ヴァージニア・ウルフのおすすめ作品5選!女性作家の名文を読もう

更新:2021.12.17

ヴァージニア・ウルフはイギリスの作家、批評家です。私たちが普段目にするのは分かりやすく整った思考が多いかと思いますが、ウルフの作品に触れると、人間の思索はこんなにも流動的で繊細な動きをするのかと、刺激を受けることでしょう。

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時代に翻弄されつつも、実験的手法を試みた女性作家ヴァージニア・ウルフ

ヴァージニア・ウルフは、1882年ロンドン生まれの作家、批評家です。

父は著名な文芸批評家で、母は絵画のモデルという家庭の中で、知的、芸術的に恵まれた環境で育ちます。13歳のときに母が亡くなり精神を病んで以来、生涯に渡って患わされることになりました。

兄が開いた知的な会(ブルームズベリー・グループ)は、のちに著名人が多く出た、進歩的な集まりでした。兄の死後は、ウルフが中心的役割を果たすようになります。とりわけ、性については先進的な考えを持っていたようで、そこで得た経験はウルフ作品の特徴の一つになりました。

ウルフの精神状態にはずっと波があり、1941年、入水自殺によって59歳の生涯を閉じるのでした。

1915年に処女作を刊行して以降、高い評価を受け、モダニズムの旗手とされています。独特の豊かな感性、実験的な手法、幻想的筆致がほかにない魅力を持ち、再評価されている作家です。その作品は繊細でもあり、明るくユーモラスで、何より美しい文体が魅力的。今でも世界中の読書好きを虜にしています。

現代にも通じる、フェミニズム批評の古典

1928年、女子学生向けに行われた講演をもとに執筆された名エッセイで、1929年に刊行されました。ウルフが46歳のとき、作家として、個人としてもっとも充実していた時期の作品です。

物語の形をとりながら、架空の女性を主体に据えては、ウルフや、多くの女性たちの思いを投影した本作。これまで女性が社会的にどんな処遇を受けてきたか流れを追いながら、では文芸においてはどうだったか、そして今後女性が作家として生きるにはどうしたら良いのかを思索していきます。

冒頭で示されるのは「女性が小説を書こうと思うなら、お金と自分ひとりの部屋を持たねばならない」という有名な一節。果たしてその真意は具体的にどのようなものなのでしょうか。

 

著者
ヴァージニア ウルフ
出版日
2015-08-27


まるで姉が妹に語るような、優しく親し気な語り口は、実際に声を聞くかのようにするすると耳に入ってくることでしょう。ともすれば深刻な問題を、時に鋭く、時に楽観的に、興味を引き付けながら紐解いています。

単純に社会を恨み、男性を叩くようなことは決してなく、実際どうしたら良いのかという結論を目指して話されています。ものを書きたいと思っても、支援者も、模範にしたい先輩もほとんどありません。仕事をするために、養われずとも済む収入と時間と場所が必要であることは当然頷けますが、当時は今以上に、女性には自由になるお金も時間もなく、その機会を得ることは非常に困難だったという背景を、改めて知ることができます。

女性がひとりで仕事をしていくには何が必要か、今読んでも十分に示唆を得られます。ものを書いて、一定以上の収入と理想の時間管理を目指すという意味では、男女の区別なく読めることでしょう。

『高慢と偏見』『ジェイン・エア』などが作中で引き合いに出されていますので、ある程度の著名な古典と作者について知っておくと、より深く意味を理解できます。

不思議な魅力を持つ、知的な遊び。時間と人格の迷宮へ

「では何者なの?」「百万もの自分がある。」(『オーランドー』より引用)

冒頭のオーランドーは、エリザベス女王の寵愛を受ける、すみれ色の目をした美しい少年です。ある時、燃えるような恋に落ち、それが結末を迎えた後、オーランドーは7日間眠ったままになりました。そして目覚めると今度は、オーランドーは20代の物書きとなっているのです。そしてまたその後、昏睡状態からぼんやりと目覚めると、今度は女性に変身しています……。オーランドーは、時間も性も超越して、いくつもの人生を生きる人なのです。

 

著者
ヴァージニア ウルフ
出版日


「人びとは、墓石に記してある通りの定められた六十八年とか七十二年の歳月をきっかり生きたのだ、と考えてよい。そうでない人びとはどうかと言うと、死んだはずなのにそこらをうろついたりする、生れる前に人生の諸形態を経験済みだったり、また何百歳にもなるのに自分は三十六歳だ、などというのだ」(『オーランドー』より引用)

支離滅裂な設定に思えますが、一体どういうことなのかと整理して読み進めようとするより、把握できないままに、ここはウルフにハンドルを任せてみてください。ジェットコースターのように、一気に読むことができます。

1つの作品ながら、何作もの別の小説を読んでいるようでもあり、しかしそれらは確かにひとつの人格によって串刺しされているのです。「性」もテーマの一つで、オーランドーは、たくましい男となったり、母となったりしては、性別を行き来し、男女それぞれの長所と短所、それに共通点を知っているので、客観的に俯瞰することができる究極的存在です。

いくつも人生を生きるオーランドーの、「生」について示唆に富む豊かな発言が多いのもこの作品の魅力。ルネサンス期から20世紀まで生きた、360歳のオーランドーを通して、社会やの変遷や文学史を読み取れるでしょう。

