安岡章太郎のおすすめ作品5選!「悪い仲間」で芥川賞受賞の作家

更新:2021.12.17

戦後文学に独特の地位を築いた作家、安岡章太郎。彼の数多くの作品の中から、選りすぐりの5作品を紹介します。

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「下から目線」の小説家、安岡章太郎

安岡章太郎は、1920年生まれ高知県出身の小説家です。小説家デビューは比較的遅く、31歳の時でしたが、2年後には芥川賞を受賞し文壇の中央に躍り出ました。以来精力的に活動し続け、生涯で100冊にもおよぶ著書を残しています。

作家としては順調なコースを歩んだ安岡ですが、それまでの彼の人生は挫折の連続でした。中学校時代は素行不良で禅寺に入れられ、大学受験に何度も失敗し、軍隊に送られて結核になります。除隊後は結核菌が脊椎に入ってコルセットをつけないと生活できないという悲惨さでした。

どうしようもない劣等生だった少年の自分、軍隊でも落ちこぼれ何もヴィジョンがないままイライラと街をうろついていた青年の自分。安岡章太郎は、自分の愚かさや情けなさを、とことん率直に、それでいて質の高い文章で書き続けてゆきます。そこに巧まずしてユーモアが生まれ、親しみやすい優しさが生まれました。

安岡の小説世界のおもしろさは、人を神のような高みから見おろすのでなくて、人間の足裏のような低いところから、逆に人間を見上げるところにある、と、ある評論家は言いましたが、言い得て妙だと思います。上から目線の反対の、下から目線。そういう安岡の姿勢は、2013年、92歳で亡くなるまで、生涯変わることがありませんでした。

安岡章太郎文学を代表する、複雑で苦い中編小説

『海辺の光景』は、安岡の代表作と名高い作品。「うみべ」ではなく「かいへん」と読みます。ひとりの三十男が、死にかけている母親に付き添って海辺の病院で過ごすお話です。

主人公の信太郎は母を見守りながら、家族のこれまでを思い出してゆきます。信太郎の一家を狂わせたのは、戦争でした。軍医だった父は敗戦で戦地から帰ってくると、完全に生活無能力者になっていました。母はそんな夫を嫌いながら、生計のためにバタバタと走り回り続けて消耗してゆきました。そしてやはり戦争で傷ついた信太郎は、両親に距離を感じながら、東京で怠惰な生活をしています。

著者
安岡 章太郎
出版日

壊れた家族、救われない家族。それを、安岡は抽象的な言葉や弱々しい嘆きではなく、あくまでも即物的な、淡々とした描写で表現してゆくのです。例えば、父が煙草を吸うときの描写。

「太い指先につまみあげたシガレットを、とがった脣の先にくわえると、まるで窒息しそうな魚のように、エラ骨から喉仏までぐびぐびとうごかしながら、最初の一ぷくをひどく忙しげに吸い込むのだ。」
(『海辺の光景』より引用)

この何気ない一文に、信太郎が感じている父への生理的な嫌悪感が見事に表現されています。安岡章太郎の文学には、カッコいい言葉も決め文句もありません。大げさな身振りも難しい理屈も皆無です。全てが目の前にあるように、生々しく具体的に書かれています。そこが安岡章太郎という作家の凄みです。

だからこそ、『海辺の光景』は、複合的なテーマを持つ複雑な味わいの小説になっているのです。戦争の傷、癒せない虚無感、逃げようにも逃げられない家族の束縛、そして、死ぬということ。それをあくまで人の動きや会話だけで語るからこそ、読者に丸ごと伝わってくるのです。

ひとたびは危機を乗り越えた母は、ジュースを喉につまらせあっけなく死んでゆきます。その間際に、「おとうさん……」と、嫌っていたはずの夫を呼びながら。生半可な解釈を跳ね返すような人と人の絆の不思議さに、信太郎も読者も、ただ呆然と立ち尽くすしかありません。

たしかに重苦しい小説でしょう。でも、『海辺の光景』にはある時代を生きた家族の最後の姿が、匂いがしてくるような具体性で活写されています。粘り強い努力と鋭い感覚で書かれた、至極の作品がここにはあります。

自分の卑しさをそのまま描く芥川賞受賞作

21世紀の日本を代表する人気作家・村上春樹は、好きな作家として安岡章太郎の名を挙げますが、中でも気に入っていると話すのが、安岡のデビュー作「ガラスの靴」です。実際読んで見ると、ちょっとびっくりするぐらい村上春樹に似た色を持った作品です。気の利いた会話に溢れ、ミステリアスな女の子が出て来る、せつなく叙情的な青春小説。

