ライトノベル作家としてデビューし、いまやその枠を越えた活躍をしはじめた人気作家、壁井ユカコ。彼女の作品からおすすめの5冊を選んで、その魅力を紹介してゆきます。
壁井ユカコは、2003年に電撃文庫でデビューした作家です。2007年頃から他のレーベルでも多彩な活躍するようになり、いまやライトノベルという枠を越えた作家になってきたと言っていいでしょう。
彼女はデビュー当時から、巧い作家、として高い評価を得てきました。その文章はライトノベルとしてはかなり目の詰まった緻密なもので、じっくりした描写に真価を発揮します。また、ひとつの世界観の中で主人公を変えながらいくつもの物語を繋いでゆく連作の手法を得意としていて、補完し合う物語が立体的な世界観を作り上げるような作品作りに定評があります。
壁井ユカコの小説は、近年まで一貫して少女を主人公にしたファンタジーでした。一見クールに見えながら、実は家族や周囲にうまく適応できずに鬱屈を抱えている少女が、現実ではあり得ない出来事に遭遇することで変化してゆくというのが、壁井作品の基本形でした。
そんな壁井ユカコが、2013年、これまでのパターンにまったく当てはまらない新作を発表して、古くからの読者は仰天しました。『2.43 清陰高校男子バレー部』です。少年たちが主人公の、ファンタジー要素いっさいなしのスポーツ小説。さいわい作品は大好評で、壁井ユカコは新しい境地に達したと言っていいでしょう。
まずはその新境地を拓いた作品、『2.43 清陰高校男子バレー部』から紹介することにしましょう。ちなみに2.43とは高校バレーのネットの高さです。
中学バレーの名セッターとして名を馳せた灰島公誓(はいじまきみちか)は友人との間で不祥事を起こし、故郷の福井県に戻ってきます。公誓の幼馴染の黒羽祐仁(くろばねゆに)は、公誓との再会をきっかけにバレーに情熱を持つように。しかし、バレー一筋すぎて独りよがりな公誓と、坊っちゃん育ちでプレッシャーに弱い祐仁のコンビは、中学最後の大会で脆さを露呈します。二人は絶縁状態になったまま同じ清陰高校に進学することになり……というのが第1話です。
- 著者
- 壁井 ユカコ
- 出版日
- 2015-03-20
この小説は壁井ユカコお得意の連作形式。第2話で気弱な男子部員棺野と伸び悩む女子バレー部員の末森のじれったいエピソードを挟んで、第3話、ついに公誓と祐仁(ユニチカコンビ、と名付けられています)が高校バレーで活動しはじめます。彼らを助けるのは、低身長というハンデを抱えながら誰よりバレーを愛する熱血キャラの小田部長と、小田のためならどんな裏工作も辞さない陰謀キャラの青木副部長。
新チームが形になりはじめるあたりは正統派スポーツもののワクワク感満載ですが、勢いに任せるような展開は全くなく、少年たちの気持ちをじっくりと追っていきます。彼らはそれぞれ弱点を持ち、コンプレックスを持ち、たいていは口下手で、大事な人に認めてもらいたくてジタバタと足掻いています。その心理を描く丁寧さが、壁井ユカコの最大の特長。だからこそ、彼らが「バレーへの情熱」という一点を軸に、お互いを補い合うように団結し始めてゆく様子が感動的なものとなっているのです。
濃密で熱い青春体験をさせてくれる、そして、読み終えたあとなんともいえない爽快感が残る1冊です。なお、清陰高校男子バレー部のこの後の活躍は、続編の『2.43 清陰高校男子バレー部 second season』で読めますよ!