時代を問わず共通する、上流の女性の孤独な悩み

ダロウェイ夫人は50歳を過ぎましたが、まるで18歳の娘のようだとも評される容貌をしています。しかし、若いころを思い出して、つい自分の人生がこれでよかったのかどうか考えます。家族を設け、不自由なく暮らしてはいるけれど、実は深い悩みを抱えているのでした。

緑の美しい初夏のロンドンで、夫人はある日、幼馴染のこと、恋、戦争のこと、様々な過去を走馬燈のように思い返します。今日の美しい1日は、回想によるあらゆる過去の1日の凝縮です。時の流れとは、残酷なのでしょうか、それとも美しいものなのでしょうか。

いきいきとした会話文も多く、ウルフの作品の中では最も読みやすいものの一つです。

 

著者
ヴァージニア ウルフ
出版日


夫人はじめ主要人物が次々と変わって主体となり、時間を跳躍しながら過去を回顧し、それらがやがてひとつとなっていきます。ストーリーを追うというより、徒然に読んでいくうちに、自然とダロウェイ夫人の人生が捉えられてくるでしょう。細切れの材料一つ一つをもらっていきながら、読み手自身が一品の料理をこしらえるような感覚です。

求められる役割に自分を当てはめようとする夫人ですが、そのようにして生きた場合、果たしてそれは自分の人生を生きたことになるのか、考えさせられます。そこで鍵となる人物は、スミスという戦争神経症を患った青年。彼の回顧と最終的な行動を通して、夫人と読み手は示唆を得ることでしょう。

魅力的な人物たちが、光があふれるような鮮やかさをもって、いきいきと描かれます。時々、皮肉まじりのユーモアを交えながら、人生の意義を問うていて、暗くなりすぎることはありません。

波と同じリズムで寄せては返す、神秘的美しさ

美しい波の描写と時間の経過、そして6人の幼馴染の男女の独白が交互に展開されます。作品自体が波というものをかたどったかのような物語です。

それぞれの独白は断片的で、度々飛躍し、捉えどころがないようにみえます。そこで波の描写が果たす役割は大きく、彼らの独白が意味を持ってくるようです。ストーリーを追うというよりは、散文詩を読む感覚に近いでしょう。

長編小説5作目で、ウルフ文学の一つの到達点といえます。じっくりと一枚の絵画を見つめるような、静謐な作品です。

 

著者
ヴァージニア ウルフ
出版日


6人それぞれの独白は、一体それが何を意味するのか、即座に掴むのは簡単ではありません。ああだろうか、いやこういうことではないか、ときっと考え込むことでしょう。それがこの作品の魅力の一つです。

むしろ一見関係ないような、間に挟まれる波の描写をしっかり味わったほうが、6人の人生を垣間見るヒントになるかも知れません。実際の人生でも、思考が散り散りに乱れる時、風景に目を移すと、ふと思わぬ示唆を貰えることはあります。

波、とは何の象徴であるかは考えてみるのも良いと思います。寄せては、次の瞬間跡形もなくなってしまうもの、それでいて永遠に繰り返すもの……。或いは、無理やり解読しようとしなくとも、ただ単に、言葉の美しさにただ身を委ねるだけでも良いと思います。そんな読み手の解釈が無限に広がる本作。特に波と岸辺の描写はそれだけで、生や時間を俯瞰し凝縮しているかのようです。

香り立つような美しさ。意識の流れに酔いしれて

哲学者のラムジーと夫人、それに息子は、孤島の別荘で、神秘的な灯台に思いを馳せていました。あそこにいるはずの灯台守たちはどんな暮らしをしているのか、明日こそ訪ねてみよう、と。

ラムジー夫人は、まるですべての男性を守る義務でもあるかのように、かいがいしく息子の世話をし、気分屋の夫を慰めます。そのラムジー夫人と息子を絵に収めようと試みるリリーは、なかなか画家にはなれずその日暮らしを抜け出せません。

女性はラムジー夫人のように家庭に収まればそれだけで幸せでしょうか。リリーのように仕事を得ようと努力することが正解でしょうか。それぞれの選択をしながらも希望を持てずにいるふたりの女性の思い悩みが、美しい文体を通して並行的に描かれます。

 

著者
ヴァージニア ウルフ
出版日
2004-12-16


登場人物たちの思惟があちらこちらに軽やかに飛躍する様子は、春の霞のごとく幻想的です。実際は、話や考えが自由に、時に同時にいくつも飛ぶことは珍しいことではないはずですが、言葉に表現するのは至難の技。それをこのような美しい文章にしてのけるのは、ウルフならではの技術です。

多くの人がふと頭の中でした考えごとは、必ずしも論理的な思考とは限らないはずです。飛躍し、本論とは外れ、それがかえって核心に近づいたり、そして離れたり。読んでいて、実際の思考を具体的には捉え難いときがあっても、花が咲き乱れる庭を徘徊するように、その迷いをこそ是非楽しんでください。

舞台である孤島の美しい風景が終始イメージされるなか、柔らかな筆致で描かれる思考が、水面を漂う一枚の花弁のようです。

どの作品も、しばらく読み進めるとより面白さを感じ、そして大分頭が柔軟になっていることに気付くでしょう。共通するものはありつつも、どれも手法が異なっていて、それぞれ違う魅力を持っています。普段使わない筋肉をほぐす、思考のストレッチにも最適です。

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