しかし「ガラスの靴」のような作品を、安岡は二度と書きませんでした。かわりに彼の小説の中心テーマになっていったのが、劣等感です。芥川受賞作「悪い仲間」は、その典型的な小説と言えるでしょう。

著者
安岡 章太郎
出版日
1989-08-03

何事につけても自信のない「僕」は、大学の休暇中に藤井という若者と出会います。ふてぶてしく世慣れていて女遊びを知っている藤井に、「僕」は反発しながら惹かれていき、食い逃げや覗き見など、犯罪行為になるような悪いイタズラを教わるようになります。

藤井と別れて大学に戻ったあと、親友の倉田に藤井から教わった悪い遊びを教え、そのことで優位に立ち快感を感じる「僕」。しかし倉田が藤井と知り合ってしまったことで、「僕」の行動が藤井の受け売りであったことがばれ、一転して「僕」の地位は地に落ちることに。それをどうにかしようと、二人を遊郭に連れ出すが……というお話。

多くの人が、「僕」の心理に身に覚えがあるのではないでしょうか。劣等感を持つ思春期の若者は、自信にあふれた野太く不良っぽい同世代にどうしようもなく惹かれることがあります。しかし安岡の特異なところは、「僕」がその不良からの知識を使い親友に対し優位に立とうとする気持ちを、ためらいもなく描くところです。

安岡は、自分の中に劣等感と表裏一体の、見栄を張る卑しさがあることを、なんの自己弁護もなく書くのです。そこには自分を良い人間に書こうという見栄も、太宰治のような大げさな自己卑下もありません。淡々とありのままに書かれる人間くさい心理は、自然にユーモアを生んでゆきます。これが、安岡が見出した自分なりの文学的個性でした。ここにあるのは、正直な、滑稽なほど正直な文学なのです。

ほろ苦いどんでん返し、安岡章太郎短編の白眉

安岡章太郎には上で紹介したデビュー作や出世作をはじめたくさんの短編小説があります。なかでも評価が高いのが『質屋の女房』。こんなお話です。

怠け者の大学生の「僕」は、外套を質に入れた金で旅行に行こうと思いたち、質屋を訪れます。そこで郭上がりの若いかわいい奥さんに会い、話をするようになります。ある日、質に入った本の整理を奥さんから頼まれた「僕」は、「不意に、うつ向いて立ってゐる彼女の躰を抱きしめてやりたくなり」彼女と関係を持ってしまいますが、夜になって家に帰ると、召集令状が「僕」を待っていたのでした。

著者
安岡 章太郎
出版日
1966-07-12

入営までの時間はまたたく間に過ぎ、明日は軍隊入りという夜に、あれきり会えなかった質屋の女房が、以前預けた外套を持って「僕」を訪ねてきます。立ち尽くす「僕」の前で、彼女は「お忘れになつたのかと思つて……」というのです。

「僕は胸の中が真つ黒くなるやうな気がした。決して忘れたわけではないにしても、彼女のことを思いやることがまつたくなかったのは、たしかだった。……しかし、僕が恥ぢらいのあまりほとんど恐怖に近い心持ちを味はうのは、まだこれからだつた。」(『質屋の女房』から引用)

さて、「僕」が、恥ずかしさのあまり恐怖に近い感情にを味わうことになったのは、いったいなぜでしょうか?ヒントは、彼女が訪ねてきたとき最初に言った言葉にあります。答えは、ぜひ本編を読んで確かめていただきたいと思います。

鮮やかでほろ苦いオチを持つ名短編。安岡文学の入門として、うってつけの作品です。

技巧を超越した枯淡のテキスト

4冊目は、安岡章太郎最後の本です。単行本未収録のエッセイや対談などを収めたこの本は、安岡の没後に出版されました。副題に、吉行淳之介のことなど、とあるように、中心になっているのは「第三の新人」と呼ばれた、同世代の文学仲間たち、吉行淳之介、遠藤周作、島尾敏雄などに関するエッセイ。