2冊目は『2.43 清陰高校男子バレー部』のスピンオフ作品。4編からなる短編集で、どれも大変面白いのですが、ここでは「強者の同盟」を紹介しましょう。
福井の高校バレー界に君臨する強豪、福蜂工業高校バレー部。そこに属する高杉潤吾は中学時代エースアタッカーでしたが、チームメイトの三村統に負けてセンター転向を命じられます。気にしないよう心がける高杉ですが、中学時代の友達で高校テニス界の有望選手として活躍する赤緒梓と話すうちに、厳しい言葉を浴びせられてしまうのです。
- 著者
- 壁井 ユカコ
- 出版日
- 2016-10-05
「『同じ高校行って、一番譲って、ほんでそんなふうに簡単にライバル持ち上げて……プライドないんか。中学んときの潤吾からは考えられん。なんか……牙抜かれたみたいやな』
明確に非難を帯びた赤緒の声が、ずしりと心臓に刺さった。」
(『空への助走 福蜂工業高校運動部』から引用)
と、ここだけ読むと典型的な高慢キャラに見える赤緒ですが、高杉はこの後、赤緒が強豪選手であり続けるためにどれだけ厳しい道を歩いているかを知ることになります。そして赤緒や三村統も全国というレベルでは無名で弱小な存在に過ぎないこと、彼らが地方の強豪という枠を越えようと必死の努力をしていることを理解するようになるのです。
スポーツ小説において強者というのは「傲慢で嫌なやつ」として描かれがちですが、そこには必ず血の滲むような思いが隠れていることを壁井ユカコは描きます。ひとりひとりの登場人物の心の動きを揺るがせにしない、彼女ならではの視点です。こういう視点があるからこそ、『2.43 清陰高校男子バレー部』の世界は、ただ爽やかな青春物だという以上の厚みとリアリティを持っているのでしょう。
他にも、ハイジャンパーの恋を描いた表題作や、柔道部と釣り部というあまり小説には出てこない部活動のドタバタを描いた「途中下車の海」など、全編を通じてとても楽しい読書経験をさせてくれる1冊です。
3冊目は、2006年の作品『NO CALL NO LIFE』。前2冊を読んだ方は、その小説世界のあまりの違いに驚くでしょう。こちらは壁井ユカコがデビュー時から追求し続けてきた、不安定で破滅的な少年少女の世界です。
主人公のちょっととぼけた女子高生、有海の携帯電話に、ときどき謎の留守番電話が入るようになります。小さな男の子の声で、いつあえますか?というメッセージ。その謎を追ううち、有海は学校一の問題児と言われる留年生、春川と出会うことになります。
- 著者
- 壁井 ユカコ
- 出版日
- 2009-07-25
「『好きっていうのはだね、もっとこう、どろどろぐちゃぐちゃしてて、ほら、お昼のメロドラマみたいな、不倫して離婚して再婚して元夫と不倫して姑に人でなしと罵られてみたいな』
『どろどろ?』
『そう」
神妙な顔で有海が頷くと春川はショックを受けたみたいに一瞬固まって、
『俺、昼メロは見ないからそういうのはわからない』
『じゃあ、どろどろするくらいわたしのことが好きになったらまた言いに来る
といいよ』
『うん。ごめん』」
(『NO CALL NO LIFE』より引用)
こんな会話を交わしながら、春川と有海は恋に落ちてゆきます。どろどろどころか、ともかく会うためだったら場所も手段も選ばない、全く自重のできない恋です。何もかもが思いつきで、明日につながる計画も何もなく、読んでいても、こんなの破滅しかないじゃんと誰もが思うでしょう。
親の愛というものを人生でぽっかり欠いているふたりには、全く同じような欠落があるのです。巣を作りお互いを守って暮らすというイメージがないので、ふたりでいても安定することができません。壁井ユカコの最大のテーマが、人の心の中にある欠落です。
彼女の作品に出てくる人物たちのほとんどが、何か大事なものを心から欠いているのです。多くの人物は欠落を苦しみながら埋めてゆくのですが、春川と有海は互いを補完することができないまま、刹那的な逃避行へと向かうことになります。張り詰めた空気を切り取るような丁寧な描写が、悲劇性をいやがうえにも高めていきます。
刹那的な恋の物語として高い完成度を持つこの作品、泣きたいあなたに自信を持っておすすめできる1冊です。
