文芸

埴谷雄高おすすめ作品5選!『死霊』だけじゃない!

更新:2020.11.27 作成:2017.3.17

日本文学史上唯一無二と言われるスーパー哲学小説『死霊』を書き続けた埴谷雄高とは、どんな文学者だったのでしょうか。その魅力を5冊のおすすめ著書で紹介していきます。

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実は親しみやすい人物であった、埴谷雄高とは?

埴谷雄高は、1909年生まれの小説家です。若い頃はアナーキズムに熱中し、マルクス主義を信奉していました。今では物珍しく聞こえるかもしれませんが、当時の文学青年には珍しくないコースでした。1932年に思想犯として逮捕されますが、この時に獄中でドストエフスキーを読み衝撃を受けます。

その後、埴谷雄高は終戦直後に雑誌「近代文学」の創刊メンバーとなります。同書は、戦後文学のはじまりを告げる歴史上重要な雑誌とされていますが、メンバーは評論家ばかりでした。その中でほぼ唯一、創作として輝きを放ったのが、創刊号に掲載された埴谷の『死霊』だったのです。『死霊』はその後、40年に渡って断続的に書き続けられることになります。

埴谷は非常に寡作なせいもあって、長いこと「謎だらけの気難しい小説家」「観念で生きてる超俗の人」という伝説めいたイメージを持たれてきましたが、実物の埴谷は面白くて気さくなオジサンだった、といいます。生活のため下宿屋をやったり、物凄いおしゃべりだったり、坊っちゃん気質で奥さんや近所の人に頭が上がらなかったり、株に詳しかったり、プロ野球好きだったり……。その人柄を慕って、表立った活動はあまりしないのに、多くの文学者が彼のもとを訪れました。

しかしやはり埴谷の本質は、自らの理念を小説の形で残すことに人生の全てを捧げた、凄まじい情熱の作家というものでした。彼は1997年、脳梗塞で死去。生涯を賭けた小説『死霊』は、ついに未完に終わったのです。

容易には登れない、険しい高峰『死霊』

では、代表作『死霊』からご紹介しましょう。まず言わなくてはいけないのは、本作を読み通すのは生半可なことではないということです。多くの人が「わからない」「進まない」と言い続けてきた超難解小説。簡単に、ぜひ読んでみてくださいおすすめです、とは言い難い作品です。

物語は三輪家の4兄弟が、会ってはとにかく議論をするというものです。4兄弟にはそれぞれ強烈な個性があり、彼らと関わる脇役もたくさん出てきますが、その紹介にさほど意味はないでしょう。ひとりの言葉がときに数10ページに及びます。人類、宇宙、無限、死者、そういった言葉が頻出する抽象的な議論についていくのは容易ではありません。
著者
埴谷 雄高
出版日
2003-02-10
埴谷ファンからは激しく怒られるかもしれませんが、私はここで、『死霊』をどう読むべきか、思い切った言葉で語ろうと思います。『死霊』とは、生涯を費やして中二病を極めた人が書いた、超中二病小説なのです。

たとえば主人公格の三輪与志が語る「自同律の不快」という有名な観念があります。自分が自分でしかない、ということがたまらなく不快だ、という意味ですが、これ、中二病の男子女子が真剣に考えていることではないでしょうか。自分の右腕に力が封じられてればいいのに、自分が実は名家の捨て子だったらいいのに。その可能性がない世界なんて不愉快だ、ということなのです。

『死霊』は、登場人物全員が、自分が夢見るすっごい自分になれたらいいのに!と真剣に願っている小説なのです。それも章が進むにつれ、自分だけじゃない、いつか世界全体がそうなるべきだ!という考えになっていきます。そこでは人間は身体の軛を離れ、思考さえあればその通りに動ける存在になるべきだと語られます。そう、中二病風にいえば、埴谷雄高が目指す世界では願えば掌から黒い炎が出せるのです!