著者
安岡 章太郎
出版日
2015-12-23

とくに吉行淳之介と安岡章太郎は、ともに極貧の病気持ちで、戦後の混乱の中を虚無感を抱えてうろついていた、共通点の多い二人です。これに遠藤周作も入れた三人の友情は生涯続きました。吉行淳之介の『私の東京物語』『贋食物誌』や遠藤周作の『ぐうたら交遊録』、それに安岡章太郎の『良友・悪友』など、いろいろな本に当人たちがそれぞれ自分の立場から書いた交友エピソードがたくさん残っていて、読み比べると非常に面白いのですが、この『文士の友情』には、安岡に吉行淳之介がふと話した村上春樹評などというものも出てきます。安岡章太郎も吉行淳之介も、村上春樹をちゃんと読んでいたことがわかって興味深いものがあります。

「吉行は言った。
『まず村上春樹、さしあたりあの男が昭和初期の龍胆寺雄さ』
なるほど、そう言われてみると、村上春樹は平成の龍胆寺雄かもしれない。題材やコトバの目新しさに工夫をこらし、それをセーリング・ポイントに読者を大量に掴むところなどは、たしかに似ているし、また村上氏が空っぽの井戸の底に一人でもぐって空を見上げながら、歴史に想いをいたすなどと言い出すところなんかは龍胆寺氏の小説に通じ合う要素がある。」(『文士の友情』より引用)

晩年の安岡の文章は昔のような凝った部分が消え、どこまでも平明で読みやすい、水のようなテキストになっていました。一見何気ないようで、膨大な蓄積を感じさせる文章です。『文士の友情』を紹介したのは、皆さんにぜひ、この洗練を超えて当たり前にしか見えなくなったテキストを読んでみて頂きたいからです。

「友達が死んで淋しくなるのは、吉行に限らず、三月、半年とたって、その死を全く忘れた頃、青空の下で川べりのすすきの原でも眺めながら歩いているようなとき、突如として思い浮かんでくるのではあるまいか。」
(『文士の友情』より引用)

大げさな表現も慟哭の身振りもなにもありません。枯淡、という言葉はこの本にこそふさわしいでしょう。

下から目線を貫いた安岡章太郎的昭和史

『僕の昭和史』は、安岡の自叙伝ですが、同時に、安岡を巻き込んで滔々と流れていく時代の、その時々の雰囲気が的確に書かれている、私的昭和史でもあります。たとえば、敗戦の玉音放送の瞬間を描いたこの場面。

「初めて聞く天皇の声は、雑音だらけで聴き取り難かった。それが終戦を告げていることだけはわかったが、まわりの連中はイラ立っていた。突然、僕の背中の方で赤ん坊の泣き声がきこえ……(中略)……

母親は赤ん坊を抱えて電車に乗った。僕も、それにならった。母親は、白いブラウスの胸をひらいて赤ん坊に乳房をふくませたが、乳の出が悪いのか、赤ん坊は泣き続けた。その声は、ガランとした電車の内部に反響して先刻よりもっと大きく聞こえた。
―――もっと泣け、うんと泣け。僕は、明け放った車窓から吹き込んでくる風に、汗に濡れた首筋や両頬を撫でられるのを感じながら、心の中でさけんでいた。」(『僕の昭和史』より引用)

著者
安岡 章太郎
出版日

通りいっぺんの歴史書では到底伝えられないリアリティと詩情があります。安岡の書くことはどこまでも私的かつ具体的で、理念や観念に少しも惑わされず、その時代の匂いのようなものを的確に捉えてゆくのです。

無理やり軍隊に入れられ、さんざん殴られたあげく結核になり除隊させられた若い日の安岡。しかし安岡がいなくなったあと、その部隊はレイテ島で全滅します。安岡は、自分だけ生き残ってしまった、という罪悪感と虚無感を抱えて、戦後の混沌の中をさまようことになります。

戦争の影。安岡の人生と文学に、ずっとそれがついて回っていること、安岡の世代の人間たちはみなそうであることを、この本は生々しく伝えてきます。安岡文学の集大成であると同時に、昭和という時代を具体的に伝える貴重な証言である『僕の昭和史』。なにより、大冊ですが卓越した文章力ですらすらと読めます。昭和という時代をもっと知りたい方に、ぜひオススメしたい1冊です。

いかがでしたでしょうか。安岡章太郎は人間の卑小さを描きながら大げさな身振りがいっさいなく、優しさやユーモアを漂わせる不思議な作家です。そして何より、噛めば噛むほど味が出る名文家でもあります。ぜひ、一度その世界に触れてみてください。

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