4冊目は、2011年の『サマーサイダー』。幼馴染の3人の少年少女の物語です。無邪気な少女、倉田ミズ、元ガキ大将の少年、恵悠、無愛想で不器用な少年、三浦誉、3人は廃校になった中学の卒業生です。恵はスポーツ進学した高校で落ちこぼれ、そして三浦はある欠陥を持ち、それをふたりに知られないように必死の振る舞いを続けています。不安定な彼らを見るミズの視線もまた、どこか頼りなく揺れています。
- 著者
- 壁井 ユカコ
- 出版日
- 2014-05-09
「三浦誉。正直なところわたしは三浦が苦手だ。(略)三浦に対してだけはうまく接することができない。こんなこと言ったら会話が途切れるんじゃないかとか、不機嫌にさせるんじゃないかとか、無駄に考え込んでしまっていちいち疲れる。
誰も見てくれないのですねたのだろう、恵が離れたところからわたしのそばにあった籠にボールを投げ込んできた。(略)三浦の機嫌を損ねるのがなんとなく嫌なのでわたしはこの阿呆めと恵を呪う。」
(『サマーサイダー』より引用)
恵はミズに子供っぽい好意を持ち、ミズは無意識レベルでひそかに三浦に惹かれている……。そんな人間関係が、この何気ない描写から伝わってきます。見事ですね。誰もはっきりとは口にしないほど淡く、だけど息が詰まるような三角関係が序盤の中心になります。
しかし、ここが壁井ユカコ作品の面白さなのですが、進むにつれ、物語はだんだん不思議な方向にねじれてきます。3人はある秘密を共有する仲でもありました。その秘密とは、3人のもと担任教師で、変死体で見つかった佐野に関すること。なんと佐野は、自分は蝉で、28歳になったら成虫になるという妄想に取り憑かれていたのです。……と、ここから先はぜひ本編で。
微妙な三角関係の話に見えて次第にサスペンス色を濃くしてゆく本作は、いろいろな真相が一気に明かされる終盤、なんとグロテスクですらあるホラーになってゆきます。淡々とした始まりから奇妙な方向に物語が転がってゆき、最後には全てが伏線になっていたことがわかる……。壁井ユカコというのは実に不思議な構成力と発想力を持った作家です。
ちなみに、ラブコメのほうもちゃんと決着をつけてくれています。ホラー&ミステリー&胸キュン青春物、1冊で3度おいしい贅沢な小説、それが『サマーサイダー』です。
壁井ユカコのデビュー作は、電撃大賞を獲得した『キーリ 死者たちは荒野に眠る』です。1巻完結でしたが好評のため続編が書かれ、全部で9冊のシリーズものになりました。
長い戦争によって荒廃し、教会が世界の実権を握っている世界。幽霊が見えるため孤立していた少女キーリは、「不死人」と呼ばれる青年、ハーヴェイと出会います。不死人は戦争のために人工的に生み出された動く死者兵士で、終戦後は全ての責任を負わされ教会から追われていました。学校で孤立していたキーリは、ハーヴェイの旅に勝手についてゆくことにしたのですが……というのが序盤のあらすじ。
- 著者
- 壁井 ユカコ
- 出版日
いま読むと、『キーリ』には、壁井がのちに展開した要素の多くがすでに入っているのに驚かされます。淡々として醒めている主人公の造形も、日常描写から次第に非現実的な設定が露わになってゆくところも、短いエピソードが積み重ねられる構成も、全編にただよう切なさも、すでに壁井らしさ全開です。
そして主人公の相棒ハーヴェイは、壁井ユカコ作品でも1位を争うほど魅力的なキャラクター。最初はやれやれ系のやる気のない男として登場し、キーリに対しても冷たいのですが、列車で一緒に旅をし、様々な幽霊と出会い別れるうち、少しずつ心を開いてゆきます。
「想像してみろ。会う奴会う奴揃って俺を置き去りにして死んでいくんだぜ」
(『キーリ 死者たちは荒野に眠る』より引用)
死ぬことができず、命じられるまま大量の人を殺した過去を忘れることもできない心の痛みを抱えて、疲れきっている青年。そんなハーヴェイの心の中に、少しずつキーリが入り込んでゆき、ハーヴェイは「生きるということ」について考え始めるのです。人が欠落したものを取り戻してゆく物語。壁井ユカコの最大のテーマを、ハーヴェイは見事に体現しています。
生者と不死者の間に結ばれ始めた魂の絆を、薄暗い夕暮れのような世界を舞台に描いた本作品は、いまも古びない完成度を持っています。ぜひ、シリーズまとめて一気読みしていただきたいと思います。最終巻では、息が詰まるような感動が読者を待っていることでしょう。
繊細な思春期の心理を描きながら、多彩な設定や作風を使いこなす技巧派作家、壁井ユカコ。どの作品も、目の肥えた読者を喜ばすだけのクオリティを持っています。ぜひ、手にとってみてくださいね。