彼の誘いに乗って、アーサーは死者の国で禁止されている生者の国への渡航するのでした。そんなハリーの心には、ある心残りがあって……。
- 著者
- アレックス シアラー
- 出版日
死とは突然訪れるものです。いつだって準備を整え、やりたいことをすべてやり終えて、というわけにはいきません。ハリーもまた死ぬとわかっていたら、あんな酷いことは言わなかった、という心残りがありました。それは姉のエギーがペンを貸してくれなかったことに怒って喧嘩してしまったこと。別れ際に心にもないことを言い合い、それきりになってしまった姉弟。そのことで姉が罪悪感を抱いていないかと気が気ではなかったのです。
死んだ者と残された人との後悔が交差する感動作を、ぜひお楽しみください。
時は1962年、イギリス。貧しい海辺の町。
「石炭が採れるってだけで、ほかになんにもとりえのない砂浜と海の村」
「どこまでも続く砂丘、浜辺、北側にあるマツ林、古ぶるしいリゾート用のログハウス、寂れた村の家並。海岸から奥に入った場所には、鎖を巻きあげる歯車が取りつけられた坑道入口、彼方に広がる湿原、灯台の建つ岬。」(『火を喰う者たち』より引用)
それが、この物語の舞台であるキーリーベイ。
その町に住むボビー・バーンズは私立中学への進学が決まっていました。
その日、母親と二人でニューキャッスルに買い出しに行ったボビーは、川沿いの市場のそばで、マクナルティーという過激で不思議な存在感を放つ大道芸人に出会います。そしてなりゆきでマクナルティーの助手を務めることになってしまうのです。
- 著者
- デイヴィッド・アーモンド
- 出版日
- 2005-01-14
私立学校への進学によってもたらされた親友とのすれ違い、学校内の厳しい規則と罰則、職業の選択、美しく消えゆく故郷の風景、父親の病、本当に大切なものは何か。ボビーの思春期の不安定な心身に、様々な問題が一気に襲いかかります。ボビーはまるでそれらから解き放たれようとするように新しくそこに移り住んできた同級生、ダニエルと共に、学校である事件を起そうとします。
その時にはまだ何も失われていない世界で、その営みのたてる音に、そこから発せられている声に静かに耳を傾ける。そういった物語です。
そこに住む人々の営みがすべて崩壊する恐れがありました。奇蹟の男マクナルティーが現れるまでは。
彼らは集うのです。明日という不安をもたらす未知の現実に向き合うために。
彼らは祈るのです。同じように孤独な者たちのことを想って。
そして彼らは信じるのです。時間の経過という変えられない現実がもたらすこの世界で、その共同体の持つ価値観とそこにある確かな時間の流れを。
感情を共有し、寄り添って慰め合い、時には叱咤激励しながら、それでもお互いの存在を信じ合いながら生きていく、ある小さな村落の美しい物語です。
ヤングアダルト小説の普及に尽力したことで有名な金原瑞人ですが、古典や絵本など多岐にわたる英文学を翻訳しています。本の紹介にも力を入れている金原だからこそ、日本では知られていない多くの文学を読者に教えてくれるのでしょう。