目指すべき理想として「虚体」という概念が出てきます。「嘗てなかったもの、また決してあり得ぬもの」とそれは語られます。「ごめん意味がわからん」と多くの研究者を悩ませてきた概念ですが、これも、「考えつく限り最高にロマンな感じの概念」のことだと考えればすっきりします。けっして目の前に現れない、追いかけるだけのものだからこそ究極の概念なんですね。それを追い続ける、というのは中二病患者にとって最高の生き方だよ、ということなのです。

どうでしょう、ちょっと興味がわきませんか?各方面から怒られそうですか、『死霊』が少しでもとっつきやすくなれば幸いです。

埴谷雄高自身が『死霊』を解説!

NHKは1995年、埴谷の超ロングインタビューを敢行し、それを編集してテレビ放映しました。なんと埴谷はその収録で70時間もしゃべったそうです。噂以上におしゃべりな人ですね。それを本にまとめた作品が『埴谷雄高・独白「死霊」の世界』です。
著者
埴谷 雄高
出版日
本書の中で、すべての人間が詩人にならなければ人間に真の幸福はない、と埴谷は言い切ります。またまた怒られそうですが、ここで言うところの「詩人」を、中二病患者とか夢追い人とかに言い換えてもいいかもしれません。すべての人間が中二病患者にならなければ人間に真の幸福はない……。うーん、なんとなくいいですね。人間全員がマイ設定とお気に入りの力を持つ世界、楽しそうです。

政治の話も埴谷のトークの中には出てきます。埴谷は獄中で転向させられそうになったあとも、生涯マルクス主義よりの立場を取り続けましたが、社会主義が人類を救うとは言わないのです。彼が共産党で活動した昭和初年代に、共産主義陣営が内部のスパイ疑惑でいかに悲惨な仲間割れをしていたかを知っているからです。このスパイの話は『死霊』にも出てきます。

「永久に革命し続ける」と埴谷は言いますが、それは要するに、絶対に実現しないロマンを追い続けてゆく、ということ。そういう人間が現実で力を持てるはずがありません。彼は戦後日本の現実世界では全く無力でいるかわりに、理念に生きることを選んだのです。事実、埴谷はどんな方法で稼いで食べているのかもはっきりせず、権力とも富とも無縁でした。

中二病と言いましたが、そんじょそこらの中二病ではないのです。全てを賭けた中二病です。「文学」という曖昧で果てしない夢を追った男の渾身の語り、読み応え十分です。もちろん、『死霊』の副読本としても大きな価値があります。

夢を魔法の鏡にしようとする力業

昭和20年に『死霊』を書き始めた埴谷は5年後にその執筆を中断します。腸結核にかかり治療に専念するためでした。以降、再開するまで20年以上の期間が空くのですが、その間に書いた本の1冊が『闇のなかの黒い馬』でした。

本書は、一貫して夢について書いた短編小説集です。埴谷のことですから、ドラマチックな展開など皆無。彼がここでひたすら執着しているのは、夢だからこそ、現実からどこまでも離れた世界に到達できるのではないかという可能性です。
著者
埴谷 雄高
出版日
「私のひそかに志向する未知を見ること、《白昼に眺める外界の事物のかたちの再現でないところの何か》を見るためには、いつてみれば、夢を夢ふうにみるのではなく、夢をいわば想像的夢として自ら構成してみるなんらかの工夫をこらさなければならないのであつた」(『闇のなかの黒い馬』より引用)

こういう言葉を読むと、埴谷がどこまでも意志的な思考の人であることがよくわかります。彼は夢をコントロールできると思っているのです。夢が現実世界のノイズ解消装置であるという一般的な理論には見向きもしません。求める気持ちと工夫があれば、夢の中で遠い遠いところまで行け、見たことがないものが見られる、と信じています。というより、そう信じてみることにためらいをもっていません。

そして願いどおりの夢に到達します。「目をとめるべき漠としたかたちも、過ぎゆく影も、ぼんやりした輪郭もない夢のなかの一つの奇蹟、完璧な純粋空間ともいうべき白い夢をそのときはじめてみたのである」と、喜びをもって語るのです。これが『死霊』に出てくる「虚体」なのでしょう。それははかない妄想なのかもしれませんが、埴谷にとってはそれでもいいのです。彼はすでに、そのはかないものに生涯を賭けているのですから。

