ディープなSFファンも納得の緻密な設定作りと、卓越した文章力。ふたつの美点をあわせ持つ実力派SF作家、野尻抱介のおすすめの作品を5冊選んでみました。
野尻抱介は、1961年生まれの小説家です。若い頃はプログラマーやゲームデザイナーとして働きながら、プレイバイメールと呼ばれる、郵便を使った多人数参加型ゲームの会社を作って活動していました。ゲームが好きで、宇宙が好きで、尽きせぬ技術への興味と理系の知識を持つ彼がSF小説を書き始めたのは、ごく自然な成り行きだったと言えるでしょう。
野尻抱介の小説の特長を、3つほど挙げてみましょう。まず、宇宙や未知のものへの憧れを、堂々と正面から描いた作品が多いということ。つまり、とてもSFらしいSFを書く作家なのです。次に、架空の技術を想像し描くのを得意とする、ということ。新しい技術が世界を変えてゆくさまは、いつも読者をワクワクさせてくれます。最後に、野尻抱介の最大の特長と言ってもいいかもしれません。文章が上手いことです。
SF小説の中には、専門用語ばかりが目立つ作品もたくさんありますが、野尻抱介の小説は、複雑なことが書いてあっても読みやすく、情景がすっと伝わるように書いてあります。派手で詩的なフレーズがあるわけではないのですが、実は非常に高度な文章テクニックがそこにはあります。肩肘張った雰囲気はまるでなく、その文体はあくまでも柔らかくてユーモアたっぷり。だからこそ、ライトノベルに属するような作品も軽々と書けるのです。
野尻抱介の小説は、ディープなファンからもライトなファンからも高く評価され、日本SF界のアカデミー賞ともいえる星雲賞を、長編部門で2回、短編部門で5回も受賞しています。名実ともに日本を代表するSF作家のひとりである彼の作品から、今回は5冊選んでみました。
1冊目は、ライトノベル作品。「ロケットガール」シリーズの1作目、『女子高生リフトオフ!』です。軽快で明るい作品なので、SFは敷居が高くてという方も、この作品からなら野尻抱介の世界に入やすいのではないでしょうか。
高一の女の子森田ゆかりが、行方不明になった父親を探しにソロモン島までやってきて、「ソロモン宇宙協会」という怪しい団体の人々と出会います。その団体は有人ロケット開発を企てていて、体重が軽いゆかりに目をつけ、あの手この手で勧誘をはじめます。バイトのつもりでイヤイヤ訓練を受け始めたゆかりですが、次第に周囲の宇宙への情熱に巻き込まれてゆく……というのが物語のあらすじ。
- 著者
- 野尻 抱介
- 出版日
- 2013-11-08
「逆ポーランド記法を知らんのか!」
「知るわけないでしょ!」
(『女子高生リフトオフ!』より引用)
ゆかりが教官から特殊な電卓の使い方を教わる場面ですが、このあと「二度と普通の電卓が使えない身体にしてやるから覚悟しろ」という教官の有名な言葉が出てきます。
全編こんな感じのテンポのいい会話が中心の、笑える箇所の多いコメディなのですが、逆ポーランド記法というのはちゃんと実在する電卓のキー配置。設定や細部はしっかりがっちり考えられているのが、普通のライトノベルとは違うところです。たとえばゆかりが体重が軽いというだけでスカウトされる理由にも説得力があり、続編からですが、その説明を引用しますと……。
「ロケットという乗物はおそろしく効率が悪い。一握りの荷物を運ぶのにその何十倍もの燃料を要する。燃料を運ぶために燃料を消費するから、雪だるま式に燃費が悪くなる。言い換えれば、その荷物が少しでも軽くなれば、何十倍もの燃料を節約することになる。」
(『私を月に連れてって!』より引用)
こういう理にかなった設定を、くどくなくさらりと書けるのが野尻抱介の力量です。
登場人物もみなどこかコミカルで、マッドなロケットバカの那須田所長を筆頭に、ソロモン宇宙協会のスタッフたちもみな曲者ばかり。ですが、彼らの宇宙にたいする情熱は本物です。リスクを背負い、限界に挑む彼らの情熱に、ゆかりだけでなく読者もついノセられてしまうことでしょう。
読みやすさの中に本格SFテイストを混ぜ込んだ「ロケットガール」シリーズは、アニメ化もされ、本作品の後に2冊続編が出ています。
星雲賞の受賞歴が物語るように、野尻抱介はひろく知られた短編の名手。この『沈黙のフライバイ』で、その醍醐味を味わうことができます。
この短編集に出てくる人々は、みな、宇宙と、宇宙で使える新しい技術に惹かれてやまず、取り憑かれたように何かを追求する人たち。「ロケットガール」シリーズの、ソロモン宇宙協会のスタッフにもその特徴は見られます。野尻抱介が愛し、描き続けてきた人物像です。
- 著者
- 野尻 抱介
- 出版日
「SETIもいいが、待ってるだけじゃつまんなくないか」
「え?」
「こっちから出かけていって、地球外文明を探したくないかってことだ」
「そんなこと、できるんですか」
「できるさ」
(『沈黙のフライバイ』より引用)
表題作の会話ですが、この会話を交わした人物たちがたどり着いた計画が、サーモンエッグ計画。わずか1グラムの超小型探査機を、数百万個宇宙に送ろうという斬新なアイデアだったのです。
人物たちの行動や会話は、淡々として地味な、小さな努力と検討の繰り返しなのですが、彼らが取り組む技術は、野尻ならではの未来的な奇想に満ちたものばかり。そしてその探求の果てに、ある時は笑ってしまうような、ある時は感動的なオチが現れるのです。