埴谷雄高が送る、多くの青年を痺れさせたアフォリズム

昭和25年、『死霊』中断と前後して埴谷は1冊の薄い本『不合理ゆえに吾信ず』を出します。アフォリズム、箴言集といわれる本です。さっと物事を切り取った短い言葉が集められている本書は、埴谷の名を世に広め、多くの若き信奉者を作ったといっていいでしょう。とにかく、全編カッコいいのです。
著者
埴谷 雄高
出版日
「薔薇、屈辱、自同律――つづめて云えば俺はこれだけ」(『不合理ゆえに我信ず』より引用)

すでに前に紹介した、『死霊』の中心概念は出揃っています。いやむしろ、このアフォリズムを書くことで、それはいっそう研ぎ澄まされたと言ってもいいでしょう。

「すべてを捨て去り得ても、『満たされざる魂』が求めに求め、さらに求めつづける標的たる自分でない自分に絶えずなろうとしつづけるところの無限大の自由だけはついについに捨て去り得ない」(同書より引用)

ここにも「虚体」の面影が出てきます。無限大の自由、それは自分でない自分ををどこまでもイメージしつづける自由。昭和25年、日本が急速な復興をはじめ、社会全体が狂騒の中にあったとき、こんな浮世離れしたロマンを堂々と語る人は他にいませんでした。みんな政治と金儲けに夢中で、埴谷の仲間すら文学は共産党のためにあるのかどうか、なんて議論をしていた時代です。

埴谷は本書によって、時代を超越する孤高の賢人と見られるようになります。彼の著書の中で一番読みやすくとっつきやすい1冊。ぜひ手にとって、そのストイックなカッコよさを味わってみてください。

不思議な空気に満ちた催眠術的テキスト

最後にご紹介するのは、1960年の短編集『虚空』。埴谷の中でも地味な1冊ですが、他とはちょっと違った不思議な魅力のある本です。
著者
埴谷 雄高
出版日
1960-11-25
本書での埴谷は、あまりいつものように大上段で概念を述べ立てません。彼が「自分でない自分になろうとしつづける」ためのイメージの展開を、具体的にやってみせています。『闇のなかの黒い馬』とは違い、それを実際の風景をもとに繰り広げているのです。本書ほど素直に、埴谷が自分のイメージを書き綴るのは珍しいといえるでしょう。それは、たとえば登山を描いたこんな文章から感じられます。

「真上の蒼穹を眺めあげると、不意に一歩踏みのぼりたくなるのである(中略)強い風が鳴っている虚空を見上げながら、山の背に佇んでいたことがあった。目に見えぬ虚空のはためきは、すぐ真上で鳴り響き、果てもない蒼穹をかすめ通っていた。すると、私の胸のなかでかすかな羽音がしてくる」(『虚空』より引用)

山の背に立ちそこから空気を踏んで空へ駆け上がる幻想が語られます。とても詩的な、不思議な雰囲気を持った文章ですが、同時に、ある意味子供っぽいようなイメージだともいえるでしょう。彼は空を歩きたいし、風になりたいのです。登山をしたことのある人なら誰でもちょっと覚えのあるその欲求が、相変わらず実にカッコいい文体で綴られますが、その奥に、埴谷が生涯叫び続けた深い願いがあるのを感じずにはいられません。

埴谷は、自由になりたい人でした。社会から、時代から、人間であることから、地を這うことから。押し付けられたあらゆる「設定」を、自分から取り払うことを夢見つづけた人でした。なぜ生涯かけて、いろいろなものを犠牲にして、過激なほどの自由を願い続けたのか、それは余人にはうかがい知れないかもしれません。ですがその尽きることのない希求は、難解な観念性の向こうから、私たちの心を打ちつづけます。

戦後文学の孤高の巨人と言われながら、難解さゆえ近づく人の少ない埴谷雄高。ちょっと砕けすぎた紹介かもしれませんが、彼の仕事に触れる取っ掛かりなればいいなと思っています。