野尻抱介にとってのSFとは、宇宙を駆ける夢の物語であると同時に、夢見る人々の情熱の物語なのでしょう。読み終えたあと、熱いものが胸に残る1冊です。
野尻作品の中でもユニークな傑作と評判が高いのが、この『ふわふわの泉』。いきなりですが、序盤のほうを少し引用します。
「泉は努力の二文字が大嫌いだった。それゆえに化学を愛していた。
化学反応は物質が自由にさまようなかで進む。物質どうしが気まぐれに出会い、相性がよければ手を結び、新たな物質に生まれ変わる。
お膳立てをしてやれば勝手に反応が進む。(中略)無為なところがいい。」
(『ふわふわの泉』より引用)
こんな性格の脱力系メガネ美少女、朝倉泉は、化学部で後輩の昶(あきら)とともに実験中、ダイヤモンドより硬く空気より軽い新素材を偶然作ってしまいます。「ふわふわ」と名付けたそれを売れば努力せずに生きられると、泉は製品化を画策。ですがその結果、「ふわふわ」は、世界全体に影響を及ぼすことになっていくのでした……。
- 著者
- 野尻 抱介
- 出版日
- 2012-07-24
ひとつの技術が世界を変えてゆく様子がテンポよく描かれてゆくあたりは、野尻抱介の誰にも負けない得意技で、読んでいてぐいぐい惹きつけられます。
努力したくなかった主人公の泉ちゃんはいつの間にか立志伝中の人物になり、本人の望みと裏腹に、睡眠時間を削る経営者生活を送ることに。ものすごい勢いで展開される泉ちゃんのサクセスストーリーは、ついに、宇宙へつながる軌道エレベータ計画にまで発展してゆきます。
基本は野尻抱介らしさ全開ながら、マイペースな泉と昶の主人公コンビがとぼけた味わいを出し、そこにカート・ヴォネガットに近いような思い切った展開の速さが加わって、とても楽しくて爽やかな1冊です。
4冊目は、もとは短編ながら長編としてリメイクされ、短編長編の両方で星雲賞を受賞しているという代表作『太陽の簒奪者』。SFの題材の中でも名作が多く、それだけに今となっては難しいテーマとされる、異星人とのファーストコンタクトものに挑んだ作品です。
- 著者
- 野尻 抱介
- 出版日
- 2005-03-24
水星から現れた謎のリングが太陽を取り囲み、地球は太陽光の不足に悩むようになり、滅亡の危機に立たされます。いったいリングを作ったのは誰なのか?その謎を探るべく、女性科学者は旅立ちますが……というお話。
リングを破壊するために人類が何年にも渡って闘う前半と、リングを設置した、太陽系のかなたからやってくる異星人の船団とコンタクトしようとする後半で構成されています。
序盤から人類の危機に直面しているせいか、軽妙な会話は控えめ。しかし、この作品でも他の野尻作品と同様に、推測し、議論し、アイデアを練り、試行錯誤する人間たちが物語の主役であることに変わりはありません。リングの正体を知るため、また、謎の異星人と話すため、彼らは何十年も努力し続けます。なのに今回、人類のどんな努力にも、異星人は全く応えてくれないのです。ただ、黙々と近づいてくるのみ。果たして彼らは、何を考えているのでしょうか……。
その答えは読んで知ってください、としか言えませんが、知性とは何か、コミュニケーションとは何か、について、深く考えさせられる結末になっています。重厚さと面白さが両立した、野尻抱介の代表作というにふさわしい作品です。
野尻抱介はつねに、新しい技術に夢を見る人々を肯定してやまない作家ですが、作家という枠を離れた野尻も、若者にまじって動画サイトで動画を作ったりしている、いつまでも好奇心に満ちたキャラクターの持ち主です。
そんな彼がハマっていたのが、初音ミクをはじめとした、ボーカロイドと呼ばれる人工音声キャラクター。野尻抱介はなんと、ボーカロイドと動画サイトを題材にした連作小説を書いてしまいます。そしてまた、それが冗談ではすまない傑作でした。それがこの1冊、『南極点のピアピア動画』です。
- 著者
- 野尻 抱介
- 出版日
- 2012-02-23
4編からなる連作小説なのですが、基本的にはどの話も、動画サイト「ピアピア動画」を利用する技術自慢なオタクたち、「ピアピア技術部」が、人工音声アイドル「小隅レイ」への愛と熱意と求道者気質を武器に、レイを利用した新しい試みを立ち上げ、思いもよらぬほどの成果を上げてゆくお話です。
たとえば、3話の「歌う潜水艦とピアピア動画」。クジラの調査プロジェクトを中止にされた研究者が、「小隅レイがクジラに歌いかけることでコンタクトをとる」というコンセプトを出すことで、ピアピア動画の有志の協力を得ることに成功。みんなの力で払い下げの潜水艦を改造し、レイを搭載して海底に向かうのです。
2017年の今でも現実の動画サイトにはそんな力はありませんが、野尻抱介の発想は現実をはるかに超えて大スケールに発展していきます。そしてレイの歌が響く海底には意外なものが待っているのです。この先は、ぜひ本を手にとってください。
「こんなふうになったらいいな、なったら凄いな」というネット住人の妄想を、すさまじい発想とテクニックで書き上げてしまった不可思議な作品。野尻抱介の世界の幅広さを伝えてくれる唯一無二の1冊、他の本では味わえない読書体験ができること請け合いです。
いかがだったでしょうか。野尻抱介の小説はちょっととっつきにくいように見えても、実はたいへん読みやすく、読んだあと情熱を分けてもらえるような作品ばかりです。ぜひ、手にとってみてくださいね。